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王女と幻獣使い
遭遇ー3
しおりを挟む揺れる西陽が宿の窓を赤金色に染めて、部屋へと差し込む。剣の手入れをする透夜の傍らで、ユリアは点検のため、旅の荷物をベッドの上に広げて座り込み、難しい顔で腕を組んだ。
自治都市が密集し、連携しているこの地域では、各都市間の物流が盛んで街道を行き来する商隊も多い。したがって、街々には自然と宿が多く建ち並び、このウェッツアにも、いくつもの宿屋が軒を連ねていた。気候の温暖なこの地方に遊興にくる貴族に向けた豪奢な宿から、薄い板で仕切られただけの安宿まで数知れない。その中で、主に行商人や商隊の護衛たちで賑わう中堅所に部屋を取り、逃げのびた彼らは身体を休めることにしたのだ。
旅立ちの頃は、同室にするというだけで随分な反対を受けたが、節約を盾にユリアが押し切った。いまでは多少不満そうにし、着替えの時は必ず、絶対、そこまでしなくていいという彼女の言い分を聞かずに部屋を出ていく律義さを見せつけてくるが、透夜もなんとか慣れてくれたようである。その実、彼が彼女になぜかだいぶ甘いところに付け込んでしまった気はしてはいるのだが、悪用ではないので――と、ユリアとしては自分を大目に見ることにしていた。
(それにしても……そろそろお金のこと考えなくちゃなぁ……)
残りの資金を睨みつけながら、ユリアはさらに眉間に皺寄せた。国を出奔してから早ふた月。駆けに駆けた透夜の馬は、適当な街で鞍ごと売り飛ばされ、金貨に化けた。彼が持ち出してきていた貴金属もそれに同じだ。おかげでまだ金に困った事態には陥っていないが、目的のない旅だ。いつまでもそれに頼ってばかりはいられない。旅をしながら稼ぐ方法を見つけねばならないだろう。
(……といっても、私は薬草売るぐらいしか能がないしな……)
しかも旅の最中では、育てるわけにもいかない。野山に入り採取して煎じられるものでは、入手も簡単なので売値はあまりよくない。それにいまは秋も深まり、冬の気配すら感じられる季節だ。じきに野辺は霜枯れの景色となるだろう。薬草の採取どころではなくなってしまう。
「ユリア……さっきからなに唸ってるんだ?」
「うんっと、今後の資金繰りをどうしようかなって」
訝しげに剣から顔を上げた透夜に、ユリアは苦笑した。首を傾いだ透夜の眉根が、さらに怪訝そうに寄る。
「まだ足りてるだろ?」
「そうなんだけど、足りなくなってから考えるんじゃ遅いかなって」
「ああ……まあ確かに、そいつはまずいな」
悩ましげな彼女の言葉にいま気づいたとばかりに素直に納得し、透夜は手入れを終えた剣をしまって椅子を立ち、彼女の座り込むベッドの脇に腰を下ろした。こういうところが多分生まれの違いなのだな、と、ユリアは素朴に思う。どこか反応が薄いのは、金銭に困ることなどなかったからだろう。
(貴族――だったんだよねぇ……)
価値的な感覚だけでなく、それは彼の言動の端々からも伝わることだった。口調はきつく響きもするが、決して耳を塞ぎたくなるような低俗な物言いはしないし、食事をする時、店の者と接する時、そうしたさりげない日常の仕草にしっかりと培われた品がある。いうならば、いま座っている姿もそうだ。その長い片足をもう片方の膝に乗せ、崩した姿勢でありながら、背筋はすっと伸びている。
彼女たちが亡命した故国――スティルは、この自治都市区域も含む中央大陸部で、それなりに名の通った大国だ。そこの王都、しかも王城に詰める護衛兵ともなれば、貴族の子弟も多い。その上彼は、護衛兵団長を兄と呼んでいた。護衛兵団長は、王都、王城周りを守る護衛兵たちの長であり、実力を必要とされる役職であるが、他方、貴族の子弟しかなれぬ名誉職という一面があった。いまの護衛兵団長は、内務卿の長子であるとユリアでさえ聞いたことがある。貴族の中でも格違いの家柄だ。つまり、彼はそこの次子ということになる。
(本来なら、こうして同じ空間にいるのも不思議な相手、だよねぇ……)
