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ラーシュ (六)
しおりを挟む交代の医師が来て教会の聖堂を出たときにはもう朝だった。無力感と疲労に打ちのめされとぼとぼ帰途につくラーシュに
「ヨハンソンさん」
声がかかった。顔を上げて
「……!」
二度見、三度見する。ごりごりに強面の中年男が白い息を吐き佇んでいた。
「セ、セシル・バーリー? あのとき、船に乗ったんじゃなかったのか?」
「――こちらへおいでください」
クロエとともに移民船に乗ったはずのセシルに案内されて向かったのは万聖街の高台にあるかつての高級住宅街だった。周囲もフレーザー邸も古びて崩れかけていて二重、三重に鉄条網を張り巡らせてまで守らなければならない家財が残っているようには見えない。
ひと気のない寒々しい屋敷をきびきびと大股に歩くセシルは口数が少なかった。
――こんな男だっただろうか。
筋骨逞しい大男であることに変わりはない。しかし「右腕っていってもね、祖父の狗よ」とクロエにこき下ろされていた中年男はどこか、自分のいかにも男らしく堂々とした押し出しを誇るより恥ずかしがっているようなところがあった。かつてのセシルが穏やかなセントバーナードだとすれば、目の前の大男は折り目正しいドーベルマンといえようか。
「――旦那さまが、お待ちです」
「待ってくれ。ひとつだけ、教えてほしい」
屋敷奥のひときわ静かな一角、ドアノブにかけたごつごつした手にラーシュは手を重ねた。冷たい手の主がびくり、と逞しい肩を震わせる。
「なんでしょう」
「きみはクロエをひとりで行かせたのか」
「いいえ」
言下に否定し、セシルはドアノブをまわした。
「――詳しいことは旦那さまから説明がございます」
冷え冷えとした暗い廊下から扉を潜ると、そこはガラス張りのコンサバトリーだった。あたたかな空気に体の強張りが緩む。点々と配されたフットライトに図鑑でしか見たことのない温帯の植物がぼんやり照らされていた。
奥へ進むと
「まだ地面にへばりついとるのか、お若いの」
不機嫌そうな老人――アーサー・フレーザーが車椅子にふんぞり返っている。
灌木や草花、温帯の植物に囲まれラーシュはアーサーと食事をした。
「すまんの、たいしたものが出せなくて。野菜はもう、この温室で採れるものしか手に入らんのでな」
「そんな――とてもおいしいです」
生の野菜を食べたのは久しぶりだ。
用件を聞かなければ。
そう思うのにどうしても、手が止まらない。ふだん意識しないよう努めていたが体がどれだけ栄養を必要としていたか分かる。
「他の料理はアレじゃ、――配給のパウチとか缶詰とか」
平皿に鮮やかな黄色や緑のソースをあしらわれた白身魚のソテーが盛り付けられている。いつもの缶詰と同じものとは思えない。
「いっぱい食べなさい」
老人が目を細めた。
食後に温室のハーブを煎じた茶が出てきた。
ピオニーカップのなだらかな曲面が茶の青い香りをあたたかく広げる。テーブルの向かいで茶を喫する老人が手にするカップはやはり優雅な曲面をもっていたがラーシュがつかっているものとは違うものだった。毀れてしまったのか、行政府に没収されたのか、揃いで残っていないらしい。
「この間、複製体をこしらえたな、お若いの」
「…………はい」
驚いた。
地球残留派思想団体の代表であるラーシュが会員を差し置いて移民船のチケットを買ったとなれば体面にかかわる。日々ばたばたと心をすり減らし暮らしてはいるが、複製人格運搬式移民船については噂にならないよう用心に用心を重ねたつもりだ。
身構えたラーシュに
「あの移民船はわしの事業なんじゃよ」
老アーサーはにぱ、と破顔した。
気になる動きがあれば些細なことでも報告するよう指示しておいたら網にラーシュが引っかかったのだという。
「わしゃ、もうおまえさんがとっくに地球から出ていったもんだとばかり思っとったよ」
「そういうわけにも――」
「孫のことはもう、よいのかね」
「まさか」
「じゃろうのう」
車椅子の上で大儀そうにアーサーが溜め息をつく。そして
「昔話をしようかの」
視線を遠くへ投げた。
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