ご迷惑おかけします

麻戸槊來

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ご迷惑おかけします

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ある日、友人と一緒に学校から帰ってきた途中、不思議な人に話しかけられた。

喜代きよちゃーん!」

今帰りなの?おっかえりーなどと言って正面から小走りでやってくる人は、スーツをビシッと着こなしていて格好いいサラリーマンだ。けれど、手をぶんぶんと振りながら笑みをたたえている様子は、まるで家にいる愛犬を思わせて、つい和んでしまう。朝一の授業で高校の外周を走らされた疲れも、一瞬忘れる癒しだった。


そんな私の様子を気にすることなく、何故か隣にいた友人は進行方向とは違う道へ私を導く。

「あっ……あれ?喜代ちゃんって、呼んでいるけど知り合いじゃないの?」

「違うわ!まったく知らない、赤の変人よ」

あまりに凄い剣幕で否定されたので、思わず黙り込む。正直、それ以上言葉を重ねる度胸がなかったともいう。
『赤の変人』など、初め聞いたのだが。この短時間で変人と認識できたという事は、一応知っている人間なのではないだろうか?確かに、人の名前を大声で呼びながら追いかけてくる人間など、冗談ではないと思う。


だが相手は少なくとも普通に服を着ているようだし、異常な格好をしている訳ではない。近所でよく出没するという露出狂や、女装しながら追いかけてくる奴らよりよっぽどましだ。

「ねぇ、よっ子。
思いっきり綺麗なフォームで追いかけてくるし、観念して止まった方が良くない?」

「………」

「あの走り方だと、追いつかれるのも時間の問題だよ?」

手をひっぱられながら何とか友人と走っていたが、そろそろ息が切れて苦しくなってきた。美形のお兄さんに大声で呼ばれながら逃げるなど、外聞の悪いことも続けたくはない。往生際悪く彼女は走り続けているが友人は足が速いほうではないし、もうそろそろ限界だろう。体育教師による過剰な『朝の準備運動』なるマラソンの疲れも、きっと残っているはずだ。走り終わった後にグランドに倒れ込んでいたし、明日は筋肉痛決定だと、愚痴っていたのも記憶に新しい。

案の定、彼女はそれから数分もしないうちに荒い息をついて足を止めた。





おまけに隣にいる友人は田中喜代子といい、名前を呼ばれるのを非常に嫌っているため喜代子という名前をいじった『よっ子』という愛称で呼んでいる。
だから、名前を呼んでいる人間を初めてみた。運動が苦手な彼女がここまで必死に逃げるのには、名前を大声で呼ばれていることもあるかもしれない。

「急に止まると辛いから、少し歩いたほうがいいよ」

「はぁ、はぁ……どこぉぞの、体っ育教師……みたっゴホ!」

「もう~、ほら大丈夫?」

背中をさすってあげている私に向かって、彼女は偉そうに文句を言ってきた。
多少背中を撫でる力が強くなっているのは、決してわざとではない。だから睨まれたけれど、そしらぬふりしてそっぽを向く。どうして、こんなにも必死に逃げようとしているのかはわからないが、友人が苛立っていることだけは伝わってくる。

「―――喜代ちゃん、どうして逃げるの?」

「あっ、追いついてきた」

私たちの後を、大声を上げて追いかけてきていた美形のお兄さんは、息を荒げる事もなく追い付いた。少し乱れた髪を、さらっと片手で掻き上げる姿がさまになる人間など生まれて初めてみた。
……しかし、私と目が合ったすぐ後に「ちょっと失礼」と断ってから手鏡をだして髪を整える男性も初めてみた。確かに、整えられた髪やすらっとした鼻筋は好印象だ。だけどこの感情は、何とも表現できるものではない。軽く衝撃をうけつつも、無言で咳き込んでいる友人に目を向けると、ギンッとお兄さんをにらみつけた。

「あんたの、そういうところが嫌いなのよっ!」

「喜代ちゃん……」

うん、予想していた通りの反応をしている。彼女は普段から、このお兄さんのように…自分に過大な自信を持ち合わせ、それを恥ずかしげもなく言葉にできてしまう人間を大変嫌がる。嫌悪していると言っても過言ではない。

男性が手鏡を持っているのはもってのほか、ムースで髪を整えている姿にすら拒否反応を起こす。『男は野性的なほうが断然格好いいっ!』と豪語するだけあって、授業中ですら訳のわからない野性味あふれる男性の半裸雑誌をなめるように見ている。



