万華鏡商店街

一条 しいな

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 コンサートは夜に始まった。厳かな夜、真夏のコンサート、洋吉のような学生もいる。若い婦人連れの紳士もいる。皆、静かに生演奏のクラシックを聞いている。
 汽車に乗って、ここまで来た甲斐があったと洋吉は思う。懐かしいような、美しい曲を聞いている。音色は人々の胸に打つのか、ゆったりとした雰囲気の中、ため息が夜に溶けていた。
 洋吉は腰を据えて聞いた。勇ましいトランペットにせき立てられるような高揚した気分になれば、フルートの切ないような懐かしい音に引き込まれた。はあとため息をつきたくなるような、素敵な夜だ。
「素敵ね」
「ああ」
 という声が小さく聞こえた。洋吉はコンサートを終え、徒歩で帰ることにした。まあ遠いが、素晴らしい演奏に余韻に浸りたかった。
 洋吉は歩き始めた。埃っぽい道を歩く。野良犬はさすがにいないようだ。そのことにほっとしながら歩き始めていた。夜には白銀の星が一つ二つ、数え切れないほど出ている。星の光に導かれるように歩いている。そんな気分になっていた洋吉がいた。
 あの夢を思い出す、三津堂がいっていた天女かもしれない少女達と歌ったこと。楽しかった。不思議と自分はあのときが一番楽しかったのではないかと錯覚しそうになる。
「洋吉さーん」
 誰かに呼ばれたような気がした。振り返ると提灯を持った三津堂がいた。三津堂の特徴のない顔が余計に怖く見えるのはこういうときだ。なにを考えているのかわからないからだ。
「いや、洋吉さんも見物ですか。いやはや」
「違う。コンサートだ」
「私はちょいと船を見に」
 まったくいい身分だとお互いに思っているのは洋吉にもわかった。洋吉は「一緒に帰るかい」と気安く言ってみた。
「ああ、帰りましょう」
 これまた気安く洋吉の誘いを三津堂は承諾した。
 三津堂はふうん、ふうんと気持ちよさそうに鼻歌を歌っている。洋吉は酒でも飲んだのかと考えていた。
「そういえば、そう。洋吉さん。眠れられないとか。いかがですか」
「三津堂さんが気にすることではありません。ちょっと寝不足なだけです」
「いけませんよ。人の体は頑丈そうに見えてそうでもないようで。眠っていないだけ、暑気になりやすいそうです。そうして命の危機にもなりうる」 
「わかったよ。しかし、夜は涼しいから大丈夫だ」
「根拠のないことだとは言いませんよ」
 本気にしていない洋吉に対して三津堂が脅すようなことを言い出す。三津堂がそこまで自分のことを気にしてくれることはありがたい。
「三津堂。じゃあ、どうすれば眠れる」
「さあ。私はわかりませんね。誰かに団扇をあおいでもらう。いい人いませんか」
「私が知りたいくらいだ。神川なんてはいて捨てるほど。もしかして三津堂、神川から眠れていないと聞いたのか」
「はい」
 あっさりと白状する三津堂に洋吉はムッとした。年甲斐にもないのだが、まるで子供扱いではないかと思う。それに心配してくれるのはありがたいが、心配しすぎではないだろうか。
「あれ、怒らせてしまった」
 失敗、失敗と三津堂は悪ぶれるそぶりも見せないで言った。そんな子供っぽい感情を見せないように洋吉は三津堂を見つめた。
「私はいたって健康だ」
「わかっていますよ。ただ」
「ただ」
「障りに当たってはいやしないかと」
「そんなものはないよ。三津堂さん」
 笑い出す洋吉に三津堂はじっと見つめるだけだった。ならいいんですが。と小さく言った。



