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第89話 セミファイナル、開戦
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ホテルの部屋に戻ると、聖はベッドへ倒れ込んだ。なんとか自力で歩くことは出来るものの、能力の代償である失徳の業はまだ続いている。病院で横になっていても癒えることが無い、肉体的な疲労とは異なる特殊な苦痛。それは何度感じても慣れることができないうえ、連日続いた精神的疲労の回復を遅らせた。
<良いのかァ? 明日は出番無しでよォ>
疲れ切った様子の聖に、アドが茶化すように言う。明日の試合は朝から始まる。聖が出るとすればミックスなので、出番が回ってくるのは恐らくちょうど失徳の業が終わる頃だろう。そうなれば精神的な疲労はともかく、肉体的には充分試合に参加するだけのコンディションが整うはずである。しかし、聖は試合の出場には拘らなかった。
「仕方ないよ、男ダブは固定、シングルスも蓮司がやるって最初に決めてたし、ミックスも僕より奏芽の方が向いてるだろうから」
うつ伏せで枕に顔を埋めながら答える聖。出たいのは山々だが、名目上は体調不良でドイツ戦を欠場した以上、すぐ元気にプレーするワケにもいかない。能力の代償が無ければ、ミヤビと一緒に復活をアピールすることもできて出場も可能だったかもしれないが、タイミング悪く失徳の業で気を失ってしまった。不在だった事に関するチームメイトへの言い訳に矛盾が生じないよう、ここは自重することにしたのだ。
<そのせいで負けたりしてなァ>
「そういうこと言うなよ。ていうか、僕が出てもそれは同じだし」
そもそもが団体戦である以上、仮に聖が勝ち星を確定で1つ手に入れられたとしても、他のメンバーが負ければ意味が無い。だからこそ1つの勝ち星が重要であるともいえるが、それは虚空の記憶の力を前提にしたものだ。出場したは良いが撹拌事象が起こらずそのまま、という可能性もある。自らの意志で能力を使う場合は、後のことを考えて使い所を見極めねばならず、その為には結局素の実力である程度状況を整える必要があるのだ。自分が出れば勝てると考えるほど、聖は自身の実力を過大評価していない。
<つってもよォ、勝ち確テッパンの双子は次リタイアだろ? アゴとデブの男ダブはまァ、唯一期待できるけどよ、根暗のコゾーは今回なんか頼りねぇし、V系と双子の片割れもイマイチピンとこねェンだよな。スズパイのシングルスもキツいだろ。それになんといっても、美人JKとお姫様のペアて。せめて双子と美人JKじゃねェの?>
次の対ロシア戦のオーダーは、男子ダブルスがマサキとデカリョウ、女子ダブルスがミヤビと姫子、ミックスが奏芽と雪菜、そしてシングルスは蓮司と鈴奈となっている。国内の大会であれば、このオーダーでも充分実力を示せるだろう。しかし今回は世界各国のトップジュニアが相手なうえ、次は準決勝。そう考えると、今回のオーダーはATCのベストメンバーであるとは言い難い。
「ミヤビさんと姫子は、割と付き合い長いらしい、よっと」
重たい身体をどうにか動かし、仰向けになる聖。
「そもそも、オレがハル姉に誘われてテニスを始めたときには、もう姫子はATCにいたんだ。ミヤビさんとは小5の頃に知り合ったみたい。ダブルス組むのも今回が初めてじゃないんだってさ」
<ビジュアルは映えるンだけどなァ。けどあのお姫様はなンかこう、闘争心に欠けるっつーか、性格的に選手向きじゃなくねェ? よく今まで続けてこれたなァ>
「姫子ってそうは見えないかもしれないけど、気持ちは強い子だよ。闘志を外に出すタイプじゃないってだけさ。根気強くて忍耐強い、芯の強いところがあるんだ。それに、オレより先にハル姉からテニス教えてもらってたしね」
