上 下
257 / 384
5 出張旅行編

4-5 調査員は忙しい

しおりを挟む
 私が辛牛亭の受付として採用されて早、三ヶ月。だいぶ仕事も板についてきた、そんなある日の朝。
 いつもと違った雰囲気がレストスの街中に漂っていた。

 ここレストスは遺跡都市だ。観光客も少なくない。そして観光客はレストスのあらゆる時間を観光に充てる。

 早朝の朝霧のレストス。昼間の光り輝くレストス。燃えるような夕焼け空のレストス。星降る夜のレストス。

 もちろん早朝や深夜は観光客の数も少ないが、混雑しない程度にあちこちで活動している。今日も朝の出勤時、数人のグループとすれ違った。

「あの話、聞いたか?」

「どうやら本当のことらしいぞ」

「本当かよ。あり得ないだろ。大丈夫なのか、その店」

「大騒ぎになったって」

「そりゃそうだろう。周りの店やら通行人やら、大勢が目撃しているみたいだし」

「ガイドブックに載ってる有名店らしいけど、ちょっとねぇ」

「今時ないよな」

「ここだけの話だけど、あの方々に対して、やったらしいしな」

 私は聞こえないフリをしながら、観光客の脇を早足で通り過ぎる。

 そして、ちょっと行ったところで立ち止まり、振り返る。
 あのグループだけでなく、ちょっと前にすれ違ったグループも似たような話をしていた。

 昨日のアレがもう噂になっている?

 嫌な予感を押さえ込みながら、私は急いで辛牛亭に向かった。




「店長、ご予約が全部キャンセルです」

「まぁまぁまぁ、一体全体どういうことかしら」

 その日、辛牛亭は前代未聞の事態に襲われていた。

 私が受付に採用されてから、こんな事態は初めてだった。
 もちろん、キャンセル自体は珍しいことではない。

「今日だけでなく、明日も明後日もです」

 けれども、今日の予約だけでなく、明日も明後日も、予約のすべてがキャンセルになったのは初めて。

 明明後日以降については、とくに連絡はない。しかし、こうもキャンセルが続くと、これから連絡が入るのではないかと不安になる。

 それに、事前予約がこれでは、当日予約が入るかどうかもまた心配だ。

 緊張する私の耳に、案内や配膳担当の従業員たちのざわめきが聞こえてきた。

「今までこんなこと、なかったのに」

「まさか、ご予約がなくて心配になる事態が起きるなんて」

「今日の当日予約、大丈夫でしょうか」

 皆、心配そうな面もちだ。
 店長が何も言わないので、ざわつきは収まらない。

「やはり、昨日のお客様のことが…………」

「お客様を追い出すような形になってしまいましたし…………」




 昨日、店長の娘さんたちと店長との間で問題があった。

 一昨日はテラス席への案内だったが、昨日は辛牛亭の席の方ではなく、応接室の方だったので、具体的にどんな話し合いがあったのかは分からない。 

 料理が振る舞われる前に、三人の同行者のうち、二人が帰られて。
 その二人を副料理長が血相を変えて追っていったのを、従業員全員が目撃していた。

 そして今日の噂と大量キャンセル。

 従業員が不安になるもの仕方がない。

 しかし、この大変な事態に、店長は困ったように首を傾げるだけだった。

「どうしましょうか、店長」

 声をかけても、うーんと呻くだけ。

「店長。皆さんが店長の方針を聞きたがっておりますが」

 ようやく、はっとして前を見る店長。

「まぁ、わたくしも初めてのことだけど。予約以外のお客様もいらっしゃるし。まぁまぁ、問題ありませんわ」

 店長はいつもの調子だった。
 この明るさがいつもなら心強く感じるのに。

 ただし、店長の言い分も間違ってはいない。

 夜はともかく、昼間は予約客だけで埋まっているわけではない。混雑しすぎて、長い列ができるほど。お断りするお客様も少なくない。

 それに、仕入れた食材は日持ちさせることもできるものばかりなので、ある程度、融通も利く。

「店長が問題ないと思うのはもっともだけど」

 誰かがポツリと漏らした。

 もっともだけど、それでいいのか、大丈夫なのか。
 ある日突然、パタッと予約がなくなったことが、気にはならないのだろうか。
 今日の予約だけでなく、明日も明後日もだというのに。

 おそらく、そう言いたいのだろう。

「キャンセルが増えた理由については、気にならないんですか?」

 皆の気持ちを汲んで、店長に尋ねてみると、

「気にしたところで、実際のところは分からないでしょう?」

 きょとんとした顔で平然と答えが返ってきた。

 え? それで良いの?

