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王家の婚約者 【過去】
(8)王弟
しおりを挟む正式な婚約が成立したと言っても、フィオナはまだ十歳。結婚するにはまだ幼すぎる。
当面は婚約のみとして、八年後に結婚式を挙げることだけが決まった。あとは時の流れに任せようと……ようするに、なるようにしかならないと棚上げ状態。
フィオナが成長するのを待つことになった。
しかし両親が激しく憤慨し、やがて黙り込むまでの間、フィオナはまたも平然としていた。
フィオナにとっては、婚約者が「優しいお兄さん」から「優しいおじさん」に変わっただけでしかない。
王弟ヴォードのことは、フィオナは昔から知っている。
王太子の婚約者候補として王宮を訪れている中で、よく声をかけてくれた人だ。うちうちに打診がある前あたりからは、何度も招待されて屋敷を訪問していた。
相手が子供だからと馬鹿にする人ではないし、王弟の屋敷はきれいで明るいし、本人については嫌う要素はない。むしろ月に数度の訪問を楽しみにしていた。
敢えて言うなら、ヴォードの子供たちが生意気で次はどんな悪戯をしかけられるか、こちらから何を仕掛け返すかを考えるのは少し悩ましかった。
でもシリルを連れていえば解決するとわかって以来、それも問題にはならない。
何より、王家に嫁ぐために始めていた勉強も無駄にならなくてすむ。
「でも、王弟殿下と結婚するということは、内政への関与が増えるかもしれないわね」
こうして、フィオナの勉強項目に税制に関することが追加された。
弟シリルは、のちに王太子に当時の様子を問われた時、「姉はお得な相手だと言っていましたよ」と苦笑しながら答えたという。
人形のように美しい姿の少女は、そういう性格だった。
◇◇◇
フィオナが十二歳になった年。
王太子が結婚した。
かつてフィオナの婚約者だった人だが、フィオナは少しも傷ついてはいない。
「年下にも優しいお兄さん」が「年下にも優しい他国出身のお姉さん」と結婚しただけ。
十八歳になったばかりの若い二人は、でもとても美しい。何より幸せそうに笑い合っていた。
幼い頃から表情をうまく出せないフィオナにとって、微笑み合う二人の姿は輝いて見えた。
「見て、シリル! あの二人の幸せそうなお姿! 見ているだけで胸が温かくなるなんて、未来の国王夫妻に相応しい資質だと思うわ!」
「えっと、まあ、それは否定しないかなぁ……」
「私ではあんな幸せそうな雰囲気にはならないわよね。そう考えると、お二人こそ、運命のお相手だったのではないかしら」
「……そうかなぁ?」
「あの二人は、私の目指す夫婦像よ!」
「え? それは、まあその辺りは個人の自由だけどね……別に誰を目指してもいいけどね。王太子殿下は姉さんの婚約者だった人でしょう?」
「確かに一ヶ月だけ婚約していたけれど、それだけよ!」
相変わらず表に出ている感情は薄いものの、嬉しそうなフィオナは胸を張って言い切る。
何か言いたそうだった弟シリルは、口を閉じて小さく唸った。それから、美しい顔に十歳という年齢より大人びた表情を浮かべて、首を振りながらため息をついた。
「…………うん、そうだね。姉さんがそれでいいなら、別に僕はこだわらないかな」
そうつぶやきながら、シリルはふと姉の現在の婚約者を見た。
少し前まで二人と笑顔で話をしていた王弟ヴォードは、しかしなぜか驚いたような顔でどこかを見ている。
首を傾げたが、まあ大人にも色々あるのだろうと思っていた。
でも、そのことを——予兆を見逃してしまったことを、シリルは後悔した。
王太子の結婚式の三ヶ月後。
フィオナはカーバイン公爵に呼び出されて、執務室に赴いた。
いつも秘書官たちが忙しく出入りする部屋だが、珍しく静かだった。秘書官は一人もいない。
代わりに、母エミリアと王弟ヴォードがいる。
カーバイン公爵はいつもより表情の薄い「外向きの顔」をしていたが、フィオナを見ると少し表情を緩め、それから部屋を見回して眉をひそめた。
「フィオナ。少し話があるのだが……む、椅子がないな。エミリア、廊下に誰かいるはずだから、椅子を用意するように伝えて……」
「お父様。私はこのままで構いません」
父の言葉を遮り、フィオナはきっぱりと言う。
そして、婚約者である王弟ヴォードに向き直って、丁寧なお辞儀をした。
「ヴォード殿下。ご無沙汰しております」
いつも通りに丁寧に挨拶をしたのに、ヴォードは小さく頷いて応じただけで目を合わせない。
どうしたのだろうと首を傾げると、突然ヴォードがフィオナの前で片膝をついた。
「フィオナ。どうか許してほしい!」
「……殿下?」
「あなたとの婚約は、なかったことにしてほしいのだ!」
王弟の言葉に、フィオナはとても驚いた。
美しい顔だけを見ると淡々としているようにしか見えないが、それは表情が顔に出にくいため。
母であるエミリアから見れば、思わず「かわいそうに……」とそっとつぶやくほど動揺している。
表面上は落ち着いて、実際はどうすればいいかわからずに父カーバイン公爵を見ると、公爵は不自然な笑顔を浮かべていた。
なぜかわからないが、ひどく怒っている。
もちろん対象はフィオナではない。普段は穏やかな態度を崩さないカーバイン公爵が睨みつけている相手は、なんと王弟ヴォードだった。
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