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安眠枕〈碧杖印〉六十三番

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 ここはクショフレール大公国で眠りの魔女と賞賛された呪具師ミルヤ・キヴァリの工房。つい先日亡くなったミルヤはすばらしい安眠枕をつくることで知られていた。
 たかが安眠枕と侮るなかれ。
 不眠症はクショフレール大公国建国以来の国民病である。
 パンマウエ大陸西部、ムビ砂漠ほとりのこの地はもともと人もろくに住まない不毛の原野であった。乾燥した気候と水源が乏しいことのほかに人を寄せ付けない原因となっていたのが魔人である。
 魔人はニムーブ涸沼の向こう、魔界から魔物とともにやってくる。外見はほぼ人間と同じで生きものとしても近いのか、交じり子をなすこともあった。大きな違いは潤沢な魔力に長い寿命、頭部の角、そして享楽的な性格である。
 このままでは大陸中で魔人が蔓延はびこってしまう。――まつろわぬ魔人たちを警戒し手を打ったのがマウエン教会、そして敬虔な教会信徒のモンス神聖帝国皇帝及び諸侯である。
 白羽の矢が立ったのはモンス神聖帝国皇帝配下の聖騎士、マクシミリアン・クショフレール一世だった。
 聖騎士として腕を見込まれたマクシミリアン一世が、ピネッキ魔境で暴れ回っていた魔人を調伏ちようぶくしニムーブ涸沼の地下迷宮に追いやった功績によりこの地を託されておよそ千年。調伏したはよいが、その後もちょいちょい魔物が湧き魔人が顔を出すだけでない。地下迷宮の入り口から不眠の呪いが漏れるようになってしまった。建国の祖マクシミリアン一世と領民、その子孫たちの尽力によりこの程度で済んでいるともいえる。クショフレール大公国は今もってピネッキ魔境防衛の要である。
 そして歴代大公と領民たちがいかにがんばってもどうにもならなかったのが不眠の呪いである。老若男女、貴賎貧富を問わずクショフレール大公国国民すべてが悩まされている。国民だけではない。旅行や出張で訪れた外国人も、遅くとも滞在三日目には不眠にさいなまれる。眠いのに、眠れない。つらい。
 そこで必要となるのが安眠枕である。
 クショフレール大公国では全国民が安眠枕を持っている。レディメイドの汎用枕にDIYのカスタマイズ枕キットと種類も豊富。安眠枕情報誌も多数出版されているし通信販売も盛んだ。安眠を確保することに大公国国民は実に熱心なのである。
 安眠枕が合わなくなってしまった。このままでは不眠に苛まれてしまう。――そうだ、注文枕をつくろう。
 不眠に悩む人々を救うのが呪具師である。
 呪具師は不眠の呪いの作用を診断し、顧客にぴったりの安眠枕を製作する。枕に忍ばせる香草を組み合わせたり枕カバーの刺繍の紋様で術式を構築したり。形や大きさだけでない。ときに顧客に合うよう布地の織りや中綿、糸の素材を一から組み立てることもある。
 呪具師の仕事は本来、枕製作だけではない。既存の道具に魔法の術式を付与したり、まじない素材で大気中から供給した魔力を利用した魔道具をつくったりすることも大切な仕事である。他国ではむしろ呪具師に枕をつくらせることは稀だ。しかしここクショフレール大公国において呪具師に求められるのはまず安眠枕製作の腕なんである。
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