寝取り寝取られ家内円満 ~最愛の妻をなんと親父に寝取られたのに幸せになっちゃう男の話~

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19 サーフボードの貴婦人が示した道

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 次の日は土曜日でした。
 会社は休みですが、例のプロジェクトの仕事でホテルの部屋にカンヅメ状態でPCに向かっていました。が、どうにもむしゃくしゃして仕事になりません。隣でミヤモト課長がパンツ一丁でキーボードを叩いています。無精髭だらけの顔を画面に張り付けたまま腹をボリボリ掻いていました。
「あー。もう厭きた。おい、ハセガワ。久しぶりにヤル方のソープ行くか」
「お一人でどうぞ」
「何だよ、付合い悪りいな。じゃあ、ミキちゃん呼んでここで三人エッチでもするか」
「ご遠慮します」
「お前、相当キテるな」
「別に、キテませんし」
 おい、ここの弁護士のセンセに見せる書類・・・。あ、これです。え? まだこんなにあんのか・・・。もう、やんなっちゃうな・・・。
 扱うべき書類の量が多すぎて、真面目にやっていると気が狂いそうになってしまいます。週明けに相手方の会社との一回目の協議を控え、関係する書類をまとめなくてはなりませんでした。書類をまとめ、交渉し、結果をまとめてまた書類を作り、交渉し・・・。しばらくはそのルーティンが続きそうでした。課長と二人憂鬱になりながら、時折バカ話や愚痴を挟みながら仕事をしていました。
「また夫婦喧嘩か・・・」
 課長がボソッと呟きました。図星を刺された格好ですが、何か根拠があって、と言うよりは、俺が昨夜から荒れているのを見て、半ば当て推量でそう言ったのでしょう。
「別に、何でもないですよ」
「じゃ、コタニ呼んで三人エッチするか」
「すいません。シャレになってません」
「ホラ。やっぱり夫婦喧嘩したんじゃねえか」
「何で嫁を抱かせるのを拒否すると夫婦喧嘩したことになるんですか」
「コタニ、よかったよなあ。あのケツ! クーッ。たまんねえなあ。お前があのケツに毎晩ぶち込んでると思うと頭に来るな」
「こんな忙しくて毎晩なんて無理でしょうよ」
「そうかなあ。俺ならあのケツのためなら仕事サボってでもやるけどなあ」
「タマ潰されても良ければ貸しますよ」
 すでにタキガワの一件は俺と課長の間で格好のネタになっていました。
「ホントだな。今、言ったな。よーし。タマに超合金でカバーしてやろうかな」
「・・・・・・・」
「ノリ悪すぎだゾお前、なあ、オイ」
「ただ単にちょっと調子悪いだけです」
 ケータイの呼び出し音が響き、フリップを開くとお義母さんでした。
「もしもーし、タカシさん? 元気ーィ?」
 いつにない、やけに高い義母のテンションに一瞬怯みました。
「ご無沙汰してます」
「今日はお休み?」
「一応仕事なんですが」
「そう・・・。ちょっとだけ、抜け出せないかな?」
 電話を切った俺に、早速課長が絡んできました。
「何だよ。女か? 新婚のくせに、もう浮気か。あ、わかったぞ。それでコタニにバレて夫婦ゲンカか」
「違います。女は女でもお姑さんです」
「あ。それ、マズいぞ。コタニ、何か言いつけたな。お前説教されるな、こりゃ。」
「お、脅かさないで下さいよ」
「お前、結構小心者なんだな」
「というわけで課長。ちょっと外出してもいいですか?」

 初秋の海は南風に波を高め、潮の香りを車内いっぱいに吹き込んできました。

 左手に海を眺めつつ、海岸沿いの国道を西に向かいました。
 いつもなら自然に鼻歌が出てきそうなそんな快適なドライブも、俺の心を癒してはくれませんでした。
 俺はもうわかっていたのです。
 オヤジは少しも悪くない。悪いのは俺だと。
 あのオヤジとマユのセックスのおかげで失われた記憶の扉が開き、ひいてはオヤジの言葉通り、妻を悦ばせてやれる活力が沸き、全てが好転していることを。
 そして、愛する妻を寝取られたというなら、知らなかったとはいえむしろオヤジから女を、マユを盗ったのは俺の方だと。
 頭ではわかっていたのです。でも、どうしても、心が事実を受け入れられませんでした。

 こんな時にお姑さん、マユのお義母さんと会わねばならないのは、苦痛以外の何物でもありませんでした。

