いしものがたり

午後野つばな

文字の大きさ
上 下
32 / 108

3-4

しおりを挟む
 驚愕の表情を浮かべた男の顔面を打つと、男はぽろりとナイフを手から落とした。とっさに手を伸ばし、男が落としたナイフの柄をつかむと、男の腕を後ろに捻り上げる。
「あいててて……っ!」
 はっとなったもう一人の男が攻撃態勢に入る前に、手にしたナイフを相手の顔面に突きつけた。
「まだ続けるか? それとも諦めてその子どもを離すか?」
 悔しそうな表情を浮かべる男の額から、汗が伝い落ちた。
「こっちだよ! 早くきとくれ!」
 誰かが上げた声が引き金になったように、男は抱えていた子どもを放り出すと、仲間の男を抱き起こし、逃げるようにその場から去った。
「あんた、そんななりをしているのに強いね! 刺されるんじゃないかと思って、ひやひやしたよ!」
「あいつらもあんたが見かけによらず強いから、びっくりしたんじゃないのかね」
「それに比べて衛兵の遅いこと! いったいいつになったらくるのかね!」
 ヒースは子どもを抱き起こすと、呼吸を確かめた。見たところ意識を失っているだけで、大きなけがはしていないようだ。
「サリムさま! ……ああ、ご無事でよかった! 本当になんてお礼を申し上げたらいいか!」
 そのとき、先ほど助けを求めた女が駆け寄り、ぐったりとしている子どもを確かめた。女の声に、子どもが意識を取り戻す。子どもは、安堵の表情で涙を流す女と自分を取り囲む見知らぬ大人たちを見て、しばらくきょとんとした後、やがて襲われたときの恐怖を思い出したように、顔を歪めて泣き出した。周囲にほっとしたような空気が流れる。
「まだ小さいんだ、さぞや怖かっただろうねえ」
「サリムさまを助けていただき、ありがとうございました……! 私はさるお屋敷で侍女をしておりますマリーと申します。……いまこの場では詳しくは言えないのですが、サリムさまは私が勤めておりますお屋敷の大事なご子息さまで……」
「そんな大事なお屋敷のご子息さまだってんなら、警備の人はついていなかったのかい。ずいぶん不用心だね」
 呆れたような中年女の声に、マリーは恥じ入るように瞳を伏せた。
「はい、そうおっしゃられるのも当然のことです。誠に恥ずかしいのですが、サリムさまが屋敷に出入りしている業者の馬車にこっそり隠れて抜け出したことに、私どもは気づけずにおりました……」
「おやまあそれは……」
 自分のことでマリーが責められていると思ったのだろう、侍女の胸にサリムと呼ばれた子どもがぎゅっとしがみつく。マリーは子どもの背中をやさしく撫でてやっている。
 もう危険はないだろう、と見て取ったヒースは立ち上がり、その場を去ろうとした。少しばかり時間を潰すつもりが、思いの外時間をとられてしまった。
「待ってください! あなたさまのお名前をお聞かせください。後であらためてお礼に伺わせてください」
「いや、俺は……」
 慌てたようすのマリーの言葉に、ヒースは困惑した。礼を言われるほど、自分は大したことはしていない。
「いいじゃないか、もらえるものならもらっときな。あんたがいたおかげでこの子は無事だったんだ。この侍女さんもこのままじゃ気が済まないだろうさ」
 お節介な中年女の言葉に、マリーが同意するように強くうなずいた。何だ何だという周囲の注目を集めて、ヒースはたじろいだ。このままではおとなしく去らせてもらえそうにない。
「……ヒースだ。礼ならさっき言ってもらったからこれ以上はいらない。悪いが、あまり話をしている時間がないんだ……」
 ちらりと会場のほうを気にするヒースに中年女が気がついて、「ひょっとしたらあんた武芸大会の参加者かい?」と訊ねた。その言葉に、マリーはぱっと顔を輝かせた。
「まあ! そうだったんですか! ヒースさまに幸運が訪れることをお祈りしています」
「今度この町にきたときはおまけをしてやるよ。応援するからがんばんな」
 逞しい腕で背中をどんと叩かれる。町の人の力強い声援に後押しされながら、ヒースは逃げるようにその場を後にした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛されていないのですね、ではさようなら。

杉本凪咲
恋愛
夫から告げられた冷徹な言葉。 「お前へ愛は存在しない。さっさと消えろ」 私はその言葉を受け入れると夫の元を去り……

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

2番目の1番【完】

綾崎オトイ
恋愛
結婚して3年目。 騎士である彼は王女様の護衛騎士で、王女様のことを何よりも誰よりも大事にしていて支えていてお護りしている。 それこそが彼の誇りで彼の幸せで、だから、私は彼の1番にはなれない。 王女様には私は勝てない。 結婚3年目の夫に祝われない誕生日に起こった事件で限界がきてしまった彼女と、彼女の存在と献身が当たり前になってしまっていたバカ真面目で忠誠心の厚い騎士の不器用な想いの話。 ※ざまぁ要素は皆無です。旦那様最低、と思われる方いるかもですがそのまま結ばれますので苦手な方はお戻りいただけると嬉しいです 自己満全開の作品で個人の趣味を詰め込んで殴り書きしているため、地雷多めです。苦手な方はそっとお戻りください。 批判・中傷等、作者の執筆意欲削られそうなものは遠慮なく削除させていただきます…

王妃の手習い

桃井すもも
恋愛
オフィーリアは王太子の婚約者候補である。しかしそれは、国内貴族の勢力バランスを鑑みて、解消が前提の予定調和のものであった。 真の婚約者は既に内定している。 近い将来、オフィーリアは候補から外される。 ❇妄想の産物につき史実と100%異なります。 ❇知らない事は書けないをモットーに完結まで頑張ります。 ❇妄想スイマーと共に遠泳下さる方にお楽しみ頂けますと泳ぎ甲斐があります。

運命の番?棄てたのは貴方です

ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。 番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。 ※自己設定満載ですので気を付けてください。 ※性描写はないですが、一線を越える個所もあります ※多少の残酷表現あります。 以上2点からセルフレイティング

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

【完結】選ばれなかった王女は、手紙を残して消えることにした。

曽根原ツタ
恋愛
「お姉様、私はヴィンス様と愛し合っているの。だから邪魔者は――消えてくれない?」 「分かったわ」 「えっ……」 男が生まれない王家の第一王女ノルティマは、次の女王になるべく全てを犠牲にして教育を受けていた。 毎日奴隷のように働かされた挙句、将来王配として彼女を支えるはずだった婚約者ヴィンスは──妹と想いあっていた。 裏切りを知ったノルティマは、手紙を残して王宮を去ることに。 何もかも諦めて、崖から湖に飛び降りたとき──救いの手を差し伸べる男が現れて……? ★小説家になろう様で先行更新中

【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断

Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。 23歳の公爵家当主ジークヴァルト。 年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。 ただの女友達だと彼は言う。 だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。 彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。 また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。 エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。 覆す事は出来ない。 溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。 そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。 二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。 これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。 エルネスティーネは限界だった。 一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。 初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。 だから愛する男の前で死を選ぶ。 永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。 矛盾した想いを抱え彼女は今――――。 長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。 センシティブな所へ触れるかもしれません。 これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。

処理中です...