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公爵令嬢の戦果
(35)その後の噂
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カーバイン公爵家の居間は、微妙な空気が流れていた。
状況を察したメイドたちが用意した菓子は、ここ最近で最高の自信作!、と料理人たちが胸を張っていたケーキだ。
盛り付ける皿も、ケーキが載っていなくても眺めていたくなる美しいもの。
お茶は華やかでいながら懐深い香りを立ち上らせ、カップはもちろん最高級品。
テーブルに並んでいるだけで、心浮き立つようなものが揃っている。
……なのに、カーバイン公爵は深刻そうなため息をついた。
「シリルよ。お前たちは、イカルド伯爵の夜会に本当に行ったそうだな」
「はい」
「楽しかったか?」
「どうかな、僕も楽しむほど長居していませんからね。姉さんはあの通りでしたし」
「そうか。……我らの間でも、なかなかに噂になっているぞ」
カーバイン公爵はケーキを口の中に入れる。
一瞬、うっとりと微笑んだが、すぐに真顔に戻してため息をついた。
「ところで、フィオナ。一昨日の夜会はお持ち帰り……いや、早々に切り上げて我が屋敷に客人を招いたそうではないか。優秀な人物を手に入れたのだな?」
「はい、説明と打ち合わせを兼ねてじっくり話をしてみましたが、大変に優秀な女性でした」
フィオナはにっこりと笑う。
外向けの作り物の笑顔ではなく、本来のフィオナらしい、表情の乏しい笑顔だ。
でも父親となって以来、二十一年間ずっと見続けたのだ。カーバイン公爵には娘がいかに喜んでいるかは理解している。
もちろん、母親であるエミリアも娘の嬉しそうな顔に顔を綻ばせる。でもすぐにため息をついてしまった。
「ねぇ、フィオナ。あなたは結婚相手を探しているのよね?」
「はい」
「でもイカルド伯爵の夜会は、その、あまり相応しい殿方はいなかったのではないかしら」
「それは……あの夜会は、相手を探すというより、ローグラン侯爵の弱みを見つけることが目的でしたから」
「あら、そうだったの? だったら人材確保を達成できたことは、とてもいいことなのかしら……」
エミリアは物憂げにそうつぶやいて、お茶を飲む。
でもすぐに「あら、これは良い香りね!」と目を真ん丸にしながら感嘆した。
控えているメイドたちがひっそりと満足感にひたっていると、今度はシリルがため息をついた。
「一応、姉さんにも報告しておくけど、エリオットはジュリア嬢に惚れたみたいだ。どうやったら一緒にいることができるだろうかと相談を受けてしまったよ」
「……まあ、そうなの?」
「いつもの、よくある運命の出会いだと思うんだけどね! そういう訳だから、もしよかったらエリオットにもグージル領で仕事を与えてもらえるかな。ずば抜けた才能はないけど、広い範囲を良い感じにまとめてくれるよ。あの二人が結婚したら、使える夫婦になるだろうな」
「そうなのね。……だったら、事務を含めた対外業務をお願いしてみようかしら。折衝ができる人を探していたから」
「あ、そういうのは彼は得意だよ。すぐに話をしておこうかな。エリオットはいろいろ軽いけど、家の状態はあまり良くなくてね。領地に残っている年の離れた弟妹たちのために結構必死だったんだ。だからよかったよ!」
うん、よかった。本当によかった。
シリルは目を逸らしたまま、そう繰り返しつぶやいていた。カーバイン公爵は息子のつぶやきに無言で頷いているし、エミリアも首を傾げているがおとなしい。
でも姉フィオナは、じっと何かを考え込み、それからゆっくりと口を開いた。
「そう言えば、私を口説いてくれたのはダーシル男爵だけだったわね。大人の男性が多い夜会なら、もしかしたらと思っていたのに……もっと長くいれば違ったのかしら」
「あー、それは……」
シリルは一瞬、とても変な顔をする。
でもフィオナが首を傾げる前に、満面の笑顔を浮かべた。
「でも、姉さんは優秀な人材の確保を優先した結果だから、気にしなくていいと思うよ!」
「今後もああいう夜会に行ったら、少しは私をチヤホヤしてくれる男性と出会えると思う?」
