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「home sweet home」
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「陽菜が無理を言って悪かったな。本当にいいのか? 迷惑だったら俺から陽菜に言ってもいいぞ」
犬を預かるといっても、日中壮介は仕事で家にはいない。負担になるとしたらさとりのほうだ。もしさとりが自分と妹に遠慮して無理をしているようならと、壮介が考えたときだった。
「ううん、迷惑じゃないよ」
珍しくきっぱりと言い切ったさとりに、壮介は少しだけ意外に思う。
「ひなちゃんね、よくそうすけが子どもだったときのこと、話してくれるの。ひなちゃんにとってそうすけは自慢のお兄さんだったんだって」
「さとり?」
妹の話をするさとりの瞳には、何かを訴えるような真剣な色があった。それが犬を預かるというだけの話でないことに気づいた壮介は箸を置き、さとりの話に耳を傾ける。
「……あいつはほかに何か言ってたか?」
壮介の言葉に、さとりは一瞬だけびくっとした。だが、すぐに唇をきゅっとつぐむと、覚悟を決めたように壮介をまっすぐに見る。
どうしたんだ、さとり……?
「ひなちゃんね、この前言ってた。そうすけが最近何かに悩んでいるんじゃないかって。前はまめにじっかに顔を出していたのに、最近はそれもなくてそうすけのお父さんとお母さんがしんぱいしてるんだって。そうすけは気づかれていないと思っているけど、自分たちがここにくるのもあまりよく思っていなかったんじゃないかなあって。じっかって、そうすけのほんとうのおうちのことでしょう? そうすけはおいらがいるからほんとうのおうちに帰れないの?」
陽菜のやつ、さとりによけいなことを。壮介は苦い思いを隠せない。
「さとり……」
違う、そうじゃないよと言おうとして、壮介はさとりの顔を見て口をつぐんだ。さとりの表情は悲しみでいっぱいだったからだ。
「おいら、ひなちゃんにそうすけから何か聞いている? って聞かれても、何も答えられなかった。そうすけがひなちゃんに秘密にしていること、おいらのせいなのに、ほんとうのこと、どうしても言えなくて……」
「さとり?」
いったい何の話をしているんだ?
「さとり、お前のせいって何のことだ? 何を陽菜に言えなかった? 本当のことって何だ?」
膝の上で握りしめているこぶしに触れ、はっとなった。さとりの手は緊張と不安で冷たくなっていたからだ。思わずその手を包み込むように握りしめると、さとりが弾かれたように叫んだ。
「おいらがひなちゃんたちとは違うってこと……! だから、そうすけはほんとうおうちに帰れないんでしょう? そうすけの大事なかぞくなのに……! そうすけがおいらと一緒にいることで、たくさんのもの犠牲にしてること、おいら知ってるの。だけどおいらどうしてもそうすけといたくて……」
ごめんなさい、と呟くさとりの声が、染みこむように伝わってきた。その瞬間、抑えていた感情がどっとあふれる。
――ああ、気づかれていたのか……!
ここ最近壮介がひとりで悩んでいたことを、さとりに気づかれているとは思っていなかった。さとりに心配かけたくない、自分ひとりでなんとか解決しようとしたことがまさかさとりを傷つけることになろうとは……。
「違うよ、さとり。犠牲なんかじゃない。そんなふうに思うわけがない」
静かに、だけどきっぱりと告げる壮介に、さとりが顔を上げた。澄んだ瞳が不安げに揺れている。壮介の中に苦い後悔が広がった。
「……確かに、はじめのうちはお前と陽菜たちを会わせたくなかった。だけどお前が思うような理由じゃない。おそらくそう遠くはないうちに、会えなくなるときがくると思ったからだ」
そのときさとりに自分のせいだと思ってほしくなかった。いまのお前のように悲しい顔をさせたくなかった。
さとりと妹たちとの間に交流が生まれて、壮介の中でわずかに迷いが生まれた。さとりがうれしそうにしていて、壮介は自分の不安を口に出すことができなかった。
いまはいい。いまはまだ陽菜たちに気づかれずに隠すことができる。だけどこの先は? あと何年? それとも何十年このままこの秘密を隠し通せるだろう。
人間と妖怪とではそこに流れる時間が違う。さとりの命運がつきかけたあのとき、おそらく龍神と契約を交わしたことで、壮介の中で何かが変わったのだろう。はじめは気づかないくらい些細なものだったが、いまの自分が昔の自分とは明らかに違うことを壮介ははっきりと理解している。
さとりと生きる未来を選んだことに後悔はない。たとえ何度同じ選択肢を与えられても、自分はさとりとの未来を選ぶ。そこに迷いはない。
だけどさとりは? もしこの先自分が人間としての生を生きられなくなったとき、さとりはきっと傷つく。自分のせいだと責めるかもしれない。
そのとき、思いに沈む壮介の腕に、さとりの手が触れた。
「そうすけ、おいら、おいらね、そうすけがおいらのこと大事にしてくれるの、すごくうれしいの。そうすけはおいらが傷つかないよう、いつも守ろうとしてくれる。だけどおいらのためにそうすけのだいじなもの、あきらめたりしてほしくないの……!」
「さとり……」
犬を預かるといっても、日中壮介は仕事で家にはいない。負担になるとしたらさとりのほうだ。もしさとりが自分と妹に遠慮して無理をしているようならと、壮介が考えたときだった。
「ううん、迷惑じゃないよ」
珍しくきっぱりと言い切ったさとりに、壮介は少しだけ意外に思う。
「ひなちゃんね、よくそうすけが子どもだったときのこと、話してくれるの。ひなちゃんにとってそうすけは自慢のお兄さんだったんだって」
「さとり?」
妹の話をするさとりの瞳には、何かを訴えるような真剣な色があった。それが犬を預かるというだけの話でないことに気づいた壮介は箸を置き、さとりの話に耳を傾ける。
「……あいつはほかに何か言ってたか?」
壮介の言葉に、さとりは一瞬だけびくっとした。だが、すぐに唇をきゅっとつぐむと、覚悟を決めたように壮介をまっすぐに見る。
どうしたんだ、さとり……?
