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第七十一話『僕とおばあちゃん』

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――紡は、おばあちゃんの宝物だからねえ。

 そんなことを言っていろんなものをくれたり教えたりしてくれたことを、僕は未だに覚えている。僕を『宝物』だと思ってくれるおばあちゃんがくれる全てのものが、僕にとってはかけがえのない『宝物』だった。

 そんなこともあって、僕は幼い頃随分とおばあちゃんっこだったと思う。両親が仕事で忙しくすることも多かったから、自然と接する機会が多かったのも大きいんだろう。僕のことを『宝物』と呼んでくれるおばあちゃんの存在は、間違いなく今の僕の根っこにも大きな影響を与えていた。

 いつも穏やかににこにこと笑っているおばあちゃんは、昔話や絵本を僕に語って聞かせるのが好きだった。意味が分かりやすい勧善懲悪の話から、幼稚園児の思考回路だと少し理解するのが難しいような長めのお話まで。……多分それが、僕が読み聞かせを好きになったきっかけなんだと思う。

 ストーリーの中で分からなかったことがあるたびに、僕は『なんで』『どうして』とおばあちゃんに問いを投げかけた。だけど、その度におばあちゃんは笑って言うのだ。『紡が思ったままに受け止めてごらん。物語はね、自分で答えを見つけられるから面白いんだ』――と。

 今にして思えば、多分五歳とか六歳の男の子にするようなアドバイスではないと思う。実際その答えをケチだと思う事もあったし、僕の質問に答えるのが面倒だからいつも同じような答え方をするんだと思ってたこともあった。……だけどそれは、おばあちゃんと一緒に居る時間を減らす理由にはならなくて。

『ねえねえ、おばあちゃんはどうしてそんなにたくさんのお話を知ってるの?』

 いつだったかおばあちゃんに投げかけた質問を、僕は今でも覚えている。おばあちゃんの物語の引き出しはとても深くて大きくて、今でもどこで知ったのか分からないようなお話もたくさんあるのだ。おばあちゃんが読み聞かせのボランティア活動をよくやっていたってことは後でお母さんから聞いたけれど、それだけで納得できないぐらいにおばあちゃんの頭の中にはたくさんの物語があった。

 僕が生まれるのがもう少し早ければ、おばあちゃんの引き出しの限界を見ることもできたのだろうか。……何となく、できないような気がしてならない。おばあちゃんの中には無数の物語があって、きっとそれが底を尽きることなんてないんだ。小さい頃の僕も、多分そうだと分かってずっとお話をせがみ続けてたんだと思う。

――おばあちゃんを襲った、病気さえなければ。

 最初に違和感を覚えたのは、小学校一年生も終わりかけに差し掛かったとある冬の終わりごろだった。普段は噛むことも詰まることもなくすらすらと物語をそらんじていたおばあちゃんが、言葉を詰まらせて首を捻りだしたのだ。

『ごめんねえ、少し待っててくれるかい?』なんて言ってからしばらくしても、それを思い出せるような様子はなくて。二分ぐらいした後におばあちゃんが語ってくれた続きが即興でくみ上げた全く違う展開であることは、小さい頃の僕にも何となく察することが出来た。

 加えてもう一回話した事のある物語を繰り返そうとすることも多くて、僕はそれに気づくたびに『もうそれは知ってるよ』とそれはもう無邪気に指摘して見せたものだ。まさかそれがおばあちゃんの記憶の引き出しに異常が起きていることの証拠だなんて、そんなことは微塵も考えることをせずに。記憶の引き出しに穴が開くことがあるんだって、そんなことを知りもせずに。

 おばあちゃんがだんだんと物語を話したがらなくなったのは、二年生に挙がってすぐぐらいの事だった。あれだけ好きだったお話を語ろうとせずに、おばあちゃんは他の遊びを提案してきた。けん玉とかお手玉とかはそれはそれで楽しかったけれど、それでも満たされることはなかった。……僕は、おばあちゃんの物語が聞きたかった。

 だけど、その願いは叶わない。五月の初めにある長い休みにゴールデンウイークなんて名前が付いていることを知ったちょうどそのぐらいのこと、おばあちゃんは入院した。『元気がなくなっちゃったからお医者さんの近くで生活するの』なんて、子供向けに咀嚼された情報しか僕のところには入ってこなかった。

 だけど、お母さんは病院のどの部屋におばあちゃんがいるかを教えてくれた。だから行ける時はいつも通って、おばあちゃんと言葉を交わし続けた。『早く元気になってね』『またお話ししようね』なんて、おばあちゃんを蝕んでいるものの正体に気づくこともなく。

 その時の僕を、おばあちゃんはどう思っていたのだろう。その本心は分からないけれど、それでもおばあちゃんはいつも帰り際に言ってくれたんだ。『紡はおばあちゃんの宝物だからねえ』って、ふんわりしたいつも通りの声色で。

 だからきっと、当時の僕は勘違いしていたんだと思う。おばあちゃんはきっと大丈夫で、いつかきっと戻ってきてくれるんだと。だから僕は少しでもおばあちゃんのところに行って、元気を分けてあげなくちゃいけないんだと。――そうすればそうするだけ、おばあちゃんは早く元気になってくれると。

 そんな風に信じていた僕は、知る由もなかったのだ。――僕がいない時に、おばあちゃんが孫の名前をしきりに確認していたことなんて。……僕の存在が、徐々に薄れつつあることなんて。

 そして、その時は唐突にやってくる。『自分には孫がいる』と言う情報すら記憶の引き出しから零れ落ちることで、思い出そうとする行為すらおばあちゃんは忘却する。……そして、いつも通りおばあちゃんのところに訪れた僕に向かってこう言うのだ。

『――あらあら、かわいい子だねえ。今日は誰のお見舞いに来たんだい?』なんて、一生忘れることが出来ないような言葉を。
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