言いながら、まぶたを閉じる聖。ぼんやりと昔のことがあれこれと思い出される。懐かしい気持ちになり、もしあのままテニスを続けていたらどうなっていたのだろうと想像してしまう。
<オメェのその主人公補正みてェな、美人幼馴染に囲まれた羨まけしからん境遇についてはこの際スルーしてやるとして、だ。ぶっちゃけ、あのお姫様はオメェに気ィあンだろ。で、オメェもそれに気付いてるよな? そこんとこどうよ、ジッサイ>
なんとなくそういう話題にされるとを察していた聖は、苦笑いを浮かべる。確かに、姫子と聖は仲が良い。少し傍にいて観察していれば、姫子の聖に対する態度からそういう想像にいたる者は多いかもしれない。事実、そう思っている人も少なからずいるのを聖は知っている。しかし、聖の見解は違った。
「なんか、そういう風に言われることもあるけど」
寝返りをうち、身体を横に向ける。室内灯の淡い光が目に入り、そこにぼんやりと姫子の顔が浮かんだ気がした。
「たぶん、みんな姫子のことを勘違いしてると思う」
★
相手の放った乾坤一擲の一撃。その強烈な一打を、ネット前に伏していたマサキが華麗なタッチでさばく。球威を完全に殺されたボールは、相手の守備範囲の隙間へとそっと運ばれる。静かに勝敗が決したその直後、会場がワッと歓声に包まれた。
「Game,set & match Japan. 7-6(5),4-6,7-5.」
対ロシア戦の第1試合、男子ダブルスはマサキとデカリョウが辛うじて勝利した。相手のペアはともに190㎝をゆうに越える巨漢。パワーは言うに及ばず、スピードと器用さも兼ね備えた相手に苦戦を強いられたが、要所で見せるマサキの繊細なタッチプレーが上手く機能し、どうにか勝利をもぎ取った。
「よォし、まず初戦もらった!」
「ナイス逃げ切り!」
「おえぇ~、しんどかったぁ!」
「おそロシア! おそロシア!」
苦戦を制し興奮気味に戻ってきた2人を、チームメイトが称える。そんななか、姫子は内心で安堵しながらも、ひとり表情を固くしていた。続く第2試合は女子ダブルス。姫子とミヤビの出番となる。
「さ、行こう」
ミヤビが姫子の背中に優しく手をあてた。その表情は自信に満ち、瞳には闘志が宿っている。桐澤姉妹から借りたお揃いのサンバイザーを身につけ、ウェアの色も合わせた二人は仲の良い姉妹のようだ。
「姫子!」
出て行こうとする姫子に、聖が声をかける。
「頑張って!」
握った拳を突き出しながら、力強く声援を送る聖。
自分に向けた信頼の眼差しが、姫子の戦意に火をつけた。
「いってくる!」
いつもよりほんの少し凛々しくそう言って、姫子はコートへ向かった。
国際ジュニア団体戦 準決勝 日本 VS ロシア
第二試合 女子ダブルス
雪咲 雅・神近 姫子 VS Линги Валлона・Самона Брежнева
ネット越しに、2組のペアが向かい合う。ロシアの二人は身長と体格に恵まれ、姫子は内心で本当に同じ女性なのかと思ってしまうほど。見た目だけでなく、その表情や立ち振る舞いも競技者としての風格を持ち、存在だけでどこか対戦相手を威圧する雰囲気を持っていた。ヴァローナ選手は透き通った白い肌に、美しいプラチナブロンドをマッシュショートにした、どこかネコ科の大型動物を想起させる顔立ち。ブレジネフ選手はロシア人のなかでもグルジア系らしく、浅黒い肌に濃い焦げ茶の髪色で、男性さながらに刈り上げたツーブロック。鷲鼻が特徴的で、力強さと知的さを兼ね備えていた。
「初めましてですね。よろしく」
そんな相手に、さも当然とばかりにミヤビが挨拶をする。口元には微笑を浮かべ、彼女も既に臨戦態勢に入っていることが窺える。いつも優しくて頼り甲斐のあるミヤビ。姫子が中学の頃までは何度かペアを組んで貰ったことはあったが、最近はそれも途絶えていた。知らぬ間に、戦う強い女としての貫禄を身に付けていたようだ。彼女に比べ、自分は成長できているだろうかと、姫子はつい要らぬことを考えてしまう。