 電話で教えてもらった通りに海岸沿いを車で流していると、煌めく水面に色とりどりの帆が林立しているのが見えてきました。
 道端に車を止め、砂浜を歩いていきました。スニーカーに砂が入るので途中で裸足になりました。真夏ほどでない、秋風で適度に冷やされた砂が心地よく足の裏を刺激してくれました。
 どれがそうなのだろう。
 波間に目を凝らしていると、一艇の鮮やかな黄緑色の帆がいっぱいにハイクアウトされ、巧みなトリムでみるみる俺に向かって近づいてきました。ピンク色のウェットスーツを着て長い髪を後ろで束ねた女性がボードを浜に引き上げ、まっすぐ俺に向かって歩いてきました。
「お義母さんがウィンドサーフィンをしてるなんて意外でしたよ」
 まだ水を滴らせている髪を絞りながら、彼女は日焼けした顔に綺麗で真っ白な歯並びを見せて笑っていました。
「忙しいのに、ごめんね」
 お義母さんは背中のジッパーについている紐を下げ、俺と並んで砂浜に座りました。日焼けした顔と対照的に白い肌にオレンジ色のビキニが似合っていました。とてもあと数年で定年を迎える女性には見えません。四十代半ばと言っても十分通りそうな張りのある肌を太陽に曝していました。
「やだ。タカシさん。そんなに見ないでよ」
「す、すみません。あんまりお綺麗なんで・・・」
「え? またァ。さすが営業さんね。お上手が自然だこと」
「イヤ、ホントです。何か、あんまりイメージが違うんで・・・」
 お義母さんとはそれまでに数回会っていました。
 当たり前ですが、いつもマユが一緒でした。付き合い始めて実家に挨拶に行ったとき。結婚の許しを得に行ったとき。最初のお盆。年末年始の挨拶・・・。
 いつも上品なワンピースやカチッとしたスーツを着て、髪をきちんとアップにし、黒縁のセルフレームの眼鏡をかけ、寸分の隙も無い服装で、低音で言葉少なに卒なく話す。病院では二百名以上の看護師の頂点に立って取り仕切る、洗練された優雅な身のこなしの貴婦人。
 そういう謹厳なイメージでしか記憶していませんでした。
 今、俺の隣で濡れた髪を風に曝して気持ちよさそうにしている水着姿の大人の女性は、そのお義母さんのイメージとは懸け離れた別人の印象でした。もちろん、マユ抜きで会ったのは初めてです。
 お義母さんが俺を呼び出した要件。察しはついていました。
 ここに来るまでの間、運転しながらどう切り出したものかと考えていたのですが、いつものお義母さんとのイメージのギャップが大きすぎ、頭がボーっとなっていました。
 先に口を開いたのはお義母さんでした。
「あの子がね、小学校でバレーボール始めてから、私も何かやろうと思って。それでね」
 上半身だけスーツを脱ぎ、火照った肌を風で冷やしながら、お義母さんは目を閉じていました。
「昨夜、マユから電話があったの。・・・あ、その前に私、タカシさんに謝らなきゃいけないのよね」
 お義母さんは俺に向き直り砂の上に両手をついて頭を下げました。
「・・・何ですか」
「コウゾウさんとマユの事。黙っててごめんなさい」
「ああ、それは・・・もう、いいんです」
「いいえ。マユから口止めされていたとはいえ、本当なら娘を嫁に出す親として、夫になるあなたに言うべきだったわ。ショックだったでしょ」
 アイツがお義母さんにどこまで話しているのか。ここへ来るまでの間に想像を巡らせていました。まさか、あのオヤジとの一夜までは、とは思っていましたが。
「・・・まあ。でも、本当に、もういいんです」
「そうかしら。今度のケンカの原因も、それなんでしょ?」
「ああ・・・。すみません。ご心配かけちゃって」
「マユね、混乱して私に電話してきたの。貴方に酷いことしちゃったって。結婚してから初めてなのよね・・・。あの子、ちゃんとわかってるの。自分が悪いって」
「いいえ。今回のは、俺が悪いんです」
「そう?」
 お義母さんは、ホントにそう思ってるのかしら、とでも言うように首を傾げ微笑してまた水平線に目を凝らしました。
 風が次第に凪ぎ、カラフルな帆が一艇、また一艇と陸に戻ってきていました。
「タカシさん」
 お義母さんは水平線を見つめたまま、溜息を一つ吐きました。
「お父さん、コウゾウさんはね、あなたが思うほど悪い人じゃないと思うよ。先走っちゃうようで悪いけど、ポイントは、そこでしょ?」
 俺は黙っていました。
