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第1章 アンジュの気持ち
第3話 “任務”によって残ったもの①
しおりを挟む※交合を示す内容、傷跡の描写があります※
雨音響く、薄暗い広範すぎる部屋。
その室内の窓際に設置されているソファに座った私は、つい先程目の前のテーブルに置いた小さな木箱を開けた。
中から小さな円形の樹脂ケースを取り出し蓋を開け、その中身を金属製のヘラで多量にすくい取る。
そうして、自分の手の平に塗り被せた。
続けて、目の前にある小さなテーブルライトの元に、何も塗布されていないほうの手の平をかざす。
3本の赤い短線。
目に見てわかる程の赤みがある傷跡は、負傷した直後より状態が良くなったとはいえ、ジクジクとした痛みが残っている。
テーブルに設置しておいた立ち鏡を見遣れば、下唇の腫れが確認できた。
「……はぁ……」
思わず漏れ出た溜息。
任務遂行によって感じる苦痛に耐えるため、自らを傷つけたとはいえ。ここまでになるのは想定外だ。
彼には気づかれないよう、自らの手で作り上げた軟膏剤。その万能な傷薬を使うことで、“任務”によってできていた創傷は早期に治せていたのだが。
今までは長くても3日で治っていたものが、治らない。
それはつまり、今回できた傷がいつにも増して深かったということ。
自覚はなかったが、自傷の力が強くなってしまったのだろう。
行為前に彼此想い出してしまったせいなのか。
今回の交合は、いつもより痛みを感じるものだった。
それでも、“私”で交わる場合よりは痛みが軽く、例の装いをした私で交わる場合とでは天と地の差があると言える。
不穏な空気や嫌々抱いているという感覚、行為によって生じる痛みは、少しでも無いほうがいい。
やはり、“任務”では、彼の愛しの想い人を想像させる装いで挑むのが最良だ。
『体形や中身が違うのだから、いくらリリー様の髪色や香りを似せた所で……』
冷静な頭はそう思ってしまうのだが、彼女に強い想いを抱く彼にとっては意味を成す。
それが今回で、猶々明確になった。
茶鼠髪に真っ黒な瞳、血色感のない肌質、狐目で表情が硬く“冷徹な魔女”と比喩される私。好意どころか嫌悪感を抱いている相手(私)を意識しにくくなる。
その状況も、彼にとっては大きいに違いない。
「~っ!」
唇に感じた強い痛み。
目の前の立ち鏡を見れば、血の滲んだ唇が見える。
唇を無意識に噛み締めてしまった私の表情は歪んでおり、その表情と共に輝きを失った茶鼠色の髪が視界に入ってきた。
清楚な香りは、もちろん感じられない。
ーー早く消さなければ。
立ち鏡の前から引き退いた私は、膝上に置いていた軟骨を大量に取り、唇と手の平の傷口が隠れるように強く塗り込んだ。
リンリン。リンリン。
間もなくして、室内に響き渡る音量のベル音が耳に入った。
これはこの部屋の出入り口に付いているドアベルの音であり、ベルは来客が鳴らすもの。
ドアベルが鳴るとは、一体何事か。
ベルの音に一驚した私だが、それには理由がある。
“任務”期間内に、来客が来たことは未だかつてない。
それは『くれぐれも邪魔しないように』と彼が王宮内に御達ししているから(正確には、1度しか情交していないことを気づかれないようにするため)だ。
私がここを立ち退く時間まで間もなくだが、それすらも待てない程の急用を持つ者が来訪したのだろうか。
思案しながらソファから立ち上がった私は、ベッドサイドテーブルの前に移動する。
入室許可。
その意味を示すことができるハンドベルを手に取り、前後に揺らした。
チリンチリン。チリンチリン。
ベルが鳴り響いて数秒後。
出入り口である大きな扉が静かに開き、室外の蛍光ランプの灯りが扉の開かれた隙間分、中へと入ってきた。
「っ」
久々の明光に視野が狭くなる。
眩しさに対して即座には目の働きが追いつかなかったため、入室者の姿はすぐさま捉えられなかったが、
「失礼致します」
発せられた声色とその場で一礼した様子、そこから誰がやってきたのかを把握した。
「殿下なら隣の部屋よ、テオ」
次期宰相テオ・ミーニン。
小柄で中性的な容姿は、男性でありながら可愛らしいという印象を与える。しかし、中身は常に冷静沈着で、才気煥発であるためか“見た目騙しの敏腕家”と称されている人物。
そんなテオは、彼の右腕として働いている。
要するに、来訪者は彼の絶対的な味方であり、緊張感が解けない相手だったということだ。
テオと私の関わりは限られており、接点があるとすれば、彼と関わる際に傍で控えている姿を見る、もしくは
「いいえ、御用があるのは王太子妃様です。殿下からの言付けがございます」
彼からの伝達事項を私に伝える時だ。
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