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本編

(24)言葉を交わした回数

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「お帰りなさいませ。侯爵様もお元気そうで安心しました」

 あんなに何も浮かばなかったのに、言葉がするりと出てきました。
 作法も何もない、子供のような言葉でしたが、侯爵様は不快そうなお顔をすることはありませんでした。
 それがまた嬉しくて、私は微笑んでいました。

 でも侯爵様の薄く汚れたマントを思い出し、私は少し慌てました。

「侯爵様はお疲れですよね。そうだ、お着替えとか、お食事を用意しましょうか?」
「いや、これからすぐに本部に行くつもりだ。俺の屋敷のことで世話になっていると聞いたから、挨拶だけしに来た」
「そうですか。でも、お寄りくださってありがとうございます。……あ、そうだ、せめて手だけでも洗ってください。……ネイラ! 水差しと洗面器を用意して! 手拭き用の布も! 急いでちょうだい!」

 扉を細く開けて言うと、すぐにパタパタと走り去る音が聞こえました。

 足音はまたすぐに戻ってきて、恭しく柔らかそうな布を持ったネイラが入ってきました。さらに洗面セットをもった若いメイドが続きます。
 二人とも息を切らせていないので、走ってくれたのは別のメイドだったようですね。


 若いメイドが捧げ持つ洗面器に水を入れ、ネイラが一歩下がりました。
 やや戸惑う侯爵様に、私はそっと言いました。

「手袋をお預かりします。もしよければ、顔も洗ってください」
「……では、頼もうか」

 侯爵様は脱いだ手袋を私に預けてくれました。見た目より重い厚めの革でしたが、触ると意外に柔らかく感じます。
 何気なく洗面器に目を向けると、大きな手が水に浸っていました。
 手の甲にあるのは古傷の跡でしょうか。指も太くてゴツゴツしています。その手が水をすくい、顔にもパシャリと水がかかりました。

 ……そう言えば、あの朝もこうして顔を洗っていましたね。


「侯爵様とお話ししたのは、婚儀の日とその翌日と、王宮へ伺った時と、今日。四度目ですよね」
「そうだな」

 布で顔を拭いていた侯爵様は、手を止めて頷いてくれました。
 それが嬉しくて、私はにっこり笑って言葉を続けました。

「それなのに、お顔を洗っている姿は、もう二回も見ているんですよ」
「そうだったか?」
「はい。そう言えば、手袋を外した手を見るのも二回目です!」
「……それは、あなたが喜ぶようなことなのか?」
「はい! あ、でも、こんなことを言うのは失礼だったでしょうか。侯爵様がお嫌ならもう見ませんし、喜ばないようにします」

 少し表情を引き締めて付け足しましたが、侯爵様は何も言いませんでした。
 無言で髪に残っていた水気を拭い、メイドが差し出した水を飲み、手袋を受け取ってはめ直します。
 ただ手と顔を洗っただけですが、お顔の表情は少しすっきりしたように見えました。


「挨拶だけのつもりだったのに、逆に世話になってしまった」
「こちらこそ、思いがけずお会いできてうれしかったです。次はいつお会いできますか? お好みの食事を用意させます」
「……ご厚意はありがたいが、忙しくて時間は取れないだろう」
「そうですか」

 やはり、侯爵様はご多忙なようです。
 仕方がありません。

 そう納得したつもりでしたが、子供っぽい落胆は隠しきれていなかったようでした。

「私がここに来ることは難しいが、いつもだいたい王宮の軍本部にいる。お困りのことがあれば、気楽に使いのものを送ってくれ。番兵にも話を通しておこう」

 侯爵様に、優しい言葉をいただいてしまいました。
 お心遣いが嬉しいです。同時に、自分の未熟さが恥ずかしい……。

「ありがとうございます」

 少し小さな声でお礼を言うと、侯爵様は頷きを返してくれました。

 でもすぐに表情を改め、扉を出て大股で廊下を歩き、あっという間に馬上の人となって王宮方面へと向かってしまいました。

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