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第70話 翼を持たぬ者
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蓮司とジオの男子シングルスは試合序盤、後方からのラリー戦となった。身長で勝るジオの放つストロークは強烈で、一見すると蓮司が守勢を強いられているように観客の目には映る。しかし、実際にラリーでの攻防を繰り広げる蓮司が感じたのは、
(やりやすい)
であった。
(球威もコースも、油断ならねぇ。気を抜けば一気にやられる、けど!)
ジオの放つショットが、蓮司の非利き手側へ深く差し込むように襲いかかる。しかし蓮司は少しも怯むことなく、その強烈な一撃をタイミング良く打ち返す。自らの出力は最小限に、相手の球威を利用したカウンター。
「!」
その矮躯からは想像できない球威のカウンターが、ジオへと跳ね返る。崩す目的の一手が予想外の反撃によって自らの首を絞め、逆にジオのタイミングが崩されてしまう。満足な体勢で対応できないと判断したジオは、咄嗟に逆回転をかけボールを浮かせた。
形勢を整える一打
奪われた時間を取り戻すように、ボールはゆっくり高く、そして深く返される。スライスによって滞空時間が長くなり、深い位置へ返球することで相手の連撃を封じ、その間に自分の態勢を立て直すのが狙いだ。
(そりゃ甘いだろ!)
だが、傾いた形勢をリセットしたかったジオの思惑を見抜いていた蓮司は、カウンターのあと即座にコートのなかへ一歩踏み込んでいた。ジオのループボールは高く深かったものの、コート内側へ入ったことで蓮司はボールの落下点を容易に捉える。バウンドさせてしまえばジオの思うつぼ。相手が手に入れたかった時間を与えまいと、蓮司は躊躇なくボールをノーバウンドで打ち込んだ。
即座に撃墜する一打
高い打点から、まるでレーザーのような軌道でボールが駆け抜けていった。
ジオは体勢を立て直す時間を奪われ、打たれたボールを見送るしか術がない。
「カモォン!」
ポイントが決まると同時に吼える蓮司。
戦意を剥き出しにして、自分を鼓舞し更に集中力を高めていく。
(勝てる。相手は強いが、今日は最高に調子が良い。これなら!)
手応えを感じた蓮司は、早くも勝利を予感していた。
★
(いい選手だ)
ジオは対戦相手である小柄な日本人を、内心で高く評価した。
(身長や体格は女子であるギルより小さいぐらいだというのに、ボールの威力は体格の良い男子選手と遜色ない。瞬発力や筋力だけじゃなく、身体で発生したエネルギーをボールに伝える技術が格段に上手い。カウンターの使いどころも冴えている。さすがは、日本のトップジュニアだ)
ショットの精度、威力、ボールコントロール、ポジショニング、ボディワーク、蓮司のプレーはジオの目から見ても、極めて高い水準に到達していると感じる。男子シングルスを任されるだけのことはあると素直に思えた。しかし。
(だが才能は感じない。リーチやギルのような、最初から持って産まれた運動適性は平均値を越えない。彼は努力と研鑚によってこの領域に達したタイプ。よほど鍛錬に打ち込んできたんだろう。それは大いに賞賛に値するよ。でも、君のプレーの上限は既に見切った)
蓮司の放つ鋭い一撃が、ジオの反応を上回る速度で叩き込まれる。
「Game,Japan.4-3」
互いにサービスゲームのキープが続く。傍目からは、序盤から激しい打ち合いが繰り広げられる見応えのある試合に見えることだろう。両選手の実力は拮抗し、あと一つで勝利が確定する日本側の猛攻と、負けられない試合となったイタリアの意地がぶつかり火花を散らす、そんな風に。しかしこのとき既に、ジオは己の戦略の準備を終えていた。
★
「蓮司、調子良さそうだな」
普段はあまり楽観的なセリフを口にしない奏芽が、小さく何度か頷きながら納得するように言う。確かに他のメンバーの目から見ても、今日の蓮司のプレーは冴えているように見える。身長差はかなりあるが、ラリー戦にも関わらず互角以上だ。パワー負けしていないことに加え、なにより気合が入っているようだ。