「アンタのことは知ってる。素襖に聞いたことがあるよ」
見た目に反し高い声で、ブレジネフがミヤビに向けて言った。突然出た素襖春菜の名前に少し驚く姫子。一方のミヤビは動じる様子もなく、へぇそうなんだと相槌を打つ。
「シングルスで出来ないのが残念だ。良い試合をしよう」
社交辞令と宣戦布告の入り混じった笑みを浮かべるブレジネフ。ヴァローナは何も言わず無表情のままではあるが、ペアの発言に同意しているのを示すかのようにアイコンタクトを送ってきた。だが、自分と目があったとき、ほんのわずかに訝しむような表情を浮かべたのを姫子は感じた。
(品定めされた)
なんら根拠は無かったが、恐らく当たっているだろうと確信する姫子。自分の容姿、あるいは雰囲気は、プロを目指す選手たちからすると迫力を感じないのだろう。言葉にこそされていないが、彼女の視線には「こんなヤツが?」という慢侮の色があった。隣にいるミヤビが素襖春菜も認めている実力者であることも、それに拍車をかけていたのかもしれない。
「姫子」
ミヤビの呼びかけにハッとする姫子。
姫子の傍に寄り、口元を隠しながらミヤビは声を潜める。
「相手、強そうだね。でもさ」
こそこそと喋るミヤビの声が、どこかくすぐったい。
「私と姫子ならやれる。自信もっていこう」
ポン、とミヤビが姫子の腰を軽く叩いて、笑顔を向けた。
自分のポジションへ向かう彼女の背中を、姫子は見つめる。
(私が不安に思ってるのに気付いてくれたんだ)
ミヤビはいつも、自分が助けを求める前に声をかけてくれる。姫子に対してだけではない。同世代はおろか、もっと年下のジュニアや、ATCを利用する一般のテニス愛好家の人々、コーチやスタッフ、関わるすべての人に対して気を配っている。なにも、彼女が自己犠牲や奉仕の心の化身だというわけではない。ミヤビが相手の抱える問題に直接関わることはごく稀だ。だが相手に寄り添い、声をかけ、自分が一人でないことを気付かせてくれる。些細なことだが、そんな彼女のちょっとした振る舞いが、多くの者の支えになっているのを姫子は身をもって知っている。
(私は、プロにはなれないけど)
振り返り、眼前に待ち構える難敵と対峙する姫子。
(私にできる、ベストを尽くすんだ)
★
男子の試合を観戦し終え、少し安堵する聖。既に失徳の業は終わり、身体の調子は完全に戻った。初戦をしっかり勝ってくれたマサキとデカリョウには、心底よくやってくれたという思いでいっぱいだ。それに、何事もなく試合を終えてくれたことにも。
<警戒すンのは良いけどよ、仮に何かあるとして、オメェに何ができンだ?>
アドのいう通り、もしロシアチームがあのマフィアと何かしらの関わり合いがあって、この日本との試合でもし何かを仕掛けてきたとしても、自分にできることは何も無いに等しいと聖は自覚している。とはいえ、あんなことがあった以上、呑気に構えているわけにはいかない。そもそも、あのロシアンマフィアは一体なにを引き換えに自分たちやエディたちを解放したのか。それを考えるためのヒントになり得る情報すら何も分からないのだ。自分やミヤビが無事に帰ってこれたことだけを素直に喜びたいが、全体像を把握しなければまたいつ同じことが起きるとも限らない。聖はできる限り、今ある材料のなかから想定できる可能性については考えるべきだと思っていた。
<ま、オメェはそういうの心配しなくて良いとだけいっとくぜ。まだ時期じゃねェっつーのもあるが、そもそもそういうのは、オレの役目だからよ>
(なに? 役目?)
半分考えごとをしていて、アドの言葉の意味が分からない聖。役目も何も、アドの役目は他でもない虚空の記憶の管理者だろう。管理者というのだから、それ以外なにがあるというのか。
(あぁ、またいつもの、僕の知らないマンガか何かのセリフ?)
