婚約破棄おめでとう

ナナカ

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王家の婚約者 【過去】

(7)フィオナの思考

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 さまざまなことが落ち着いて、やっとのんびりしたお茶のひと時を楽しもうというしている横で、幼い娘は淡々と見覚えのない本を読んでいる。
 エミリアはそっと娘に問いかけた。

「……フィオナ、あなたは殿下との婚約解消について、充分に怒っていないんじゃないかしら? 思うところがあるなら、今なら多少の恩を売っています。わたくしが王家へ抗議を……!」
「抗議の必要はありません。昨今の情勢の中では、最適解だったと思っています」
「そ、そう……? あなたはお父様に似ているのはいいけれど、賢明すぎるわね」

 公爵夫人は、娘の反応に戸惑っていたが、結局ため息をついた。
 一方フィオナは、母親が戸惑っているとなんとなく気付いているが、本当になんとも思っていなかった。
 自分と王太子との婚約の意味は理解していたし、すでに未来の王妃としての教育も始まっていたから、諸外国の動静への対応が重要だとわかっている。

 残念に思うとすれば、今後は「優しいお兄さん」とあまり会えなくなることくらいだ。
 一時は週に二回以上も遊びに行っていたのだから、急に会えなくなったのは寂しかった。
 でもそれ以上に、王太子の新しい婚約者となった他国の王女が近いうちにやってくるという話の方が重要だ。

「ねえ、今フィオナが読んでいるその本は、一体何かしら……?」
「王太子殿下の婚約者様の母国から取り寄せたものです」
「……あ、もしかして」

 エミリアはなんとなく察して、口を閉じた。
 王太子と婚約者は、お互いに母国語が異なる。詳しい学者によると、言語としてかなり違う言語体系になっているらしい。
 王女が嫁いでくる時には、この国の言葉を習得していることになると思われるが、多分フィオナが考えたことはそうではない。

「……つまり、その本は、先日から来ている新しい家庭教師からいただいた課題かしら?」
「いいえ。自主的に読んでいます。やっと読めるようになったので、後は会話をもっとスムーズにできるようになろうと思っています」
「もしかして、未来の王妃様のためにかしら?」
「未来の王妃様と仲良くしたいという下心からです。きっとカーバイン公爵家のためにもなると思います」
「それは……とても良い心がけですね」
「ありがとうございます!」

 なんと言うべきか迷ったエミリアは、結局娘を誉めることにした。そしてそれは正しかったようで、フィオナはとても嬉しそうな顔をした。
 相変わらず、フィオナは表情が薄くて感情がわかりにくい。
 でもエミリアは娘の表情の変化を見落とすことはなかったし、フィオナが親の思惑を超えて元気に前に進んでいることは嬉しかった。……少し首を傾げてはいたが。


 フィオナの熱意は、ようやく屋敷にゆっくり戻れるようになったカーバイン公爵にも伝えられた。
 妻エミリアからの報告に、公爵はおそるおそる娘の様子を見にいく。
 相変わらず多くの教科を学んでいるが、その中でも新たな語学には特に熱心であるらしい。
 外国語の本を真剣に読んでいる娘を見て、カーバイン公爵は一瞬なんと声をかけるべきか悩んだ。

「あー、そのだな、最近は特によく勉学に励んでいるようだな」
「公爵家の娘として、王国のための努力は惜しみません!」

 フィオナの表情の薄い顔は、しかしやる気に満ちていた。それを読み取ることはカーバイン公爵にも容易いのだ。
 老獪な政治家であるカーバイン公爵は、娘を溺愛する父親でもあるから。

 ……だが、これはいいことなのだろうか。
 単純に前向きなのはとてもいいことではある。そして外国語が堪能になるのは、確かに未来の王妃の信頼を得ることにつながるだろう。
 それは間違いない。だが……。

「……そうか。うん、大変に良い心がけだ」

 いろいろ考えたカーバイン公爵は、さんざんに言葉を迷った末に娘を褒めた。
 しかし、弟シリルは知っている。
 まだ幼い息子の前だからと気を抜いてしまったのか、廊下に出た父が密かに涙を拭っていたことを。
 窓の外を見るふりをしながら「あの子はいい女になる」と親馬鹿なことをつぶやいていたのも聞いてしまった。

「……母上。父上はもしかして、姉さんに甘い人ですか?」
「優しい人なのよ」

 シリルが深刻そうに相談しても、母エミリアは、そう微笑むだけ。
 ……この両親は大丈夫だろうか。
 病から回復して間もない八歳の少年が、初めて己の両親について懸念を抱いた瞬間だったという。


   ◇◇◇


 半年後、各国の情勢が一旦落ち着いた。
 この平穏の時期を逃すまいと、フィオナに新しい婚約者が用意された。
 相手は王弟ヴォード。
 すでに三十歳で、二十代で一度結婚していたものの、妻と死別している人だ。
 フィオナとは二十歳も年齢が離れている。
 本来は全てのことにおっとりとしている公爵夫人だが、この人選には再び激しく憤慨した。

「かわいいフィオナに、初婚から後妻になれとおっしゃるのっ?!」
「後妻ではあるが、すでに子はいるから後継を産む重圧はない。財産はあるし、後は、まあ悪い人ではないのだよ」
「それは知っています! でもあの子はまだ十歳ですよ。さすがに歳が離れすぎていますっ!」

 妻に問い詰められると、カーバイン公爵は渋い顔で黙り込むしかない。
 カーバイン公爵も、娘の結婚相手が自分とそれほど歳が変わらない相手なんて、あまり受け入れたくないのだ。
 しかし、王家の誠意は理解できる。
 王家の中で最も地位が高くて、かつ結婚可能な最高の人物を用意してくれたのだ。

 それがわかっているから、二人は最後はため息をつきながら口を閉じた。
 王家が豊かなグージル地方をフィオナに与えたことも影響したのではないか。……シリルは密かにそう疑っている。
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