「相性が良いのかもね」
「殴り合い好きだしね」
双子の桐澤姉妹はそう分析する。テニスはプレースタイルの相性が噛み合うと、実力を発揮し易くなることがあるのだ。早いテンポの打ち合いを好む蓮司にとって、ジオのテンポはちょうど良いのかもしれない。
「レンレンが勝てば、みやびんは消化試合だねぇ」
ひと仕事終えた鈴奈が、ランチ代わりのサンドウィッチを頬張りながら気楽そうにいう。その隣で聖も同じようにナゲットを口にしている。時刻は正午を過ぎており、試合を終えたばかりということもあって酷く腹が空いていた。
「うん、そうなれば良いけど……」
真剣な眼差しで試合を見つめるミヤビは、普段の彼女にしては歯切れが悪い。集中して蓮司のプレーを見ているようだが、何か心配しているようにも見える。そんなミヤビの様子に、聖はふと思い出して質問を投げかけてみた。
「蓮司、怪我はもうとっくに治ってますよね?」
「え? あぁ、うん。そのはず。それは大丈夫、だと思う」
「なにか、別の心配事ですか?」
怪我を心配している、というわけではなさそうだが、ミヤビの表情はどこか浮かない。
「心配事っていうか。なんか、調子良すぎるかなって」
「良すぎる?」
この時はまだ、聖にはミヤビの言葉の意味が分からなかった。
★
第8ゲームをジオがキープし、最初のセットも後半に入った。ゲームカウント4-4で蓮司のサービスゲーム。内容的にも雰囲気的にも、このままキープが続いてタイブレークに突入するような展開を誰もが予想する。だが、始まった第9ゲーム最初のポイントを、蓮司は些細なミスを犯して連続で失った。
(っと、今の入らねぇのかよ。集中しろ集中)
しかし、調子の良さを自覚している蓮司に動揺は一切なく、自分のサービスゲームを落とすイメージは微塵も湧いてこない。何をどう打っても上手くいくような、万能感にも似た感覚が身体のなかに漲っているのが分かる。加えて、相手のジオのプレーはテンポやリズムが蓮司の好きな速さで、非常に噛み合う。そのお陰もあって、攻撃したいときに攻撃ができ、守りたいときに守れるという実に心地よいプレーができていた。ただそれは相手も同じようで、その結果自分に有利に働くサービスゲームをお互いキープし合う展開となってしまっている。
(ここで一気に上げてやる)
蓮司は短く深く息を吐き切り、集中の深度をさらに深める。相手の挙動の一切を見逃さず、周囲の雑音は遠くなり、身体の感覚は鋭くなっていく。これまで自分のパフォーマンスが最高潮に達していると感じたことは何度かあるが、今日ほど調子が良いと思ったことはあまり記憶に無い。結果次第では自分がATCにいられなくなると告げられて少しネガティブな気分になったりもしたが、テニスのパフォーマンスは下がらずに済んでいる。
(やれる。やれるさ)
身長がハンデとなり、小中学生の頃のような輝かしい実績からは遠ざかっているものの、蓮司が日本のジュニアで上位に食い込めているのは紛れもない事実だ。それに女子とはいえ、自分より背の低い先輩選手の三縞ありすも世界で戦えている。ならば自分とて、簡単にあきらめるわけにはいかない、蓮司はそう思っていた。
スピードとコントロールを両立させた正確無比のサーブが相手コートへ着弾する。それを受けて、ジオは体勢を崩すまいと丁寧にスライスをかけ守備的にリターン。時間を作り素早く迎撃態勢を整える。ジオのリターンは深く、蓮司の速攻を嫌って逃れるように長く滑空する。威力、精度と共に充分な手応えを感じたサーブだったが、球威を殺し切らずに守り返したジオの技量に舌を巻く蓮司。だが、それでも形勢はやや蓮司が有利。利き手側へ回り込み、バウンドした直後に低い弾道を持ち上げるように強いスピンをかけて強打。手を緩めようとしない蓮司の攻撃を察したジオが、一歩下がるのを蓮司は見逃さない。
(今ッ!)