<そンなとこ>
雑に返事をするアド。聖はそれを聞いてやれやれと思い、逸れた思考を元に戻す。ロシアンマフィアが、このロシアチームにどう関わっているのか。それとも国が同じというだけで直接は関係ないのか。今回、直接自分と同じように誘拐に遭ったミヤビの出場するこの試合は、何かが起きるかもしれない。そう思うと試合の勝敗以上に、二人のことが気にかかった。
★
――私の他に? そうだね、ミヤビちゃんかな
以前に一度対戦した素襖春菜が、ブレジネフにそう答えたのを覚えている。ロシアのテニス選手の多くは、国籍こそロシアのままにしつつも活動拠点は海外という者が総じて多い。彼女もその例に漏れず、一家まるごとスペインに引っ越しそこを中心に選手活動をしていた。素襖春菜と試合したのは、彼女がプロになる少し前のこと。
(代表決めの選抜戦でダブルスになってしまったのは不運だったが、こうして素襖のお墨付きと試合ができるなら悪くない。天才が認める選手とやらのお手並み拝見と行こうか。しかしその前に――)
サーブは日本のミヤビから。放たれたボールは鋭くTマークに着弾。球威も申し分ない。試合の最序盤でこの精度なら、身体が温まったら更に威力は増すだろう。
(前でウロチョロされちゃ目障りだ。行くぞ)
機敏に反応したブレジネフは、微かに遅れながらも精確なタイミングでボールを捉える。力強くしなやかな両腕でラケットを振り、やや強引に相手前衛である姫子目掛けて強烈なリターンを叩き込んだ。
「ッ!」
ミヤビのサーブが見事なものだっただけに、相手のリターンが甘くなると読んだ姫子の想定が外れる。先手を取れるはずが逆にカウンターを食らい、ボールは姫子のラケットを弾き飛ばす勢いで襲いかかった。姫子は相手のショットを捉えることができず、明後日の方向にボールが飛んで行った。
(幸運な当たり損ないにもならないんじゃ、大したことないね)
姫子の方を見ながら、形式だけと言わんばかりに手を上げて謝意を示すブレジネフ。相手の1stサーブを強烈に攻撃することで、サーバーであるミヤビにプレッシャーを与え、前衛の姫子の警戒心を強めさせ、初っ端のポイントも奪う。これ以上ないほどの開幕攻撃を成功させてみせた。
「ヴァローナ」
ペアの名を呼び、視線を交わす。僅かに頷くだけで、それ以上のやり取りはしない。互いに近寄って励まし合うようにしている日本ペアとは対照的に、ロシアペアの二人はアイコンタクトのみで意思疎通を取っていた。
続く第2ポイント。左利きであるヴァローナに対し、ミヤビは相手の非利き手側を狙い再びセンターへサーブを放つ。だが結果は1ポイント目を左右反転して再現したかのように、またしても前衛の姫子に向けて強烈なリターンが飛んで行く。連続で同じ事をしてくる可能性に備えていた姫子はどうにかボールを捉えたものの、パワーに押し負けてボールはネットを越えなかった。
ヴァローナとブレジネフは淡々とした態度のまま、特に会話もなく次のポジションへつく。一見するとコミュニケーション不足に見える二人の振る舞い。しかし彼女らは、会話を交わすまでもなく頭のなかではまったく同じことを考えていた。
(まず、あの女から潰す)
美丈夫さと屈強さを兼ね備えた二人は、早々に敵の急所へと狙いを定めた。
続く
<良いのかァ? 明日は出番無しでよォ>
疲れ切った様子の聖に、アドが茶化すように言う。明日の試合は朝から始まる。聖が出るとすればミックスなので、出番が回ってくるのは恐らくちょうど失徳の業が終わる頃だろう。そうなれば精神的な疲労はともかく、肉体的には充分試合に参加するだけのコンディションが整うはずである。しかし、聖は試合の出場には拘らなかった。
