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31 母を求めて
しおりを挟むケータイを奪い、熱くなりすぎているマユを抱きしめました。
「ありがとう、マユ」
ベッドの端に彼女を落ち着かせ、もう一度抱きしめてキスしました。
「嬉しいよ、マユ。オヤジも、それ聞いたらたぶん嬉し泣き号泣間違いなしだ。気持ちは有り難いと思う」
「実のお母さんでしょ、たー君の。ずっと、会いたかったんでしょ?
来ちゃだめって書いてあるけど、お義母さんだって会いたいって、会いに来たら嬉しいに決まってるじゃない。また一緒に暮らせればいいに決まってるじゃない!」
「いいから。まず、聴いてくれ。
俺は長い間、オヤジを憎んでいた」
と俺は言いました。
「オフクロが出て行ったのはオヤジの女遊びのせいだ。そう、ずっと思い込んでいたんだ。オヤジも一切弁解しなかった。だから俺はオヤジを憎み続けた。
でも、事実は違った」
マユは俺の手を取り、指を絡めました。ギュッと握り、放しませんでした。
「手紙の通りなんだ。
俺はこの手でオフクロを、実の母親を殺そうとしたんだ」
やっとたどり着いた真実。真実を共有できるパートナー。
得難い伴侶を、俺は得ていたのでした。
「実は俺、この間のタキガワの事件で思い出してたんだ」
と、俺は言いました。
「オヤジは俺が記憶を無くしていたことを知っていた。知っていて俺が誤解したままにしていた。俺が事実を知ってショックを受けるよりは、と考えたんだろう。
この手紙も、俺に見せずにずっと隠し続けていたんだ。俺に読ませて誤解を解けばラクになったろうに。息子に恨まれ憎まれ続けるなんて辛かったろうにな・・・」
俺たちは、俺のだかマユのだかわからない涙で濡れた頬をそっと寄せ合いました。
「そのオヤジが、俺やマユがオフクロに会いに行くと知ったらどう思うだろう。たぶん、全力で、命懸けで止めるだろうと思う」
「どうして?」
「それをする気なら、すでにオヤジはやっているってことさ。
もし、オフクロが生きているなら今年で48だ。この手紙を書いた時にいたこの、主とかいうヤツのところには、今はもう居ないかも知れない。この野郎は宗教を騙って女を何人も囲って慰み者にするようなクソみたいな趣味の奴なんだろう。手紙にもあるように、後から若い女も入ってくる。オフクロも年を取る。このクソ野郎も年を取る。
『いずれここにも終わりがくる』っていうのはそういう意味なんじゃないだろうか」
マユはやっとしゃくりあげを止め、俺を見上げました。
「それに、オフクロは俺が会いに来るのを喜ばないかもしれない。
美しく優しかった頃の母の姿で記憶されたい。
そう書いてある。
オフクロは、長い間に変わり果てた姿になってしまったのかもしれない。
もしかするとオヤジは死ぬまでこの手紙を読ませる気は無かったんじゃないだろうか。俺がおかしくなってしまうかもしれないと思ったんだろう。
お前も見ただろう。俺の一人チャンバラ。
俺はこの手紙を見つけて、読んだ後、狂ってしまった」
親指でマユの眼に溜まった露を払いました。大きな目で俺を見上げるマユに愛しさが募りました。
「考えてみてくれ。
そうまでして隠そうとしたものをオヤジが簡単に見せるだろうか。
全力で止めるだろうってのは、そういうことだよ」
俺達は強く抱きしめ合っていました。そうでもしていないと、どうにかなりそうでした。
「でも、それでもお義母さんがちゃんといるのに、いるのが解ってるのに、それなのに離れ離れなんて・・・。
絶対おかしいよ。あたし、納得できない! そんな理屈、解りたくもない!」
マユの拳が俺の背中を何度も叩きました。その度に俺を見上げるマユの大きな瞳から涙が零れ、俺の胸に散りました。
階下から玄関の引き戸が開く音がしました。
マユを振りほどき、急いで階段を駆け下りました。
オヤジは玄関の土間に立っていました。何事か? というように怪訝な顔をして。
俺はオヤジの足元に膝をつき、頭を下げました。
ただ、オヤジに謝りたい。それだけでした。
もうひとかけらの蟠りもありませんでした。俺を追って降りてきたマユも、俺の後ろで膝をつきました。泣き顔のままだったでしょう。
「何だ、お前ら。また夫婦ゲンカか」
吐息を吐くオヤジの言葉を無視し、俺は言いました。
「オヤジ。いままで、長い間、済まなかった。許してくれ!」
俺はオヤジを見上げました。俺の顔を見て、オヤジは何かを悟ったように見えました。
玄関からそよ風が流れ込んできて、家の奥に流れてゆきました。
「お前、まさか・・・」
オヤジの顔は硬直して引きつっていました。
「ごめんよ。今まで、本当に」
マユが声を上げて泣き出し、俺ももう我慢が出来ませんでした。どうしても泣けて来て、仕方がありませんでした。
オヤジは俺たちを見下ろしたまま暫く黙っていました。そして、
「そうか・・・」
と小さく呟きました。
「そうか。・・・読んだか、あれを」
その時、不思議なことが起りました。
あんな傲岸不遜で傍若無人な、若々しく隆々としていたオヤジが、急に一回りも二回りも萎んだように見えたのです。
一瞬で、オヤジは年齢よりも老けてしまいました。
まるで玉手箱を開けた浦島太郎のようです。今までオヤジに憑いていたものがすうっと体から抜け出て空へ上って行った。そんなふうに見えました。
そしてオヤジはドカッと框に座りこみました。
「この野郎・・・。人の部屋勝手に荒しやがって」
オヤジはボソッと呟きました。
「お義父さん。お義母さん連れ戻そうよ。何でそのままなの? ヒドイよ!」
マユが言いました」。
「おい、さっき言ったろう。もういいんだ、これで」
俺はマユを制しました。
「良くないよ、夫婦で、親子で離ればなれなんてさ。オカシイよ!」
マユは掴みかからんばかりの勢いでオヤジに詰め寄り、オヤジの手を掴んで強く揺すりました。
「ねえ? お義父さん! お義母さん連れ戻そう。みんなで一緒に暮らそうよ、ねえってば!」
「タカシ・・・」
オヤジに名前を呼ばれたのは何年振りでしたでしょう。
オヤジを見上げました。
「母さんに、会いたいか」
オヤジは、今まで見たこともないような、穏やかな優しさに満ちた顔をしていました。
なんて言ったらいいのか、戸惑いました。
でも、もう全ての無駄なものを捨てる気で、自分の心に正直になることにしたのです。
「・・・会いたい。母さんに、会いたいよ・・・」
言った途端、涙やら鼻水やらがどうしようもないぐらいに溢れて止まらなくなりました。
オヤジは、静かに頷きました。そして、腕時計を見ました。
「今からならまだ間に合うな。おい出掛けるぞ。ついて来い。仔細は車の中で話す」
蜩(ひぐらし)がうるさいほど鳴き喚いていました。
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