上 下
28 / 196
1 王女殿下の魔猫編

3-3

しおりを挟む
「アキュシーザ、ミレニアが大変なんだ」

「アキュシーザ、子どもなんて産ませるんじゃなかったよ」

「アキュシーザ、あの子どものせいでミレニアが」

 あのクズ男が、何かにつけて話しかけていた相手がアキュシーザだ。
 あの杖に『氷雪のアキュシーザ』なんていう大層な名前があることは、後になって聞いた。

 年に何回も会わないというのに、クズ男は、必ず、私の前でそんな言葉を繰り返していて。
 アキュシーザは幼い私の前でも人型に顕現はしていたけど、主の娘を気遣ったのか、普通の人間には聞こえない言葉で返事をしていた。

 基本的にアキュシーザは主に従順だったのだ。

「アキュシーザ、すべてが解決する方法が見つかったよ」

 クズ男がそう言って大喜びしていたときも、

《我が主、本当によろしいのですね?》

 と、確認しただけだったから。




 私は、七歳になりたての私の記憶を掘り起こした。

 七歳の誕生日の日に初めての外出。それも偉大な魔術師である自分の父親といっしょに。

 七歳の私と同じく、何も知らない使用人のマリネが私をかわいく着飾らせてくれたっけ。

「さぁ、ついた。アキュシーザ、その子を連れてこい。行くぞ」

「さぁ、行きますよ」

 アキュシーザが、父親の代わりに私の手を握る。

 ひんやり冷たい手。

 アキュシーザが人間ではなく杖精であることは、家庭教師のフィリンナ先生から聞いていたので知っていた。

 このとき初めてアキュシーザの手に触れて、杖精の手は冷たいものだと思い込んでしまったんだっけ。

 嫌な記憶なのに、思いのほか、何も感じない。淡々と思い出せる。

「ここはどこ? お出かけなんて、私、初めてで」

「魔塔ですよ。学院に属さない魔術師が研究や教育を行っているところです」

「魔塔?」

「そうです。魔塔というのは他に役割があって…………」

 初めての外出に思いがけないとこらへ連れてこられた七歳の私。
 アキュシーザは、戸惑う私に冷ややかに説明した。私の父親でアキュシーザの主の呼び声に邪魔されるまで。

「アキュシーザ、遅い」

「さぁ、急ぎますよ」

 アキュシーザはいつも主に従順だったのだ。




 魔塔に入り、ドカドカと勝手に歩き回る父親。
 私はアキュシーザに手を引かれ、小走りにその後をついていった。

 魔塔は円柱状の建物で、上中下で建物の直径が変わる。上の階は細く、下の階は太くなっていた。
 太さが違うだけでなく、階層ごとに役割があり、下階層は生活空間、上階層は研究機関、中階層は管理職や事務職が集まる空間になっている。

