婚約破棄おめでとう

ナナカ

文字の大きさ
上 下
20 / 56
ハブーレス伯爵家の婚約者 【過去〜現在】

(20)顔見知りの相手

しおりを挟む


「ねえ、フィオナ。あなた、カイルのことはどう思っているかしら」

 母親にそう問われたのは、フィオナが二十一歳になった翌日だった。
 珍しいことを聞かれたと驚きながら母親を見ると、公爵夫人エミリアはニコニコと笑いながらチラリと背後に目をやった。
 中庭へと繋がる扉の前で、カーバイン公爵がさり気なさを装って立っている。
 常に多忙なカーバイン公爵が、何の目的もなくうろうろしているはずがないのだが、まるで偶然通りかかっただけのように外を見ている。
 首を傾げたものの、フィオナはまず母エミリアに答えることにした。

「カイルというと、ハブーレス伯爵家の、あのカイルですか?」
「ええ、そのカイルよ!」
「お母様と伯爵夫人が親しいお友達ですよね」
「そうよ。ローザとは十代になったばかりの頃に会ったのだけど、お互いに嫁いだ後も気楽に付き合えるいい友人なの。だから、ね」

 エミリアはもう一度夫を振り返り、それから真剣な顔で娘を見つめた。

「……カイルと、婚約するのはどうかしら?」

 フィオナはゆっくりと瞬きをした。
 今まで六人と婚約してきたが、顔はもちろん性格も含めて、ここまでよく知っている相手との縁談は初めてだ。
 確か、フィオナより二歳年上の二十三歳。
 母親同士が仲がいいだけあって、たまに会っても会話に困ったことはない。
 次男ではあるが、財産はしっかり持っているはず。
 そもそも、フィオナ自身は夫となる人の財産を気にする必要はない。これまでの婚約関係で、図らずもいろいろ個人資産が増えているのだ。下手な貴族の当主より財産持ちと言ってもいい。

 つまり、結婚相手として考えた時、カイルという人物は悪くない。
 二十三歳になっているのにまだ婚約すらしていないのは、次男という気楽な立場を謳歌していたためで、両親ももう少し後でも問題ないだろうと見做しているらしい。
 そう聞いていたから、お互いに結婚できないなと気楽に笑い合っていた。
 一般的にいえば、悪くないどころか、とてもいい相手なのだが……フィオナはまず首を傾げてからそっと聞いてみた。

「カイルは、私でいいと言っているのですか?」
「ローザからそれとなく聞いてもらったけれど、悪い感触ではなかったようよ。話を聞いた感じでは、フィオナと似た反応だったみたい」

(ということは、悪くないどころかいい相手だと思いつつ、なんで今更この話がきたのかだろうと意外に思ったというわけね)

 自分の心情を正確に把握しているフィオナは、続くはずの母の言葉を待つ。
 エミリアは真剣な顔をふわりと崩して、優しく微笑んだ。

「あなたたちの間に、恋とかそういうものはないのは知っているわ。でもね、恋だけが夫婦を結びつけるものではないと思うの。気楽に付き合える穏やかな関係というものも悪くはないんじゃないかしら」

 フィオナは母の言葉をじっくりと考える。
 父と母は恋愛結婚ではない。
 でも、まるではじめから運命で決まっていた相手であるかのように、二人の間に流れる空気は自然だった。
 恋は必要ない。必要なのは信頼と、できれば何らかの愛情だろう。
 そう考えたフィオナは、小さく頷いた。

「確かに、カイルはいい相手のような気がします。ただやはり、直接会って確認しておきたいことも幾つか……」
「ええ、そうだと思って、明日カイルをお茶にお招きしているわ!」