 三津堂と町で別れた。三津堂はもうちょっと一緒にいたそうな顔をしていたが、洋吉は眠いために辞退させてもらった。おやすみなさいと三津堂と言い合った洋吉は重い足取りで下宿先についた。そうしてごろりと自分の部屋に戻って布団を布かずに眠っていた。
 洋吉の頭の中ではメラメラと燃える火の壁があった。火は触手のように、洋吉を襲いかかろうとする。洋吉は走った。そのときだ、チリンと涼やかな音が聞こえた。チリンという音と共に、洋吉は水の中に入っていた。チリン、なんの音だろうと洋吉は思うが、体が重くて、もうそこから抜け出せなかった。
 気がつけば、池の底にいた。池には誰もいない。湧き出る水は透き通り、池の底に住んでいる川魚や藻が見えた。透明な水をしている。洋吉は自分が沈んでいることに気がついた。
「よお。元気か」
 いきなり呼ばれて洋吉は驚いた。三津堂と大滝が自分の顔をのぞいているのだ。浮力を無視した大滝と三津堂は池の中をしゃがんで洋吉を見ていた。
「ここにいれば大丈夫だ」
「はあ」
「じゃあ、やりますか」
 三津堂はいつもの三味線を浮力など関係なし、水にぬれることをお構いなしに歌い始めた。
 シャン。シャン。シャン。三津堂は小さな声で歌い始めた。
「悲しい、悲しい、話」
 なにをしていると洋吉は問いかける前に水の中で火の手が上がる。しかし、火は水の中のせいか、勢いはなく、人の形をした大きさだった。洋吉は目を凝らした。ヒッと叫んだ。
 炎の中に人がいたのだ。燃え上がる中、助け呼ぶように洋吉を見ている。助けたいが、火の中ではどうしようもできずにいる洋吉がいた。
 洋吉は三津堂を見た。
「男は火が好きだった」
「なんだって」
 洋吉が驚いていると火の中の男は苦しそうにうなずいた。洋吉は信じられなかった。洋吉にとって火は欠かせないものだが、火事になれば牙をむく、油断ならないものだったからだ。洋吉の様子を知ってか知らでか、三津堂は歌う。
「男は火に恋した」
「火に恋して、家に火をつけた」
 それはやっていけないというか、重罪だぞと洋吉は言いそうになった。男はうなずいた。
「火はどんどん家を飲み込む、最後は自分を飲み込んでしまった」
「どういうことだ」
「自殺してしまったのです。お上にバレそうになり、自暴自棄になった」
「じゃあ、人々の恨みが」
「そう人々の恨み、悲しみ、未練があのような姿にしてしまったのです。今は自分を火の中、みたいのは自分以外が燃えるところ。男は未練で苦しくて、そうしてあなたにとりついた」
 はっ? と洋吉はつぶやいた。どういうことだろうか。炎が洋吉に飛びかかった。洋吉はとっさに逃げられなかったが、三津堂が三味線を背負い、洋吉を引っ張り上げた。火の中の男はニヤリと笑った。
「我々は狙われているんです」
「なんで」
「自分以外を火だるまにしたくてたまらないんです」
「そんな」
「ほら、見てください」
 水の中で小さなソフトボールくらいの大きさの火の玉が男の手から生まれる。
「うわああ」
 三津堂ではなく、洋吉に向かって火の玉を投げていく。洋吉はとっさにしゃがんだ。火の玉はまっすぐに洋吉の頭を通り過ぎた。
 なんだ、あれと洋吉は叫ぶが。三津堂は静かに笑う。
「なぜ自分だけが、理不尽な目に合わないと、いけないのか」
 三津堂はまた歌い始めた。変な音だった。人に不安にさせるような低音だった。三津堂は三味線を鳴らした。
「あんた、ちょっとおいたが過ぎるよ」
 三津堂が言った。いつもへらへら笑っている三津堂ではなく、怒っているように見えた。語気から、何か生まれていく。
 透明な水鳥のようだ。それが、小さな鳥達になる。雀くらいの大きさだ。それが連なり、無数の鳥になる。
「あと、この術、私がやっているわけではありません」 
「なんだって」
 洋吉が言うと小さくなっている大滝が汗をかきながら、なにやらぶつぶつとつぶやいている。それが終わるとやれと言うように手のひらを男に向けた。
 無数、何百もいそうな鳥の大群が男にお襲いかかる。水のくちばしはするどく男を狙う。気がつけば鳥の形は人の形になっていた。
 声が聞こえる。
「どうして火をつけたの」
「俺はまだやりたいことが」
「苦しい」
「助けて」
 それぞれ声を上げながら、男にまとわりつく。男の火は人の形をしたものに消されるが、別の痛みが走るのか悶絶する。どうして、どうして。が響く。
 たくさんの人が男をうめつくす、腹ばいになり、重なり合い、丸いボールのようになっていく。
 大滝はタバコを吸いながら、まったくとつぶやいた。
「人は怖いね。呪ってくる」
「どういうことですか」
 洋吉は問いかけると「神川によって浮き彫りとなった未練を集めていたら、なんと洋吉さんはあれに捕まった。神川が他の未練を集めて、大滝さんが具現させた」と大滝がいう。
「神川はそんな危ないことを」
「大丈夫。俺がなんとかするさ。奴さん人の役に立てて嬉しいと言っている」
「あれ、どうするんですか」
「思いが浮き彫りになった。後は解放するだけ。安い仕事だよ」
 刀を取り出す。最初から刀を振り回せばいいのにと洋吉は思った。
「まあ、いいか。まとめてあの世に行くか」
 じゃあ行くか。丸い人の塊が切れていく。人々はうつろの顔から穏やかな顔になった。静かに光となり、池の中を漂えばあのばあさんが水に潜りながら、唐草模様の風呂敷を広げて包み込んだ。
「まあ、これで真夏は大丈夫ですね」
「どういうことだ。三津堂」
「さあ。おやすみなさい」
 チリンという音がまた聞こえていた。洋吉はそのままぐっすりと眠っていた。


「あっ、気持ちよく眠っているからいいかな。この鈴の音を鳴らすのは」
 神川が洋吉の隣の部屋で言った。小さな鈴の音である。それには龍が彫られている。それを布に巻いて、神川は眠ることにした。神川はふすまを開けたまま、眠った。
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