上 下
53 / 71

51 片思い

しおりを挟む
婚約の儀を終えた夜、翡翠は自室の窓からマハの王都を眺めていた。気を許すと王太子の事が頭に浮かび涙がこぼれそうになるので、なるべく他のことを考えるよう翡翠は努めていた。

今日、王太子も婚約の儀に参列していたはずだ。翡翠は会いたくてたまらなかったはずの王太子の顔をあの場で見るのが怖くて、ついに姿を見る勇気がなかった。何より他の男との口づけを見られてしまった強い後ろめたさもあった。

「王太子のことを考えていたのか?」

ルシウスに言い当てられ翡翠は慌てて頭を横に振る。

「隠さなくても分かっている。ゆっくりでいいから、私のことも見て欲しい」

ルシウスは侍女たちに下がるよう合図し、皆がさっと部屋からいなくなると、後ろから両手を回し翡翠をギュッと抱きしめた。長身でたくましく頼り甲斐のある男の腕だった。

ルシウスは翡翠の首元にキスをする。翡翠はびくりと体を硬直させた。

「これ以上はやめておく」とルシウスは翡翠から離れた。

「からかっているのか?」

翡翠は8歳も年下の自分をルシウスが子ども扱いしたのかと思うと腹が立ってぷいと向こうを向いた。

かわいいな。

ルシウスはいつもクールだった翡翠がこんなにも感情豊かな一面があることに驚いていた。

王太子と出会ったからなのか? そう感じたルシウスは自分の方が優位であるはずなのに王太子に強烈な嫉妬を覚えていた。

退室しようとしていたルシウスは踵を返し翡翠へと向かった。翡翠の頭に手を回し強引に唇を奪う。

拒絶しようとする翡翠を抱きかかえ寝台に乱暴に運ぶと、そのまま翡翠に重なる。

「ルシウス、やめ──」

「私はルシウスではない! 黒曜だ!!」

いつまで王太子の親衛部隊長としての名前で呼ぶのか。怒りと嫉妬がないまぜになり、ルシウスは息つく暇もないほど何度も翡翠にキスをした。

翡翠はルシウスから逃れようとするも、獣のような強い力で両腕を押さえられ恐ろしくてたまらなくなり、とうとう泣き出してしまった。ここにきてようやくルシウスが我にかえる。

王族の男子たちは婚約するまでは多少の恋愛沙汰は許されているが、王の娘は厳重に貞操を守る義務がある。一生独身の王女も多数いた。もちろん翡翠もそのつもりで生きてきたのだ。18歳ながら冷静沈着で大人びて見えるが、内面は少女のままだった。

「すまなかった。婚礼もまだなのに早まってしまった。許してくれ」

ルシウスは泣き続ける翡翠を寝台に横たわったまま、真綿に包むようにそっと抱きしめた。

私は恋の奴隷のようだ。翡翠に愛して欲しいがために許しを乞う。それでもいい。ずっとそばにいられるのなら。

ルシウスは翡翠を泣かせてしまった後悔と、翡翠が自分の手の中にいる幸福との間でしばらく揺れ動いていた。

そして、ルヒカンド王宮の庭園の散策で、翡翠のお供を毎日のようにしていた頃のことを懐かしく思った。あれもひとつの幸せだったのか。王太子の側近として翡翠の護衛をしていた時のほうが、自分に何の疑いもなく翡翠が心を開いてくれていた気がした。

心が遠いままだ──

ルシウスは初めて『寂しい』という感情を抱いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】誰にも相手にされない壁の華、イケメン騎士にお持ち帰りされる。

三園 七詩
恋愛
独身の貴族が集められる、今で言う婚活パーティーそこに地味で地位も下のソフィアも参加することに…しかし誰にも話しかけらない壁の華とかしたソフィア。 それなのに気がつけば裸でベッドに寝ていた…隣にはイケメン騎士でパーティーの花形の男性が隣にいる。 頭を抱えるソフィアはその前の出来事を思い出した。 短編恋愛になってます。

辺境薬術師のポーションは至高 騎士団を追放されても、魔法薬がすべてを解決する

鶴井こう
ファンタジー
【書籍化しました】 余分にポーションを作らせ、横流しして金を稼いでいた王国騎士団第15番隊は、俺を追放した。 いきなり仕事を首にされ、隊を後にする俺。ひょんなことから、辺境伯の娘の怪我を助けたことから、辺境の村に招待されることに。 一方、モンスターたちのスタンピードを抑え込もうとしていた第15番隊。 しかしポーションの数が圧倒的に足りず、品質が低いポーションで回復もままならず、第15番隊の守備していた拠点から陥落し、王都は徐々にモンスターに侵略されていく。 俺はもふもふを拾ったり農地改革したり辺境の村でのんびりと過ごしていたが、徐々にその腕を買われて頼りにされることに。功績もステータスに表示されてしまい隠せないので、褒賞は甘んじて受けることにしようと思う。

