121 / 196
3 王子殿下の魔剣編
0-0 始まり
しおりを挟む
十歳の私は、ある日、魔塔の塔主であるリベータス先生に呼び出された。
「エルシア、落ち着いて聞いてほしい」
先生は慎重な物言いで私に話しかける。
いつもの先生と違って、痛みを伴っているような表情。そこには少しだけ何か焦っているような様子も見られた。
全体的に表情は暗く、顔色は青ざめている。
よほど大変なことがあったようだ。
…………私の身の上に。
リベータス先生の痛みを伴う視線は私に向けたもの。悲壮感あふれる様相も、私に対して思うところがあるせいのようだった。
七歳の私が、クズな父親から魔塔に捨てられて今に至るまでの間、先生がここまで悲壮な表情を私に向けたのは初めてだと思う。
最初に会ったとき、つまり、捨てられた七歳の私に対しては、痛ましいというよりは、同情と同時に安堵したような表情を向けていたものだ。
察するに、あのクズ男がクズ過ぎてることへの私に対する同情、クズ男から引き離せることへの安堵、そういったものだったんだろう。
「何でしょう?」
とりあえず返事をしてから、私はリベータス先生が発する次の言葉を待った。
この三年間にいろいろなことがありすぎて、私自身も、大なり小なり多くの衝撃を受け止めてきている。
いまさら何か言われたくらいで、大きく衝撃を受けるようなことなんてないと思う。
十歳の私は、非常に落ち着いた冷静な子どもだったのだ。
先生はそんな十歳の私に、もっと子どもらしくとか、もっと喜んだり悲しんだりとか、ああしたいこうしたいと主張して良いんだとか、たくさん言葉をかけてくれたけど。
実際、そうしたい気分にならなかったから、そうしなかっただけ。
そう説明しても、先生はさらに困った顔をしていたっけ。
私の表情が動かないのを見ても、リベータス先生の痛ましい表情は変わらない。
そして、呻くように振り絞るようにして、声を出した。
「昨日、リーブル夫人が亡くなった」
リーブル夫人?
リーブル夫人って誰だっけ?
そう思った瞬間、突然、記憶が押し寄せてきた。
あ。
そうだ。
六歳までの私はエルシア・リーブルだった。そして、リーブル夫人は六歳までの私の母。
七歳の私は家門から除籍されて、親子の縁を切られたので、リーブル夫人は血筋上は母であっても戸籍上は母でない。
だから、リベータス先生は私の母とは言わず、リーブル夫人と言ったのか。
「そうですか」
ちょっと間をあけて、私はそう返事をした。これ以外、返事のしようがない。
そして困った。
先生からそんなことを言われたところで、返事をして現実を受け入れる以外、することがないから。
だから、私の表情は悲しいものではなく困惑したものとして、先生の目には映っただろう。
母が死んだ。
母が他界した。
母が亡くなった。
母はもう生きてない。
母には二度と会えない。
私の血筋上の母が亡くなったのに。
捨てられた当時は、あれほど再会を望んでいたのに。
母とはずっと離れていたので、母が死んだということにまるで現実感がない。
十歳の私はなんの悲しみもなんの不安もなく、母の死を受け止めた。涙一つこぼれない。でも、心が少し冷える。
いつもの調子にちょっとだけ困った感を加えた程度の私に対して、先生の方は痛ましい表情に悲しさが加わって、今にも泣きそうな様子だった。
ところで、母の死因はなんだったんだろうか?