「仕方ないよ、男ダブは固定、シングルスも蓮司がやるって最初に決めてたし、ミックスも僕より奏芽の方が向いてるだろうから」
うつ伏せで枕に顔を埋めながら答える聖。出たいのは山々だが、名目上は体調不良でドイツ戦を欠場した以上、すぐ元気にプレーするワケにもいかない。能力の代償が無ければ、ミヤビと一緒に復活をアピールすることもできて出場も可能だったかもしれないが、タイミング悪く失徳の業で気を失ってしまった。不在だった事に関するチームメイトへの言い訳に矛盾が生じないよう、ここは自重することにしたのだ。
<そのせいで負けたりしてなァ>
「そういうこと言うなよ。ていうか、僕が出てもそれは同じだし」
そもそもが団体戦である以上、仮に聖が勝ち星を確定で1つ手に入れられたとしても、他のメンバーが負ければ意味が無い。だからこそ1つの勝ち星が重要であるともいえるが、それは虚空の記憶の力を前提にしたものだ。出場したは良いが撹拌事象が起こらずそのまま、という可能性もある。自らの意志で能力を使う場合は、後のことを考えて使い所を見極めねばならず、その為には結局素の実力である程度状況を整える必要があるのだ。自分が出れば勝てると考えるほど、聖は自身の実力を過大評価していない。
<つってもよォ、勝ち確テッパンの双子は次リタイアだろ? アゴとデブの男ダブはまァ、唯一期待できるけどよ、根暗のコゾーは今回なんか頼りねぇし、V系と双子の片割れもイマイチピンとこねェンだよな。スズパイのシングルスもキツいだろ。それになんといっても、美人JKとお姫様のペアて。せめて双子と美人JKじゃねェの?>
次の対ロシア戦のオーダーは、男子ダブルスがマサキとデカリョウ、女子ダブルスがミヤビと姫子、ミックスが奏芽と雪菜、そしてシングルスは蓮司と鈴奈となっている。国内の大会であれば、このオーダーでも充分実力を示せるだろう。しかし今回は世界各国のトップジュニアが相手なうえ、次は準決勝。そう考えると、今回のオーダーはATCのベストメンバーであるとは言い難い。
「ミヤビさんと姫子は、割と付き合い長いらしい、よっと」
重たい身体をどうにか動かし、仰向けになる聖。
「そもそも、オレがハル姉に誘われてテニスを始めたときには、もう姫子はATCにいたんだ。ミヤビさんとは小5の頃に知り合ったみたい。ダブルス組むのも今回が初めてじゃないんだってさ」
<ビジュアルは映えるンだけどなァ。けどあのお姫様はなンかこう、闘争心に欠けるっつーか、性格的に選手向きじゃなくねェ? よく今まで続けてこれたなァ>
「姫子ってそうは見えないかもしれないけど、気持ちは強い子だよ。闘志を外に出すタイプじゃないってだけさ。根気強くて忍耐強い、芯の強いところがあるんだ。それに、オレより先にハル姉からテニス教えてもらってたしね」
言いながら、まぶたを閉じる聖。ぼんやりと昔のことがあれこれと思い出される。懐かしい気持ちになり、もしあのままテニスを続けていたらどうなっていたのだろうと想像してしまう。
<オメェのその主人公補正みてェな、美人幼馴染に囲まれた羨まけしからん境遇についてはこの際スルーしてやるとして、だ。ぶっちゃけ、あのお姫様はオメェに気ィあンだろ。で、オメェもそれに気付いてるよな? そこんとこどうよ、ジッサイ>
なんとなくそういう話題にされるとを察していた聖は、苦笑いを浮かべる。確かに、姫子と聖は仲が良い。少し傍にいて観察していれば、姫子の聖に対する態度からそういう想像にいたる者は多いかもしれない。事実、そう思っている人も少なからずいるのを聖は知っている。しかし、聖の見解は違った。