ジオが蓮司の強打をスライスで返球すると予測した蓮司は、半ば強引に自分が放った強打を接近する為の一打として利用し、コートのなかへ入って距離を詰めた。相手がテンポを落とすなら、それに乗じてさらに攻撃を重ねる。
蓮司の接近を視界の端で捉えたジオは、ストレートに打つつもりだったスライスを変更して蓮司の非利き手側へ高く返球。身長にハンデがある蓮司にとって、その場所は大きな弱点ともいえる。より精度を求めるなら蓮司のラケットが届かない高さを通すことだが、さすがにそれほど甘くない。触れるが攻撃できないぐらいの高さで良しとし、一度下げたポジションを上げて次に備える。
(なめんなよッ!)
背の低い自分が前へ詰めれば、バック側にボールを上げられることなど蓮司は百も承知。確かに蓮司の膂力では決定打になり得るボレーを叩くのは難しい。だが、それは難しいのであって不可能ではない。アプローチのあとに相手の挙動を見極め、高い場所を打たれると察した時点で蓮司は迎撃態勢に入っていた。高く跳躍しながらも慌てずにボールを捉え、鋭い角度のついたアングル・ボレーで処理。鋭角な軌道のボレーは、相手コートに着弾したあと外へ逃げるように飛んでいく。打ち終わりの間際、蓮司の目にジオが猛然と向かってくるのが映った。
(速いッ!)
蓮司の出したラケット面の向きから打球方向を見極めたジオが、その長い手足を大きく振ってネットへと向かう。蓮司の足なら6,7歩は必要であろう距離を、ジオは半分近い歩数で一気に詰める。それも、バランスはまったく崩れていない。蓮司の打ったボレーがバウンドして最頂点に達するより早く、ジオはボールを間合いに収める。蓮司は高く跳躍したあとの着地硬直でまだ準備が整わない。
(どう来る!?)
コートの外側へと向かって角度のついたボールは、同じように角度をつけて返球しやすい。すなわち、ネットと平行になるような軌道に打ちやすいのがまず1つ。次に、ストレート。そしてその次に、相手の頭上を抜くロビング。
(アングルはリスクが高い。やった感じの性格的にそれは無い。ストレート? 審判台が無きゃ、それもあったろう。角度がつきすぎて障害物になってる。無い。ロブ? あり得る!)
瞬時に選択肢を浮かべ、予測する蓮司。
だが、この場面においては、もう一つ選択肢がある。
身体へ向けられた一打
ジオは蓮司の想定した三つの選択肢以外の、第四の選択肢を採用。充分追いついたとはいえ、中途半端な返球をすれば逆襲を食らう恐れがあるのはジオの方だ。テニスはルール上、相手の打ったボールが自分の身体に当たれば失点となる。少しでもポイント獲得の可能性を高めるべく、ジオは冷静に蓮司の身体へ目掛けて返球した。
「ッ!」
蓮司が返球できたのは、偶然か、それとも。
反射的にラケットを出した結果、上手い具合にボールがネットを越えて相手のコートへ収まった。それを見て一瞬安堵しそうになった蓮司だったが、ジオがその偶然の返球にすら反応したのをみて、血の気が引いた。
蓮司の返球がコートの真ん中だったこともあり、ジオは素早くコート中側へ戻る。ボールは力無くバウンドし、ジオの手が届く頃には既にネットより低い位置にあった。その状況から再び蓮司の身体を狙うのは困難であるとジオは判断し、もう一度蓮司のバック側へ高い軌道のボールを送る。今度は、蓮司も手を伸ばす余裕すらない。だが、蓮司はボールを見送ることなどせず、相手に背を向けながら全速力で追った。
「オッラァァァ!!」
駆けながら、肺の酸素を出し切るように叫ぶ蓮司。自身の脚力に加え、シャウト効果による瞬発力の一時的な向上を狙う。わずかに上がった速力を踏まえてボールとの距離を目で計りながら、蓮司は追いつけると確信する。だが、ミックスダブルスの終盤でイタリアの選手が見せた股抜きのような曲芸のような一打を打つには、距離があり過ぎる。追いつけはするが、回り込む余裕が無い。そのことは、ボールを追いかけている蓮司が一番よくわかっている。回り込めない、それなら。
