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六章 十五歳は大切な年

(35)馬の名前

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 ヘイン兄さんが選んだ店は、なかなか美味しい料理がそろっていた。
 野宿続きだった私は、豊富な具材の煮込み料理を食べながら感動を噛み締めていた。焼いただけの肉は嫌いではない。でもじっくり煮込んだ野菜とか、煮てから焼いた肉とか、しっかり膨らんだパンとか、そういう料理はやはり美味しい。
 豆ペーストの包みあげは初めて食べたけれど、これは癖になるかもしれない。
 見慣れない果実を葡萄酒で煮たものも絶品すぎる。
 でも残念なことに、私の大好きな小芋の料理はない。どうやらこの南部では小芋自体を食べないらしい。都では名前は違ったけれど時々見かけていたのに。そう言えば、小芋料理はもう一年以上食べていない。
 それだけが残念だ。それ以外は最高だ。
 ヘイン兄さんがどんどん注文してくれたから、私は心ゆくまで食事を堪能できた。

「……小さいのに、よく食べるね」

 気がつくと、兄さんが呆れ顔で私を見ていた。
 当然なことを言っている。おじさんと言われ始める年齢の兄さんとは違い、まだ私はピッチピチの成長期なのだ。……実際には私の魔力が大きいことも原因の一つのような気もするけど。
 でも私が口にしたのは、魔力関係でも、兄さんが微妙に落ち込みそうな年齢についてでもなかった。兄さんを見たときから思っていた事を、身を乗り出して小声で聞いた。

「兄さんが村を出て、こんな遠くまで来るなんて珍しいんじゃないの?」
「うん、ここまで遠出するのは久しぶりだね。この辺りには何度か来ているんだけど……そうだな、もう五年ぶりくらいかな」

 ヘイン兄さんは楽しそうに周りを見た。
 耳障りな喧騒も、久しぶりの遠出中の兄さんにとっては楽しみの一つなのだろう。その気持ちはよくわかる。
 こういう少し子供っぽい兄さんの顔も悪くはない。

「それで、何かあったの?」
「今回は馬を売りに来たんだよ。まとまった数の注文が入ったから、警備として私も一緒に来たんだ」
「ふーん」
「今回は気性の荒い馬も欲しいと言われていてね。私以外は手に負えないって理由もあるんだ」
「あ、気性の荒い馬って、ターグみたいな?」
「そうだね。今回はターグも連れてきているよ。でもターグのことよく覚えていたな」
「うん、まあね……」

 私は水をぐっと飲んで、満腹になった腹をそっと撫でた。

「そうか、ターグも売られるのか。なんだか変な気分だな。私が都にいた時、ターグって名乗っていたんだよ」
「……えっ、そうなのか?」

 ヘイン兄さんは、呼吸三つ分遅れてつぶやいた。
 どうやらこの話はナイローグから聞いていなかったらしい。
 ナイローグが伏せていたということは、兄さんには話すべきではなかったかもしれない。でももう遅いし、ターグも売られて行くのだからいいだろう。
 私は果実の葡萄酒煮をもう一切れ口に入れる。甘いものは別腹だ。向こうのテーブルでは、この葡萄酒煮に蜂蜜をかけたものを特別注文していた。それも食べてみたいものだ。
 目でそう訴えようとしたのに、へイン兄さんは絶品葡萄酒煮のことは全く目に入っていない。
 私が最後の一切れを食べてしまっても、気づいていないようだった。

「シヴィルは……ターグだったのか?」
「うん、名乗っていたのは一年くらいかな。だから今でもターグって呼ばれるのを聞いたら、振り返ってしまいそうだよ。あ、でも今はマーディだよ」
「……その名前はどこから取ったか、聞いていいかな?」
「小さい頃、母さんがそんな名前で呼ぶことがあったでしょう? ずっと忘れていたけど、都を逃げ出した時に思い出したんだ」
「なるほど。マーディか。まずまずの名前だな。……しかしそれにしても……シヴィルがターグだったって? なんだか微妙な感じがするな。新しい飼い主がターグに乗ると、シヴィルに乗るみたいじゃないか……いやそれはマズイだろう!」

 兄さんが何か一人でつぶやいている。
 いったい何を言っているのだろう。この後はまた鏡を見ろと言われるのだろうか。
 あり得ると思ったのだけれど、私の予想は完全に外れた。きれいな顔をきりりと引き締め、私の手をぎゅっと握った。

「シヴィルの名前の元になったターグを、変な男に売ってたまるか。ターグはナイローグに買い取らせよう。あいつも今は気の荒い馬が必要なはずだ」

 へイン兄さんは相変わらず唐突なことを言う。あきれながら兄さんの手から逃れ、私は果実の葡萄酒煮をもう一つ注文した。今度は蜂蜜入りの方だ。
 そして他にも何か面白そうな料理はないか、周りのテーブルに目を向けた。

「ふーん。じゃあ、ナイローグがターグに乗ることになるんだね。乗りこなせるのかな」
「それは大丈夫だ。あいつはどんな馬で乗りこなすから……乗りこなす……ナイローグがターグに……シヴィルに……乗る、だと? いくらあいつでも、それは許されるのか?」

 やっと普通の会話に戻ったと思ったのに、またヘイン兄さんは何かつぶやき始めた。
 まあ、二年前までずっと一緒にいた妹としては、そういう兄も慣れている。せっかく一人の世界に入り込んでくれたから、その間に新たに運ばれてきた蜂蜜入り葡萄酒煮をどんどん頬張ることに専念した。
 舌の上でとろける葡萄酒煮は、とても甘くて香りもいい。
 お店のおばさんの話では、このナントカいう名前の果実は、いまの季節が旬らしい。この葡萄酒煮も、ほんのひと月だけの特別な料理ということで、私は自分の幸運に感謝した。
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