「え、チヤホヤしてもらいたいの? だったらいつもの夜会にしようよ! リンゴ談義に巻き込んだ若い連中は、姉さんにかしずいているよ!」
「……ああ言うのも、ちょっと違う気がするんだけど……」
「あんなに熱狂的な崇拝者がいる人なんて、普通はいないからね! 若い男女を侍らせてこその姉さんだよっ!」
シリルは必死に盛り立てようとする。
これ以上、無防備すぎる姉をいかがわしい夜会に近付けることだけは妨げなければならない。
父親にも助力を頼もうと目を向け、シリルは首を傾げた。父カーバイン公爵は不思議そうな顔で何かを考え込んでいる。
「……父上。どうかしましたか?」
「いや、私が聞いた噂とは何かが違う気がしてな」
「どんな噂なんですか」
「それはだな……」
カーバイン公爵は少し言いにくそうに口を閉じる。
珍しい。外に対しては即断即決、家族の前では言いっぱなしな上に諦め顔まで素直に見せてしまう人が、言葉を濁している。
驚いたシリルが目を剥いた時、ノックの音がして執事が入ってきた。
「フィオナお嬢様。お客様でございます」
「あら、どなたかしら」
「ジュリア嬢でございます」
「まあ! もう契約の準備が整ったのかしら。すぐにお会いするわ!」
フィオナは顔を輝かせて立ち上がると、家族にフィオナにしては大盤振る舞いな笑顔を振り撒いてから、そそくさとジュリアが待つ部屋へと向かった。
その後ろ姿を笑顔で見送ったシリルは、扉が閉まるのを待って、こほんと咳払いをする。
笑みを消して表情をすっと改めると、父親に再度目を向けた。
「……それで、先ほどの話ですが。父上が聞いた噂とやらは、姉さんに関することなんですね?」
「うむ」
小さく頷いたカーバイン公爵は、残っていたケーキをきれいに食べた。
さらにお代わりを迷うようにケーキの大皿を見たが、未練を断ち切るためにお茶を飲んで顔を上げた。
「シリルよ。先日のイカルド伯爵主催の夜会では、フィオナは誰にも口説かれていないと言っていたよな?」
「はい。速攻でお持ち帰り……、いえ、退席してしまいましたから」
「そうか。だがな、一部で密かに噂になっているのだよ。フィオナには『そういう関係』の男がいるのではないか、と」
「…………そう言う関係?」
シリルはポツリとつぶやき、自分の発した言葉に慌てたように首を振る。
つまり、それは……男女の色恋が関わるものに違いない。
(姉さんに? 他の女性なら、隠れた相手がいる可能性がゼロではないだろう。でもあの姉さんに限っては、どう考えてもそんな相手がいるはずがない。僕の全財産を賭けてもいい。断言できる。……なのに、なぜっ!?)
驚きすぎて動きを止めてしまった息子に、カーバイン公爵はやる気のない笑顔を見せた。
「私にも信じがたい噂だ。だが、そう言う噂が流れるくらいだ。男どもに囲まれた時に、あの男が出てきたのかもしれない。そう思ったのだがなぁ」
「……父上。念のために伺いますが、その男とは? エリオットではないんですよね?」
ごくりと唾を飲み込んだシリルが、恐る恐る質問する。
カーバイン公爵は、新しく注がれたお茶を一口飲んでから答えた。
「エリオットというのは、ダーシル男爵のことだろう? そんな小物ではないぞ。フィオナが結婚していないのは密かな想い人がいたためで、婚約を繰り返す不実な男がついに落ちたらしい、などという話になっているのだからな。実際は長く縁談が途切れていただけなのだが。ははは……何がどうなって、そんな話になったのやら」
「父上。まさか、その男というのは……ローグラン侯爵ですかっ!?」
「他に昨夜会った男はいるのか?」
「……いませんね」
「ならば、ローグラン侯爵だろうな。黒尽くめに金色の仮面をつけた男という話だったから」
黒尽くめに、金色の仮面。
昨夜のローグラン侯爵の格好に一致する。
どちらかと言えばありふれた姿だったから、他に同じ組み合わせがいたかもしれないが、フィオナに関わった男となれば一人しかいない。
さぁーっと血の気が引く。
とっさに倒れないようにテーブルに手をついたシリルは、自分が青ざめているのを自覚した。
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