運命の相手

黒猫鈴

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笑ってしまう(リズ視点)

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「これ、いいよね」

瞼の裏に笑顔の男がいた。
それは2人で暮らし始めて少し経った頃の記憶か。

珈琲のカップが割れてしまい、どうせならお揃いの物を買おうと言ってきたのは相手からだった。
お互いが珈琲が好きだから、購入を反対する気は俺にはなく
近くのスーパーで生活用品コーナーでそれなりに綺麗な模様のした色違いのカップを購入したのだった。

「リズのは水色、僕のがオレンジ色だ」

真っ直ぐ伸びた水色線の上下に小さな点が付いたものが俺ので、オレンジ色のがその男のものだった。

「間違えて使わないようにしないと…」

そう漏らす男に俺は呆れたようにため息する

「丸分かりだろ」
「色違いなだけで余所見をしていたら間違うかもしれない」

余所見をしなきゃいい、なんて言っても仕方ないと俺は分かっていたので

「…俺は珈琲を淹れないから間違うこともない」
「……僕だけ淹ろと?」
「ああ」
「…俺様め」

ぼそりと呟いた声は俺に届いていたが無視した。
何より不満そうな顔をしているも、男は否定していないのだから。
困ったように笑った男は俺が珈琲を所望したら必ず淹れてくれた。
それから俺が珈琲を淹れることはなく、甘い甘い珈琲を差し出してくれるのだ。



「…不味い」
シンクには無残に砕けたガラスとミルク色の珈琲が行き場をなくして排水溝に溜まっていた
あの男と作り方は一緒だった筈なのに…何故こんなにも不味く思ってしまうのか。
珈琲のミルクは同じ
砂糖だって4つ入れた

違うのはあの男が仕方ないと笑み渡してくるカップ
少し冷ましてから飲む習慣のある男と一緒に飲んでいたから必然的に珈琲は少し温くなっていた。
じゃあ熱さが丁度良かったか?

「いや、違う」

わかっている
あの男が淹れたから美味しいのだと。
あいつがいなきゃ…駄目だと…

「…くそ」
自然に出た悪態に、丁度電話が掛かってきた。
秘書からで会社に来てほしいという催促電話だった。
仕方なしに出れば
「早く来てください!仕事が溜まってます!」
と秘書の必死な声。
お願いします、懇願に似たそれに頷くしかなかった。

「よかった、あの」
「車を寄越してくれ」

喜ぶ声を出す秘書の電話を切るとまた台所に戻る。
シンクに残したままのガラスを片付けなければならない。

ガラスに手を伸ばした。
途端にチクリと皮膚に何か刺さった痛み

指を見れば小さなガラスが刺さっているのを確認した
皮膚から染み出た赤い血を眺める

「あぁ!血が出てるじゃないか」

声がした
男の声だった。
勿論部屋を見回しても男がいる訳がない
わかっていたが見ずにはいられなかった。

「……別に放っておけばすぐ治る」
「君は看護士を馬鹿にしているのか?…菌が入れば酷いことになることもあるんだ」
「………」
「手を出して。処置するから」

言われた通り手を出してみるが、勿論相手が居るわけもなく宙に自分の手があるだけだ。

「ほら、包帯巻いたからこれで大丈夫」

包帯なんか巻かれていない。
未だに血は滴って落ちていく

「……何もしてない」
「怪我するなよ」
「…」

一方的に進んでいく会話に俺は黙った

わかっている
これは数年前にした会話だと。
あの時は紙で手を切ってしまった時だった
少し血が出たくらいで男は、真剣に手当てをしてくれた。
大袈裟に包帯も巻かれた指に、男は出来たと笑みを浮かべていて…包帯を取る気にはなれなかった。



「…もう、包帯は巻いてくれないのか?」

あの時より重傷だぞ、と言ってみた声はあの男に届くわけなどない
消えた男…
いない運命の相手…

以来やる気が出ない
味覚も馬鹿になった
胸が苦しくて…
息も出来ないほどだ…

あいつがまるで酸素みたいだった
あるのが当たり前すぎて…わからなかった。
酸素がいなきゃ息が出来なくて死んでしまうのに…
それすらもわからなかったのだ



「…行くか」

仕事だ。
玄関を出る。
エレベーターが左手にありそれに乗り込むと1階のボタンを押した
途端に下がるエレベーター。
鏡に映る自分の後ろを見る。
よく俺の後ろに立っていた…男を思い出した

そう言えばあいつはエレベーターが苦手だった。
乗るときは必ず俺の後ろが定位置。
それ以外は階段を使っていたらしいが俺が一緒の時は必ずエレベーターを使っていた。

気持ち悪いという風な顔の男に俺は何度か笑いそうになったこともあった


扉が開いた。
マンションの玄関が見えてエレベーターから下りる。
車はまだ来ておらず仕方なしに騒がしい街中に溶け込んだ
どうせ見つけるだろうと俺は急ぎ足で会社に向かって歩き出す



「っ―美味しい」
途中の喫茶店
あいつが大好きだと言ったワッフルの美味しい喫茶店。
俺も何度か連れて行ってもらい甘いワッフルを食べた。
確かに美味しく、甘い珈琲と一緒に食べている俺に男は苦笑いをしていた。

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