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09 派閥と派閥

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「あれから15年か。手のひらに乗るぐらいだったマユミが、青い経験しちゃうんだもんなあ・・・」
 革張りのシートに包まれながら、会社までのわずかな道のりで来し方をリフレインしたりしました。

 裏口でいいですからと何度も言ったのに、ミヤケさんは、
「それでは社長に叱られますから」と聞いてくれませんでした。
 正面玄関のエントランスど真ん中につけた社長専用車から降りました。
 わざわざ車を降りてドアを開けてくれようとしたミヤケさんをさすがに断り、車を降りてから彼に最敬礼しました。
「ありがとうございました」
 会社は以前入居していたオフィスビルからほど近いところにある高層ビルに移転しました。最上階の展望フロアの下5階分がわが社の本社オフィスになっています。
 高層階行きのエレベーターで受付階である50階に上りました。
 ここに席のある社員なら直接自分の階に行けばいいのですが、俺は子会社の社員ですからまず受付で入館の手続きをとる必要があるのです。週に一度は本社に立ち寄るのでもう顔見知りになった去年入社の受付の女性社員にこんちわと挨拶すると「課長」と呼びかけられました。
「ハイ」と応えると、
「ミヤモト専務がお待ちになっています。秘書課においで下さいとのことです」
 えー、と思いました。
 そんな呼び出しなんかメールか電話で済むのに、なんでわざわざ受付の伝言なんかと訝りました。
 でもすぐにこれは社長の意を受けたミヤモトさんの策略だと気付きました。
 今回社長から言い渡された人事は実績重視の社風を持つわが社でさえ破天荒と言えるものです。なんせ課長からいきなり役員や執行役員に昇格させるわけですから。
 会社が大きくなった分、いろいろと身軽な動きが取れなくなっていたのです。別れ際、社長がボソッとこぼした言葉を思い出しました。

「昔から言ってるだろう。
 俺はこれ以上会社を大きくするつもりはねえんだって。
 だけどな。お前らが大きくなれば自然に会社もデカくなる。これ以上デカくなったら、もう俺には纏めきれねえんだ。せいぜいワンフロア。一目で見渡せる範囲が俺の限界なんだ。これからはお前ら若い奴らで会社を切り回していってくれ。もうジジイの出る幕じゃねえんだよ」

 ですが、守旧派という人たちはどこの会社にもいるものです。
 社長の方針に反対する勢力があるのです。役員会では彼らの方がやや多数派でした。その彼らに対抗するために、過度に俺やマユを社内に印象付けるための策略なのです。
 たぶん昨日、マユも同じ目に遭ったのでしょう。だからあんな疲れた顔をしていたのです。

 受付の彼女に礼を言って再びエレベーターに向かいました。背中で受付の女性同士がヒソヒソ話しているのが聞こえてしまいました。
「先輩、あの人がハセガワ課長ですか」
「そうだよ」
「ステキ!」
 エレベータを待つ間、火照った顔を持て余しました。「ステキ」なんてウワサされるのは生まれて初めてです。マユが期せずして創り上げていた社内人脈のせいもあるのでしょう。俺達を持ち上げる社長の策略は十分以上に効果をあげているようでした。
 また、手の込んだことをと思うのと同時に、社長とミヤモトさんの必死さが身に染みました。

