いしものがたり

午後野つばな

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 いったい何を言われているのかわからず、ヒースは呆然と立ち尽くす。シュイは物分かりの悪い子どもを相手にするような困った表情を浮かべた。
「王都へくるまでおれは誰に捨てられたのかもわからないただの役立たずで、人々に疎まれないよう目立たず生きてきた。だけどいまは違う。おれは石さまとして人々に敬われ、何不自由ない生活を送っている」
 ほら、見て、とシュイが豪華な調度に彩られた室内を示す。
「肌ざわりのいい衣装や、山のような食事。あのころには想像もできなかったような生活だ。ヒース、おれはね、あのとき村を出てよかったと思っているんだよ」
 シュイの言葉を理解した途端、ヒースは頬を叩かれたように愕然となった。
「……それはお前の本心からの言葉なのか?」
 ヒースの中でそんなこと嘘だ、と心が叫ぶ。シュイは自分に嘘を言っている。だが、そんなヒースの気持ちを見透かしたように、シュイは穏やかな笑みを浮かべた。
「そうだよ。ヒースが知るおれはどこにもいない」
 シュイがヒースから一歩離れるように後ろに下がった。
「ヒースとアズールにもう一度会えてよかった。だけど今回が最後だ。次にきたら、そのときは衛兵を呼ぶ」
 もういって、というシュイの言葉にヒースはがっくりと肩を落とす。窓の方に向かってヒースがいこうとしたそのときだ。ヒースはシュイの指先が微かに震えていることに気づいた。瞬間、弾けるように、違うという思いがヒースの胸にあふれる。それはシュイの本心などではない……!
「シュイ、聞いてくれ。お前がどうしてそんな嘘をつくのか俺にはわからない。だけどどうか信じてほしい。俺はもうお前一人にすべてを背負わせたくない。一緒に逃げよう、シュイ。石さまになんかならなくていいんだ……!」
 透明な膜を張ったシュイの水色の瞳が、ヒースの言葉に迷うように揺れた。シュイが何かを告げようとしたときだ。突然扉が開き、フレデリックが部屋の中に入ってきた。
「何者だ! 石さま、ご無事ですか!? 衛兵は何をしている……? 誰か……! 石さまの部屋に不審者だ!」
 白銀にきらめく剣をフレデリックが抜いた瞬間、ヒースはとっさに自分の背にシュイを庇っていた。黒曜石のナイフを取り出し、相手との距離を測る。次の瞬間、びりびりとした殺気と共に、フレデリックがヒースに向かってきた。
「……っ!」
 フレデリックの剣を、ヒースはやっとのことで受け止めた。さっきロープが擦れてできた傷が痛み、ヒースは顔をしかめる。その間にも、フレデリックはヒースの元からシュイを取り戻そうとする。シュイを背中に庇いながら、ヒースは次第に追い詰められ、じりじりと後退していく。ヒースの額から冷めたい汗が伝い落ちた。
 だめだ、もともと腕の違いがある上、シュイを庇ったままでは満足に戦うこともできない。どうする――?
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