あのクズ男、私のことを母の体調不良の原因、害悪だと家から追い出して、治療に全力を傾けただろうに。
けっきょく、私とは無関係な死神が母を連れさったんだ。
母が死んだというのに、私はなんだか、笑いたい気分になる。
そんなことを考えていると、気遣うような先生の言葉が耳に入ってきた。
「葬送の儀は身内のみだけど、追悼の儀なら誰でも行けるから」
私は慌てて意識を先生の方に戻す。
何を言われてるのかよく分からなかったけど、よくよく考えてみたら、あぁ、そういうことかと合点がいった。
「あぁ、私は身内じゃありませんからね」
だから、葬送の儀はいけない。
追悼の儀にしても、姿を隠してこっそり行くようだろうな。
自分でも驚くほど冷静に言葉が出てくるし、行動を考えられた。でも、また心が冷える。
「いや、そういうつもりで言ったわけじゃないんだよ」
「いいんです。事実ですから」
そう言って私は小さく笑った。笑いながらも心はどんどん冷えていった。
母の追悼の儀は、王都で一番大きな聖堂で開かれていた。
母の血筋はよく分からないが、荘厳な作りの聖堂のあちこちに花が飾られ、母の最期の姿を一目見ようと、大勢の人が列をなしていた。
母のためにこれほどの人が集まるなんて、と驚きながら、私はリベータス先生の後をチョコチョコとついていく。
誰でも別れを告げられる場。それが追悼の儀だ。
とはいえ、故人や故人の身内と親しい人は別のところを通って、亡骸を納めるガラスの棺のすぐ間近までやってこれるようになっている。
リベータス先生はもちろん、親しい人になるので、別ルートを通る。リベータス先生の荷物持ちとしてついてきた、私もいっしょに。
一言も喋らず、フードを目深にかぶって先生の荷物を持って歩く私は、周りから見たら先生の弟子かと思われたことだろう。
引き留められることもなく、かといって注目されることもなく、あっさりと最奥の棺のところまでやってこれた。
「ふぅ」
後は母の最期の姿を見て、別れを告げるだけ。
そう思って、前に立ち止まっている先生の後ろから、顔をのぞかせた。
すると、ガラスの棺に納められた母のもとには、想像もしなかったような光景が広がっていた。
「エルシア、落ち着いて聞いてほしい」
先生は慎重な物言いで私に話しかける。
いつもの先生と違って、痛みを伴っているような表情。そこには少しだけ何か焦っているような様子も見られた。
全体的に表情は暗く、顔色は青ざめている。
よほど大変なことがあったようだ。
…………私の身の上に。
リベータス先生の痛みを伴う視線は私に向けたもの。悲壮感あふれる様相も、私に対して思うところがあるせいのようだった。
七歳の私が、クズな父親から魔塔に捨てられて今に至るまでの間、先生がここまで悲壮な表情を私に向けたのは初めてだと思う。
最初に会ったとき、つまり、捨てられた七歳の私に対しては、痛ましいというよりは、同情と同時に安堵したような表情を向けていたものだ。
察するに、あのクズ男がクズ過ぎてることへの私に対する同情、クズ男から引き離せることへの安堵、そういったものだったんだろう。
「何でしょう?」
とりあえず返事をしてから、私はリベータス先生が発する次の言葉を待った。
この三年間にいろいろなことがありすぎて、私自身も、大なり小なり多くの衝撃を受け止めてきている。
いまさら何か言われたくらいで、大きく衝撃を受けるようなことなんてないと思う。
十歳の私は、非常に落ち着いた冷静な子どもだったのだ。
先生はそんな十歳の私に、もっと子どもらしくとか、もっと喜んだり悲しんだりとか、ああしたいこうしたいと主張して良いんだとか、たくさん言葉をかけてくれたけど。
実際、そうしたい気分にならなかったから、そうしなかっただけ。
そう説明しても、先生はさらに困った顔をしていたっけ。
私の表情が動かないのを見ても、リベータス先生の痛ましい表情は変わらない。
そして、呻くように振り絞るようにして、声を出した。
「昨日、リーブル夫人が亡くなった」
リーブル夫人?
リーブル夫人って誰だっけ?