ボールが落下し、高く跳ねる。その分だけ推進力が失われ、代わりに接近していた蓮司との距離が縮まり遂に追いついた。ボールと横並びになり、まるで人間とボールが徒競走でもしているかのようだ。蓮司はボールの位置を一瞬だけ確認すると、ボールを目から離した。
足を細かく動かして位置を微調整し、ボールとの間合いをイメージで補う。感覚が定まると、バランスを取るため胸を開くように、ラケットを持つ右腕と左腕を左右対称に振った。それは空を飛べない人間が、鳥の真似事をして腕を翼に見立てるのに似ていた。
視線に頼らない一打
ラケットのスイートエリアで捉えたボールは、打った感触が感じられないほど、柔らかな衝撃で蓮司の手に伝わった。走った方向、腕の角度、打球感から、ボールとコートを見ずとも行く先が分かる。蓮司は走る速度を少し緩めながら、コートを囲う外縁に飛び蹴りを入れるようにしながらやっと反転する。返球に成功したが、決まりはしない。勢いを利用し、急いで次に備えなければ。
蓮司の返したボールはかなり高く打ち上ったが、正確にコート目掛けて落下している。ジオはボールを目で追いながらも、太陽が目に入るのかやや見辛そうにしていた。風が無いお陰でボールの落下軌道は大きく逸れたりせず、充分コートに入るだろうことが予測できる。
(来い、スマッシュだろうがドロップだろうが取ってやるよ)
ボールの落下時間を利用してどうにか体勢を整えた蓮司が、迎撃準備をとる。返球は狙い通りだったが、運の良いことにボールは相手コートのそれなりに深い場所目掛けて落ちてきた。ジオの身長があれば直接スマッシュできるかもしれないが、ボールが高過ぎてタイミングが取りづらいせいか、彼は一度ボールを落とす。再びボールは高くバウンドし、ジオはそれを高い打点から横方向の順回転をかけ打った。
(決めに来ねぇ、だと?)
難しいボールではあったが、恐らくジオにとってはチャンスボールに近い形だったはずだ。それを敢えて見逃し、彼はまた通常のラリー展開になる方を選んだ。蓮司にとってみれば、有難いシチュエーションだ。強力なサイドスピンで横に走らされたが、蓮司はそれをクロスへと返球し、ラリーが続く。かなり長い時間、このポイントが続いているなと蓮司は頭のなかでぼんやり考えた。
ジオの返球が少し甘くなり、攻め時と見た蓮司が自らコースを変える。
しかし、攻めに転じる為の一打が、あっさりとネットにかかった。
「ちょ……マジか」
蓮司も思わず自分のミスが信じられない。あれほどのファインプレーを見せたあとだけに、観客席からも思わず大きなため息が聞こえる。対戦相手のジオは、まるで何事もなかったかのように次のポイントの準備に入った。この失点で蓮司は自身のサービスゲームで相手に3つのブレイクポイントを握られることとなる。そのことを自覚した瞬間、ポイントが始まる前に感じていたはずの万能感はいつの間にか霧散し、蓮司の耳には急に観客のざわめきがハッキリ聞こえるようになった。
まるで集中力の代償といわんばかりに、鼓動と息が大きくなり、体温が上がって汗が噴き出てくる。同時に、続けざまになんてことのないミスを繰り返した自分への怒りが込み上げてくる。
(調子は悪くない。むしろ良い。なのに何してんだ!)
蓮司は胸中で激しく自分を罵る。絶体絶命のピンチを凌いでおきながら、どうってことのない場面でやらかしたミスは蓮司に酷く悪いイメージを植え付けた。蓮司はそれを、汗と共にタオルで乱暴に拭う。
――仮に負けても、オマエには別の選択肢がある
不意に、金俣の言葉が甦る。
それが何なのか、今の蓮司に詳しいことは分からない。
(冗談じゃねぇ、冗談じゃねぇぞ)
途切れかけた集中力を締め直すように、蓮司は息を大きく吸って、そして吐いた。
続く
(やりやすい)
であった。
(球威もコースも、油断ならねぇ。気を抜けば一気にやられる、けど!)
