婚約破棄おめでとう

ナナカ

文字の大きさ
上 下
32 / 56
公爵令嬢の戦果

(32)弟の友人

しおりを挟む


   ◇◇◇


「いやー、こうしてお近くで拝見すると、フィオナ嬢は本当にお美しいですね! シリルに誘われた時は何事かと思ったけど、噂のフィオナ嬢とご一緒できるなんて大変に光栄ですよっ!」
「……頼む。僕が君を殺したくならない程度に自重してくれるかな」
「あれ、シリル、君はそんなに神経質な男だったか?」

 イカルド伯爵の夜会へ向かう馬車の中は、呑気な男の声とシリルの深刻そうな声で賑やかだ。
 乗っているのは、フィオナとシリル、それに馬車に乗る前から浮かれ続けている若い男。

 この若い男はシリルの友人で、年齢は少し上。二十三、四歳だろう。少し垂れた目元が愛嬌があって、女性に人気がありそうな、なかなかの色男だ。
 ダーシル男爵エリオット。
 シリルが飛び級に飛び級を重ねた学問院で知り合ったとのことだが、フィオナは初めて会った。

(シリルには、こんなお友達もいるのね。意外に顔が広いじゃない)

 ずっと微笑み続けているフィオナは、心の中で弟を見直していた。
 でも、シリルはピリピリしていてそれどころではない。
 今もまた、馬車の揺れに乗じて、向かいのフィオナの隣に移動しようとする男の肩をつかんで睨みつけた。

「エリオット。流れるように何をしているのかな?」
「美女がいれば、隣に座りたいと思うのは自然の摂理だろう?」
「……君、僕に『義兄上』と呼ばれる覚悟はある?」
「えっ?! そ、それは、そこまでの覚悟はまだないかな……うん、悪かった」

 完全に座っているシリルの目に、エリオットは青ざめて大人しくなった。
 フィオナはそんな二人を見ていたが、ふと首を傾げた。

「もしかして、私を口説いてくださろうとしたの?」
「美女に対する礼儀ですから」
「姉さん!」
「嬉しいわ。私、男性に口説かれたことはないから」
「おや、では私は名誉ある一人目の生贄ですか? でも、きっと今夜の夜会では聞き飽きるほど愛を囁かれますよ」
「エリオットも、姉さんに変なことを吹き込まないでくれ!」
「さっきから、シリルは騒がし過ぎないかしら?」
「フィオナ嬢が美しい過ぎるからでしょう」
「……あー! もう二人とも、しばらく黙っていてくれるっ?!」

 いつもより念入りに整えていたプラチナブロンドをかき乱し、シリルは真顔で二人をにらむ。
 弟のその迫力に、フィオナは思わず口を閉じる。
 エリオットはさっきよりさらに青ざめ、でも懲りずにフィオナににこっと笑いかけ、シリルにギロリと睨まれて慌てて窓の外を見始めた。




 イカルド伯爵の夜会は、思ったより普通だった。
 密かに期待していたフィオナは目元を隠す仮面をつけた姿で会場の隅にいたが、同じように仮面をつけた男女が行き交う周囲を観ながら首を傾げた。

「入り口で仮面を配っていたし、こういう場所はもっと……見るからにいかがわしい雰囲気かと思っていたわ」
「ははは、フィオナ嬢は面白いですね! そういう夜会もありますが、あなたをご案内するとなると、この辺りが限度なのですよ」
「あら、そうなの? そうだわ、ダーシル男爵、今度、そういう夜会に私を連れて行っていただけないかしら?」
「ははははは……」

 赤い羽でふっさりとした仮面をつけたエリオットは、チラリとシリルを見やって顔を引き攣らせる。シリルが選んだガラスを多用した青い仮面は、氷のような視線をさらに強調していた。
 しかし、エリオットはめげる男ではない。孔雀の羽のような色鮮やかな仮面をつけたフィオナに笑顔を向けた。