「ひなちゃんね、この前言ってた。そうすけが最近何かに悩んでいるんじゃないかって。前はまめにじっかに顔を出していたのに、最近はそれもなくてそうすけのお父さんとお母さんがしんぱいしてるんだって。そうすけは気づかれていないと思っているけど、自分たちがここにくるのもあまりよく思っていなかったんじゃないかなあって。じっかって、そうすけのほんとうのおうちのことでしょう? そうすけはおいらがいるからほんとうのおうちに帰れないの?」
陽菜のやつ、さとりによけいなことを。壮介は苦い思いを隠せない。
「さとり……」
違う、そうじゃないよと言おうとして、壮介はさとりの顔を見て口をつぐんだ。さとりの表情は悲しみでいっぱいだったからだ。
「おいら、ひなちゃんにそうすけから何か聞いている? って聞かれても、何も答えられなかった。そうすけがひなちゃんに秘密にしていること、おいらのせいなのに、ほんとうのこと、どうしても言えなくて……」
「さとり?」
いったい何の話をしているんだ?
「さとり、お前のせいって何のことだ? 何を陽菜に言えなかった? 本当のことって何だ?」
膝の上で握りしめているこぶしに触れ、はっとなった。さとりの手は緊張と不安で冷たくなっていたからだ。思わずその手を包み込むように握りしめると、さとりが弾かれたように叫んだ。
「おいらがひなちゃんたちとは違うってこと……! だから、そうすけはほんとうおうちに帰れないんでしょう? そうすけの大事なかぞくなのに……! そうすけがおいらと一緒にいることで、たくさんのもの犠牲にしてること、おいら知ってるの。だけどおいらどうしてもそうすけといたくて……」
ごめんなさい、と呟くさとりの声が、染みこむように伝わってきた。その瞬間、抑えていた感情がどっとあふれる。
――ああ、気づかれていたのか……!
ここ最近壮介がひとりで悩んでいたことを、さとりに気づかれているとは思っていなかった。さとりに心配かけたくない、自分ひとりでなんとか解決しようとしたことがまさかさとりを傷つけることになろうとは……。
「違うよ、さとり。犠牲なんかじゃない。そんなふうに思うわけがない」
静かに、だけどきっぱりと告げる壮介に、さとりが顔を上げた。澄んだ瞳が不安げに揺れている。壮介の中に苦い後悔が広がった。
「……確かに、はじめのうちはお前と陽菜たちを会わせたくなかった。だけどお前が思うような理由じゃない。おそらくそう遠くはないうちに、会えなくなるときがくると思ったからだ」
そのときさとりに自分のせいだと思ってほしくなかった。いまのお前のように悲しい顔をさせたくなかった。
さとりと妹たちとの間に交流が生まれて、壮介の中でわずかに迷いが生まれた。さとりがうれしそうにしていて、壮介は自分の不安を口に出すことができなかった。
いまはいい。いまはまだ陽菜たちに気づかれずに隠すことができる。だけどこの先は? あと何年? それとも何十年このままこの秘密を隠し通せるだろう。
人間と妖怪とではそこに流れる時間が違う。さとりの命運がつきかけたあのとき、おそらく龍神と契約を交わしたことで、壮介の中で何かが変わったのだろう。はじめは気づかないくらい些細なものだったが、いまの自分が昔の自分とは明らかに違うことを壮介ははっきりと理解している。
さとりと生きる未来を選んだことに後悔はない。たとえ何度同じ選択肢を与えられても、自分はさとりとの未来を選ぶ。そこに迷いはない。
だけどさとりは? もしこの先自分が人間としての生を生きられなくなったとき、さとりはきっと傷つく。自分のせいだと責めるかもしれない。
そのとき、思いに沈む壮介の腕に、さとりの手が触れた。
「そうすけ、おいら、おいらね、そうすけがおいらのこと大事にしてくれるの、すごくうれしいの。そうすけはおいらが傷つかないよう、いつも守ろうとしてくれる。だけどおいらのためにそうすけのだいじなもの、あきらめたりしてほしくないの……!」
「さとり……」
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