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50 婚約の儀

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謁見の間の玉座の前に進み出たルシウスが告げる。

「このまま女王陛下の婚約の儀を執り行う。異界の魔術によるものとはいえ、ルヒカンド王家はこのたびの謀反の罪、非常に重く友好国解消も考えたが、長年マハ王国を軍事面から支えた功績により、特別に列席を許す」

婚約! やはり翡翠が誰かと婚約を!? 一体誰と──

王太子の頭の中は疑問と焦りでいっぱいだった。

「はっ。ありがたき幸せ。重ね重ねお礼申し上げます。もう二度とあのような愚行は決して繰り返さないと固く、固くお誓い申し上げます」

ルヒカンド王が床に倒れ込むのではないかというほど深々と礼をする。ルシウスがマハ王国を蹂躙した罪深き国を列席させたのは全て王太子への当てつけであった。王太子よ、その低い場所から見ているといい。

「女王陛下のご臨席である」

翡翠!!

王太子は目を見張った。薄いヴェールを被り細身の銀のドレスに身を包んだ翡翠が壇上に静かに歩いてくる。皆がまだ目を伏せているのに、王太子は思わず翡翠を目で追ってしまう。

ヴェールの向こう側の翡翠の表情は見えない。自分がここにいることに気づいてくれているのだろうか。

王太子の気持ちがはやる中、翡翠がルシウスの隣で立ち止まった。

ルシウスの隣に……!? まさか、違うと言ってくれ──

だが、続いてマハ王国の宰相が現れる。身を潜めている間、ルシウスは用意周到に下準備を進めていたのだ。宰相が朗々とした声で一同に告げる。

「女王陛下と婚約することとなった王弟第一王子、黒曜殿下である。臣下の立ち会いの元、聖なる口づけにより、正式な婚約成立とみなします」

王太子は頭が真っ白になった。口……づけ……? 翡翠が他の男と?

時は待ってはくれなかった。ルシウスは向かいあう翡翠のヴェールをおもむろに上げる。節目がちな翡翠の顎に手をそえ、くいと斜め上に顔を上げさせる。翡翠が一瞬苦痛の顔をしたことにルシウスは気づいていた。だがルシウスは容赦しない。これまでどれだけ王太子の前で我慢してきたか。お前への愛の深さは王太子にも負けない。これからは私がお前の未来の夫なのだ。

待て、待ってくれ──王太子はふたりから目を離せないまま、祈るように泣くように心で叫ぶ。

王太子の祈りも虚しく、ルシウスの顔がすっと翡翠に近づく。翡翠は体をこわばらせたが、ルシウスは構わずそのまま唇を奪いさった。

王太子はたまらず顔を背けた。心臓がずくっと音を立ててきしんだ。

「ここに正式に女王陛下翡翠は私の婚約者となった」

ルシウスが宣言すると、おめでとうございます、と謁見の間に集合した者たちから祝いの言葉が大きくうなるようにこだました。

ルシウスが、翡翠の、婚約者──

あまりに衝撃的な場面を見せつけられたショックで王太子の頭は思考停止したままだった。その日はマハの貴賓室に一泊することになっていた。移動する間、王太子は記憶が途切れ途切れで体に力が入らなかった。

ルヒカンド王は初めて失恋を経験したであろう王太子のそんな様子に何も言わず、ただ背中を叩いて慰めた。

王太子は悲しみの中、思い出していた。15歳のあの日を。マハ王との謁見が無事終了し帰国の道中、王太子はまだ夢見心地だった。13歳の王女の光るような美しさに囚われたままだった。それに気づいた父王が王太子に声をかけた。

「尊き血筋の御人というのは美しさも格別であろう? だが我々にとっては雲の上の存在だ。心はマハの地に置いていくのだぞ」

当時まだ幼さの残る15歳の王太子は心を無理やり引き剥がされるような気がして切なかったが、自身を納得させながら淡い恋心を心の隅に置いたまま時を過ごしていった。記憶改竄により状況が一変し、憧れの王女が献上品としてルヒカンドに来るまでは──

このまま諦めろというのか? あの愛しい日々もなにもかも忘れろというのか? 翡翠は私をもう何とも思っていないのか?

いくら問おうが答えは返ってこない。翡翠はこの先、ルシウスと結婚し夫妻となる。自分は臣下の身なのだ。

もっと早く、翡翠を自分のものにしておけばよかった──

ルシウスに対する悔しさから、自分本位だとわかっているものの、翡翠に触れられたあの日々が懐かしく愛おしく、かけがえのない瞬間だったのだと王太子は痛感した。そして臆病だった自分を何度も何度も悔いた。
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