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38 牢に入れられる
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ここ最近、これまで王国になかったのに、新しく入ってきたものは何か──記憶をたぐり寄せ、王太子は必死に考えた。きっとそれがルヒカンドを変えてしまったきっかけになったのではないか。
ふと思いついたのは、魔術師がいつからか使うようになったアプリ魔術だった。確か詠唱による魔術がこの国では伝統的に受け継がれていたはずだ。書庫にも魔術の専門書が多数ある。
だが今は空中に表示される光るアプリによって魔術を発動するようになった。どこの国から伝わった? いつ、誰がアプリ魔術を持ち込んだ?
ある姿が思い浮かぶ。マール家から新しい魔術の指南役だと一度だけ紹介された魔道の男だ。名は何だったか。
「ガネ──……」
がたん! と本棚の奥から音がした。王太子は今、書庫にいた。
「誰かいるのか、出て来るがいい」
本棚の間から人影が走るのが見えた。
「待たないか!」
王太子は逃げる人影の手首をぐっと掴んだ。
「きゃ!」
思い切り手首を引き寄せると、王太子に令嬢がぶつかってきた。ジェーンだ。王太子は初めて見る令嬢に眉をひそめる。
「お前はどこの令嬢だ」
ジェーンは王太子に手首を掴まれたまま、正体を明かそうにも明かせず、おどおどと顔をそむけるばかりだった。
「なぜ書庫にいた」
一向にしゃべろうとしないジェーンに「異国の者か?」と王太子が声をかけると、ちらとジェーンは王太子を見た。
言葉がわかるのか?
王太子がますますジェーンを怪しんでいると、背後から男の声が降ってきた。
「申し訳ございません、王太子殿下。その者は魔道の国の令嬢です。危害は加えません。お手をお離しください」
そうだ、この男がガネシュだ。フードを目深にかぶり声もどこか人工的な声のする正体不明の男。
「丁度よい。お前に聞きたいことがあったのだ」
「マール家当主に呼ばれておりますので、手短に願います」
「お前の一番上の主人は誰だ」
王太子はひりつくような温度のない声でガネシュに釘を刺す。マール家おかかえの魔術師であっても、理屈上はマール家の主人である王家はさらに上の主人となる。
「失言、お許しください。何なりとお尋ねくださいませ」
ガネシュは、王太子をいつか殴ってやる、と心の中で悪態をつきながらも、表面上は従順な姿勢を貫いた。
「お前の祖国の名は何だ」
「……」
ガネシュは即答しない。ジェーンは自分のせいでガネシュが窮地に立たされている事実にいたたまれなくなった。
「わ」
突然声を出しはじめたジェーンに思わずガネシュと王太子が目を向ける。ガネシュは内心、余計なことを言うな! とジェーンに叫んでいた。
「わ、ワームランド、で、す」
ジェーンはわざとカタコトのルヒカンド語で答えた。
「そんな名前の国、聞いたことがないぞ」
王太子がジェーンにますます疑いの目を向ける。
「フネ、で、たどり、ついた。遠い、遠い、国」
「誰か! このふたりを牢へ連れていけ」
兵士が数人どかどかと書庫にやって来て、ふたりを連行して行った。
「誤解、ごかい~」とジェーンがひとしきり騒いでいたが、どこか胡散臭いあのふたりには何か秘密があると、王太子は疑ってやまなかった。
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
ジェーンのおかげでさっきは助かったが、ジェーンのせいで牢に入れられ、ガネシュは立腹していた。石牢の床は冷たく、飲み水しか与えられない。ずいぶんお腹もすいてきた。
<仮想居室でなぜ静かにしていなかった?>
ガネシュは背を向けている牢番の兵士に聞こえないよう、アプリに文字を打ってジェーンに見せた。
<わたくしのせいで申し訳ございません。アプリの調子がおかしく、不安になって外に出てしまいました>
これは本当だった。特級魔術師と密に連絡を取りながらここまできたのに、ここ最近アプリの通信不良で特級魔術師との連絡も途絶えていた。
<確かに僕も同じだ。祖国から遠すぎるのかもしれないな>
僕の替え玉である疑似クローンから定期的にアプリを介して報告が来ていたのも、最近はすっかり音沙汰がない。ジェーン以外に偽物だとバレていないだろうか。僕似だから優秀だとは思うけど、疑似クローンの有効期限はあと何日だったっけ?
はあ、とため息がもれる。上手くいかないな。王女はいなくなるし、ジェーンは足手まといだ。タイミングを見てアプリの調子がいいときにこの牢を出よう。ガネシュはさっきの緊張から解放されたせいか急に眠くなり、うとうとし始めた。
ジェーンは王太子につかまれた手首にそっと触れた。まだ少年らしさの残る15歳の王太子殿下に比べ、書庫で出会ったもう一人の王太子殿下はすらりと背が高く大人びて力も強かった。ジェーンはぽうっとした気持ちになっていた。わたくしは17歳。あの王太子殿下とも釣り合うんではなくて?
そこまで空想したジェーンは慌てて妄想を打ち消した。しっかりなさい、ジェーン。何のためにこれまで歯を食いしばって厳しい王妃教育にもめげず頑張ってきたの? ノスカ王国の王妃になるためには他の男子に目移りなどしている暇はありませんのよ?