 娘の言葉を最後まで待ちきれなかったエミリアは、でもとても嬉しそうだ。
 さり気なく木を眺めている父カーバイン公爵も、その横顔は心なし嬉しそうに見える。
 両親が、自分のことでこんなに楽しそうで張り切っているのは久しぶりだ。
 縁談のことを話すときに、いつからため息やらうつろな目やらをするようになったのだろうか。こんなに嬉しそうな両親を見るのは……きっと王太子との婚約が固まった頃以来かもしれない。
 フィオナも、なんとなく嬉しくなっていた。



   ◇◇◇



「ということで、カイルと婚約したわ」
「……僕がちょっと王都を離れていた間に、そこまで話が進んだのか……まあ、いいんだけどね」

 お互いに「本当にいいの?」「本当にいいのか?」と心配そうに確認しあった「見合い」を終え、正式にカイルと婚約したフィオナは、その二日後に戻ってきたシリルを捕まえて報告をした。
 実はシリルは、王太子の密命を受けて半月ほど王都を離れていた。だから本当に寝耳に水なのだが、シリルはただ苦笑いを浮かべただけだった。

 フィオナが二十一歳になったように、シリルも十九歳になっている。
 線の細さがあるものの、少年時代とは違うすらりとした長身は優美で、思慮深いエメラルドグリーンの目は女性たちの心を騒がせる。
 しかし、この美麗な弟の頭の中は老獪な貴族政治家そのものだ。
 予想外の姉の婚約を聞いてすぐだというのに、すでにじっと何かを考えていた。

「……カイルに関しては、悪い噂は全く聞いたことがないし、性格もいい。財産はまあそんなに多くないけど、姑は母さんの友達で僕たちもよく知っている人だ。ハブーレス伯爵自身はちょっと愚痴っぽくて、カイルの兄君はほんのり脳筋気味だけど、まあ、カイル自身はいい人だから許容範囲だよね」
「相変わらず、シリルはいろいろ詳しいわね」
「まあね。でも、母さんも思い切ったな。何かあったら、ローザおばさんとの友情にヒビが入る覚悟で動いたんだろう? カイルなら大丈夫だとは思うんだけど……」
「シリルは心配性すぎるわよ。今度は絶対に大丈夫。だってカイルだもの」

 王立図書院の廊下を歩きながら、フィオナはにっこりと笑う。
 弟シリルが王都に戻ったのに、すぐに図書院に向かったと聞いたから、フィオナはわざわざ報告のために会いにきている。
 しかし、弟はいつも通りに元気で、旅疲れの心配もないようだ。

 昔からシリルにはいろいろ心配をかけてきた。そのシリルが太鼓判を押したのだから、今度の婚約は結婚まで無事に至るだろう。
 ついに「結婚できない女」という評判を返上する時が来た。
 気にしていないと言いつつ、年々、なんとなく気になっていた。もっと正直にいえば……二十歳を超えたあたりからひしひしと評判の重さを感じていたから、フィオナも上機嫌だった。


 ……しかし。
 にこやかにさらに言葉を続けようとしていたフィオナは、口を閉じたぴたりと足を止めてしまった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】婚姻無効になったので新しい人生始めます~前世の記憶を思い出して家を出たら、愛も仕事も手に入れて幸せになりました~

Na20
恋愛
セレーナは嫁いで三年が経ってもいまだに旦那様と使用人達に受け入れられないでいた。 そんな時頭をぶつけたことで前世の記憶を思い出し、家を出ていくことを決意する。 「…そうだ、この結婚はなかったことにしよう」 ※ご都合主義、ふんわり設定です ※小説家になろう様にも掲載しています

大切なあのひとを失ったこと絶対許しません

にいるず
恋愛
公爵令嬢キャスリン・ダイモックは、王太子の思い人の命を脅かした罪状で、毒杯を飲んで死んだ。 はずだった。 目を開けると、いつものベッド。ここは天国?違う? あれっ、私生きかえったの?しかも若返ってる? でもどうしてこの世界にあの人はいないの?どうしてみんなあの人の事を覚えていないの? 私だけは、自分を犠牲にして助けてくれたあの人の事を忘れない。絶対に許すものか。こんな原因を作った人たちを。

悪役令嬢に転生したら病気で寝たきりだった⁉︎完治したあとは、婚約者と一緒に村を復興します!

