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父と祖父が話をしている。妹が母に甘えるのを眺めながら、これは夢だとヒースは頭のどこかで気づいていた。だって母さんはもういない。幼い妹や父や祖父、村のみんなはあのとき死んでしまったから。生き残ったのは自分ただ一人だ。いまヒールがいるこの家も、実際にはこの世にもう存在しない。
妹の小さな手が、ヒースの手をぎゅっと握った。温かな感触に胸が詰まった。切ないほどの痛みに、胸がぎゅうっと苦しくなった。ヒースは膝をつくと、幼い妹の身体を抱きしめた。突然泣き出した兄に、妹が驚いている。
――あらあら、どうしたの?
母は柔らかい声で告げると、子どものように泣くヒースの背をやさしく撫でた。温かな手の感触に、これが夢だとは思いたくなくなる。
母さん、ごめん……! 守ってあげられなくてごめん……!
目が覚めるとそこは冷たい地下牢の中で、ヒースは一人だった。汚れた頬に筋をつくるように、涙が伝い落ちる。
そのとき微かな物音が聞こえた。誰かがヒースのいる地下牢に下りてくる。やがて門の鍵が外される音がした。ヒースが気づかない振りをしていると、その人物は牢の中に入ってきた。
「とっくに気がついているのでしょう? くだらない真似はおよしなさい」
ヒースが目を開けると、マーリーン公はその口元に淡い笑みを浮かべた。
「――何しにきた……?」
ヒースは掠れた声を出すと、マーリーン公を睨んだ。
「おや、まだ睨む気力がありますか。さすがですね。しかし私もすっかりあなたに騙されましたよ。まさかあなたがモンド村の生き残りだとはね」
ヒースが黙っていると、マーリーン公は何かを考えるように、ヒースに近づいた。
「しかし石さまにも困ったものですね。あなたが痛めつけられているのを目にしても顔色ひとつ変えない。あの方には人としての情というものがないのでしょうか」
「お前に言われたくない」
シュイは何も感じていないわけじゃない。それどころか、自分のことで誰かが傷つけられることを何よりも恐れている。だが、それを教えてやるつもりは毛頭なかった。
「……シュイはどうしている? 無事なのか?」
ずっとヒースの元を訪れていたシュイが、ここ数日姿を見せていないことが気になっていた。マーリーン公はそんなヒースの質問には答えず、何かを考えるようにじっと見た。
「この者に水を。それから手の鎖を外しておあげなさい」
「しかし、何度も逃げようとしていて危険です……」
躊躇う兵士の声に、マーリーン公は「さすがにこの状態で牢から逃げるのは不可能でしょう」と笑みを浮かべた。
頭の上で吊されていた鎖が下ろされ、鉄輪が外された。赤くミミズ腫れした手首をさすりながら、ヒースはほっとした。しかし決して警戒を解いたわけではなかった。いったい何を考えている……?
兵士から与えられた水を、ヒースは警戒しつつも夢中で口をつける。思っていた以上に身体の消耗は激しく、うまく飲み込むことができない。零れた水が床に染み込んだ。苦しそうに咳き込むヒースを、マーリーン公は何を考えているのかわからない瞳でじっと見つめた。
目的はわからない。だが、これは滅多にないチャンスだ。
「……シュイに何をした? 俺たちをどうするつもりだ?」
妹の小さな手が、ヒースの手をぎゅっと握った。温かな感触に胸が詰まった。切ないほどの痛みに、胸がぎゅうっと苦しくなった。ヒースは膝をつくと、幼い妹の身体を抱きしめた。突然泣き出した兄に、妹が驚いている。
――あらあら、どうしたの?
母は柔らかい声で告げると、子どものように泣くヒースの背をやさしく撫でた。温かな手の感触に、これが夢だとは思いたくなくなる。
母さん、ごめん……! 守ってあげられなくてごめん……!
目が覚めるとそこは冷たい地下牢の中で、ヒースは一人だった。汚れた頬に筋をつくるように、涙が伝い落ちる。
そのとき微かな物音が聞こえた。誰かがヒースのいる地下牢に下りてくる。やがて門の鍵が外される音がした。ヒースが気づかない振りをしていると、その人物は牢の中に入ってきた。
「とっくに気がついているのでしょう? くだらない真似はおよしなさい」
ヒースが目を開けると、マーリーン公はその口元に淡い笑みを浮かべた。
「――何しにきた……?」
ヒースは掠れた声を出すと、マーリーン公を睨んだ。
「おや、まだ睨む気力がありますか。さすがですね。しかし私もすっかりあなたに騙されましたよ。まさかあなたがモンド村の生き残りだとはね」
ヒースが黙っていると、マーリーン公は何かを考えるように、ヒースに近づいた。
「しかし石さまにも困ったものですね。あなたが痛めつけられているのを目にしても顔色ひとつ変えない。あの方には人としての情というものがないのでしょうか」
「お前に言われたくない」
シュイは何も感じていないわけじゃない。それどころか、自分のことで誰かが傷つけられることを何よりも恐れている。だが、それを教えてやるつもりは毛頭なかった。
「……シュイはどうしている? 無事なのか?」
ずっとヒースの元を訪れていたシュイが、ここ数日姿を見せていないことが気になっていた。マーリーン公はそんなヒースの質問には答えず、何かを考えるようにじっと見た。
「この者に水を。それから手の鎖を外しておあげなさい」
「しかし、何度も逃げようとしていて危険です……」
躊躇う兵士の声に、マーリーン公は「さすがにこの状態で牢から逃げるのは不可能でしょう」と笑みを浮かべた。
頭の上で吊されていた鎖が下ろされ、鉄輪が外された。赤くミミズ腫れした手首をさすりながら、ヒースはほっとした。しかし決して警戒を解いたわけではなかった。いったい何を考えている……?
兵士から与えられた水を、ヒースは警戒しつつも夢中で口をつける。思っていた以上に身体の消耗は激しく、うまく飲み込むことができない。零れた水が床に染み込んだ。苦しそうに咳き込むヒースを、マーリーン公は何を考えているのかわからない瞳でじっと見つめた。
目的はわからない。だが、これは滅多にないチャンスだ。
「……シュイに何をした? 俺たちをどうするつもりだ?」
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