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王家の婚約者 【過去】
(9)契約違反
しおりを挟む「殿下。小さな言葉のあやかもしれませんが、先ほども申し上げました通り、『なかったこと』になどできません。我が娘フィオナは、国王陛下の立ち合いのもとで殿下と婚約しているのです」
「……そうだな。横暴な言い方だった。許してほしい。フィオナとの婚約はなかったことにはできない。だから、最大の誠意は示そう」
「ほう? 殿下は誠意を示せば許されるとでもお思いか?」
まだ片膝をついたままの王弟に対し、カーバイン公爵は攻撃的で冷ややかな態度を崩さない。
不敬と言われかねない態度だが、これも王国最大級の大貴族である公爵家ゆえの誇りの高さであろう。
このまま、宣戦布告をしてもおかしくないような目つきだ。父のいつにない姿に、フィオナは内心危ぶんでしまう。
しかし、王弟ヴォードは公爵の態度を許容した。それどころか、罪をくいるように顔を強ばらせた。
「もちろん、私の罪は許されまい。だが、私としても不実な男でいたくないのだ。だから正直に公爵に言ったし、フィオナとの結婚も正式に解消することに反対はしない。賠償金も用意しよう。カーバイン公爵家がいかなる判断を下そうと、兄上には私から話を通すつもりだ」
わずかに青ざめているヴォードは、全てを受け入れようとしているようだ。
一体何があったのか。
フィオナが眉をひそめ、改めて父親に目を向ける。硬く口を引き結んでいたカーバイン公爵は、娘の視線を受けて少し表情を緩め、重苦しいため息をついた。
「……ヴォード殿下が、屋敷に愛人を置いている。これは明確な契約違反だ。だから、この婚約は破棄となるだろう」
「愛人?」
貴族たちの気楽な火遊び相手である愛人とは異なり、王弟の愛人ともなると、かなりの地位を約束される存在だ。
正式な婚姻がなくても、正妻となるフィオナが幼い今は「妃」に準じた扱いをされているだろう。
そういう女性を、王弟がそばに置いているらしい。
フィオナはゆっくりと瞬きをして、美しい緑色の目を年の離れた婚約者へと向けた。
王弟ヴォードは女性に関しては極めて真面目で、これまで過度に浮いた噂は一つもなかった。少なくとも、エミリアはそう誉めていたはずだ。
過去にも、そう言う女性はいなかった。
フィオナと婚約した頃もそう言う話はなかったし、だからこそ屋敷に愛人を置くことを禁じる事項を婚約の契約書面に記載していた。
と言うことは、最近の話のはず。
フィオナは婚約者であるヴォードをじっと見つめた。
「殿下。その愛人とは、どういう方なのですか?」
「……ルーモンド夫人だ」
決まり悪そうに、しかしヴォードははっきりと答えてくれた。
フィオナはわずかに目を見開いた。
まだ社交界に本格的に出ていないフィオナでも、よく知っている名前だ。隣国のルーモンド伯爵に嫁いでいたが、半年ほど前に夫を亡くして帰国していたはず。フォオナも、王太子の結婚式で顔を合わせた。
年齢はヴォードと同じくらいだったはず。名前は……確かローウィナだ。
特別な美人ではないけれど、笑顔がとても優しい女性で、まだ子供のフィオナにも親切で丁寧に接してくれる人だった。
家柄もよく、出戻りと言われようと、決して悪く言われたことのない女性だ。
(あの人が、殿下の愛人になっていたのね。でも……あの人を愛人のままにしておくのは、勿体無いのではないかしら)
裏も表もない、優しい笑顔の女性の顔を思い浮かべ、王族のプライドを捨てて膝をついて謝罪する王弟ヴォードを見る。
考え続ける必要もない。結論はすぐに出た。
フィオナは一人小さく頷き、父カーバイン公爵に向き直った。
「お父様」
「……なにかな?」
「殿下とルーモンド夫人……ローウィナさんは、結婚できないのですか?」
「…………えっ? それは、もちろん結婚なんてできないぞ。殿下はフィオナと婚約しているのだから」
予想外だったのか、カーバイン公爵は怒りを忘れていつもの穏やかな顔になってしまった。
ついでに、真面目に答えてしまう。
フィオナは満足そうに頷いて、言葉を続けた。
「では、私との婚約を解消すれば、二人は結婚できるのですね?」
「それは……まあ……そう言うことにはなるが…………」
ようやく我に返ったのか、カーバイン公爵は口ごもる。
フィオナはその反応から不可能ではないと判断して、ヴォードに向き直った。
「殿下。私と殿下の婚約は解消しましょう。その代わり、条件があります」
「……なんであろうと受け入れる。私が持つスービル地方をあなたに差し上げよう」
「くれるというのなら、ありがたくいただきますけど、それより必ず守っていただきたいことがあります」
「伺おう」
ヴォードは表情を引き締めて顔を上げる。
背筋を伸ばしたフィオナは、言葉を間違えないように、慎重に言った。
「私との婚約を解消した後、然るべき時期に、ローウィナさんと結婚してください」
途端に、ヴォードは呆気に取られた顔になる。
首を傾げ、じっくりと考え、それでも理解不能と判断してそっと聞き返した。
「……フィオナ、それはどう言う意味だろうか」
「殿下のお人柄は知っています。そんな殿下がお側に置くんですもの。ローウィナさんのこと、よっぽどお好きなのでしょう?」
「ああ、愛している」
「殿下! 娘の前でなんてことを!」
「いいのです、お父様。私は殿下のそのお言葉を聞きたかったのですから。……殿下、ローウィナさんと結婚して、絶対に幸せになってください。それが婚約を解消するための条件です」
フィオナは、普段より豊かな表情を浮かべて微笑んだ。にっこりと称してもおかしくない笑顔に、ヴォードは一瞬驚いた顔をした。
カーバイン公爵と、その妻エミリアも驚いた顔になっている。
何度か口を開きかけ、それでも言葉にならずにヴォードは何度も何度も瞬きをした。
しかし、やがてその顔がふと笑みに崩れる。
カーバイン公爵が睨みつけても、顔を伏せながらしばらく笑っていたが、やがてスッと真顔になり、まだ大人になっていない小柄な少女に今度こそ丁寧な礼をして、深く頭を下げてドレスの裾に口付けをした。
「確かに承った。フィオナ嬢、あなたの広い心に感謝する」
フィオナは父を見遣る。
カーバイン公爵は深いため息をつき、ゆっくりと首を振ったが、執務机の上にあった婚約の書類をひと動作で破り捨てる。
こうして、フィオナの二回目の婚約も解消された。
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