好みは軍人から世捨て人まで様々で、「どうしてそんなに可愛らしいのに、そんな趣味をしているんだ……」と、いろんな人に嘆かれている。
現に、私もその嘆いている人間の一人だ。彼女はとても可愛らしい顔をしている。肩より少し長いストレートの黒髪に、シミひとつない白い肌。鼻筋はすらっと通っていて、目は少し切れ長のネコ目だ。





普通に黙っていれば、道行く人が振り返るような容姿をもっているというのに、彼女の趣味は偏っている。自身も綺麗な容姿をしているというのに、たいていの美形をきらう。
例外と言えば、美形であるのにコンプレックスまみれの人間ぐらいだ。―――彼女の恋人は整った容姿をしているのに、これまでその容姿のせいで散々な目にあってきたらしく、長い前髪と黒縁メガネでその顔を隠している。


軽く聞いただけでも、ストーカーから誘拐騒動までいろいろ悲惨な目に合っていたらしい。おまけに、悲惨な体験をたくさんしたことですっかり人間不信になってしまった彼に待っていたのは、根暗や何考えているのか分からないといった嫌味とも悪口ともとれる心無い言葉だった。



本来だったら『なんと悲惨な……』と思い、彼にちょっかいをかけるのをやめさせようとしただろう。だが私の予想に反し、よっ子は見事人間不信で不憫な境遇をもつ彼の心を射止めた。
傍目で見ると、よっ子の押しの強さに彼が負けただけにもみえるが、今は仲良くやっているのだから問題ないのだろう。念のために記しておくと、彼が今流行りの細マッチョだったから、よっ子が選んだわけではない……と、信じたい。


そんなどうでもいいことに思いを馳せていると、よっ子の息が整ったようで騒がしい音が途切れた。これでようやく周囲の好奇の視線から逃れられると安心した私を裏切るように、お兄さんは火に油をそそぐ発言をした。

「あっ、やっと落ち着いた?」

「だっれのせいで、こんなに怒っていると思っているのよ!」

明らかに、彼女の言葉を聞きながしていましたといった様子は、傍目でみていても苛立つものだ。そのため、彼を擁護してあげるつもりはない。いっそ「もっと反省しろっ」と言いたいところなのだが、ここでいつまでも口論をつづけられるのはよろしくない。

「とりあえず、どこか落ち着ける場所に移動しない?」

私が言葉をかけると、流石兄妹。ぴたりと言い合いをやめて、こくりと首を振って了承した。そんな二人を見て、これまでは気づかなかったけれど、やっぱりどこか似ているなぁと感心した。





✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  





閑静な住宅街の、一室でのこと。
すわり心地の良いソファに、綺麗に磨かれた机。そんなものを前にして、私は一人首をかしげていた。

「―――で、どうしてこの座り方なの?」

私の横によっ子が座っているのはいいとして、なぜか目のまえのソファでは、彼女のお兄さんがにこにこ笑いながら紅茶をすすっている。
どこか手頃な喫茶店にでも入ろうとしていた私は、友人の強い要望により彼女たちの家まで連れてこられた。ここまではいいのだが、よっ子はお兄さんと隣り合う事はおろか向き合うことすら嫌だと拒否してこんなすわり方になったのだ。


横で美少女が般若のような恐ろしい顔をしているうえに、ギリギリと恐ろしいほどいい音を立てて、歯ぎしりしている。まるで親の仇だと言わんばかりに、ざくざくとアップルパイにホークを刺しているため、皿の中身は可愛そうな程ぐちゃぐちゃになってしまっている。

「うわぁっ、何このパイ美味しい!」

「あっ本当?口にあったならよかった。それ俺の手作りなんだ」

お兄さんはぱくりと一口パイを含み、にこりと笑い「さすが俺、完璧な仕上がりだ」などとうっとりしていた。自分でそこまで言うのもすごいとおもうが、あまりに光悦としたその表情とパイの美味しさにいいかえす気も起きなかった。

「うっさいわね!食べている時くらい、黙っていられないのっ?」

「えっ?でも、このパイ本当においしいよ?アップルパイってよっ子の好物だったよね」

私がそういった途端、彼女はぎろりと皿を睨みつけた後に、もそもそとパイを頬張った。どうやら、彼女の意地も好物には勝てなかったらしい。僅かに口元がひきつり、何とか表情が崩れないようにと努力しているのが分かる。自分で切り刻んだパイの欠片まで、大切そうに食べている。彼女のこういう所が好きだから、ちょっと変わっている所に目を瞑って、友達でいられるのだ。