夫の妹に財産を勝手に使われているらしいので、第三王子に全財産を寄付してみた

今川幸乃
恋愛
ローザン公爵家の跡継ぎオリバーの元に嫁いだレイラは若くして父が死んだため、実家の財産をすでにある程度相続していた。 レイラとオリバーは穏やかな新婚生活を送っていたが、なぜかオリバーは妹のエミリーが欲しがるものを何でも買ってあげている。 不審に思ったレイラが調べてみると、何とオリバーはレイラの財産を勝手に売り払ってそのお金でエミリーの欲しいものを買っていた。 レイラは実家を継いだ兄に相談し、自分に敵対する者には容赦しない”冷血王子”と恐れられるクルス第三王子に全財産を寄付することにする。 それでもオリバーはレイラの財産でエミリーに物を買い与え続けたが、自分に寄付された財産を勝手に売り払われたクルスは激怒し…… ※短め

姉の身代わりで冷酷な若公爵様に嫁ぐことになりましたが、初夜にも来ない彼なのに「このままでは妻に嫌われる……」と私に語りかけてきます。

恋愛
姉の身代わりとして冷酷な獣と蔑称される公爵に嫁いだラシェル。 初夜には顔を出さず、干渉は必要ないと公爵に言われてしまうが、ある晩の日「姿を変えた」ラシェルはばったり酔った彼に遭遇する。 「このままでは、妻に嫌われる……」 本人、目の前にいますけど!?

王太子になる兄から断罪される予定の悪役姫様、弟を王太子に挿げ替えちゃえばいいじゃないとはっちゃける

下菊みこと
恋愛
悪役姫様、未来を変える。 主人公は処刑されたはずだった。しかし、気付けば幼い日まで戻ってきていた。自分を断罪した兄を王太子にさせず、自分に都合のいい弟を王太子にしてしまおうと彼女は考える。果たして彼女の運命は? 小説家になろう様でも投稿しています。

【完結】傷物令嬢は近衛騎士団長に同情されて……溺愛されすぎです。

早稲 アカ
恋愛
王太子殿下との婚約から洩れてしまった伯爵令嬢のセーリーヌ。 宮廷の大広間で突然現れた賊に襲われた彼女は、殿下をかばって大けがを負ってしまう。 彼女に同情した近衛騎士団長のアドニス侯爵は熱心にお見舞いをしてくれるのだが、その熱意がセーリーヌの折れそうな心まで癒していく。 加えて、セーリーヌを振ったはずの王太子殿下が、親密な二人に絡んできて、ややこしい展開になり……。 果たして、セーリーヌとアドニス侯爵の関係はどうなるのでしょう?

身代わりの公爵家の花嫁は翌日から溺愛される。~初日を挽回し、溺愛させてくれ!~

湯川仁美
恋愛
姉の身代わりに公爵夫人になった。 「貴様と寝食を共にする気はない!俺に呼ばれるまでは、俺の前に姿を見せるな。声を聞かせるな」 夫と初対面の日、家族から男癖の悪い醜悪女と流され。 公爵である夫とから啖呵を切られたが。 翌日には誤解だと気づいた公爵は花嫁に好意を持ち、挽回活動を開始。 地獄の番人こと閻魔大王(善悪を判断する審判)と異名をもつ公爵は、影でプレゼントを贈り。話しかけるが、謝れない。 「愛しの妻。大切な妻。可愛い妻」とは言えない。 一度、言った言葉を撤回するのは難しい。 そして妻は普通の令嬢とは違い、媚びず、ビクビク怯えもせず普通に接してくれる。 徐々に距離を詰めていきましょう。 全力で真摯に接し、謝罪を行い、ラブラブに到着するコメディ。 第二章から口説きまくり。 第四章で完結です。 第五章に番外編を追加しました。

天才女薬学者 聖徳晴子の異世界転生

西洋司
ファンタジー
妙齢の薬学者 聖徳晴子(せいとく・はるこ)は、絶世の美貌の持ち主だ。 彼女は思考の並列化作業を得意とする、いわゆる天才。 精力的にフィールドワークをこなし、ついにエリクサーの開発間際というところで、放火で殺されてしまった。 晴子は、権力者達から、その地位を脅かす存在、「敵」と見做されてしまったのだ。 死後、晴子は天界で女神様からこう提案された。 「あなたは生前7人分の活躍をしましたので、異世界行きのチケットが7枚もあるんですよ。もしよろしければ、一度に使い切ってみては如何ですか?」 晴子はその提案を受け容れ、異世界へと旅立った。

処理中です...