「申し訳ありません。お連れしたいのはやまやまですが、私もまだ命は惜しいし、領地も田舎にいる弟妹たちも大切でして。でも、今夜の夜会も悪くはありませんよ?」

 にやっと笑ってから、広間の向こう側を指差して声をひそめた。

「花まみれの仮面の女性がいるでしょう? あれ、ボース侯爵夫人です。若い男を五人ほど連れてきていますが、あれは全員愛人ですよ」
「まあ、そうなの?」
「豪快ですよね。で、反対側の廊下の、ちょっと人目につきにくい柱の影では、彼女の夫君が今まさに年若いお嬢さんを口説いているようです」
「……うわ、夫婦でそれなのか。……ん? あの令嬢は知っているぞ。就職先に恵まれていないとは聞いていたが、愛人業に手を出そうとしていたなんて」

 エリオットから目を離したシリルは、令嬢を見て顔を顰めた。
 フィオナも口説かれているという令嬢を見た。片目だけを隠す仮面だから、顔立ちはよくわかる。
 しかし見覚えはない。高位貴族でも名門でもないようだ。伯爵より下位で、社交界に顔を出せていない家なのだろう。

「あの女性、シリルの知り合いなの?」
「学問院ではわりと有名だったんだ。奨学金で学ぶとても優秀な人だったけど、卒業後は苦労しているみたいだね。彼女の水路設計は工夫が面白いんだけど、学問院時代に有力者に睨まれてしまったようで、知識を活かした職にはつけていないという噂は聞いていたんだ。……でも、まさかこういう場に来ていたのか」
「ああ、たぶんだけど、彼女はまだ愛人業はやっていないと思うよ。抵抗があるみたいでね。それがまた、ボース侯爵の心をくすぐるんだろうな。……という、貴族の闇も垣間見れてしまうんですよ!」

 ふと目を向けたエリオットは、フィオナが眉を顰めてあることに気付いて、少し慌てていた。
 美しい公爵令嬢が、その潔癖さ故に気分を害してしまったと思ったらしい。

 でも、シリルは別の意味で慌てた。
 仮面からのぞくエメラルドグリーンの目はキラキラと輝いている。姉のあの顔は、何かを真剣に考え込んでいるはずだ。たぶん、いや絶対に、令嬢らしくないことだろう。

「あの、姉さん? 今夜は、とある女性たちと話をするという目的があったよね? 覚えている?!」
「……ねえ、シリル。あの女性に声をかけてもいいかしら。水路設計が専門と言ったわよね?」
「あ、やっぱりそこに食いついちゃうんだ。でも横取りはまずいと思うよ!」
「私は女で、あの方を愛人にしたいわけではないから、横取りではないでしょう? あの侯爵があの方の雇い主でもないのなら、ヘッドハンティングでもないし、あえてあうなら……ナンパかしら?」
「せめて勧誘と言おうよ!?」

 シリルが頭を抱えた隙に、フィオナはスタスタと歩き始めた。人の少ない場所へ向かっていくから、慌ててシリルも追いかける。エリオットも面白そうな顔で、少し遅れて追いかけていく。
 ただし、絶対に追いつくつもりはないようだ。
 問い詰められたら「万が一にも侯爵に睨まれると生きていけない男爵家の悲哀だよ」とでも言うんだろうなと、シリルはちらと振り返って考えた。

 だが、今は姉フィオナを止めなければ。
 さらに足を早めようとした時、フィオナがぴたりと足を止めた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

家出した伯爵令嬢【完結済】

弓立歩
恋愛
薬学に長けた家に生まれた伯爵令嬢のカノン。病弱だった第2王子との7年の婚約の結果は何と婚約破棄だった!これまでの尽力に対して、実家も含めあまりにもつらい仕打ちにとうとうカノンは家を出る決意をする。 番外編において暴力的なシーン等もありますので一応R15が付いています 6/21完結。今後の更新は予定しておりません。また、本編は60000字と少しで柔らかい表現で出来ております

没落した貴族家に拾われたので恩返しで復興させます

六山葵
ファンタジー
生まれて間も無く、山の中に捨てられていた赤子レオン・ハートフィリア。 彼を拾ったのは没落して平民になった貴族達だった。 優しい両親に育てられ、可愛い弟と共にすくすくと成長したレオンは不思議な夢を見るようになる。 それは過去の記憶なのか、あるいは前世の記憶か。 その夢のおかげで魔法を学んだレオンは愛する両親を再び貴族にするために魔法学院で魔法を学ぶことを決意した。 しかし、学院でレオンを待っていたのは酷い平民差別。そしてそこにレオンの夢の謎も交わって、彼の運命は大きく変わっていくことになるのだった。

