上 下
9 / 11
レイ編

8 馴染みの旅館

しおりを挟む

 日が沈み始めて茜色の空になる頃。待ち行く人に何度も振り返られながら、俺は記憶を頼りに昔宿泊した旅館に脚を向ける。
 そこは表通りから外れた路地を進み、坂を下り、7回路地を曲がって水道橋のトンネルを潜った先にある厳かな旅館だ。

「此処は俺が初めてこの街を訪れた時に見つけた宿だ」
「古風、と言えばいいのでしょうか。初めて見る造りの宿ですね。それに門構えもこの庭も、飛び石の敷石も、整然としていないのに雰囲気にマッチしていて圧倒されます」

 木に飲み込まれそうな門を抜けて敷石の上を歩いていると、ゆっくり両開きの戸が開いていき、中から地味だが独特な服装の女性が微笑んで出迎えた。

「いらっしゃい。あら?貴方はレイ…?」

 レイは顔を顰めて、頬に手を当てて首を傾げている老婦人を無言で睨む。
 ラウラは楽しそうに眺めていたが、話が進まないので苦笑して口を出した。

「口を挟んですみません。私はラウラと申します。彼とはお知り合いですか」
「まぁねぇ。ラウラさんと一緒なのね」

 老婦人は詳しくは答えずに一人納得すると宿の中を案内し始める。
 此処の女将は前も同じ様な反応で、俺の事を知っていた。
 二人は顔を見合わせると、ラウラは微笑んで、レイは仏頂面で後を着いて行った。

「レイ君は此方、ラウラさんは隣を使ってね」

 レイの案内された部屋は以前案内された部屋と同じ鴉の間で、隣は大瑠璃の間で奇しくも互いにイメージする色に相応しい部屋だった。
 ベッドとテーブルセット、庭の見える大きなガラス窓、壁には見た事のない様な幻想的な風景画と植物の小さな鉢植えが掛けられている。まさにゆったりと寛げ、何度泊まっても落ち着ける空間だ。
 食事は通路先の大広間で食べられる。
 鍵を貰って早速二人で行ってみると、部屋の中央に池と木々が生えている広間に、複数のテーブル席が置かれていた。

「こっちだ」

 慣れた様に窓際の席に座ると頬杖をついて遠目で池を眺める。

「いつもこの席を?」
「あぁ。此処から女将がよく見えるからな」

 それはこの宿の女将の老婦人が池の向こうの厨房から出て来て席に食事を運ぶ始終を見られるからだ。
 白髪の老婦人はセミロングのソバージュで、目が閉じてる様な笑みを絶やさない表情の女性だった。それが着物と言うとある島国の伝統的な衣装と知らずに、ただ良く似合っているといつも思っていた。

「あの方が好きなのですね」

 そんなんじゃ無い。ただの客と女将と言う関係。その関係が5年程度続いただけだ。
 ラウラの問に黙ったまま、池を泳ぐ魚が立てる水音と、料理の音を鋭敏な聴覚で楽しむ。女将が静々と盆に乗せた料理を運んで来ると、レイの前にそれを置いて優しく微笑む。そしてラウラにはハンバーグやサイコロステーキなど肉とサラダの洋食メニューを置いた。
 
「俺もそっちが良いんたが」

 レイのメニューはラウラにしてみれば見た事の無い組み合わせだった。白い粒粒した物と、茶色のスープ、萎びた野菜、シンプルに焼いただけの切り身魚。
 初めて見る料理にパチパチと瞬きを繰り返すラウラの顔からは微笑みが消えていた。

「それは何ですか?」
「あ?これか。白飯に味噌汁、お浸しに焼き魚だろ」

 焼き魚なら分かるが、白飯?味噌汁?お浸し?あちらでは食べた事の無い料理に興味が湧く。

「ラウラさんも和食にしましょうか」
「和食?これは和食と言う物なのですね」

 女将はそうなる事が分かっていたかの様にラウラの分の盆を持ってきて、洋食が多かったらレイに渡すように言うと厨房に戻って行った。
 そしてレイが二本の棒でご飯を食べているのを見て、見様見真似でやっているラウラが掴めないと諦めるまで20分掛かった。

「箸じゃなくてフォークで良いだろ」
「これは箸、と言うのですね。それに白飯はモチモチして美味しいですし、こちらの味噌汁はしょっぱいのに何だか懐かしく感じます」

 フォークで和食を食べるラウラは瞳を輝かせて食べている。レイは楽しそうで何よりだと真顔で眺めると、洋食に手を付け始め、ラウラが食べ終わるのと同じくらいで全て食べきった。