「私はマユが初めてコウゾウさんを連れてきた時からしか彼を知らない。
 もし、マユがコウゾウさんと付き合ってなくて、あなたと結婚しなかったら、私達、赤の他人よね。だから、コウゾウさんの実の息子のあなたにこんなこと言うのは失礼かもしれないし僭越と言われちゃうかもしれないけど・・・。
 あなたはコウゾウさんを誤解してる。多分、大きく誤解してると思う」
 波打ち際に赤と黒の二艇が着き、ウエットスーツの男性が二人、浜に引き上げていました。お義母さんの話の間、彼らが帆を畳み、ボードと分解する様子を眺めていました。
「コウゾウさんね、ウィンド始めたの、知ってた?」
「え? オヤジがですか」
「うん。ショップに置いてあるわよ、お父さんの。私が洗脳しちゃったの。もう一年になるわ。さすが元運動選手よね。運動神経がいいの。上達が早いもの。今じゃキャリア十五年の私より上手いよ」
「・・・そうなんですか」
「ビックリした?」
 悪戯っぽい目でお義母さんは笑いました。
 分解を終えた二人が巻いた帆を抱えてこっちにやって来ました。一人は四十台くらいの中年男性で、もう一人は俺と同じくらい。二人とも精悍な体つきをしていました。
 サエコさーん、と若いほうの男が手を振りました。
「上がり?」
 お義母さんが応えます。
「うん。これから飲み行くけど」
「私も行く。先行ってて」
「なに? 若いツバメ? イケメンのオヤジさんもいるってのに。サエコさんも隅に置けないねエ」
 中年の方がそう言って囃すと、お義母さんは笑いながら、
「まーったく。これだから、もう。違うわよ。娘のムコさん!」
 お義母さんは苦笑してまた手を振り、二人は笑いながら道路際に停めた車の方に歩いていきました。
「面白い人たちでしょ? ウィンド仲間なの。コウゾウさんとも仲良くなってね。彼氏だと思ってるのよ、お父さんのこと」
 そしてお義母さんは、また一つ大きく潮の香りを吸い込んで髪を揺らしました。
「コウゾウさんとね、セイリングの後、よくこうやって海を見ながら話すの。風に吹かれながら。
 今日ここまで来てもらったのはね、あなたにもそれを感じて欲しかったからなの。コウゾウさん、あなたの事ばかり話すのよ」
 マユからも同じことを言われていました。
 それでも信じられませんでした。あの傲岸なオヤジが俺のことをだなんて。
 ですが、次第に凪いで行く海とともに心を合わせてゆくと、マユから聞いたオヤジとの経緯との接点が線になり面になり輪郭が表れてゆくのを感じていました。
 お義母さんは潮風に肌を晒したまま目を瞑って気持ち良さそうにしています。なんだか、普通の服を着たままの俺のほうが恥ずかしくなるほどに、それは自然に見えました。あなたも着ている鎧を脱いで裸になりなさい、お義母さんの口元がそう言いたげでした。
「コウゾウさんがマユと付き合うことになった時、私のところへ挨拶に来たの、聞いたでしょ。聞いて、どう思った?」
「いえ・・・、まあ・・・」
 何と言っていいかわかりません。意味不明な相槌しか打てませんでした。
「私、最初頭が混乱しちゃった。だって、母親より年上のボーイフレンドだなんて、ねえ・・・。絶対この人私たちを揶揄ってるんだと思ったわ。母子家庭だと思ってバカにしてってね。・・・暑くなってきたわね」
 太陽は高く昇り、砂が熱くなっていました。

 近くのサーフショップに誘われました。
 道路に面したショップとバーの裏に、海に面したデッキがありました。パラソルの下でアイスコーヒーを飲みながら、俺はお義母さんが着替え終わるのを待っていました。
 眼下の岩場に打ち付ける波の音。水平線で海と空が溶け合うのを眺めながら、潮風に頬をなぶらせる。気持ちのいい海辺の午後でした。
 オヤジはもう一年もの間、お義母さんとウィンドサーフィンを楽しんでいるという。オヤジもこんなふうに開放的なロケーションのなかでお義母さんと胸襟を開いた付合いをしているのでしょう。そしてマユはオヤジの元恋人です。
 俺だけが肩肘張って意固地になっている間に、取り残されていくような、そんな気持ちになっていました。
「お待たせ」
 Tシャツにデニムのハーフパンツというラフな格好に長い黒髪が似合っていました。
「いいお店でしょう」
 ハーブティーのグラスを鳴らしながら、お義母さんはテーブルの向こう側につきました。どこまで話したっけ、と言いながら砂浜での話しの続きを始めました。