ジオの放つショットが、蓮司の非利き手側へ深く差し込むように襲いかかる。しかし蓮司は少しも怯むことなく、その強烈な一撃をタイミング良く打ち返す。自らの出力は最小限に、相手の球威を利用したカウンター。
「!」
その矮躯からは想像できない球威のカウンターが、ジオへと跳ね返る。崩す目的の一手が予想外の反撃によって自らの首を絞め、逆にジオのタイミングが崩されてしまう。満足な体勢で対応できないと判断したジオは、咄嗟に逆回転をかけボールを浮かせた。
形勢を整える一打
奪われた時間を取り戻すように、ボールはゆっくり高く、そして深く返される。スライスによって滞空時間が長くなり、深い位置へ返球することで相手の連撃を封じ、その間に自分の態勢を立て直すのが狙いだ。
(そりゃ甘いだろ!)
だが、傾いた形勢をリセットしたかったジオの思惑を見抜いていた蓮司は、カウンターのあと即座にコートのなかへ一歩踏み込んでいた。ジオのループボールは高く深かったものの、コート内側へ入ったことで蓮司はボールの落下点を容易に捉える。バウンドさせてしまえばジオの思うつぼ。相手が手に入れたかった時間を与えまいと、蓮司は躊躇なくボールをノーバウンドで打ち込んだ。
即座に撃墜する一打
高い打点から、まるでレーザーのような軌道でボールが駆け抜けていった。
ジオは体勢を立て直す時間を奪われ、打たれたボールを見送るしか術がない。
「カモォン!」
ポイントが決まると同時に吼える蓮司。
戦意を剥き出しにして、自分を鼓舞し更に集中力を高めていく。
(勝てる。相手は強いが、今日は最高に調子が良い。これなら!)
手応えを感じた蓮司は、早くも勝利を予感していた。
★
(いい選手だ)
ジオは対戦相手である小柄な日本人を、内心で高く評価した。
(身長や体格は女子であるギルより小さいぐらいだというのに、ボールの威力は体格の良い男子選手と遜色ない。瞬発力や筋力だけじゃなく、身体で発生したエネルギーをボールに伝える技術が格段に上手い。カウンターの使いどころも冴えている。さすがは、日本のトップジュニアだ)
ショットの精度、威力、ボールコントロール、ポジショニング、ボディワーク、蓮司のプレーはジオの目から見ても、極めて高い水準に到達していると感じる。男子シングルスを任されるだけのことはあると素直に思えた。しかし。
(だが才能は感じない。リーチやギルのような、最初から持って産まれた運動適性は平均値を越えない。彼は努力と研鑚によってこの領域に達したタイプ。よほど鍛錬に打ち込んできたんだろう。それは大いに賞賛に値するよ。でも、君のプレーの上限は既に見切った)
蓮司の放つ鋭い一撃が、ジオの反応を上回る速度で叩き込まれる。
「Game,Japan.4-3」
互いにサービスゲームのキープが続く。傍目からは、序盤から激しい打ち合いが繰り広げられる見応えのある試合に見えることだろう。両選手の実力は拮抗し、あと一つで勝利が確定する日本側の猛攻と、負けられない試合となったイタリアの意地がぶつかり火花を散らす、そんな風に。しかしこのとき既に、ジオは己の戦略の準備を終えていた。
★
「蓮司、調子良さそうだな」
普段はあまり楽観的なセリフを口にしない奏芽が、小さく何度か頷きながら納得するように言う。確かに他のメンバーの目から見ても、今日の蓮司のプレーは冴えているように見える。身長差はかなりあるが、ラリー戦にも関わらず互角以上だ。パワー負けしていないことに加え、なにより気合が入っているようだ。
「相性が良いのかもね」
「殴り合い好きだしね」
双子の桐澤姉妹はそう分析する。テニスはプレースタイルの相性が噛み合うと、実力を発揮し易くなることがあるのだ。早いテンポの打ち合いを好む蓮司にとって、ジオのテンポはちょうど良いのかもしれない。
「レンレンが勝てば、みやびんは消化試合だねぇ」
ひと仕事終えた鈴奈が、ランチ代わりのサンドウィッチを頬張りながら気楽そうにいう。その隣で聖も同じようにナゲットを口にしている。時刻は正午を過ぎており、試合を終えたばかりということもあって酷く腹が空いていた。
「うん、そうなれば良いけど……」
