その声が聞きたい

午後野つばな

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 そうすけはそう言うと、ふいっとそっぽを向いてどこかへ消えてしまった。
 また知らぬ間に何かそうすけの気分を害することをしてしまったのかとさとりが心配する前に、思念のような微かな感情が聞こえてきた。
『……なんだよ、かわいいって。男相手にそんなふうに思うなんて、俺おかしいだろ。……でもなんかあいつ放っておけないんだよな』
 さとりは大きく目を瞠った。そうすけのかわいい、という言葉がじわじわっと全身に伝わってきて、叫びだしたいほどにうれしい。それでもいきなり大声を出したら、そうすけに嫌がられるだろうという認識はさすがにあって、ぐうぐうと獣のようなうなり声を発して我慢をしていたら、いつの間にか戻ってきたそうすけに怪訝な顔をされてしまった。
「何やってんのお前……」
『やっぱ俺ちょっと早まったか……?』
「ほら、これバスタオルな。バスルームは向こうの奥だから。湯船に湯も張ってあるからゆっくりどうぞ」
 白いふわふわのタオルを手渡されて、さとりはそうすけに案内された小さな部屋へと入る。風呂というものの存在はかろうじて知っていた。そこで人間は身体を洗うのだ。さとりは風呂に入ったことはなかったけれど、代わりにいつもは川の水で身体を洗っていた。どきどきしながら着ていた服を脱いで、「バスルーム」に入る。
 このホースみたいなもので身体を洗うんだよな?
 蛇口を捻ったとき、いきなり頭の上から細かい雨のようなものが大量に降ってきて、さとりは慌てた。
「……っ!」
 声にならない悲鳴を上げ、あたふたと水を止めようとしたところで、濡れたタイルに足が滑った。
「……×○△■☆っ!」
 ガラガラガッシャンという派手な音を立てて転んださとりの元に、そうすけが慌てたようすで飛び込んでくる。
「どうした大丈夫か!?」
『一体何事だ!?』
 裸で浴室に転がっているさとりの上から、シャワーの水が降ってくる。
「……そーすけ。いたい……おでこ、あたま打った……」
 打った頭を両手で押さえながら、さとりが涙目で見上げると、その目が合った。さとりは、普段は長い前髪で隠れている自分の顔が、いまは水に濡れて出ていることにも気づかなかった。何かに驚いたように目を見開き、言葉を失ったそうすけが、じっと自分を凝視している。
『きらきらした目が宝石みたいだ……』
 そうすけの視線が舐めるようにさとりの頭から足の爪先までを走った。
「そーすけ?」
 真っ赤な顔で絶句したそうすけが、ハッと我に返った。なぜか怒ったような表情でさとりから目をそらすと、洗面所に置いてあったバスタオルをつかみ、蛇口を閉めようとする。
「わっ、わ、わ、冷てっ! 冷てっ!」
『くそっ、なんで水なんだよ!』
 それからさとりの身体をふんわりとバスタオルで包み込んでくれた。そうすけも頭から水をかぶり、濡れてしまっている。
「あー、くそっ」
『びしょ濡れだ』
 そうすけから伝わってくる苛立ちの感情が、さとりの胸を刺す。
 やっぱりおいらは疫病神だ。そうすけにとって、ろくなことがない。
 さとりが内心で落ち込んでいると、そうすけの手がさとりの頭に触れた。
「頭、どこ打った? 見せてみろ」
『大丈夫か……?』
 濡れた前髪をそっと指で掻き上げ、慎重にさとりのおでこの部分を探る。真剣な眼差しに、さとりは声もなくじっとそうすけを見つめた。
 なんだか胸が苦しい。心臓が何かの病気になったみたいだ。
「ああ、たんこぶになってる」
『……よかった。大したことはなさそうだ』
 そうすけがほっとしたように息を吐き出す。それとともに、張りつめていた空気が緩んだ気がした。
 さとりの視線に気づいたそうすけがハッと目を見開く。それからなぜか嫌そうに顔をしかめると、さとりの頭から手を離した。
『そんな目でじっと見るな』
 さとりは目を見開いた。そうすけが不機嫌そうな顔をしているのは、すべて自分のせいだと思った。
「ご、ごめん」
「……え?」
『こいつ、何謝ってる?』
 さとりはそうすけから視線をそらすと、上がっていた前髪を下ろし、顔を隠した。そのとき、はっきりと言葉にならないくらいの微かな、けれどがっかりしたような思念が、そうすけから伝わってきた。
「じっと見てごめんなさい」
『……?』
 そうすけが眉をひそめる。
 今更手遅れかもしれないが、さとりは少しでもそうすけから嫌われたくはなかった。自分の顔を見ないでそれが叶うなら、顔を隠すことなど何でもないことだ。
 うつむいて顔を上げようとしないさとりに、そうすけは諦めたようなため息を吐いた。
「……それで、なんで水を使っていたんだ? いくら夏場だといっても風邪を引くだろう」
 さとりはきょとんとした。そうすけに、何を言われているのかわからない。ぽかんとしたさとりの表情を見て、そうすけの顔がますます疑わしいものに変わった。眉間の皺がぐっと深くなる。
「……まさか、これまで一度も風呂に入ったことがないなんて言わないよな?」
 口にしたそうすけ自身、そんなことはあり得ないと考えているようだった。
 さとりは慌てて頭を振った。それを見て、そうすけがほっとした顔をした。
 そうすけに訊かれたとおり、風呂に入るのは初めてだったけれど、いつもちゃんと体は洗っている。だから不潔ではないのだ、嫌いにならないでほしい。
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