「なんか、そういう風に言われることもあるけど」
寝返りをうち、身体を横に向ける。室内灯の淡い光が目に入り、そこにぼんやりと姫子の顔が浮かんだ気がした。
「たぶん、みんな姫子のことを勘違いしてると思う」
★
相手の放った乾坤一擲の一撃。その強烈な一打を、ネット前に伏していたマサキが華麗なタッチでさばく。球威を完全に殺されたボールは、相手の守備範囲の隙間へとそっと運ばれる。静かに勝敗が決したその直後、会場がワッと歓声に包まれた。
「Game,set & match Japan. 7-6(5),4-6,7-5.」
対ロシア戦の第1試合、男子ダブルスはマサキとデカリョウが辛うじて勝利した。相手のペアはともに190㎝をゆうに越える巨漢。パワーは言うに及ばず、スピードと器用さも兼ね備えた相手に苦戦を強いられたが、要所で見せるマサキの繊細なタッチプレーが上手く機能し、どうにか勝利をもぎ取った。
「よォし、まず初戦もらった!」
「ナイス逃げ切り!」
「おえぇ~、しんどかったぁ!」
「おそロシア! おそロシア!」
苦戦を制し興奮気味に戻ってきた2人を、チームメイトが称える。そんななか、姫子は内心で安堵しながらも、ひとり表情を固くしていた。続く第2試合は女子ダブルス。姫子とミヤビの出番となる。
「さ、行こう」
ミヤビが姫子の背中に優しく手をあてた。その表情は自信に満ち、瞳には闘志が宿っている。桐澤姉妹から借りたお揃いのサンバイザーを身につけ、ウェアの色も合わせた二人は仲の良い姉妹のようだ。
「姫子!」
出て行こうとする姫子に、聖が声をかける。
「頑張って!」
握った拳を突き出しながら、力強く声援を送る聖。
自分に向けた信頼の眼差しが、姫子の戦意に火をつけた。
「いってくる!」
いつもよりほんの少し凛々しくそう言って、姫子はコートへ向かった。
国際ジュニア団体戦 準決勝 日本 VS ロシア
第二試合 女子ダブルス
雪咲 雅・神近 姫子 VS Линги Валлона・Самона Брежнева
ネット越しに、2組のペアが向かい合う。ロシアの二人は身長と体格に恵まれ、姫子は内心で本当に同じ女性なのかと思ってしまうほど。見た目だけでなく、その表情や立ち振る舞いも競技者としての風格を持ち、存在だけでどこか対戦相手を威圧する雰囲気を持っていた。ヴァローナ選手は透き通った白い肌に、美しいプラチナブロンドをマッシュショートにした、どこかネコ科の大型動物を想起させる顔立ち。ブレジネフ選手はロシア人のなかでもグルジア系らしく、浅黒い肌に濃い焦げ茶の髪色で、男性さながらに刈り上げたツーブロック。鷲鼻が特徴的で、力強さと知的さを兼ね備えていた。
「初めましてですね。よろしく」
そんな相手に、さも当然とばかりにミヤビが挨拶をする。口元には微笑を浮かべ、彼女も既に臨戦態勢に入っていることが窺える。いつも優しくて頼り甲斐のあるミヤビ。姫子が中学の頃までは何度かペアを組んで貰ったことはあったが、最近はそれも途絶えていた。知らぬ間に、戦う強い女としての貫禄を身に付けていたようだ。彼女に比べ、自分は成長できているだろうかと、姫子はつい要らぬことを考えてしまう。
「アンタのことは知ってる。素襖に聞いたことがあるよ」
見た目に反し高い声で、ブレジネフがミヤビに向けて言った。突然出た素襖春菜の名前に少し驚く姫子。一方のミヤビは動じる様子もなく、へぇそうなんだと相槌を打つ。