「私ね、コウゾウさんのこと知ってた。私の歳ならハセガワコウゾウを知ってる人少なくないんじゃないかな。で、正直言うとね、ちょっとだけふぁっ、となった。だって有名人だものね、お義父さん。
 でも冷静になって普通に考えたら、この人少しバカなんじゃないかなって思ったの。何を好き好んで今からモノにしようとしてる女の子の親の家までノコノコくるのかしら。この子ももう二十歳なんだし、と思って」
 グラスの中で氷がコロンと音を立てました。
「あの子から聞いてると思うけど、私、あの子に厳しくし過ぎたと思っていたの。
 片親でしょう、だから、特にね。だらしないと思われたくなくて。
 で、中学からずっと女子校に入れて、門限もしっかり守らせた。そしてね、あの子の父親の悪口をずいぶん吹き込んだの。今振り返ると、なんて性悪なイヤな母親だったんだろうな、って思う。自分に男を見る目が無かったからって、娘の父を悪し様に言って男性のイメージ壊してあの子の未来まで拘束する権利なんかないのにね。
 だんだんその自分のバカさ加減に気付いていたのね。だからあの子が高校を卒業する時に、普通の大学にしてもいいのよ、って言ったの。そしたらね、あの子女子大でいいって・・・。
 私が洗脳しすぎちゃったせいだ。このまま男性とお付き合いすることもなく大人になっていって、いったいこの子は幸せになれるのかしらって、ずいぶん悩んでいたの」
 海面までどのくらいあるのだろうか。眼下から聞こえてくる波飛沫の音をBGMにして姑さんから自分の妻と実父の馴れ初めを聞かされていると不思議な気持ちになりました。
「だから、マユがコウゾウさんを連れてきたとき、表には出さなかったけど、もしかするとこういうのもアリかなって思ったの。
 あの子に席を外させてコウゾウさんに訊いた。あの子と結婚する意志があるのかって。そしたら、今はありません、お嬢さんが望むなら考えますが、お嬢さんにはいずれ他に好きな男性ができるかもしれません、そうなると必ずしも私と結婚するということにはならないんじゃないでしょうかって言うの。じゃあ、体だけが目的なんですかって訊いたら、そうではありませんが、そう取られても構いませんって。
 じゃあ、もし貴方にうちの子ぐらいの娘さんがいらっしゃったとして、貴方より年上の男性が娘さんとの結婚を前提としないお付き合いを望んだらどうしますか? 決して承知しないでしょう。私が断ったら、貴方どうするんですか、と訊いたの。その場合はもうマユさんには二度と近づきません。コウゾウさん、そう言ったの。
 じゃあ、何のためにいらしたんです? 私、結構血が上りやすいほうだから、ちょっとキツめに言ったの。そしたらね、コウゾウさん穏やかに、
『それが筋ですから』って。そう言ったの。
 そこまで言って、窓辺に立って、ここから見る海は絶景ですなあ、なんて。
 コウゾウさん、しばらく海を見てた」
 お義母さんは気持ちよさそうに潮風に目を細めました。
「私、思ったの。この年まで生きてきて、『筋道』を行動原理にする人と初めて会ったなあって。私がそれまで見てきた男たちはみんな、出世とか欲望とか損得とかそんなことばかり考えてる人たちだったから」
 すぐには信じることが出来ませんでした。
 オヤジはどんな手練手管を使って娘ほど年下のマユを手に入れたのかと思っていましたから。あまりにもその話が単純で素朴過ぎて到底受け入れることはできませんでした。
「たったそれだけですか。それで、マユとの付合いを許したんですか」
「う~ん。そう言われてもねえ・・・。でもそれが事実だから、仕方ないわねえ」
「そんな・・・」
 困惑する俺を面白そうに眺めながら、お義母さんはハーブティーのグラスを揺らしました。
「タカシさん。マユはその時もう立派な大人よ。それなのにいつもTシャツにジャージ姿で頭もボサボサ。男の子の気配なんか微塵も感じられない。そんな娘だったあの子を見染めてくれた殿方がいたというだけで、夫のいない母親としてはどれだけ心強かったか。
 加えてコウゾウさんは有名人。それにちゃんとした定職にも就いている。その人が礼を尽くして筋を通してわざわざ娘と付き合いたいと訪ねてきている。しかも連れてきたのは当の娘自身。しかも、カッコいいオジサンだものね、コウゾウさん。断る理由を探す方が難しいんじゃない?