広げてある金貨を彼が数えるのを共にのぞき込みながら、ユリアはそっとその横顔をうかがい見た。凛と研ぎ澄まされた端正な顔立ちは、告げると確実に不服げにするだろうが、どこか女性的な雰囲気もある。薄く褐色がかった肌は、白いユリアと同郷ながらまるで違い、異国的に見えた。一見冷たい険を纏う淡く紫がかった黒の瞳には、目元の小さなほくろが少し艶やかな印象をそえている。
こんな近い距離で彼のことを見つめる日が来るとは、考えてもいなかった。日々のさりげない会話も、思えば随分と馴染んできている。緊張を交えながら二、三言葉を交わすだけだった、出逢ったころとは大違いだ。
それがこのあてもない、先も見えない逃避行の中で、ユリアに力を与えてくれていた。ぶっきらぼうな態度でどうにも伝わりづらいところがあるが、彼はとても優しい。貧民街を訪れてくれていた時からも感じていたことだが、過ごす時間が長くなって、よりとみに思うようになった。
「保って、あとひと月、ふた月といったところだな」
確認を終え、ようやく透夜も事態を実感と共に把握したのだろう。眉根を寄せて腕を組む。ユリアは頷いた。
「そうなの。だから、薬草を売り歩くっていうのを考えたんだけど、あんまりお金にならないんだよね」
貧民街でぎりぎり満ち足りた生活を送るのが精一杯の稼ぎだ。実際薬を売って生計を立てていた彼女の言葉は、説得力がある。
「旅の資金繰りには向かないだろうな」
「うん……。普通の薬屋さんみたいに栽培が必要な薬草を手に入れて、それも使って作ったりすれば、また違うんだろうけど。さすがにそこまでの知識は私にはないし、育てた物を持ち運ぶのも手間だからね……」
「行く先が同じ隊商の一時的護衛でもかって出れば、それなりの稼ぎにはなるだろうが、そう都合よく隊商が移動してくれるわけでもないしな。それに、大所帯になれば動きづらくて面倒だ。また今日のような奴等が、いつ来るとも限らないからな」
「正体不明さんたちだね」
「だから、その呼び方どうなんだよ……」
大真面目なユリアに、透夜はいささか呆れ気味だ。
ユリアの言う『正体不明さん』とは、透夜いわく、見覚えのない奴らのことであった。スティルを離れてしばらくした――ひと月半ほど前から姿を見せだした。
国を離れたばかりの頃、彼らの追手は同じスティルの兵士たちだった。透夜の腕が立つことを知られているからか、手練れの――それも見慣れた顔ばかりがやってきて、巻くのに苦労をさせられたものだ。だがそれが途絶えた頃、入れ替わるように透夜の見知らぬ追跡者たちが現れだした。
もちろん透夜とて、スティルの下級兵士や地方に配属されている者の顔までは覚えてなどいない。しかし、いままで手練れを送ってきていた国が、いまさら下級兵を送り込むとは考えられなかった。それになにより、彼らはそれなりの腕を持っていたのである。
スティルの王はユリアの力に随分と執着を見せていたので、素性の分かりづらい雇われに追いかけさせたり、情報を国外に漏らしたりというのは考えづらかった。けれどそうだとすると、新たな追手の説明がつかない。ゆえに、正体不明なのだ。
「お前の言い方だと、危機感が薄れていくんだが……」
「ずっと気を張り詰めてると、疲れちゃうでしょ?」
「必要な時もあるだろ。さっきだってそうだ」
突如彼らを空飛ぶ魔法で助け出した黒髪の少女。その素性も知れぬ彼女に対するユリアの警戒心は、間違いなく皆無だった。
「女だろうと小さかろうと、あいつが別の追手で、助けたふりで油断させ、近づいてきたって可能性もあっただろ? それを大丈夫だのなんだのと」
「でも透夜がいてくれたし、それに同じだったもの」
「なにがだ?」
「初めて透夜と会った時と」
大きな水色の瞳は懐かしそうに、嬉しそうに笑みに細まった。
「あの子が私たちを空へ飛ばしてくれて、一緒に屋根へ出たあとのね、助けられてよかったって顔が、透夜と一緒だったから。だから大丈夫だって思ったの」
見つめ上げる柔らかな眼差しに、不平をこぼしていた透夜は言葉を詰まらせた。気まずさからか気恥ずかしさからか、わずか耳の端を赤らめる。それに満足げに笑みを深めるユリアに、ともかく、と彼は語気を強く言い捨てた。