そう思った瞬間、突然、記憶が押し寄せてきた。
あ。
そうだ。
六歳までの私はエルシア・リーブルだった。そして、リーブル夫人は六歳までの私の母。
七歳の私は家門から除籍されて、親子の縁を切られたので、リーブル夫人は血筋上は母であっても戸籍上は母でない。
だから、リベータス先生は私の母とは言わず、リーブル夫人と言ったのか。
「そうですか」
ちょっと間をあけて、私はそう返事をした。これ以外、返事のしようがない。
そして困った。
先生からそんなことを言われたところで、返事をして現実を受け入れる以外、することがないから。
だから、私の表情は悲しいものではなく困惑したものとして、先生の目には映っただろう。
母が死んだ。
母が他界した。
母が亡くなった。
母はもう生きてない。
母には二度と会えない。
私の血筋上の母が亡くなったのに。
捨てられた当時は、あれほど再会を望んでいたのに。
母とはずっと離れていたので、母が死んだということにまるで現実感がない。
十歳の私はなんの悲しみもなんの不安もなく、母の死を受け止めた。涙一つこぼれない。でも、心が少し冷える。
いつもの調子にちょっとだけ困った感を加えた程度の私に対して、先生の方は痛ましい表情に悲しさが加わって、今にも泣きそうな様子だった。
ところで、母の死因はなんだったんだろうか?
あのクズ男、私のことを母の体調不良の原因、害悪だと家から追い出して、治療に全力を傾けただろうに。
けっきょく、私とは無関係な死神が母を連れさったんだ。
母が死んだというのに、私はなんだか、笑いたい気分になる。
そんなことを考えていると、気遣うような先生の言葉が耳に入ってきた。
「葬送の儀は身内のみだけど、追悼の儀なら誰でも行けるから」
私は慌てて意識を先生の方に戻す。
何を言われてるのかよく分からなかったけど、よくよく考えてみたら、あぁ、そういうことかと合点がいった。
「あぁ、私は身内じゃありませんからね」
だから、葬送の儀はいけない。
追悼の儀にしても、姿を隠してこっそり行くようだろうな。
自分でも驚くほど冷静に言葉が出てくるし、行動を考えられた。でも、また心が冷える。
「いや、そういうつもりで言ったわけじゃないんだよ」
「いいんです。事実ですから」
そう言って私は小さく笑った。笑いながらも心はどんどん冷えていった。
母の追悼の儀は、王都で一番大きな聖堂で開かれていた。
母の血筋はよく分からないが、荘厳な作りの聖堂のあちこちに花が飾られ、母の最期の姿を一目見ようと、大勢の人が列をなしていた。
母のためにこれほどの人が集まるなんて、と驚きながら、私はリベータス先生の後をチョコチョコとついていく。
誰でも別れを告げられる場。それが追悼の儀だ。
とはいえ、故人や故人の身内と親しい人は別のところを通って、亡骸を納めるガラスの棺のすぐ間近までやってこれるようになっている。
リベータス先生はもちろん、親しい人になるので、別ルートを通る。リベータス先生の荷物持ちとしてついてきた、私もいっしょに。
一言も喋らず、フードを目深にかぶって先生の荷物を持って歩く私は、周りから見たら先生の弟子かと思われたことだろう。
引き留められることもなく、かといって注目されることもなく、あっさりと最奥の棺のところまでやってこれた。
「ふぅ」
後は母の最期の姿を見て、別れを告げるだけ。
そう思って、前に立ち止まっている先生の後ろから、顔をのぞかせた。
すると、ガラスの棺に納められた母のもとには、想像もしなかったような光景が広がっていた。
10
お気に入りに追加
25
あなたにおすすめの小説
アラフォーおっさんの週末ダンジョン探検記
ぽっちゃりおっさん
ファンタジー
ある日、全世界の至る所にダンジョンと呼ばれる異空間が出現した。
そこには人外異形の生命体【魔物】が存在していた。
【魔物】を倒すと魔石を落とす。
魔石には膨大なエネルギーが秘められており、第五次産業革命が起こるほどの衝撃であった。
世は埋蔵金ならぬ、魔石を求めて日々各地のダンジョンを開発していった。
婚約なんてするんじゃなかったが口癖の貴方なんて要りませんわ
神々廻
恋愛
「天使様...?」
初対面の時の婚約者様からは『天使様』などと言われた事もあった
「なんでお前はそんなに可愛げが無いんだろうな。昔のお前は可愛かったのに。そんなに細いから肉付きが悪く、頬も薄い。まぁ、お前が太ったらそれこそ醜すぎるがな。あーあ、婚約なんて結ぶんじゃなかった」
そうですか、なら婚約破棄しましょう。
皇太子から愛されない名ばかりの婚約者と蔑まれる公爵令嬢、いい加減面倒臭くなって皇太子から意図的に距離をとったらあっちから迫ってきた。なんで?