 それにお金に不自由していないのは身なりでわかるわ。これは後からコウゾウさんに聞いたけど、貴方の家、財産家だったのねえ。我が娘ながら、よくこんな素晴らしい男性を捕まえたなあと感心したもの。少なくともろくでもない男と付き合ってた私よりよっぽど男運がいいわよね」
 お義母さんはまるで悪戯っ子が自分のイタズラを暴露して親を困惑させて楽しむように、カラカラと喋っていました。
「その結果はどう? マユ、見違えるほど綺麗になった。母親の私から見てもそう思うぐらいだから、あなたが最初の出会いを覚えていなかったのも無理ないわね」
「アイツ、そんなことまでお義母さんに・・・」
「そうよ。たー君がせっかく出会いのことを思い出してくれたのに、怒らせちゃった。そう言って泣きついてきたんだもん。どうしたらいいの、って・・・」
 返す言葉がありませんでした。
 お義母さんはさらに続けました。
「コウゾウさん、あなたの事ずいぶんよく知ってたわよ。あなた、高校生の時、可愛い彼女と初めてベッドインして吐いちゃって出来なかったんですって?」
「なっ・・・」
 二の句が継げませんでした。
 俺はたぶん目と口をパチパチ・パクパクしていただけだったのでしょう。オヤジのヤツ、マユだけじゃなくてお義母さんにまでそんな話を。マユからそれを聞いたとき、一体だれがその話をリークしたのかとずっと考えていました。恐らくサツキとの間を取り持ってくれた同じ剣道部のヤツでしょう。俺はオヤジの情報収集能力に舌を巻きました。そして、なぜ、俺のことをそこまで気にかけていてくれたのだろうと。疑問に思いました。
 お義母さんは淡々と話を続けました。
「そんなあなたが、女性を愛し、結婚することが出来た。あなただけの力でそれが出来たのかしら。死ぬまで女を知らず、結婚も出来なかったとしたら、それであなたは幸せだったのかしら。今、あなたは幸せ? だとしたら、それは、いったい誰のお陰なのかしらね?