「おら、食べ終わったら皿重ねろ。そんであっちに持って行くぞ」
「なるほど、自分で返却するんですね」
「女将一人でやってるんだ。少しは手伝わねぇとな」

 当然の様に厨房の洗い場まで持って行くレイからは、此処に来るまでのキツい雰囲気や睨み付ける目の鋭さは鳴りを潜めていた。

「お風呂の前に髪切りましょうか?」
「女将に頼むわ」

 目を覆う前髪は邪魔にならない程度に整えられ、襟足の長い後ろも短く刈り揃えられた。
 顔を顰めなければモテるだろうイケメンに、ラウラは夜、ベッドで悶ていたのをレイは気付かなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転生したら乙女ゲームのラスボスだった 〜愛する妹の為にラスボスポジション返上します〜

夕凪ゆな@コミカライズ連載中
ファンタジー
 その日俺は思い出した。  この世界が前世妹がプレイしていた乙女ゲームであり、そのラスボスが他でもない自分であることを。最後には聖女である妹リリアーナと、その攻略対象者たちに殺される運命であることを。 「ってことは、俺がラスボスにならなければ殺されることはないのでは?」  そう考えた俺はラスボスポジションを返上することを心に誓うが、どうもそう簡単にはいかないようで――。  ◇  自身の未来とヒロイン(妹)、リリアーナの平穏のため、乙女ゲームの世界を奔走する主人公アレク。  果たしてアレクは無事生き延びることができるのか――!?

チート薬学で成り上がり! 伯爵家から放逐されたけど優しい子爵家の養子になりました!

芽狐
ファンタジー
⭐️チート薬学3巻発売中⭐️ ブラック企業勤めの37歳の高橋 渉(わたる)は、過労で倒れ会社をクビになる。  嫌なことを忘れようと、異世界のアニメを見ていて、ふと「異世界に行きたい」と口に出したことが、始まりで女神によって死にかけている体に転生させられる! 転生先は、スキルないも魔法も使えないアレクを家族は他人のように扱い、使用人すらも見下した態度で接する伯爵家だった。 新しく生まれ変わったアレク(渉)は、この最悪な現状をどう打破して幸せになっていくのか?? 更新予定:なるべく毎日19時にアップします! アップされなければ、多忙とお考え下さい!

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

私は聖女ではないですか。じゃあ勝手にするので放っといてください。

アーエル
ファンタジー
旧題:私は『聖女ではない』ですか。そうですか。帰ることも出来ませんか。じゃあ『勝手にする』ので放っといて下さい。 【 聖女?そんなもん知るか。報復?復讐?しますよ。当たり前でしょう?当然の権利です! 】 地震を知らせるアラームがなると同時に知らない世界の床に座り込んでいた。 同じ状況の少女と共に。 そして現れた『オレ様』な青年が、この国の第二王子!? 怯える少女と睨みつける私。 オレ様王子は少女を『聖女』として選び、私の存在を拒否して城から追い出した。 だったら『勝手にする』から放っておいて! 同時公開 ☆カクヨム さん ✻アルファポリスさんにて書籍化されました🎉 タイトルは【 私は聖女ではないですか。じゃあ勝手にするので放っといてください 】です。 そして番外編もはじめました。 相変わらず不定期です。 皆さんのおかげです。 本当にありがとうございます🙇💕 これからもよろしくお願いします。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

異世界転移物語

月夜
ファンタジー
このところ、日本各地で謎の地震が頻発していた。そんなある日、都内の大学に通う僕(田所健太)は、地震が起こったときのために、部屋で非常持出袋を整理していた。すると、突然、めまいに襲われ、次に気づいたときは、深い森の中に迷い込んでいたのだ……

前世は悪神でしたので今世は商人として慎ましく生きたいと思います

八神 凪
ファンタジー
 平凡な商人の息子として生まれたレオスは、無限収納できるカバンを持つという理由で、悪逆非道な大魔王を倒すべく旅をしている勇者パーティに半ば拉致されるように同行させられてしまう。  いよいよ大魔王との決戦。しかし大魔王の力は脅威で、勇者も苦戦しあわや全滅かというその時、レオスは前世が悪神であったことを思い出す――  そしてめでたく大魔王を倒したものの「商人が大魔王を倒したというのはちょっと……」という理由で、功績を与えられず、お金と骨董品をいくつか貰うことで決着する。だが、そのお金は勇者装備を押し付けられ巻き上げられる始末に……  「はあ……とりあえず家に帰ろう……この力がバレたらどうなるか分からないし、なるべく目立たず、ひっそりしないとね……」  悪神の力を取り戻した彼は無事、実家へ帰ることができるのか?  八神 凪、作家人生二周年記念作、始動!  ※表紙絵は「茜328」様からいただいたファンアートを使用させていただきました! 素敵なイラストをありがとうございます!

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

処理中です...