Y.Itoda
恋愛
目を覚ましたら、悪役令嬢だった。 転生前も寝たきりだったのに。 次から次へと聞かされる、かつての自分が犯した数々の悪事。受け止めきれなかった。 でも、そんなセリーナを見捨てなかった婚約者ライオネル。 何でも治癒できるという、魔法を探しに海底遺跡へと。 病気を克服した後は、二人で街の復興に尽力する。 過去を克服し、二人の行く末は? ハッピーエンド、結婚へ!

【完結】烏公爵の後妻〜旦那様は亡き前妻を想い、一生喪に服すらしい〜

七瀬菜々
恋愛
------ウィンターソン公爵の元に嫁ぎなさい。 ある日突然、兄がそう言った。 魔力がなく魔術師にもなれなければ、女というだけで父と同じ医者にもなれないシャロンは『自分にできることは家のためになる結婚をすること』と、日々婚活を頑張っていた。 しかし、表情を作ることが苦手な彼女の婚活はそううまくいくはずも無く…。 そろそろ諦めて修道院にで入ろうかと思っていた矢先、突然にウィンターソン公爵との縁談が持ち上がる。 ウィンターソン公爵といえば、亡き妻エミリアのことが忘れられず、5年間ずっと喪に服したままで有名な男だ。 前妻を今でも愛している公爵は、シャロンに対して予め『自分に愛されないことを受け入れろ』という誓約書を書かせるほどに徹底していた。 これはそんなウィンターソン公爵の後妻シャロンの愛されないはずの結婚の物語である。 ※基本的にちょっと残念な夫婦のお話です

ぽっちゃりな私は妹に婚約者を取られましたが、嫁ぎ先での溺愛がとまりません~冷酷な伯爵様とは誰のこと?~

柊木 ひなき
恋愛
「メリーナ、お前との婚約を破棄する!」夜会の最中に婚約者の第一王子から婚約破棄を告げられ、妹からは馬鹿にされ、貴族達の笑い者になった。 その時、思い出したのだ。(私の前世、美容部員だった!)この体型、ドレス、確かにやばい!  この世界の美の基準は、スリム体型が前提。まずはダイエットを……え、もう次の結婚? お相手は、超絶美形の伯爵様!? からの溺愛!? なんで!? ※シリアス展開もわりとあります。

何もできない王妃と言うのなら、出て行くことにします

天宮有
恋愛
国王ドスラは、王妃の私エルノアの魔法により国が守られていると信じていなかった。 側妃の発言を聞き「何もできない王妃」と言い出すようになり、私は城の人達から蔑まれてしまう。 それなら国から出て行くことにして――その後ドスラは、後悔するようになっていた。

7年ぶりに帰国した美貌の年下婚約者は年上婚約者を溺愛したい。

なーさ
恋愛
7年前に隣国との交換留学に行った6歳下の婚約者ラドルフ。その婚約者で王城で侍女をしながら領地の運営もする貧乏令嬢ジューン。 7年ぶりにラドルフが帰国するがジューンは現れない。それもそのはず2年前にラドルフとジューンは婚約破棄しているからだ。そのことを知らないラドルフはジューンの家を訪ねる。しかしジューンはいない。後日王城で会った二人だったがラドルフは再会を喜ぶもジューンは喜べない。なぜなら王妃にラドルフと話すなと言われているからだ。わざと突き放すような言い方をしてその場を去ったジューン。そしてラドルフは7年ぶりに帰った実家で婚約破棄したことを知る。  溺愛したい美貌の年下騎士と弟としか見ていない年上令嬢。二人のじれじれラブストーリー!

【完結】身を引いたつもりが逆効果でした

風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。 一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。 平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません! というか、婚約者にされそうです!

処理中です...