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後編
第十七章 博士達の暗躍-4
しおりを挟む「気がついたかね?」
しわがれた、年寄りの声だった。
簡易だが寝台に横になっているのもわかる。しかし身体は動かない。
(俺は……この爺さんに、直々に拷問されるか研究対象にされるのか……ま、ロボットよりいいか)
さてどんな苦痛が来るのかーー目を閉じて待ってみるが、いつまでたっても何も起きなかった。
そっと目を開けてみると、声をかけた老人が大きなため息をついている。
「全く、思い切ったことをするのう。若さとは恐ろしい。そう死に急ぐもんでないぞ」
「え?」
よくよく見れば、身体は動かないが、特に拘束されているわけではなく、手当てなどもされている。
「あれ? 俺これから解剖とかされるんじゃ?」
「……そうして欲しいならやってもいいがね、ほれ、ちゃんとメスもあるぞよ」
キランとメスが光り、ディルクの姿を映す。
しかしディルクがゴクリと唾を飲み込むと、老人は笑い出した。
「全く、主はわしをなんだと思っておるんじゃ」
「……えっと、どちら様で?」
すると老人は白いあご髭を撫でながら、ディルクを見返して言った。
「わしはこの研究所の責任者じゃよ」
「なっ……」
やはり魔法使いを拷問にあわせている張本人、敵ではないかーーディルクは即座に身を起こそうとしたが、すぐさま上体が倒れこむ。
「動けぬじゃろう? ひょっひょひょ。そうじゃろうて。この薬は筋肉を弛緩させ動けなくするーー」
「くっ、俺をどうする気……」
「主に投与したのはこっちの栄養剤じゃがの」
ディルクが呆気にとられるのと、老人がおでこをつんっと押してベッドに転がるのは同時だった。
「……お主の脱力は単に貧血じゃな。随分と血を吐いておったでのう」
掴みどころのない老人だった。脅すのかと思えば、冗談めいたこともする。ディルクは警戒心を一層強めた。
「そう怯えんでもよい。わしはお主を知っておるでな。もっとも話すのは初めてじゃが」
「俺を……?」
「主、さては昔あれだけ王宮に出入りしていて、カメラの一つにも捉えられていなかったとでも思うてたのかね。こう言ってはなんじゃが、王宮の個室以外はカメラの宝庫じゃぞ」
今度こそディルクは動揺を隠せなかった。老人の話はそう、彼が王女に手紙を届けていたーーもう五年も前の話だったからだ。
ディルクが防犯カメラを知ったのはライサと死の軍基地に行った時である。当然その前まで対策などしたこともない。
王宮に仕掛けられているのなら、ディルクは全くの無防備で映されていた筈なのだ。
「つまりわしがお主を見逃すのは初めてではないからのう。ふむ、わしは随分と主を見てきておるが。王宮潜入の数だけな」
淡々と事実を告げる老人。ディルクはあまりの真実と自分の無知ぶりに動揺を隠せない。
「な、どうしてそれで俺は今まで見つからず……」
「もちろんわしが端から、主のデータを消去していたからじゃの」
こともなげに返される。さて、何のためにーーと思ったところで、即座に王女の顔が浮かんだ。
(この辺の根回しはしていてくれたのか。お姫さん)
額に手を当て、思わず唸る。そんなディルクの反応を見て老人は満足げに頷いた。
「心当たりがあるようじゃな。さて……」
老人は今度は戒める口調で続ける。
「それにしても今回は無謀すぎじゃ、馬鹿者め」
そして輪も何もない額をツンツンとつつく。
「慎重派の主らしくない。全く今日はどうしたというのじゃ?」
計画的な行動とも思えぬしな、と呟く。本当にディルクをよく知っている。
「潜入するならせめて魔力が回復してからにせぬか。騒ぎが大きくなりすぎて収めるのに苦労したわい。のう、上級魔法使い殿ーー」
「いや……なんか、えっと、すみません……?」
何かを返そうにも、自分を知り尽くされつつ、全く相手のことが分からないディルクにはそれしか言えなかった。
老人はふと息をつくと窓の外に目をやる。
「なかなか難しいんじゃよ。犠牲をゼロにするというのは。なにせあれだけの戦い、恨みつらみも数知れず……これでも秘密裏に帰せる魔法使いたちは帰しておるんじゃ。軍ではもっと残酷なことが行われておることも知っておるが、どうにも手が回らぬ。戦いは、まだ終わっておらんのだ」
その言葉は暗に、ジェイド達十名は助けられないことを意味していた。
ディルクは唇を噛む。自分こそ助けられていて、これ以上など言えるわけがない。
「命を粗末にしてはならぬぞ、若者よ。助けるならちゃんと力をつけ、完璧に助けたらいいんじゃ。お主に救える命は山程あろう?」
ディルクは枕に顔を埋める。
何も出来ない、無力な自分が悔しくて仕方がない。何が上級魔法使いだ、何が東聖だと。
結局大事な人も行方知れず、同朋を失い、目の前の自国民すら助けられない、魔力もない、ただの役立たずではないかと。
老人はディルクの頭に手を乗せ、ポンポンとなだめた。
「わしは独り者じゃて家族はおらぬが、先日孫のように思っておった娘が逝ってしもうてな。親しくしていた王家の者もお亡くなりになったか行方知れず。願わくばもうそんな悲劇は繰り返したくはない。お主にも死んで欲しくない」
老人はいつもディルクが映っていたカメラのデータを、人知れず消去していた。
ディルクが知らずとも、何度も何度も見かけている。それなりに情の一つも湧くものだという。
ディルクは知らない間にこんなにも自分が助けられていたと知り、胸がじんわり熱くなってきた。
それなのに、死んでもーーなんて思ってしまった。これは完全に弱音だ。
ディルクは上体を起こし姿勢を正すと、ぺこりと頭を下げた。
「すみませんでした……気づかなかったとはいえ、助けていただいた命を粗末にしてしまうところでした。俺も精一杯……命尽きるまで、生きようと思います」
力が及ばなくても……大事な人がいなくてもーーと、拳を握りしめる。
老人は微笑んで頷くと、ディルクを裏口へと案内した。
「今は辛くとも負けるでないぞ、若者よ。えーと……」
「あ、ディルクです。貴方は……」
するとその時、研究員と思しき人が背後から声をかけた。
「ここにおられましたか、ブルグ博士! 折り入ってお話が」
「おおそうかね。今行く。ではまたな、ディルク君」
一方的に言うと老人は急いで仕事に戻って行った。
「ブルグ……博士……?」
ディルクがその老人を宮廷博士の一人と知るのは、もう少し後のことである。
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