 会社が占有するフロアの最上階に役員室と総務部があります。役員室に入るには再度秘書課で受付を済まさねばなりません。
 会社が大きくなるにつれ、社風もそれまでの体育会系のノリが影を潜め、代わりに鯱張った慇懃無礼風味が鼻につくような風がどこもかしこにも吹いていました。
 俺はそれが嫌で本社では努めて昔のままのふるまいを続けていました。
 勝手知ったように
「ちわーっす」と入り、カウンターの上のセンサーにスマートフォンを翳しました。
 センサーがスマホの中の氏名社員番号などのデータを読み取ったことを示す表示がPC画面に現れ、入室要件を記入するフォームに書き込みます。あらかじめスマホ内のフォームで書き込んでおく方がスムーズに手続きが済むのですが、俺はスマホで文字を打つのが昔から苦手なのです。電車で女子高生がくるくると指を動かしているのを見るたびに、オジサンであることを痛感してしまいます。マユとのエロLINEなら全然苦痛じゃないのですが・・・。
 ふいに手の中のスマホのバイブが鳴りました。
 廊下に出て窓際に寄り表示を見ました。マユミからでした。娘には中学入学を機にスマートフォンを買い与えていました。
「どうした」と俺は言いました。
「あのさ、お父ちゃん、今日帰り遅い?」
「あ~今日かあ。会社はすぐ終われるんだけど、帰ったらお父ちゃんとお母ちゃん、行くとこあるんだよな」
 目の前を顔見知りの秘書課の女性社員が通り過ぎたので手を振りました。
 ミヤモト専務の担当秘書でハナムラさんというチャーミングで明るい、形のいいヒップが印象的な女性です。二十代後半ぐらいでしょうか。ミヤモトさん好みの女性だなあといつも思っていました。彼女はニッコリとお辞儀をして通り過ぎてゆきました。
「ああ、もしかして、またまたマコ?」
 マユミは察してくれてました。さすがお姉ちゃん。弟妹たちをよく見ています。
「やっぱ、わかるか。実はそうなんだ。で何だ、何かあるのか」
「じゃあ、いいや。明日でも」
「電話じゃ言えないのか」
「そんな急な話じゃないし。いいよ、ヒマな時で」
「そうか、悪いな。お父ちゃんこれから打ち合わせなんだ。明日は何とか時間作るから。明日話そう」
「お父ちゃん」
「ん?」
「お仕事がんばってね」
 なんという可愛い娘でしょうか。今朝の頬を赤らめたマユミを思い出し、また萌えてしまいました。
「おう。ありがとな。帰り道、気を付けるんだぞ」
 秘書課に戻り、手続きの続きをしていると、ハナムラさんが「ハセガワ課長」と呼びかけてきました。
「ミヤモト専務は今用談中なのでここで待っていて欲しいとのことです」
「ハイ。了解」
「課長」
 ハナムラさんはカウンター越しに品のいいコロンの香りを送ってきます。
「課長のお宅ってお子さんに『お父ちゃん』て呼ばせてるんですか。すみません、電話しているの、聞こえちゃったんです」
「ああ。べつにいいよ」
 と俺は笑いました。
「うん。だってさ、この顔で『パパ』とか『お父様』とかないだろ。カミさんもあんなだし。ウチは『父ちゃん母ちゃん』がお似合いなんだよ」
「ステキですよ、それ。私も子供ができたらそうしようかなって思ってるんです。マネしてもいいですか」
 ハナムラさんには婚約者がいます。
 年末に挙式予定と聞いていました。会ったことはありませんが、彼女のフィアンセは学生時代ラグビーをしていたゴツイ人らしいです。
「美女と野獣って言われてるんですよね」
 以前彼女は真顔で教えてくれました。面白い女の子だなと思いました。
 彼女の未来の旦那様は商社にお勤めで、今中東に赴任中だということです。
「いいよ、もちろん。でもキミはどっちかていうと『ママ』って感じだけどなあ」
「そんなことないですよ。私マユさん尊敬してますから。あんな女性になりたいなあって思ってます」
「ええーっ?」
 大袈裟に驚いて見せました。
「キミ全然タイプ違うだろ。もしかしてカレの尻引っ叩いたりするの?」
「叩きますよ、もちろん。当然です」
 手を上げるジェスチャーをしながら彼女は笑いました。
「朝なんか起こしても起きない時は蹴っ飛ばしますから。戦車みたいな人なんでその程度は全然ヘーキなんです」
「ウソぉ。全然想像できないよ。いやまいったね」
「十月に入ったら式の招待状出します。是非ご夫婦で来てくださいね」
 それを聞いて、ミヤモトさんはまだマユの件を自分の秘書にさえ明かしていないのだということがわかりました。もし社長の話をマユが受けるとすれば、十二月にはもう東南アジアに赴任しているはずなのです。
「もちろん出席させてもらうよ。いいね。幸せいっぱいって感じだ」
 そこでゴホンと咳払いが聞こえました。
 秘書課の課長は俺より年次の古い人です。黒縁の眼鏡の奥から俺を睨んでいました。社長やミヤモトさんとは別の派閥に属している人です。
「おう、ハセガワ。待たせたな。ラーメン食いに行くぞ。付き合え」
 そこへミヤモトさんの声がかかりました。ドアの隙間から顔だけ出していました。秘書課の課長はそっちに顔を向けました。
「行ってらっしゃいませ」
 ハナムラさんが美しい完璧な会釈をしました。
「社長と緊急以外の電話は取り次がないようにな」
 ミヤモトさんは俺に顎をしゃくって、来いと言い首を引っ込めました。秘書室には入りたくないという感じでした。
 エレベーターを待っている間、ミヤモトさんは俺を睨みました。
「お前、ミッちゃんに手出すなよ。婚約者いるんだから」
「知ってますよ。出しませんよ。出すわけないじゃないですか。殺されますよ、ウチのに。間違いなく」
「俺もなあ、あんなババアと縁り戻さなきゃ彼氏から奪っちゃうところなんだがなあ。いい娘だよなあ。いいケツしてるし。いい嫁になるぞ、ありゃ」
 何を言ってるんだろうこの人は、と思いました。
 だって、ハナムラさんに未来の旦那様を紹介したのは他ならぬミヤモトさん自身なのですから。ミヤモトさんは母校のラグビー部OB会の幹事を務めているそうですが、その関係だと聞きました。

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