 あの子、コウゾウさんと付き合うようになって変わったわ。見た目だけじゃなく、女として魅力的になった。マユが綺麗になって女性が苦手なあなたを変えるぐらいに変身したとすれば、それは間違いなく、コウゾウさんの影響だわね」
 お義母さんはそう言って椅子にもたれました。 
「あなたの少年時代に何があったのかは知らない。コウゾウさん、そこだけはどうしても教えてくれなかった。でも、少なくともあなたのお父さんはあなたの幸せを誰よりも願っている。私にはそう見えるんだけどな。
 高校も大学でもお父さんと会ってなかったらしいけど、コウゾウさんはいつもあなたのこと気にかけてたのよ。マユに、あの子にあなたの会社紹介したの、コウゾウさんなんでしょ? ひょっとすると、あなたが今の会社に入れたのも、どこかでお父さんの手配りがあったからなんじゃないかしら。
 タカシさん。あなた、もうわかってるんじゃないの?」
 
 海から山に向かって真っすぐ伸びるバイパスを走りながら、ホテルに戻るのが明日の朝になることを課長に電話しました。
「ええーっ!」
 絶叫が石の文字になりケータイのスピーカーから飛び出して俺の頭を直撃するんじゃないかと思いました。
「ホント、すいません。お願いします。夫婦の危機なんです!」
 ハンドルを握りながら何度も頭を下げました。
「・・・わかったよ」
 課長は落胆しつつ笑ってくれました。
「でも・・・なるべく早く帰って来てね。愛してるわ、タカシくん♡」
 パンツ一丁で涙目になって受話器を握りしめている課長が目に浮かびました。全身の毛が逆立ちました。本当に俺はいい上司に恵まれたようです。

 ガレージにオヤジとマユの車はありませんでした。それでも、ちょっと敷居が高く感じました。
 オヤジの部屋に入りました。
 ほんのニか月前、オヤジとマユのまぐわいが行われた部屋です。
 この家は昔風の数寄屋で二十畳ほどの居間の続きに同じくらいの広さのオヤジの部屋はありました。
 元々はじいちゃんとばあちゃんの部屋でした。子供のころは何度も入っていた部屋ですが、じいちゃんとばあちゃんが亡くなって俺たちが引っ越してきてから、オヤジは二階の今俺とマユがいる居室を明け渡し、この部屋に移りました。だから、オヤジの部屋になってから入るのは初めてです。意識して避け続けて来た部屋でした。
 何かを探すというよりは、オヤジの物に、オヤジの触れた物に触れるために、それまでずっと避け続けたために空白になっていたオヤジとの記憶を取り戻すためにその部屋に入ったんです。
 本棚にはスポーツ、特にバレーに関係のある書物が整然と分類されて並んでいました。背表紙を辿ってゆくとふと、ある真新しい本に目が留まりました。
『カンタン 手遊び』
 はあ?
 他にも子守歌全集や折り紙の折り方、何冊かの真新しい絵本など、いずれも小さな子供向けか、子供と遊ぶための本が並んでいました。
 もちろん、家に小さな子供なんかいません。親戚にもいないはずです。オヤジは三人兄弟の末っ子で、年の離れた上の兄は中国大陸で戦死。下の兄は勤労動員中の工場の空襲で黒焦げになって亡くなったと聞いています。オフクロは一人っ子だしばあちゃんのほうにも小さな子供のいる親戚はいません。じいちゃんの方の遠縁の人だろうかとも思いました。市役所でオヤジが何の仕事をしているのか知りませんが、少なくとも幼児教育に携わるようなものではないはずです。
 オヤジ、幼稚園でバレー教えてんのかな?
 なかなか想像しにくい構図でした。
 縁側に向けられた文机には便箋やら万年筆やらがきちんと整頓されて置かれています。几帳面なのは昔から変わりません。
 後は、押入れです。
 襖を開けると、数段の小引き出しや段ボール箱が詰まっていました。
 その隙間に幾冊かの見覚えのあるアルバムがあり、『孝 誕生から三才まで』と背表紙のある一冊を引き抜いてページをめくりました。
 それはオフクロがいなくなった直後、寂しくて何度も開いたアルバムでした。モノクロームの、オフクロに抱かれた赤ん坊の俺を写した写真に目を留めました。
 女子高生みたいに若い、色白で涼し気な奥二重の優しい笑顔が赤ん坊に注がれていました。赤ん坊はでっかい目で不思議そうにオフクロを見上げています。撮ったのはオヤジなのでしょう。オフクロの細い筆跡で添え書きがしてありました。
『カンの虫が強すぎる赤ちゃんです。お母さん、コマッタコマッタ』
『ハイハイがとっても上手です。いつになったら立ってくれるのかしら』
『縁側から落ちておじいちゃんに助けてもらいました』
『石油ストーブをイジってはダメ! おばあちゃんにしかられているボク』
『おじいちゃんに買ってもらったサングラスをして枕に乗ってキャンディーズのマネをするボク』