婚約破棄をされた悪役令嬢は、すべてを見捨てることにした

アルト
ファンタジー
今から七年前。 婚約者である王太子の都合により、ありもしない罪を着せられ、国外追放に処された一人の令嬢がいた。偽りの悪業の経歴を押し付けられ、人里に彼女の居場所はどこにもなかった。 そして彼女は、『魔の森』と呼ばれる魔窟へと足を踏み入れる。 そして現在。 『魔の森』に住まうとある女性を訪ねてとある集団が彼女の勧誘にと向かっていた。 彼らの正体は女神からの神託を受け、結成された魔王討伐パーティー。神託により指名された最後の一人の勧誘にと足を運んでいたのだが——。

公爵令嬢 メアリの逆襲 ~魔の森に作った湯船が 王子 で溢れて困ってます~

薄味メロン
恋愛
 HOTランキング 1位 (2019.9.18)  お気に入り4000人突破しました。  次世代の王妃と言われていたメアリは、その日、すべての地位を奪われた。  だが、誰も知らなかった。 「荷物よし。魔力よし。決意、よし!」 「出発するわ! 目指すは源泉掛け流し!」  メアリが、追放の準備を整えていたことに。

どう頑張っても死亡ルートしかない悪役令嬢に転生したので、一切頑張らないことにしました

小倉みち
恋愛
 7歳の誕生日、突然雷に打たれ、そのショックで前世を思い出した公爵令嬢のレティシア。  前世では夥しいほどの仕事に追われる社畜だった彼女。  唯一の楽しみだった乙女ゲームの新作を発売日当日に買いに行こうとしたその日、交通事故で命を落としたこと。  そして――。  この世界が、その乙女ゲームの設定とそっくりそのままであり、自分自身が悪役令嬢であるレティシアに転生してしまったことを。  この悪役令嬢、自分に関心のない家族を振り向かせるために、死に物狂いで努力し、第一王子の婚約者という地位を勝ち取った。  しかしその第一王子の心がぽっと出の主人公に奪われ、嫉妬に狂い主人公に毒を盛る。  それがバレてしまい、最終的に死刑に処される役となっている。  しかも、第一王子ではなくどの攻略対象ルートでも、必ず主人公を虐め、処刑されてしまう噛ませ犬的キャラクター。  レティシアは考えた。  どれだけ努力をしても、どれだけ頑張っても、最終的に自分は死んでしまう。  ――ということは。  これから先どんな努力もせず、ただの馬鹿な一般令嬢として生きれば、一切攻略対象と関わらなければ、そもそもその土俵に乗ることさえしなければ。  私はこの恐ろしい世界で、生き残ることが出来るのではないだろうか。

【完結】捨てられた双子のセカンドライフ

mazecco
ファンタジー
【第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞作】 王家の血を引きながらも、不吉の象徴とされる双子に生まれてしまったアーサーとモニカ。 父王から疎まれ、幼くして森に捨てられた二人だったが、身体能力が高いアーサーと魔法に適性のあるモニカは、力を合わせて厳しい環境を生き延びる。 やがて成長した二人は森を出て街で生活することを決意。 これはしあわせな第二の人生を送りたいと夢見た双子の物語。 冒険あり商売あり。 さまざまなことに挑戦しながら双子が日常生活?を楽しみます。 (話の流れは基本まったりしてますが、内容がハードな時もあります)

全てを諦めた令嬢の幸福

セン
恋愛
公爵令嬢シルヴィア・クロヴァンスはその奇異な外見のせいで、家族からも幼い頃からの婚約者からも嫌われていた。そして学園卒業間近、彼女は突然婚約破棄を言い渡された。 諦めてばかりいたシルヴィアが周りに支えられ成長していく物語。 ※途中シリアスな話もあります。

妹がいなくなった

アズやっこ
恋愛
妹が突然家から居なくなった。 メイドが慌ててバタバタと騒いでいる。 お父様とお母様の泣き声が聞こえる。 「うるさくて寝ていられないわ」 妹は我が家の宝。 お父様とお母様は妹しか見えない。ドレスも宝石も妹にだけ買い与える。 妹を探しに出掛けたけど…。見つかるかしら?

処理中です...