「……えっと、今更な気もしますが。私よっ子の友人で、知花といいます」

「ご丁寧にどうも。俺は喜代子の兄で、大樹と申します」

すっと渡された名刺には、有名な会社の名前が書かれていた。
この容姿であの大手会社に勤めているなら、さぞおモテになることだろう。着ているスーツも高そうだし、心なしか香水も高級感がある。

「うわぁ、あの大手に勤めているなんて凄いですね」

「まぁね。倍率も高かったし、俺の実力がなければ難しかったかな」

「あははは」

「うっざ!」

さも忌々しいと言った様子で、よっ子はお兄さんの言葉を吐き捨てた。
私にしてみればお兄さんが努力した事は聞かないでもわかるし、これくらいの自慢なら許せる程度なのだが彼女にとってはいけ好かないのだろう。

「まぁ、まぁ。本当にすごい事なんだからいいじゃない」

「どうして知花はイラつかないのよ!あまり甘やかしていると、こいつはずっとこの調子なのよっ?」

私を信じられないと言った顔で見ると、悲鳴を上げるかのようにそう叫んだ。
それに対し、どうしてかお兄さんは何処かぼんやりした様子でこちらを見つめてくる。あまりに予想外な二人の反応に、むしろこちらが戸惑ってしまう。

「えっ?このくらいならまだセーフじゃない?」

そもそも、何かしらの特筆する点を持っている人は、大抵はそれを持続するために努力をしている。そうじゃないとしても、特筆していることで必要以上にねたみや僻みを買い、面倒ごとに巻き込まれてしまうのだから、多少なりともプラス思考でないとやっていられないだろう。

ましてや彼は目に見える美形という長所を持っていることだし、よっ子の彼氏ほどじゃないにしても大変だっただろう。人間不信となり、手負いの獣のような痛々しいよっ子の彼氏を見ていると、本当に美形も楽ではないのだなぁと実感してしまう。

―――うん、平凡な顔していてよかった。

そんな事を呆けながら考えていた私の手を、突然ぎゅっと握る人がいた。

「知花ちゃんっ!」

その人は頬を赤く染め、キラキラした眼差しで見てくる。出会って数時間もたっていない間柄だが、これまでにない表情でお兄さんが私の事を見つめている。

クーラーがきいたこの部屋は涼しいはずなのに、だらだらと嫌な汗が伝っていく。
まるで、熱っぽい彼の瞳にこちらまで熱されているようで落ち着かない。綺麗な顔にはよっ子やよっ子の彼氏で慣れてきたかと思っていたが、異性に慣れてない私には少々刺激が強いようだ。第一、こんな眼差しで見られる意味が分からない。

「なっ、何でしょう?」

「俺の性格を認めてくれた人なんて、初めてだっ!」

さっきの言葉、感動したよ!などと鼻息荒くまくしたててくる。簡単に、はいそうですか。で、済ますには彼の勢いは恐ろしすぎる。何のスイッチを押して、こんなにキラキラしくなっているのか分からないが、押してはいけないスイッチを押してしまったことだけは分かった。

「いやっ。あの、別にそんなに大それたことは……」

していないです。そう言葉を続けようと考えた私を遮るように、隣にいた友人までも余分なことを言ってくる。

「えぇっ?大それたことでしょう。こんなやつ、妹の私でさえ理解できないし」

「というより、よっ子はナルシ……。んんっ、自信に満ち溢れている人は、苦手なだけでしょう?」

「別にナルシストだって、はっきり言ってやっていいわよ」

どうせ気にしやしないんだから。

その言葉にこたえるかのように、お兄さんは「そう!俺は人より自信があるだけなんだよっ」と嬉しそうに私の言葉を肯定した。普段『なにもそこまでナルシストを毛嫌いしないでもいいのに……』と考えていたが、このお兄さんと四六時中一緒にいたら、流石にげんなりしてくるかもしれない。

まるで子犬のように純粋なまなざしでみつめられ、肝が据わっている方だと自負している私もたじろいでしまう。

「あ……あの、なんですか?」

私の顔に何かついてますか?それとも、こんなに平凡を絵にかいたような顔は初めて見ましたか?―――もしもそう言われたら、顔面に蹴りいれてやる。困惑した様子を変えることなく、私は一人決意した。