 父親が向かったのは、その中階層。

 とある部屋の前に来ると、ノックもせずに扉を開けた。

「ジェイ! 来てやったぞ!」

「なんだ、ディルス。騒々しい。しかし、久しぶりだな」

 そこにいたのは、ジェイ・リベータス。魔塔の塔主だった。

 父親と同年齢で塔主を務めるくらいなので、さぞかし優秀かと思ったら、高齢の先輩が事務職や対外業務を押しつけるために、就任させられたんだと。疲れたように話していた。

 そのリベータス塔主は、父親の突然の訪問にも驚くことなく、穏やかに応対する。

「資金援助はたっぷりしているだろ」

「顔を出すのは久しぶりじゃないか」

「俺の愛するミレニアの体調が優れないんだ。仕事以外の時間はミレニアに使うべきだと思わないか?」

「まったく。溺愛ぶりも相変わらずだな」

「当然だろ。だいたい俺のミレニアはな…………」

 父親と塔主の会話を、私は部屋の隅の方で聞いていた。邪魔だと怒られないように。

 しばらくして、塔主が私の方に目を向けた。穏やかで優しそうな金色の瞳が、私をじっと見つめる。

「そうかそうか、それでそっちはお前の娘だろ? いっしょに連れてくるとはいったいここに何の用だ?」

「あぁ、頼みがあったんだ。アキュシーザ、こっちに連れてこい」

 塔主にじっと見つめられ、居心地の悪さを感じながら、私は頭を下げた。

「初めまして。エルシア・リーブルです」

「頼みってその子のことでか?」

「まさか。愛するミレニアのことでだよ」

「分かった分かった。それで何だ?」

「俺のミレニアは今、療養中でな。ミレニアの療養の邪魔になるから、こいつをここの孤児院で引き取ってほしい」

 元々静かな部屋が、さらに静まり返ったような気がした。

「…………は? 冗談だろ」

「お父さま?」

 私は声を絞り出すのがやっと。

 勝手に喋ったら怒られるかもしれない。そんなことを思うこともなく、声を絞り出した。
 何か喋らないと、本当にここに置いていかれてしまう。そんな恐怖が私を包み込む。

 でも、それ以上の言葉は私の口から出なかった。私はガクガクと震えながら、二人の会話を聞く。

「俺の家にはミレニアがいればいいから」

「あのな、ディルス。魔塔の孤児院は、魔力がある子どもを引き取ってはいるが。それはあくまでも、育てる親がいない子どもだけだ」

「捨てられた子どもも、引き取ってるだろ?」

「いや、それはそうだが。問題を抱えている家庭の子どもとかだし」

「うちも大いに問題があるんだ。俺のミレニアは療養に専念しないといけないんだよ。ミレニアに何かあったら、大変だろ」

「どういう理屈だよ」

 呑気に笑って話をする父親と違い、塔主は穏やかさを捨てて、怒っていた。

「確か、七歳から直接ここに入れるんだったよな。条件は七歳で将来が期待できるくらいの魔力持ち。
 こいつ、やっと今日、七歳になったんだよ」

「お前、本気か?!」

 とうとう、塔主は父親に向かって怒鳴りだした。静かな部屋に塔主の声が響く。

「除籍申請の書類なら、ほら、もう揃ってる。これでこいつは孤児だ。問題ないだろう?」

 アキュシーザが封筒を取り出し、塔主の前で中に入っているものを広げた。
 塔主は広げられた紙をバッとつかみ取ると、一枚一枚、食い入るように眺める。

 そして、ため息をついた。

「お前…………」

「あぁ、寄付金か。それも用意してある」

 アキュシーザが今度は小さな袋を取り出した。中身を確認した塔主はまたもや、ため息をついた。

「お前。これだけの金があれば、誰かに依頼して、子どもの面倒を丸ごとみてもらうことだって…………」

 塔主の話を、父親が遮る。

「ミレニアの療養の邪魔になるって言ってるだろ。僕はミレニアがいればいいんだ。
 それに、黒髪の子どもなんて、僕とミレニアの子どもじゃない」

 説得しても変わりはないと思ったのか、塔主が覚悟を決めたように話を切り出す。

「これの他にも署名してもらう書類があるし、貴族の除籍や親権の放棄は王室へ報告する義務がある。それは分かってるな?」

 塔主がじっくりと念を押すように伝えた言葉は、父親に軽く受け取られた。

「署名すれば、後はやってもらえるんだろう?」

 私はガクガクと震えたまま、二人の会話を聞いていた。
 そんな私の横で、アキュシーザもただ黙って、自分の主の姿を見守るだけだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

国王陛下、私のことは忘れて幸せになって下さい。

ひかり芽衣
恋愛
同じ年で幼馴染のシュイルツとアンウェイは、小さい頃から将来は国王・王妃となり国を治め、国民の幸せを守り続ける誓いを立て教育を受けて来た。 即位後、穏やかな生活を送っていた2人だったが、婚姻5年が経っても子宝に恵まれなかった。 そこで、跡継ぎを作る為に側室を迎え入れることとなるが、この側室ができた人間だったのだ。 国の未来と皆の幸せを願い、王妃は身を引くことを決意する。 ⭐︎2人の恋の行く末をどうぞ一緒に見守って下さいませ⭐︎ ※初執筆&投稿で拙い点があるとは思いますが頑張ります!

三年目の離縁、「白い結婚」を申し立てます! 幼な妻のたった一度の反撃

紫月 由良
恋愛
【書籍化】5月30日発行されました。イラストは天城望先生です。 【本編】十三歳で政略のために婚姻を結んだエミリアは、夫に顧みられない日々を過ごす。夫の好みは肉感的で色香漂う大人の女性。子供のエミリアはお呼びではなかった。ある日、参加した夜会で、夫が愛人に対して、妻を襲わせた上でそれを浮気とし家から追い出すと、楽しそうに言ってるのを聞いてしまう。エミリアは孤児院への慰問や教会への寄付で培った人脈を味方に、婚姻無効を申し立て、夫の非を詳らかにする。従順(見かけだけ)妻の、夫への最初で最後の反撃に出る。

お飾りの側妃ですね?わかりました。どうぞ私のことは放っといてください!

水川サキ
恋愛
クオーツ伯爵家の長女アクアは17歳のとき、王宮に側妃として迎えられる。 シルバークリス王国の新しい王シエルは戦闘能力がずば抜けており、戦の神(野蛮な王)と呼ばれている男。 緊張しながら迎えた謁見の日。 シエルから言われた。 「俺がお前を愛することはない」 ああ、そうですか。 結構です。 白い結婚大歓迎! 私もあなたを愛するつもりなど毛頭ありません。 私はただ王宮でひっそり楽しく過ごしたいだけなのです。

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

捨てられた侯爵夫人の二度目の人生は皇帝の末の娘でした。

クロユキ
恋愛
「俺と離婚して欲しい、君の妹が俺の子を身籠った」 パルリス侯爵家に嫁いだソフィア・ルモア伯爵令嬢は結婚生活一年目でソフィアの夫、アレック・パルリス侯爵に離婚を告げられた。結婚をして一度も寝床を共にした事がないソフィアは白いまま離婚を言われた。 夫の良き妻として尽くして来たと思っていたソフィアは悲しみのあまり自害をする事になる…… 誤字、脱字があります。不定期ですがよろしくお願いします。

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

処理中です...