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05 マユとの馴れ初め その1

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 俺は大学を卒業してすぐ、今の会社に入りました。
 四年生の秋になっても一つも内定が無くて焦っていたある日、学生課に呼ばれました。
「なんだかよくわからんのだけど、君を指名で面接してみたいって会社があってね。話聴きに行ってみる?」
 そんな状況では誰だって否も応もないと思います。すぐにその会社に連絡をし、面接のアポを取りました。指定された日にその会社に行くと、なんと社長直々の面接ということで、心臓が口から飛び出そうなほど緊張していました。
 社長は気さくな人でした。
 俺の緊張を解すためでしょうか、最初二三世間話をしました。が、その後が大変でした。
 数十秒か、数分か、数十分か。
 時間の感覚がおかしくなるほど、一言の言葉もなく、ただジーっと見つめられて、どうにかなってしまいそうでした。
 しかし、社長が口を開いたとき、もう、俺の入社は決まっていました。
「よし、来年度から君を雇うことにする。ウチは徹底して実力主義だから、君に能が無いなら、会社に残るのは難しいかも知れん。逆に君が成績を上げればその翌月から昇給だ。それだけじゃない。すぐにでも役職を与える。昇進ということだな。そういう条件がイヤなら他を当たってくれて構わないけど、それでもいいなら来てくれ。どうだろう」
 持ち帰って考えたくはありましたが、この社長の雰囲気から、今ここで即決した方が印象がいいんじゃないか、一つの内定の無い身では選択の余地が無いと思いました。
「お世話になります」と言っていました。
 入社式からして壮絶でした。
 朝9時の始業きっかりに、社長の机の前に俺たち新入社員が整列し、社員全員が取り囲むという構図。社長が口を開いた時、式は始まっていました。
「お前ら! お前らの売ってるものは何だ。システムか、ソフトか、サービスか・・・。違うぞ。お前らの売っているものは、お前ら自身だ。十年前にたった三人でこの会社を興した時、こんなに大きくするつもりは無かった。それがここまで大きくなったのは何故だ。俺が大きくしたんじゃない。お前らが大きくなったんだ。
 営業はまず自分自身を売って来い。開発は自分自身を創れ。サービスは自分自身を磨け。そうすれば自ずと結果は出るし、お前らも大きくなる。会社がデカくなるのはあたりまえのことだ。新人も先輩もない。とにかく自分自身を創って磨いて売って来い!
 以上だ」
 時間にしてたった一分。式が終わると直ちに業務が始まっていました。凄まじいまでの実質本位の会社でした。
 社長の言葉には少しもウソはありませんでした。
 同期は十名でしたが、そのうち三人があっという間にリーダーという一番下の役職に昇進しました。彼らはその時から俺の一・五倍の給料を取ることになりました。五人が一年間で辞めました。残った二人の内の一人が俺でした。俺は死ぬ気で頑張りました。
 もともと人付き合いが苦手で、あまり人とコミュニケーションを取ることがない開発の部署を希望していたのですが、最初からセールス・エンジニア、つまり営業に配属されました。毎日が辛くてめげそうでしたが、なんとか頑張れたのはただ一つ、オヤジに見下されたくなかった、という一念でした。
 オヤジにだけはバカにされたくありませんでした。大好きだったオフクロを奪ったオヤジが未だに許せなかったのです。ただそれだけをバネに、俺はなんとか日々を生きていたのです。
 一年が過ぎ、同期だった、もう一人のヒラも辞めていきました。
 何とか実績を作りたかった。ですが、それは簡単なことではありませんでした。
 最初の半年は月に一件も契約が取れませんでしたが、その次の半年でやっとコンスタントにある程度の成果を上げることができるようになりました。すでに昇進していた同期に比べれば契約額にして半分以下でしかありませんでした。それでも俺は会社にしがみ付いていました。
 会社のクリスマスパーティーがあった日の夜、遅くに帰社すると、パーティーも終わってオフィスには誰一人いませんでした。ドサッと、自分の席に身を落としました。その日に会った人々の澱のようなものが体の中にドロリと溜まっているように感じました。
 キーボードの上に一片の紙切れがあるのに気付きました。クリスマスカードでした。
 そこには袋を担いだサンタクロースの絵が描いてあり、その吹き出しに、こう書かれていました。
「ガンバレ!お前にはまだ見たことのないようなでっかいプレゼントが待っているゾ」
 名前はありませんでしたが、筆跡ですぐにそれを書いたのが社長だとわかりました。
 十分間くらい、誰もいないオフィスで声を上げて泣きました。
 泣き終わると給湯室で顔を洗い、デスクに戻って終電までに書類を仕上げました。離職率の高い会社と聞いてはいましたが、不思議に嫌な雰囲気で無かったのは、一つには社長の人柄のおかげもあったと思います。
 そんな風にしてなんとか恰好がつく成績が出せるようになった頃。ある体育大学のシステム更新の営業中にオヤジに出会いました。、俺もオヤジも愛想がありませんでした。五年ぶりぐらいに会ったのに些かも容姿に衰えが無いオヤジに、内心驚きました。
 若いころバレーボールの名選手で、オリンピックに出てもおかしくないほどのスタープレーヤーだったといいます。現役引退後もオヤジはしばらくプロの指導者をしていました。やがてそれも辞め、地元の市役所に勤め始めました。勤務の傍ら、ボランティアであちこちの高校や大学のバレー部に出入りしては指導する、顧問のようなこともやっていました。
 オヤジは俺を見てただ一言、
「早く出世しろ」と吐き捨て、去って行きました。
「ちっくしょーっ!」
 久しぶりにオヤジに会い、俺のエンジンにまた燃料が注入されました。
 次の日から俺はまた遮二無二働き出しました。
 その甲斐あってか、三年目にやっとリーダーになることができました。いつの間にか先に昇進した同期も辞めて行き、残ったのは三人になっていました。一番遅い昇進でした。それでも泣きたいほどうれしかったことは今でもよく覚えています。
 その年、入社してきた十名ほどの新人の中に一際背の高い女の子がいました。入社式で、彼女は顔一個分高かったので目立っていました。
 寝癖のついたショートカットの髪を整えもせず、ガニマタで歩き、いつも眉間に皺を寄せて不機嫌な表情をしていました。俺はこの女の子に密かに「ガニマユ」という綽名をつけました。
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