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第6章 嫉妬したオルフェウスに…

1 冥府の王ハデス降臨

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「うわぁっ」

 猛烈な風圧を真正面から受けて、ズササササーーーッと大理石の上を滑るように後退った。

「くっ…」

 何が起きたのか。
 咄嗟に闘気アルケーを高め、両腕を顔の前で交差して堪えたもののビリビリと痺れが全身に走る。
 なんという威力なのか。
 両脚にすさまじい重さを感じて、とてもじゃないが立っていられない。

「ハデスッ、やめてくれっ」

 上方からの咎めるような声を耳が捉え、まさに膝から崩れ落ちると思った――その刹那、ふわんっと身体が楽になった。

(えっ…)

 目の前に青灰色を帯びた被膜のような霊気の壁が現れている。
 と背後から声がした。

悋気りんきを少し抑えてもらえませんか、冥府の王よ」

 よろめいた背中にトンッと何かがあたった感触に視線を向ければ、見知った美貌に腰を支えられていた。

(オルフェウス…)

 間髪入れずに現れた驚きと心の底からの安堵とが、ない交ぜとなった状態で凝視する。
 間違いなく来てくれたのだ。
 美しく長い髪をなびかせて、闘気を放つ片手を前にかざして。
 その冷ややかに先を見据える姿に胸を熱くし、そしてつられるようにして前方へと顔を戻した。

(なん…だ…)

 瞬きをするか、しないかほどのほんのわずかな間だったというのに。
 どういうわけだか目の前にいたはずの王妃が石段の上へと舞い戻っている。
 しかも、その場にいるのは王妃だけだ。
 後ろにはこの神殿の崇拝対象である、二叉槍を左手に持ち、右側には三頭を持つ地獄の番犬を侍らせている長大な石像があって。
 他に誰もいない。
 冥府の王よと呼びかけた、オルフェウスの言葉は何だったのか。

(でも…あれは…)

 すぐさま異常な様相に気がついた。
 王妃の体勢がおかしいのだ。
 背後から見えない誰かに強引に抱えられているような姿勢だ。
 宙に浮いている両足も、外套クライナによる皺もその疑念を後押ししている。

「離してくれっ、ハデスッ」

 なによりもバタバタと王妃が両手を腰に置いて抗っている姿が裏付けていた。
 見えない誰かがいるのだ、確かに、そこに。

「これ以上の接触は許さない」

 低く怒気のこもる声が場に響いた途端にボワンッと、防御壁となっている目の前の霊気の層が波打った。
 ぴぎゃっとトリトスの悲鳴のような叫びが頭の中に聞こえ、バサッと天馬が囲うように翼をさらに上に広げた。
 白い霊気で全身を覆っている。
 背中に乗せている小さな聖獣を守るためだろう。

「戻るぞ、ペガサス」
「ま、待ってくれっ、ハデス、まだ彼と話がっ」

 王妃の必死の懇願を、ダメだと一蹴した声の、その上部の天井でスォンッと光の水紋が広がった。
 いやだ、離せってばと最後まで逆らう身が吸い込まれるようにしてみるみるうちに上昇していく。

「必ず、期日内に完遂させろ…必ずだ」

 念を押すような、鋭い一言のみを残して。
 揺れ動く光の波の中へと、声の主とその透明な両腕に拘束された王妃の姿があまりにもあっさりと消えた。


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