お兄さんも、まさかそんな事を考えているとは思っていないのだろう。
相変わらずキラキラとした眼差しを崩さない。ただ、視界の端に映る友人だけは私のバイオレンスな思考を呼んでいるようでにやにやと綺麗な顔を歪めている。

「俺と……俺と付き合おう!」

「―――はぁ?」

何言ってんだこの人は。そんな気持ちを全く隠さずに発した声だったというのに、目の前の美形は「大切にするから、よろしくねっ」と勝手に話を続けている。

家族からもガラが悪いからやめなさいっと言われる類の、低い声を出したというのに動揺すら与えられなかったようだ。これまで相手を威嚇するときには有効だったが、きつく睨みつけた眼差しすら流されてしまった。

「君ほど、俺を理解できる人間にはあったことがないよ!今日はなんて素晴らしい日だろうっ」

「いや。だから、付き合うなんて、」

「心配しないで、どんなにモテたとしても俺は浮気しない主義だからっ」

そんなことは、正直どうでもいい。……むしろ敢えていうなら、心配しているのはこれからの私の人生だ。人の話を一向に聞こうとしないお兄さんを何とか止めようと試みるが、そんな彼の扱いにたけているはずの友人がなぜか余計な茶々をいれてきた。

「あら、いいじゃない」

「よっ子!?」

驚いた私は金切り声をあげ、友人へ勢いよく顔を向けた。
彼女は焦った声を聴いていながら、「あんたも、多少は見る目があったのね」などと悠長にお茶を口にした。

「久しぶりに、喜代ちゃんに褒められたっ」

「私が過去にあんたを褒めた事なんて、一度もないじゃない」

「ううん。一度だけ小学生の時に、算数を教えてあげたら褒めてくれたよ。お兄ちゃん凄いって」

あれは嬉しかったなぁ……などと頬を緩めるお兄さんの姿をみて、私は思わず涙がこぼれそうになった。
たしかこの兄妹は六歳の差があるはずだから、彼女に算数を教えたなど、中学生。下手をすれば、高校生の時ということになる。何が悲しくて、思春期真っ只中でもおかしくない年齢の少年がたった一度妹に褒められた記憶を大切にしていなきゃいけないのだ。


もう、この短時間だけでどれだけよっ子がお兄さんに対し、ひどい扱いをしてきたのか窺い知れてしまう。きっとお兄さんが反抗する隙すら与えず、妹である彼女が反抗しまくったのだろう。

「くっ……」

「やだ、何涙ぐんでいるのよ?」

やっぱり、世話焼きの知花でもこいつの御守りは嫌だった?と、駄目押しするように問いかけてくる。……もうやめてくれ。切な過ぎて、否定しようとした言葉すら飲み込んでしまうじゃないか。あまりにお兄さんが哀れで、この流れで振るのは鬼かよっ子でもない限り無理だろう。

「よっ、よろしくお願いします」

「うん、格好いい俺の彼女になれてよかったね」

「はははっ、……はぁ」

「うっわ!私までそういう事考えていると思われたくないから、そういうウザイ事言わないでくれる?」

「……ごめんなさい」

そんなこんなで流れながされ、私には美形の彼氏が出来ました。
付き合ってみると「紳士的な俺も格好いいっ」と自分に酔うタイプの人だったようで、すごく優しくしてくれています。宣言通り浮気することもなく、アプローチしてくる女性は皆、彼の『自分大好きっ』という達の悪い撃退法にやられ退散するそうです。





この時はまさか、友人である彼女が「知花と一緒にいれば、あの馬鹿ナルシストもマシな人間になるかもしれないっ」と期待し、何とか私に彼の面倒を一生みさせようとしていたなんて知る由もなかった。

「大樹さんのこと嫌いじゃないけど、結婚まで流されるなんていやぁ!」

「あっははは、相変わらず知花は素直じゃないな。俺と結婚できて嬉しいくせに」

「ポジティブなところは素晴らしいですが、たまには悪い方にも考えてくださいっ」

「喜代ちゃんに、知花なら安心して兄貴を任せられるわっなんて言われちゃった。はやく式あげたいねぇ」

「よっ子ぉぉ~!」

悲痛な叫びに答えてくれる人は、残念ながらいなかった。
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