「シングルスで出来ないのが残念だ。良い試合をしよう」
社交辞令と宣戦布告の入り混じった笑みを浮かべるブレジネフ。ヴァローナは何も言わず無表情のままではあるが、ペアの発言に同意しているのを示すかのようにアイコンタクトを送ってきた。だが、自分と目があったとき、ほんのわずかに訝しむような表情を浮かべたのを姫子は感じた。
(品定めされた)
なんら根拠は無かったが、恐らく当たっているだろうと確信する姫子。自分の容姿、あるいは雰囲気は、プロを目指す選手たちからすると迫力を感じないのだろう。言葉にこそされていないが、彼女の視線には「こんなヤツが?」という慢侮の色があった。隣にいるミヤビが素襖春菜も認めている実力者であることも、それに拍車をかけていたのかもしれない。
「姫子」
ミヤビの呼びかけにハッとする姫子。
姫子の傍に寄り、口元を隠しながらミヤビは声を潜める。
「相手、強そうだね。でもさ」
こそこそと喋るミヤビの声が、どこかくすぐったい。
「私と姫子ならやれる。自信もっていこう」
ポン、とミヤビが姫子の腰を軽く叩いて、笑顔を向けた。
自分のポジションへ向かう彼女の背中を、姫子は見つめる。
(私が不安に思ってるのに気付いてくれたんだ)
ミヤビはいつも、自分が助けを求める前に声をかけてくれる。姫子に対してだけではない。同世代はおろか、もっと年下のジュニアや、ATCを利用する一般のテニス愛好家の人々、コーチやスタッフ、関わるすべての人に対して気を配っている。なにも、彼女が自己犠牲や奉仕の心の化身だというわけではない。ミヤビが相手の抱える問題に直接関わることはごく稀だ。だが相手に寄り添い、声をかけ、自分が一人でないことを気付かせてくれる。些細なことだが、そんな彼女のちょっとした振る舞いが、多くの者の支えになっているのを姫子は身をもって知っている。
(私は、プロにはなれないけど)
振り返り、眼前に待ち構える難敵と対峙する姫子。
(私にできる、ベストを尽くすんだ)
★
男子の試合を観戦し終え、少し安堵する聖。既に失徳の業は終わり、身体の調子は完全に戻った。初戦をしっかり勝ってくれたマサキとデカリョウには、心底よくやってくれたという思いでいっぱいだ。それに、何事もなく試合を終えてくれたことにも。
<警戒すンのは良いけどよ、仮に何かあるとして、オメェに何ができンだ?>
アドのいう通り、もしロシアチームがあのマフィアと何かしらの関わり合いがあって、この日本との試合でもし何かを仕掛けてきたとしても、自分にできることは何も無いに等しいと聖は自覚している。とはいえ、あんなことがあった以上、呑気に構えているわけにはいかない。そもそも、あのロシアンマフィアは一体なにを引き換えに自分たちやエディたちを解放したのか。それを考えるためのヒントになり得る情報すら何も分からないのだ。自分やミヤビが無事に帰ってこれたことだけを素直に喜びたいが、全体像を把握しなければまたいつ同じことが起きるとも限らない。聖はできる限り、今ある材料のなかから想定できる可能性については考えるべきだと思っていた。
<ま、オメェはそういうの心配しなくて良いとだけいっとくぜ。まだ時期じゃねェっつーのもあるが、そもそもそういうのは、オレの役目だからよ>
(なに? 役目?)
半分考えごとをしていて、アドの言葉の意味が分からない聖。役目も何も、アドの役目は他でもない虚空の記憶の管理者だろう。管理者というのだから、それ以外なにがあるというのか。
(あぁ、またいつもの、僕の知らないマンガか何かのセリフ?)