下菊みこと
恋愛
つれない婚約者と距離を置いたら、今度は縋られたお話。
主人公は、婚約者との関係に長年悩んでいた。そしてようやく諦めがついて距離を置く。彼女と婚約者のこれからはどうなっていくのだろうか。
小説家になろう様でも投稿しています。
夫に用無しと捨てられたので薬師になって幸せになります。
光子
恋愛
この世界には、魔力病という、まだ治療法の見つかっていない未知の病が存在する。私の両親も、義理の母親も、その病によって亡くなった。
最後まで私の幸せを祈って死んで行った家族のために、私は絶対、幸せになってみせる。
たとえ、離婚した元夫であるクレオパス子爵が、市民に落ち、幸せに暮らしている私を連れ戻そうとしていても、私は、あんな地獄になんか戻らない。
地獄に連れ戻されそうになった私を救ってくれた、同じ薬師であるフォルク様と一緒に、私はいつか必ず、魔力病を治す薬を作ってみせる。
天国から見守っているお義母様達に、いつか立派な薬師になった姿を見てもらうの。そうしたら、きっと、私のことを褒めてくれるよね。自慢の娘だって、思ってくれるよね――――
不定期更新。
この世界は私の考えた世界の話です。設定ゆるゆるです。よろしくお願いします。
わざわざパーティで婚約破棄していただかなくても大丈夫ですよ。私もそのつもりでしたから。
しあ
恋愛
私の婚約者がパーティーで別の女性をパートナーに連れてきて、突然婚約破棄を宣言をし始めた。
わざわざここで始めなくてもいいものを…ですが、私も色々と用意してましたので、少しお話をして、私と魔道具研究所で共同開発を行った映像記録魔道具を見ていただくことにしました。
あら?映像をご覧になってから顔色が悪いですが、大丈夫でしょうか?
もし大丈夫ではなくても止める気はありませんけどね?
あなたがわたしを本気で愛せない理由は知っていましたが、まさかここまでとは思っていませんでした。
ふまさ
恋愛
「……き、きみのこと、嫌いになったわけじゃないんだ」
オーブリーが申し訳なさそうに切り出すと、待ってましたと言わんばかりに、マルヴィナが言葉を繋ぎはじめた。
「オーブリー様は、決してミラベル様を嫌っているわけではありません。それだけは、誤解なきよう」
ミラベルが、当然のように頭に大量の疑問符を浮かべる。けれど、ミラベルが待ったをかける暇を与えず、オーブリーが勢いのまま、続ける。
「そう、そうなんだ。だから、きみとの婚約を解消する気はないし、結婚する意思は変わらない。ただ、その……」
「……婚約を解消? なにを言っているの?」
「いや、だから。婚約を解消する気はなくて……っ」
オーブリーは一呼吸置いてから、意を決したように、マルヴィナの肩を抱き寄せた。
「子爵令嬢のマルヴィナ嬢を、あ、愛人としてぼくの傍に置くことを許してほしい」
ミラベルが愕然としたように、目を見開く。なんの冗談。口にしたいのに、声が出なかった。
(完)お姉様の婚約者をもらいましたーだって、彼の家族が私を選ぶのですものぉ
青空一夏
恋愛
前編・後編のショートショート。こちら、ゆるふわ設定の気分転換作品です。姉妹対決のざまぁで、ありがちな設定です。
妹が姉の彼氏を奪い取る。結果は・・・・・・。
[完結]婚約破棄してください。そして私にもう関わらないで
みちこ
恋愛
妹ばかり溺愛する両親、妹は思い通りにならないと泣いて私の事を責める
婚約者も妹の味方、そんな私の味方になってくれる人はお兄様と伯父さんと伯母さんとお祖父様とお祖母様
私を愛してくれる人の為にももう自由になります
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる