上 下
5 / 6

5.私は私で

しおりを挟む
彼に起こされた。朝が来たようだ。窓のない室内は暗く、今の時間がわからない。起きてそうそう、朝早くからも彼は唐突だった。

「これからマーフィー男爵領に向かいます。」
「そんな急に無理に決まってるでしょ!一度侯爵領に戻りお父様にご移行を伺わなければならないわ!」

急すぎる。こんなに早く移動するとは思わなかった。侯爵領で過ごせないことは分かったが、何故マーフィー男爵のもとなのだろうか。それも含めお父様に聞かなければならない。
何故、私は海軍の保護下からマーフィー男爵の保護下に移されるのか。知らない地、知らない男爵の元に1人で。彼も付いてくると言われたて彼だって赤の他人だ。実質1人じゃないか。

「あなたのお父様がお望みのことです。」

その言葉に驚いた。

何故。

私の抗議はそれ以上続かなかった。抗議をやめ、呆然とした様子の私に彼は手紙を差し出した。
彼に渡された手紙を手に取る。彼は言った。

「あなたのお父様からです。」

手紙に書いてある名前は間違いなく父の名だった。急いで渡された手紙を開く。

「私はこれからお前の無実を晴らすために動く。侯爵領は王都から近く、お前を家から追い出せと圧力がかかっている。お前はマーフィー男爵のもとで、それなりの功績を上げなさい。そうすることで、もしお前の無実の証拠が見つからなくても、お前を処刑するのが惜しいと思うだろう。実力で己を示しなさい。」

そう美しく力強い筆跡で書かれていた。実に簡潔な要件だけの短い手紙だった。私の心配なんて書いてないけれど、私が何も弁解しなくとも信じてくれる父に涙が出そうだった。こんな家の恥になってしまった私のために、忙しい父が動いてくれる。私に強い言葉をくれる。

私は自分を思い出した。私は悪役令嬢ベアトリーチェ。ベアトリーチェ・チェンバレン。私が前世でしていた乙女ゲームのベアトリーチェはこんなことには屈しない。彼女は痛いほど真っ直ぐに突き進むのだ。後ろなど振り返らずに。

彼女はただ一度サラを学園で定期イベントとして行われるお茶会の場で牽制したのだ。婚約者のいる王子に過剰な接触をする子爵家の彼女に。それをライアン王子に見られたことが彼女の至らなさだ。しかし何度繰り返しても彼女なら同じことをしただろうか。正義感の強いライアン王子は、気の強い婚約者に責められているか弱い少女を擁護した。そして批判を買うのだ。

真っ直ぐにただひたすらに前を進む彼女は美しかった。だからこそ処刑を回避できなかった。牽制をするにはいささか人が多過ぎた。そんなことを考慮しない彼女も美しかった。また愚かにも見えただろうか。様々な罪を被り処刑されるなんて。

婚約者であるライアン王子がサラとの結婚を宣言し、処刑されるその瞬間さえ彼女は下を向かず真っ直ぐに彼らを睨んでいた。彼女は最後まで悪役令嬢であり続けた。私は今彼女なのだ。
そんな強かで愚かで美しいベアトリーチェなのだ。
前を向け。動揺するな。狼狽えるな。そんな無様な姿を晒すな。現実を真っ向から受け止めろ。

無理だなんて言うのは私じゃない。無理だと言わせるのが私だ。

「着替えをしなくちゃならないわ。準備をして!」

確かに相手が証拠を残しておくわけもない。父に任せるだけでなく私も努力しなくてはならないだろう。

本当は、少し本当に少しだけ彼の“お父様の望みだ”という言葉を聞いて動揺した。お父様に捨てられたんじゃないかと思って。そんなお父様の手紙に勇気づけられ当分会うことの出来ないだろう父の姿を思い浮かべた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢は婚約破棄を告げられる前に美味しい料理を平らげる

monaca
恋愛
「あ、これ、悪役で乙女ゲーに転生してる」 どうせ婚約破棄されるなら、この空腹を満たしたい!

マイホーム戦国

石崎楢
SF
何故、こんなことになったのだろうか? 我が家が囲まれている!! 戦国時代に家ごとタイムスリップしたごく普通の家族による戦国絵巻?

聖女の妹によって家を追い出された私が真の聖女でした

天宮有
恋愛
 グーリサ伯爵家から聖女が選ばれることになり、長女の私エステルより妹ザリカの方が優秀だった。  聖女がザリカに決まり、私は家から追い出されてしまう。  その後、追い出された私の元に、他国の王子マグリスがやって来る。  マグリスの話を聞くと私が真の聖女で、これからザリカの力は消えていくようだ。

『 ゆりかご 』 

設樂理沙
ライト文芸
" 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。            ・・・・・・・・・・ 💛イラストはAI生成画像自作  

よくある婚約破棄なので

おのまとぺ
恋愛
ディアモンテ公爵家の令嬢ララが婚約を破棄された。 その噂は風に乗ってすぐにルーベ王国中に広がった。なんといっても相手は美男子と名高いフィルガルド王子。若い二人の結婚の日を国民は今か今かと夢見ていたのだ。 言葉数の少ない公爵令嬢が友人からの慰めに対して放った一言は、社交界に小さな波紋を呼ぶ。「災難だったわね」と声を掛けたアネット嬢にララが返した言葉は短かった。 「よくある婚約破棄なので」 ・すれ違う二人をめぐる短い話 ・前編は各自の証言になります ・後編は◆→ララ、◇→フィルガルド ・全25話完結

前世で処刑された聖女、今は黒薬師と呼ばれています

矢野りと
恋愛
旧題:前世で処刑された聖女はひっそりと生きていくと決めました〜今世では黒き薬師と呼ばれています〜 ――『偽聖女を処刑しろっ!』 民衆がそう叫ぶなか、私の目の前で大切な人達の命が奪われていく。必死で神に祈ったけれど奇跡は起きなかった。……聖女ではない私は無力だった。 何がいけなかったのだろうか。ただ困っている人達を救いたい一心だっただけなのに……。 人々の歓声に包まれながら私は処刑された。 そして、私は前世の記憶を持ったまま、親の顔も知らない孤児として生まれ変わった。周囲から見れば恵まれているとは言い難いその境遇に私はほっとした。大切なものを持つことがなによりも怖かったから。 ――持たなければ、失うこともない。 だから森の奥深くでひっそりと暮らしていたのに、ある日二人の騎士が訪ねてきて……。 『黒き薬師と呼ばれている薬師はあなたでしょうか?』 基本はほのぼのですが、シリアスと切なさありのお話です。 ※この作品の設定は架空のものです。 ※一話目だけ残酷な描写がありますので苦手な方はご自衛くださいませ。 ※感想欄のネタバレ配慮はありません(._.)

噂好きのローレッタ

水谷繭
恋愛
公爵令嬢リディアの婚約者は、レフィオル王国の第一王子アデルバート殿下だ。しかし、彼はリディアに冷たく、最近は小動物のように愛らしい男爵令嬢フィオナのほうばかり気にかけている。 ついには殿下とフィオナがつき合っているのではないかという噂まで耳にしたリディアは、婚約解消を申し出ることに。しかし、アデルバートは全く納得していないようで……。 ※二部以降雰囲気が変わるので、ご注意ください。少し後味悪いかもしれません(主人公はハピエンです) ※小説家になろうにも掲載しています ◆表紙画像はGirly Dropさんからお借りしました (旧題:婚約者は愛らしい男爵令嬢さんのほうがお好きなようなので、婚約解消を申し出てみました)

小さな姫さまは護衛騎士に恋してる

絹乃
恋愛
マルティナ王女の護衛騎士のアレクサンドル。幼い姫に気に入られ、ままごとに招待される。「泥団子は本当に食べなくても姫さまは傷つかないよな。大丈夫だよな」幼女相手にアレクは戸惑う日々を過ごす。マルティナも大きくなり、アレクに恋心を抱く。「畏れながら姫さま、押しが強すぎます。私はあなたさまの護衛なのですよ」と、マルティナの想いはなかなか受け取ってもらえない。※『わたしは妹にとっても嫌われています』の護衛騎士と小さな王女のその後のお話です。可愛く、とても優しい世界です。

処理中です...