疫病神の誤算 -母親に殺されかけた少年が父親になろうとしてやりすぎて娘にベタベタされる話-

kei

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「あたし、由梨んちに生まれたかった」
 素直には信じられなかった。
 美奈が自分をそんな風に見ていたなんて。気遣いだと思っていた。だから聞き流していた。
 自分よりはるかに恵まれている。自分に比べ全てに秀でている。そう思っていた。美奈みたいになれたら。何度そう思ったか知れない。その美奈が自分をそんな風に思っていたなんて。そこまで思いつめていたなんて。
 親友の肩にそっと触れ、撫でた。
 それを待っていたかのように美奈はわあーっと声を上げて泣き出し抱きついてきた。
 抱き締めた。何故だか、自分も泣けてきた。二人して泣いた。気が済むまで、泣いた。散々泣きはらしてお互いにぐちゃぐちゃになった顔を見せあった。
「わかってた。最低のことしてるって。だから言えなかった。由梨は大事な友達だから。だから由梨を巻き込みたくなかった。大事な由梨を汚したくなかった。由梨に嫌われたくなかったんだよ」
「彼氏いるじゃんね。彼氏いるのにそんなこと・・・」
「彼氏が!」
 美奈は声を荒げ由梨を遮った。歪んだ顔を掌で隠しながら、吐き出した。
「彼氏から頼まれたんだよ。最初はね」
 息を、呑んだ。
「お金が要るんだって。付合いとかあるからすぐ無くなるからって。最初はお小遣いから貸してあげてた。でもすぐ足りなくなった。『じゃあ家から持って来いよ。それが出来ないなら、稼げよ』って。稼げないならもう会えないって!」
 美奈の父の単身赴任は三年目になる。
 父が不在になった半年後くらいから母の様子がおかしくなった。昼間のパートのはずなのに残業と言ってしばしば美奈が帰宅しても家にいないことがあった。最初は週に三日ほどのことだったがすぐに毎晩になった。寝る時間になっても帰って来なくなった。独りで母が作った夕食を温めて食べた。寂しくて父に電話してもいつも留守電になる。返信は無かった。
 母は次第に家の中の事をしなくなっていた。
 掃除も、洗濯も、美奈の食事さえテーブルの上に置かれる千円札に変わった。コンビニで適当に買いなさい。最初はメモがついていたが、そのうちにそれすら無くなった。朝帰りが毎夜になり、一日の間に母の顔を見るのは朝学校へ行く前だけ。見たことも無い派手な服のまま化粧も落とさずに居汚く口を開けた母の寝顔を見て登校した。ここ最近はそれさえ見ていない。学校へ行く時間になっても帰って来ない。相変わらず父からも電話がなかった。
 外に見えるところだけは自分でしなくては。最低限の洗濯とアイロンがけと掃除やゴミ出しはした。他人にだらしないと思われたくなかった。転校を繰り返すうち、少しでも他人と懸け離れた存在とみなされた友達がイジメられるのを何度も見て来ていた。
 部活や塾で忙しい合間を縫って独りで家事をした。それなのに、学校から帰ると母がリビングや台所にやたらと服や下着を脱ぎ散らかし、タバコの匂いのするビールの空き缶やワインのボトルを転がしていた。ごみ箱からは異臭もした。洗濯籠には明らかに父の物ではないとわかる派手な男性用の下着さえあった。母は美奈の留守中に父以外の男性を連れ込んでいた。ゴミや汚れ物を拾い集めながら、ぽろぽろ涙をこぼした。情けなくて。淋しくて。心細くて。
 心の隙間を塾で知り合った中学生の彼が埋めてくれた。すぐに体の関係になった。もちろん美奈は初めてだった。彼は最初、優しかった。
 美奈が中学に上がり部活で忙しくなると彼氏の態度が急変した。
「何でもするから嫌いにならないで」
 彼はお金に困っていると言った。嫌われたくなかったからお小遣いから貸してあげた。
「オヤジとエンジョすればもっと稼げるぞ」
 驚いて彼の顔を見た。優しかった彼がそんなこと言うなんて。もちろん、嫌だった。断ると、付き合って欲しいならやれと言う。
 見放されたくなくて我慢した。出会い系の携帯サイトの使い方は彼から教わった。最初の相手は彼が見つけた。
 怖くてたまらなかった。
 最初の相手との初めて行為に及んだ時、ベッドの上で吐いた。相手は怒って帰ってしまった。彼から叱られた。そんなことじゃ稼げない。嫌なら別れよう。そう言われたくなくて我慢して相手を募っては会うことを繰り返した。彼から教わったことをすると喜ぶ相手もいたが、何も知らないフリをするほうが楽だったし相手も喜ぶのを知った。
 稼いだ金は全て彼にあげた。彼は美奈がお金を渡すととても喜んだ。そして一晩中頭を撫でてくれた。彼が喜ぶから我慢もできた。それでも幸せだった。
 しばらくして彼に裏切られていることを知った。美奈が彼に上げたお金は別の女とのデート代になっていた。幸せは一転して絶望に変わった。美奈は彼を詰った。
「お前みたいなズベ公と真面目に付き合うわけねえだろ」
 彼は薄笑いを浮かべながらそう答えた。
 彼とは連絡がつかなくなった。何処にも心の安らぐ場所が無くなった。
 何度も由梨に打ち明けようとしては思いとどまった。そんなこと大切な友達に相談できない。内心の不安と虚無を押し隠して過ごした。
「オヤジらさ、みんなアホばっかりだった。わかってた。嘘の優しさだって。悪い事してるってわかってた。でも、それでも嬉しかったんだよ。嘘でも、可愛いね、綺麗だね、って言われながら抱きしめられると嬉しかったんだ。やめられなかった。彼氏にフラれてからは気に入った優しい人としかしてない。同じなんだけどね、体目当てなのは。それでも嬉しかった。
 達也に見つかって、アイツ馬鹿だから皆に言いふらすと思った。もう終わりだって。そう思ったら自分でも知らないうちに達也に持ち掛けてた。そんなことすればもっと苦しくなる。絶対由梨坊にバレる。由梨坊に嫌われるって。
 でも、多分、もう由梨に、バレたかったんだと思う。もう疲れた。助けて欲しかった。終わりにしたかったんだよォ!」
 悲痛な叫びが由梨の耳を弄り、揺さぶった。親友の背中に回した掌に力が籠った。
 自分が単なる我儘で両親に甘え反抗している陰で、美奈は甘えることはおろか孤独を耐え、地獄を舐めていたのだ。美奈の家でお菓子の山を前にしていた時、既に彼女は深い苦悩の底にいたのだ。だから自分を「羨ましい」と言ったのだ。だから父を、治夫を「ちょうだい」と言ったのだ。
 恥ずかしかった。とてつもなく、恥ずかしかった。後悔しかなかった。
 体の中に凝り固まっていたどす黒い憎しみが潮が引くように消えていった。自分は一体何に拘っていたんだろう。なんてバカだったんだろう。
「バカなやつ」
 由梨は小さく呟いた。自分の事か、美奈の事か。多分、両方だ。
「ごめんね、美奈。ごめんね」
 小刻みに震える美奈の背中を抱いているうちに、沸々と沸く怒りと無力感とが交錯した。由梨もまた、誰かに縋りたかった。しゃくりあげる美奈の髪を撫でながら、それはごく自然にというより、当然のように浮かんだ。
 この世界にたった一人だけ、この事態を解決できる人間がいる。
 この一年余りの間すぐ身近にいながら嫌い、邪険にしてきた。本当は赤の他人のくせにとバカにしていた。
 それなのに、あんなに酷い仕打ちをしておきながら、心の奥底で絶対の信頼を置いてきた。頼ってきた。彼なら必ず助けてくれる。
 治夫なら絶対助けてくれる。無条件で受け入れてくれる。そこに山のように動かしがたい確信があった。
 そう思ったら由梨の行動は素早かった。立ち上がり美奈の手を取った。
「ウチに行こう。お父さんに話してみよ」
「そんな・・・。だって迷惑だし、無理だよ。もうあたしの家はどうにもならないよ。手遅れなんだよ」
「大丈夫。お父さん、そんな話聞いたら絶対ほっとけない人だから。必ず美奈を助けてくれる。だから、行こ」