「もう少し、初めての奴は警戒しろ! いいか? 分かったな? ――というか、おい、近い」
話しているうちになんとなくユリアが動いてしまっていたらしい。縮まった距離は、伸ばさずともすぐに腕が取れるぐらいになっていた。透夜は突き合わせてしまった顔をそむけ、自分から少し離れて寝台に座り直した。ますます耳元に朱が差した気がしたのは、見なかったことにした方がいいのかもしれない。
(ううん、難しい……)
いまの距離の居心地は、悪くない。だから余計に、その詰方ばかりはお互い曖昧に誤魔化し続けているところなのだ。
「でも、さっきの子たち、結局なんだったんだろうね。通りすがりの正義の魔法使いさんかな」
「いや、それはないだろ」
ふわりと漂った、まだ見定めきれない優しくむずがゆい空気を払うように、ユリアは話題を戻して投げかけた。それにのって、透夜がほっとしたため息交じりに振り返る。
「このご時世、魔法を使えるような奴が、暢気にふらふら出来るわけがない」
少しでも魔法の才があれば、その力が放っておかれるはずがないのだ。魔法は世界から消えていきかけているが、まだそれにとって代わるものが――魔法という大きな力の魅力を忘れ去らせることが出来るほどのものが、この世にはない。だから例え、過去の栄華から見ればどんなにささやかな術だろうと、魔法を使える者は重宝される。特に戦闘力という面で、それは顕著だ。
「別に俺も、根拠なく追手の可能性を疑った訳じゃない。魔法が使えるというだけで、どこかの国なり組織なり、誰かしらが必ず引き込もうとする。いい意味でも、悪い意味でもだ。もし本当にお前の言う通り、ただふらっとしてた魔法使いだっていうなら、属すのを嫌う奴だろ? だったらあんなに気軽に魔法を人前で使ってないで、もう少し隠せという話だ。あんな大っぴらに魔法を行使してたら、絶対目をつけられて追われることになるんだからな」
「う~ん、でも、助けに来た男の人はいたけど、あんまり組織立ってるって感じはなかったような……」
落ちゆく少女を抱きとめた青年を思い返しながらユリアは思案する。
人は力を得るために徒党をなす。そこには貧富の差はない。ユリアの住んでいた地域でも、組織として悪行を働く者たちもいれば、自助活動を行う者たちもいた。だから、どこかに属した上での動きや判断というものは、なんとなく見分けられる。しかし彼女たちにはそれがなかった。
「ま、それはそうなんだが……」
そこには透夜も同意して頬を掻き、肩をすくめた。
薄く開けた窓から、冷えた夕暮れの風がそっと忍び込む。いつの間にか、あれほど辺りを赤く染めていた光は遠のき、金色の残照が藍色の天幕にかすか滲む程度になっていた。
ユリアが冷えるだろうと窓を閉めに立ち上がりかけ、ふと透夜は、取り落としていた大きな手掛かりに気がついた。
「そういえば、飛翔というより、風――だったな」
空を飛んだという事実にばかり意識がいっていたが、魔力がない透夜たちにさえ明らかなほど、あの場には不自然に風が逆巻いていた。あれは飛んだというよりも、風に乗ったような感じだった。彼女が行使した力を飛翔をもたらすものだと思っていたが、改めてきちんと思い返せば、あの紫の強い瞳の少女が操っていたのは、確かに風の力だった。
「風?」
「俺も詳しくはないが、魔法にはいくつか種類があるそうだ。魔力があるからって、どんな魔法も使えるわけじゃない。魔法を使う奴は、その持ってる魔力に応じた術しか使えないらしい。で、あいつは俺たちを飛ばすのに、風を使ってた」
首を傾ぐユリアに説明しながら、ああ、だからあの男はあんなに武器を体中に隠し持っていたのかと、透夜はひとり納得した。落ちた彼女を助けた青年は、腰から十字に掛けたベルトに、隠すようにいくつも小刀を携え、加えて小回りの利きそうな長くはない剣を一本引っ提げていた。羽織っていたあの青い外套の裏にもまだなにか潜ませているようであったし、身のこなしも普通の人間のそれとは一線を画していた。