 切り替えが良いと言えばいいのか、諦めが良いと言えばいいのか、言葉に詰まる。

「そんなことより、ご予約以外で営業いたしませんと。些細なことなど気にしている場合ではありませんわ!」

 呆気にとられている従業員のことを気にすることもなく。パンパンと手を打ち鳴らし、店長はいつもの明るい声で指示を出した。

「今日はご予約なしになります。ご希望を伺った上で、見晴らしのいいテラス席優先でご案内してください」

 店長の言葉で皆が動き始めた。心の片隅に不安を抱えながら。

「厨房にもご予約なしの旨、連絡を。さぁ、皆さん、今日も張り切っていきましょう」

 静まり返る店内に、店長の声だけが妙に明るく響き渡った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】お飾りではなかった王妃の実力

鏑木 うりこ
恋愛
 王妃アイリーンは国王エルファードに離婚を告げられる。 「お前のような醜い女はいらん!今すぐに出て行け!」  しかしアイリーンは追い出していい人物ではなかった。アイリーンが去った国と迎え入れた国の明暗。    完結致しました(2022/06/28完結表記) GWだから見切り発車した作品ですが、完結まで辿り着きました。 ★お礼★  たくさんのご感想、お気に入り登録、しおり等ありがとうございます! 中々、感想にお返事を書くことが出来なくてとても心苦しく思っています(;´Д`)全部読ませていただいており、とても嬉しいです!!内容に反映したりしなかったりあると思います。ありがとうございます~!

【R18】ひとりで異世界は寂しかったのでペット(男)を飼い始めました

桜 ちひろ
恋愛
最近流行りの異世界転生。まさか自分がそうなるなんて… 小説やアニメで見ていた転生後はある小説の世界に飛び込んで主人公を凌駕するほどのチート級の力があったり、特殊能力が!と思っていたが、小説やアニメでもみたことがない世界。そして仮に覚えていないだけでそういう世界だったとしても「モブ中のモブ」で間違いないだろう。 この世界ではさほど珍しくない「治癒魔法」が使えるだけで、特別な魔法や魔力はなかった。 そして小さな治療院で働く普通の女性だ。 ただ普通ではなかったのは「性欲」 前世もなかなか強すぎる性欲のせいで苦労したのに転生してまで同じことに悩まされることになるとは… その強すぎる性欲のせいでこちらの世界でも25歳という年齢にもかかわらず独身。彼氏なし。 こちらの世界では16歳〜20歳で結婚するのが普通なので婚活はかなり難航している。 もう諦めてペットに癒されながら独身でいることを決意した私はペットショップで小動物を飼うはずが、自分より大きな動物…「人間のオス」を飼うことになってしまった。 特に躾はせずに番犬代わりになればいいと思っていたが、この「人間のオス」が私の全てを満たしてくれる最高のペットだったのだ。

今さら、私に構わないでください

ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。 彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。 愛し合う二人の前では私は悪役。 幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。 しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……? タイトル変更しました。

貴方にはもう何も期待しません〜夫は唯の同居人〜

きんのたまご
恋愛
夫に何かを期待するから裏切られた気持ちになるの。 もう期待しなければ裏切られる事も無い。

義兄に告白されて、承諾したらトロ甘な生活が待ってました。

アタナシア
恋愛
母の再婚をきっかけにできたイケメンで完璧な義兄、海斗。ひょんなことから、そんな海斗に告白をされる真名。 捨てられた子犬みたいな目で告白されたら断れないじゃん・・・!! 承諾してしまった真名に 「ーいいの・・・?ー ほんとに?ありがとう真名。大事にするね、ずっと・・・♡」熱い眼差を向けられて、そのままーーーー・・・♡。

ポンコツ女子は異世界で甘やかされる(R18ルート)

三ツ矢美咲
ファンタジー
投稿済み同タイトル小説の、ifルート・アナザーエンド・R18エピソード集。 各話タイトルの章を本編で読むと、より楽しめるかも。 第?章は前知識不要。 基本的にエロエロ。 本編がちょいちょい小難しい分、こっちはアホな話も書く予定。 一旦中断!詳細は近況を!

【完結】呪いを解いて欲しいとお願いしただけなのに、なぜか超絶美形の魔術師に溺愛されました!

藤原ライラ
恋愛
 ルイーゼ=アーベントロートはとある国の末の王女。複雑な呪いにかかっており、訳あって離宮で暮らしている。  ある日、彼女は不思議な夢を見る。それは、とても美しい男が女を抱いている夢だった。その夜、夢で見た通りの男はルイーゼの目の前に現れ、自分は魔術師のハーディだと名乗る。咄嗟に呪いを解いてと頼むルイーゼだったが、魔術師はタダでは願いを叶えてはくれない。当然のようにハーディは対価を要求してくるのだった。  解呪の過程でハーディに恋心を抱くルイーゼだったが、呪いが解けてしまえばもう彼に会うことはできないかもしれないと思い悩み……。 「君は、おれに、一体何をくれる?」  呪いを解く代わりにハーディが求める対価とは?  強情な王女とちょっと性悪な魔術師のお話。   ※ほぼ同じ内容で別タイトルのものをムーンライトノベルズにも掲載しています※

神子召喚に巻き込まれた俺はイベントクラッシャーでした

えの
BL
目が覚めると知らない場所でした。隣の高校生君がBLゲーム?ハーレムエンドとか呟いてるけど…。いや、俺、寝落ち前までプレイしてたVRMMORPGのゲームキャラなんですけど…神子召喚?俺、巻き込まれた感じですか?脇役ですか?相場はモブレとか…奴隷落ちとか…絶対無理!!全力で逃げさせていただきます!! *キーワードは都度更新していきます。

処理中です...