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第十八話『千尋さんは汲み取る』

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「……お前、いつの間に千尋さんとそんな関係性に……⁉」

 気が付けば、その視線は前からだけでなく後ろからも向けられている。それは怒りというよりも戸惑いと混乱の方が強いみたいだったが、それにしたって痛い視線であることに変わりはなかった。

 だけど、その事情を洗いざらい話すことはできない。僕たちを繋いだのはお互いが抱える秘密であり、それは簡単に共有できるものじゃないんだ。……信二には悪いけど、僕は曖昧な笑みを浮かべて頭を掻くぐらいしかできることがなかった。

「……まあ、色々とあってね」

「おい、こっちはその色々が聞きてえんだよ! つい二週間前、お前千尋さんに関心も何も抱いてなかったよなあ⁉ ……いや待てよ、まさかそれがヒントなのか⁉」

 僕の答えに対し、信二は抗議するように身を乗り出してくる。そのまま怒号を浴びせられても何らおかしくない場面ではあったが、幸いなことに思考はどんどんと別方向にそれて行っているようだ。

「千尋さんに対して塩だった紡が今ああなってるってことは、俺の考えた作戦は合ってるってことに……ああいや、紡を見習うならもっと徹底的にやるべきか……?」

 うん、完全に逸れている。『紡が千尋さんに興味を持たなかったからこそ千尋さんの眼に留まった』とか、そんな風に考えて居るのだろうか。いわゆる『おもしれ―男』現象的な奴が思い浮かんでるんだろうけど、多分それが起こるのは小説とか漫画の中だけの世界だけだと思う。いや、きょうび小説とか漫画の中でも少数なのか……?

 まあそんな感じで信二からの視線はあっさりなくなったわけだが、問題なのは千尋さんに群がっていた面々からの熱い視線だ。『納得がいかない』ってのをできる限り罵詈雑言っぽく言っているような視線が、僕をまっすぐに貫いている。『穴が開くぐらいに見つめる』なんて言い回しを思いついた人も、もしかしたらこんなシチュエーションに陥っていたのだろうか。

 どうせならその視線で僕の入るための穴を掘ってほしいぐらいだが、視線は一向に僕の方から離れる気配がない。……だがしかし、そっちを押さえるための一手は持っていなかった。

「……でもさ千尋さん、遠足の班は三人以上じゃないといけないんだよ?」

 このままどれだけ耐えればいいのかと僕は内心げんなりなんて話じゃないぐらいに萎れていたが、ふと一人の生徒がそう零したことで状況は一変する。……それは、間違いなく千尋さん勧誘合戦第二ラウンドのゴングだった。

「千尋ちゃん、こっちの案ならあまり歩かなくて済むよ!」

「いやいやいや、本屋も通れるこのルートだろ! 照屋っていつも本読んでるし、こういう所も好きなんじゃないのか?」

「んーん、こういう時に優先すべきはそっちじゃないよ。ちひろんも照屋君も、どっちも満足できるようなプラン――すなわち、美味しいご飯は全部を解決してくれる万能さんだと思うんだ」

 さっき展開していたセールストークが、今度は『照屋紡もこんなにも楽しめる!』というコンセプトを纏って再登場だ。別に僕はどのコンセプトでもそれなりに楽しむ自信があったけれど、僕がどう思うかという所にそう重きを置いているわけではなさそうだ。

 結局のところ大事なのは、『それを聞いて千尋さんがどう思うか』という所。僕は結局千尋さんのバーターあるいは千尋さんを呼ぶための触媒に過ぎなくて、千尋さんが『それなら照屋君と一緒でも大丈夫だろう』と考えられるかどうかに重きが置かれている。……まあ、それも納得できることではあるんだけど。

 しかし、それはそれとしてやっぱり心は痛かった。お姉さんが僕を通して千尋さんのお父さんを見ていたように、クラスメイト達は僕の向こうに千尋さんを見据えて話を続けている。そうなった時に、僕の存在なんて本当に薄いものにしかなりえないわけで――


「んーん、あたしはどのプランにも行きません。皆が先に組みたい班を完成させてたみたいに、あたしもどういう班を組むかはもう決めてるしね」


――そう思った矢先、音を立てて立ち上がりながら千尋さんは立ち上がる。……そして、僕の隣に座っていた信二へと視線を向けた。

「……桐原君ってさ、どこの班に入るかまだ決めてないよね?」

「おっ、おおおおう! 皆の話し合いを待ってから決めようと思ったらこんなに話が進んでて、まったくびっくりしたもんだぜ⁉」

 突然千尋さんに呼びかけられたことでオットセイのような返事をしながら、ぎこちない動きで信二は首を縦に振る。それを見届けると、千尋さんは満足げにうなずいた。

「……うん、それならあたしと照屋君とで三人の班を作っちゃおう。あたしばっか優先したプランを組んでもらっちゃ、班の皆に申し訳ないしね」

 そうしてくだされた決定に、またしてもクラスは大きくどよめく。今度こそ完全に千尋さんの加入がなくなったという事もあって、その空気はまるで深海のようだ。『絶望』って言葉がこんなに似合う場面に日常で遭遇する羽目になるとは思っていなかった。

「それじゃ、あたしは二人とプランの話をしてくるね。……ああ、それと一つ言いたいんだけど――」

 まるでモーゼのように人の波を割りながら、千尋さんは僕たちの方に向かって歩いてくる。……その途中、思い出したようにクラスメイトの方を振り向いてこう付け加えた。

「あたしを班に誘ってくれるのは嬉しいんだけど、照屋君を出汁にしようとしちゃダメだよ。……そんなことされたって、あたしも照屋君も嬉しくないんだからね」

「……っ」

 僕が思っていたことを見透かしたかのようなその言葉に、僕は思わず息を呑む。それをケアしてくれる人が居るだなんてこと、僕は想像してもいなかった。

 カフェでの時と言い、千尋さんはどうしてこうも僕の思いをくみ取ってくれるのだろうか。……僕の考え方は、きっととても臆病で自分勝手なもののはずなのに。

「……だけど、あたしを誘ってくれたのは素直に嬉しいよ! この学校行事一杯だし、また機会があったら一緒にやろうねー!」

 一瞬だけ纏っていた真剣な空気をすぐに霧散させて、千尋さんはにこにこと笑う。それに思い思いの同意を返すクラスメイト達の様子は、随分と落ち着いているように見えて。

「……敵わないな、千尋さんには」

 そう呟く僕の表情は、気づかないうちに緩んでいた。
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