壁によりかかり眠り込んでしまったガネシュの頭をそっと自分の肩に寄り掛からせ、ジェーンは未来の王妃の夢を見ながら眠った。
ふたりが眠り込んだ夜中、専属侍女アプリのゾフィが自動で立ち上がった。
「緊急……報──があり──……」
ふたりは気づかないままだ。それだけ言って、ノイズを最後にゾフィの通信は途絶えてしまった。
ふと思いついたのは、魔術師がいつからか使うようになったアプリ魔術だった。確か詠唱による魔術がこの国では伝統的に受け継がれていたはずだ。書庫にも魔術の専門書が多数ある。
だが今は空中に表示される光るアプリによって魔術を発動するようになった。どこの国から伝わった? いつ、誰がアプリ魔術を持ち込んだ?
ある姿が思い浮かぶ。マール家から新しい魔術の指南役だと一度だけ紹介された魔道の男だ。名は何だったか。
「ガネ──……」
がたん! と本棚の奥から音がした。王太子は今、書庫にいた。
「誰かいるのか、出て来るがいい」
本棚の間から人影が走るのが見えた。
「待たないか!」
王太子は逃げる人影の手首をぐっと掴んだ。
「きゃ!」
思い切り手首を引き寄せると、王太子に令嬢がぶつかってきた。ジェーンだ。王太子は初めて見る令嬢に眉をひそめる。
「お前はどこの令嬢だ」
ジェーンは王太子に手首を掴まれたまま、正体を明かそうにも明かせず、おどおどと顔をそむけるばかりだった。
「なぜ書庫にいた」
一向にしゃべろうとしないジェーンに「異国の者か?」と王太子が声をかけると、ちらとジェーンは王太子を見た。
言葉がわかるのか?
王太子がますますジェーンを怪しんでいると、背後から男の声が降ってきた。
「申し訳ございません、王太子殿下。その者は魔道の国の令嬢です。危害は加えません。お手をお離しください」
そうだ、この男がガネシュだ。フードを目深にかぶり声もどこか人工的な声のする正体不明の男。
「丁度よい。お前に聞きたいことがあったのだ」
「マール家当主に呼ばれておりますので、手短に願います」
「お前の一番上の主人は誰だ」
王太子はひりつくような温度のない声でガネシュに釘を刺す。マール家おかかえの魔術師であっても、理屈上はマール家の主人である王家はさらに上の主人となる。
「失言、お許しください。何なりとお尋ねくださいませ」
ガネシュは、王太子をいつか殴ってやる、と心の中で悪態をつきながらも、表面上は従順な姿勢を貫いた。
「お前の祖国の名は何だ」
「……」
ガネシュは即答しない。ジェーンは自分のせいでガネシュが窮地に立たされている事実にいたたまれなくなった。
「わ」
突然声を出しはじめたジェーンに思わずガネシュと王太子が目を向ける。ガネシュは内心、余計なことを言うな! とジェーンに叫んでいた。
「わ、ワームランド、で、す」
ジェーンはわざとカタコトのルヒカンド語で答えた。
「そんな名前の国、聞いたことがないぞ」
王太子がジェーンにますます疑いの目を向ける。
「フネ、で、たどり、ついた。遠い、遠い、国」
「誰か! このふたりを牢へ連れていけ」
兵士が数人どかどかと書庫にやって来て、ふたりを連行して行った。
「誤解、ごかい~」とジェーンがひとしきり騒いでいたが、どこか胡散臭いあのふたりには何か秘密があると、王太子は疑ってやまなかった。
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
ジェーンのおかげでさっきは助かったが、ジェーンのせいで牢に入れられ、ガネシュは立腹していた。石牢の床は冷たく、飲み水しか与えられない。ずいぶんお腹もすいてきた。
<仮想居室でなぜ静かにしていなかった?>
ガネシュは背を向けている牢番の兵士に聞こえないよう、アプリに文字を打ってジェーンに見せた。
<わたくしのせいで申し訳ございません。アプリの調子がおかしく、不安になって外に出てしまいました>
これは本当だった。特級魔術師と密に連絡を取りながらここまできたのに、ここ最近アプリの通信不良で特級魔術師との連絡も途絶えていた。
<確かに僕も同じだ。祖国から遠すぎるのかもしれないな>
僕の替え玉である疑似クローンから定期的にアプリを介して報告が来ていたのも、最近はすっかり音沙汰がない。ジェーン以外に偽物だとバレていないだろうか。僕似だから優秀だとは思うけど、疑似クローンの有効期限はあと何日だったっけ?
はあ、とため息がもれる。上手くいかないな。王女はいなくなるし、ジェーンは足手まといだ。タイミングを見てアプリの調子がいいときにこの牢を出よう。ガネシュはさっきの緊張から解放されたせいか急に眠くなり、うとうとし始めた。
ジェーンは王太子につかまれた手首にそっと触れた。まだ少年らしさの残る15歳の王太子殿下に比べ、書庫で出会ったもう一人の王太子殿下はすらりと背が高く大人びて力も強かった。ジェーンはぽうっとした気持ちになっていた。わたくしは17歳。あの王太子殿下とも釣り合うんではなくて?
そこまで空想したジェーンは慌てて妄想を打ち消した。しっかりなさい、ジェーン。何のためにこれまで歯を食いしばって厳しい王妃教育にもめげず頑張ってきたの? ノスカ王国の王妃になるためには他の男子に目移りなどしている暇はありませんのよ?
壁によりかかり眠り込んでしまったガネシュの頭をそっと自分の肩に寄り掛からせ、ジェーンは未来の王妃の夢を見ながら眠った。
ふたりが眠り込んだ夜中、専属侍女アプリのゾフィが自動で立ち上がった。
「緊急……報──があり──……」
ふたりは気づかないままだ。それだけ言って、ノイズを最後にゾフィの通信は途絶えてしまった。
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