「二年前に滅んだ、風羅って国がある。そこは小さく閉ざされた国だったが、いまの世ですら魔法大国として知られていた。そこに住んでいた奴らが使っていた魔法が、風を意のままにする風魔法だ。突風を巻き起こしたり、情報伝達に利用したり、空を飛んだり――色々使い勝手のいい魔法だったと聞いたな。あそこまで風魔法を使いこなせる人間がいまの世にいるとしたら、それは風羅の生き残りだろう」
「ああ、聞いたことある。名前だけだけど。結構大きな噂だったから」
一夜にして光に呑まれ、遥か北の氷に閉ざされた国が消えたと。魔法の話までは知らなかったが、物語のようなその出来事はしばらくユリアの周りでも口々に囁かれ、その時、風羅という名を聞いた覚えがあった。
「じゃあ――あの子たちは滅んだ国の生き残り、なのかな?」
「あくまで推測だがな。だがそうだとしたら、魔法の使い手が属す先もなくふらついてた理由も、あの男がひそかに過ぎるほどの武装をしていた理由も、一応納得がいく。行き場もなく逃げてるんだろ」
風羅の民は、自らの力に高い誇りを抱いている者たちだったと聞く。いま、魔法というものは、日々の生活に息づく力というよりは、武力として、他者を制圧するための道具として捉えられている部分が大きい。それをかの民たちは嫌い、強固な守りを固めた国に閉じこもり、同じ力を持つ者たちだけで静かに暮らしていたのだ。
だからおそらく、国亡きいまも、風羅の民はその力を武力として利用されるのを厭うだろう。ならば、その力を利用しようとする数多の手から逃げなければならない。力を隠し、武装して、かつての故国と同じように力を気にせず安住できる地を探すしかないのだ。それが、見つからないものだとしても。
「まあ――だとしたら、派手に魔法を使い過ぎだったけどな、あいつ……」
「ん~、助けようって頑張ってくれちゃったのかなぁ。そう思うと、なんか、悪かったね」
屋根の上で見せた彼女の安堵の笑みが思い出されて、ユリアは首をたれた。ユリアより二つ三つ年下だろう。まだあどけなさの残る少女だった。もし正体が推測通りなら、こと争いは好まぬだろうに、危険を冒して助けてくれたのだ。
「ま、無事を祈るしかないな。助けろって頼んだわけでもない。自分でしたことは、自分でなんとかするだろ」
ユリアよりずっと淡白に切って捨て、透夜は立ち上がり、窓を閉めた。かすかユリアたちの肩をなでていた冷風が遮られる。
「行き場がないのはこっちも同じだ。人の心配をしてられないだろ。とりあえずは、あの妙な追手を巻ききって、どこかに身を隠したいところだな」
「そうだね」
ふと胸を刺した罪悪感を悟られぬように、ユリアは微笑んで頷いた。気づかせてしまっては、きっと彼に失礼だろう。あの暴風雨の夜、ユリアの手をとってくれた時から、透夜は誠意を尽くして彼女の逃亡に力を貸してくれている。
(そう、これは――)
ユリアの逃亡なのだ。彼自身には、ユリアに関わりさえしなければ、その恵まれた身分を捨ててまで国を逃げる理由などなかっただろう。それなのに、どうしてなのかと不思議に思うほど、無条件に助けてくれている。
(なにか、返せたらいいんだけど……)
彼は優しい。まだその色は判然とさせていないが、ユリアへ好意を抱いてくれていることも分かる。だからもらうばかりでは、その誠実な心を利用しているようで、時々苦しくなるのだ。
父の顔は知らない。母は十二の時に帰らぬ人となった。だから、ただ注がれるだけの優しさというのは久しぶりで、困惑すらしてしまう。
「透夜」
「なんだ? ユリア」
薄暗くなっていた室内を照らそうと、備えつけのランプを引っ張り出していた背に呼びかける。すぐに返る、凛然とした心地いい声。胸の奥のどこかが、ぎゅっと甘く苦しく締めつけられる心地がする。でもまだユリア自身も、この痛みにうまく名前が付けられない。
「うんっと……お金どうしようねぇ」
言いたくなった言葉とまるで違うことを口にして、ユリアはへらっと笑ってみせた。
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