 黎明の北風は冷たかった。それでも黙々と自転車を漕いだ。時折後ろを走る美奈を気遣いながら、家を目指した。
 家の窓には煌々と灯りがともっていた。
 父は起きている。自分を心配して寝ずに待っていてくれているのだ。胸が痛んだ。カギはかかっていなかった。どきどきした。勇気を出してドアを開けた。深呼吸して、叫んだ。
「ただいま!」
 すぐにドカドカと足音が近づいてきた。心臓が口から飛び出るかと思ったが、拳を握りしめて堪えた。会社の作業着を着たままの父が出て来て目の前に立った。父は今までで一番恐ろしい顔をして自分を見下ろしていた。
「どういうことだ」
 地獄の底から響いてくるようなその低い声に身が竦んだ。父が腕を振り上げた。思わず目を瞑った。一瞬。眼を開けると美奈が父にしがみついていた。
「おじさん! ごめんなさい。由梨を叱らないで。悪いのはあたしなの。あたしが付き合わせちゃったの。連絡もさせずに、ごめんなさい」
 肩を強張らせながら振り上げた腕を下ろしかねていたが、しばらくして優しく美奈の手を解いた。
「美奈ちゃん。悪いけど、何があったのかは後で聞く。でも、これはウチの問題なんだ。親と子供のケジメの問題なんだ」
 父は再び由梨に向き直った。
「由梨。目を瞑れ。歯をくいしばれ」
 観念して言われた通りにした。時間がとてつもなく長く感じられた。そうして頬に来るだろう激痛を待った。でもそれはいつまで待っても来なかった。
 いきなりガッシリと抱き締められていた。今まで父に抱かれたどの記憶よりも強く、暖かく包まれた。体の奥からじんわりと温かいものが溢れだし、あっという間に奔流のようになって空になりかけていた由梨の心を満たした。
「この、大馬鹿野郎! どんだけ心配したと思ってるんだ!」
 激しい電気が体を走り抜けた。力が抜けた。あの日、寝ている治夫に悪戯して抱きしめられた時の感覚が蘇った。
 これなんだ。これを待っていたんだ。
「ごめんなさい!」
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