<そンなとこ>
雑に返事をするアド。聖はそれを聞いてやれやれと思い、逸れた思考を元に戻す。ロシアンマフィアが、このロシアチームにどう関わっているのか。それとも国が同じというだけで直接は関係ないのか。今回、直接自分と同じように誘拐に遭ったミヤビの出場するこの試合は、何かが起きるかもしれない。そう思うと試合の勝敗以上に、二人のことが気にかかった。
★
――私の他に? そうだね、ミヤビちゃんかな
以前に一度対戦した素襖春菜が、ブレジネフにそう答えたのを覚えている。ロシアのテニス選手の多くは、国籍こそロシアのままにしつつも活動拠点は海外という者が総じて多い。彼女もその例に漏れず、一家まるごとスペインに引っ越しそこを中心に選手活動をしていた。素襖春菜と試合したのは、彼女がプロになる少し前のこと。
(代表決めの選抜戦でダブルスになってしまったのは不運だったが、こうして素襖のお墨付きと試合ができるなら悪くない。天才が認める選手とやらのお手並み拝見と行こうか。しかしその前に――)
サーブは日本のミヤビから。放たれたボールは鋭くTマークに着弾。球威も申し分ない。試合の最序盤でこの精度なら、身体が温まったら更に威力は増すだろう。
(前でウロチョロされちゃ目障りだ。行くぞ)
機敏に反応したブレジネフは、微かに遅れながらも精確なタイミングでボールを捉える。力強くしなやかな両腕でラケットを振り、やや強引に相手前衛である姫子目掛けて強烈なリターンを叩き込んだ。
「ッ!」
ミヤビのサーブが見事なものだっただけに、相手のリターンが甘くなると読んだ姫子の想定が外れる。先手を取れるはずが逆にカウンターを食らい、ボールは姫子のラケットを弾き飛ばす勢いで襲いかかった。姫子は相手のショットを捉えることができず、明後日の方向にボールが飛んで行った。
(幸運な当たり損ないにもならないんじゃ、大したことないね)
姫子の方を見ながら、形式だけと言わんばかりに手を上げて謝意を示すブレジネフ。相手の1stサーブを強烈に攻撃することで、サーバーであるミヤビにプレッシャーを与え、前衛の姫子の警戒心を強めさせ、初っ端のポイントも奪う。これ以上ないほどの開幕攻撃を成功させてみせた。
「ヴァローナ」
ペアの名を呼び、視線を交わす。僅かに頷くだけで、それ以上のやり取りはしない。互いに近寄って励まし合うようにしている日本ペアとは対照的に、ロシアペアの二人はアイコンタクトのみで意思疎通を取っていた。
続く第2ポイント。左利きであるヴァローナに対し、ミヤビは相手の非利き手側を狙い再びセンターへサーブを放つ。だが結果は1ポイント目を左右反転して再現したかのように、またしても前衛の姫子に向けて強烈なリターンが飛んで行く。連続で同じ事をしてくる可能性に備えていた姫子はどうにかボールを捉えたものの、パワーに押し負けてボールはネットを越えなかった。
ヴァローナとブレジネフは淡々とした態度のまま、特に会話もなく次のポジションへつく。一見するとコミュニケーション不足に見える二人の振る舞い。しかし彼女らは、会話を交わすまでもなく頭のなかではまったく同じことを考えていた。
(まず、あの女から潰す)
美丈夫さと屈強さを兼ね備えた二人は、早々に敵の急所へと狙いを定めた。
続く
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約2メートルほどの長さの竹槍をひたすら前へ振り出していると、握力と腕力がなくなってきます。とてもつらい。
訓練後、私たちは山腹に掘ったトンネル内で休憩します。
「竹槍で米軍相手になにができるというのでしょうか」と私が弱音を吐くと、かぐやさんに叱られました。
「みきさん、大和撫子たる者、けっしてあきらめてはなりません。なにがなんでも日本を守り抜くという強い意志を持って戦い抜くのです。私はアメリカの兵士のひとりと相討ちしてみせる所存です」
かぐやさんの目は彼女のことばどおり強い意志であふれていました……。
日米戦争の偽史SF短編です。全4話。
ワイルド・ソルジャー
アサシン工房
SF
時は199X年。世界各地で戦争が行われ、終戦を迎えようとしていた。
世界は荒廃し、辺りは無法者で溢れかえっていた。
主人公のマティアス・マッカーサーは、かつては裕福な家庭で育ったが、戦争に巻き込まれて両親と弟を失い、その後傭兵となって生きてきた。
旅の途中、人間離れした強さを持つ大柄な軍人ハンニバル・クルーガーにスカウトされ、マティアスは軍人として活動することになる。
ハンニバルと共に任務をこなしていくうちに、冷徹で利己主義だったマティアスは利害を超えた友情を覚えていく。
世紀末の荒廃したアメリカを舞台にしたバトルファンタジー。
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