 そんなオフクロの書き込みを追って次々にアルバムを取りだしては開きました。
 オフクロは俺が生まれた頃の生真面目な表情から、写真が色あせかけたカラーに変わるころには徐々に落ち着いた穏やかな笑顔を見せ始め、俺がランドセルを背負って玄関で記念撮影をした写真では眩しそうに目を細めながら、母親の貫録を見せ始めていました。オフクロの書き込みもさることながら、それまで気づきませんでしたが、そんな家族の記憶を丹念に写真に収めていたオヤジの心が垣間見えるように思えました。マユと夫婦になって、俺も目線が変わったのだと思いました。
 それが次第に書き込みが少なくなり、写真自体小学校の三年生辺りから減ってゆきました。
 五年生辺りから急に中学校の入学式に飛びました。明らかにオフクロが出て行ったのが影響しています。じいちゃんと二人で撮った校門の前の写真。それから剣道部の部活の写真とかクラスの写真。運動会、遠足、修学旅行。つまり学校からもらった写真だけで、家族の写真は一枚もありませんでした。書き込みもありません。
 例外は、恐らくはじいちゃんが撮ったらしい、中体連のブロック大会の様子と、卒業式の証書の筒を手にしたもの。
 こうして大人になってから見直すと、写真の無い空白の時間に目を向けることが出来ている自分に気づきました。
 そして最後の一冊はまったく見覚えのない、初めて見るアルバムでした。
 高校の大会の写真、それもギャラリーからの望遠で撮ったらしき写真だけが張ってありました。付箋に、ピリピリした特徴のある文字で、
『平成二年県大会団体戦にて』
『ブロック大会進出ならず』
『平成三年個人戦』
『ブロック大会出場!』
『インターハイまであと一歩』
『平成四年インターハイ出場決定!』
『決勝トーナメントへ!』
『残念! 惜しくも準決勝進出逃す』
『しかし、都立松濤創立以来の快挙! よくやったぞ、孝!』
 アルバムを開いたまま呆然としていました。
 その丁寧な、気持ちのこもった取り扱いを見て心が揺さぶられました。これが俺が長い間憎んでいたオヤジのしたことなのか、と。
 庭で蝉が鳴き、微風が風鈴を揺らし、部屋の中に流れてきました。押入れの下の段に積み重ねてあった書類が風でぱらぱら落ち、その下から、漆塗りの小箱が現れました。
 手文庫、と言うのでしょう。手紙などを入れるその古風な箱の中身を見たくなり、取りだして蓋を開きました。それぞれ違う筆跡は大部分が女性の字です。宛名は全てオヤジ。愛人たちからの手紙でしょうか。他に紐で縛った束が一つありました。差出人は全て「江川市子」とありました。一番付き合いの深かった女性なのでしょう。期待したオフクロからのものはありませんでした。
 手文庫を元に戻そうと、それが置いてあった段ボールの箱を見ると、『洋子』と書かれていました。
 これだ!
 中に詰まっていたのは、数束の手紙で、それらは全てオヤジの筆跡で『長谷川洋子様』と宛名が書かれ、ある一束は富士山の麓の所番地宛てに送られ、またある一束は広島のそれと、複数の、全国に散らばる住所ごとに括られ、いずれも『受け取り拒否』のスタンプが押され開封されないままでした。全てが『受け取り拒否』でした。返信はありませんでした。
 オヤジはオフクロをただ出て行くに任せたわけでは無かったのか。
 どうやって探したのかはわかりません。とにかくオヤジはオフクロの居場所を突き止め、何度もアプローチを試みたのでしょう。しかし、それは叶えられなかったのです。
 執念でしょうか、それほどオフクロへの思いが強かったのでしょうか。
 それまで勝手に思い込んでいた、女遊びし過ぎてオフクロに捨てられたオヤジというイメージはもう、微塵もありませんでした。
 もし、俺がマユに愛想を尽かされて出て行かれたとして、ここまでのことをするかどうか。今すぐ開封して中を見たい衝動を抑えかねました。
 段ボール箱の中にはもう何もありませんでした。が、通常あるはずのものがそこに無いのに気づきました。箱の下の蓋の合わせ目が無いのです。箱を引っくり返すとホコリと一緒に段ボールの中敷きと大きめの茶色の封筒がバサッと音を立てて落ちてきました。二重底になっていたわけです。
 封筒の中にはやや古びた分厚い白い封筒がはいっていました。

『孝へ』

 そう宛名された封筒は開封されていました。
 震える手で中身を取り出しました。
 A4のコピー用紙数十枚に、細かい文字がボールペンで裏表ビッシリ書き込まれていました。
 アルバムの写真に書かれていた文字と照らし合わせました。間違いありません。明らかにオフクロの筆跡でした。
 俺は、その手紙を読み始めました。
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