真剣な眼差しで試合を見つめるミヤビは、普段の彼女にしては歯切れが悪い。集中して蓮司のプレーを見ているようだが、何か心配しているようにも見える。そんなミヤビの様子に、聖はふと思い出して質問を投げかけてみた。
「蓮司、怪我はもうとっくに治ってますよね?」
「え? あぁ、うん。そのはず。それは大丈夫、だと思う」
「なにか、別の心配事ですか?」
怪我を心配している、というわけではなさそうだが、ミヤビの表情はどこか浮かない。
「心配事っていうか。なんか、調子良すぎるかなって」
「良すぎる?」
この時はまだ、聖にはミヤビの言葉の意味が分からなかった。
★
第8ゲームをジオがキープし、最初のセットも後半に入った。ゲームカウント4-4で蓮司のサービスゲーム。内容的にも雰囲気的にも、このままキープが続いてタイブレークに突入するような展開を誰もが予想する。だが、始まった第9ゲーム最初のポイントを、蓮司は些細なミスを犯して連続で失った。
(っと、今の入らねぇのかよ。集中しろ集中)
しかし、調子の良さを自覚している蓮司に動揺は一切なく、自分のサービスゲームを落とすイメージは微塵も湧いてこない。何をどう打っても上手くいくような、万能感にも似た感覚が身体のなかに漲っているのが分かる。加えて、相手のジオのプレーはテンポやリズムが蓮司の好きな速さで、非常に噛み合う。そのお陰もあって、攻撃したいときに攻撃ができ、守りたいときに守れるという実に心地よいプレーができていた。ただそれは相手も同じようで、その結果自分に有利に働くサービスゲームをお互いキープし合う展開となってしまっている。
(ここで一気に上げてやる)
蓮司は短く深く息を吐き切り、集中の深度をさらに深める。相手の挙動の一切を見逃さず、周囲の雑音は遠くなり、身体の感覚は鋭くなっていく。これまで自分のパフォーマンスが最高潮に達していると感じたことは何度かあるが、今日ほど調子が良いと思ったことはあまり記憶に無い。結果次第では自分がATCにいられなくなると告げられて少しネガティブな気分になったりもしたが、テニスのパフォーマンスは下がらずに済んでいる。
(やれる。やれるさ)
身長がハンデとなり、小中学生の頃のような輝かしい実績からは遠ざかっているものの、蓮司が日本のジュニアで上位に食い込めているのは紛れもない事実だ。それに女子とはいえ、自分より背の低い先輩選手の三縞ありすも世界で戦えている。ならば自分とて、簡単にあきらめるわけにはいかない、蓮司はそう思っていた。
スピードとコントロールを両立させた正確無比のサーブが相手コートへ着弾する。それを受けて、ジオは体勢を崩すまいと丁寧にスライスをかけ守備的にリターン。時間を作り素早く迎撃態勢を整える。ジオのリターンは深く、蓮司の速攻を嫌って逃れるように長く滑空する。威力、精度と共に充分な手応えを感じたサーブだったが、球威を殺し切らずに守り返したジオの技量に舌を巻く蓮司。だが、それでも形勢はやや蓮司が有利。利き手側へ回り込み、バウンドした直後に低い弾道を持ち上げるように強いスピンをかけて強打。手を緩めようとしない蓮司の攻撃を察したジオが、一歩下がるのを蓮司は見逃さない。
(今ッ!)
ジオが蓮司の強打をスライスで返球すると予測した蓮司は、半ば強引に自分が放った強打を接近する為の一打として利用し、コートのなかへ入って距離を詰めた。相手がテンポを落とすなら、それに乗じてさらに攻撃を重ねる。
蓮司の接近を視界の端で捉えたジオは、ストレートに打つつもりだったスライスを変更して蓮司の非利き手側へ高く返球。身長にハンデがある蓮司にとって、その場所は大きな弱点ともいえる。より精度を求めるなら蓮司のラケットが届かない高さを通すことだが、さすがにそれほど甘くない。触れるが攻撃できないぐらいの高さで良しとし、一度下げたポジションを上げて次に備える。
(なめんなよッ!)
背の低い自分が前へ詰めれば、バック側にボールを上げられることなど蓮司は百も承知。確かに蓮司の膂力では決定打になり得るボレーを叩くのは難しい。だが、それは難しいのであって不可能ではない。アプローチのあとに相手の挙動を見極め、高い場所を打たれると察した時点で蓮司は迎撃態勢に入っていた。高く跳躍しながらも慌てずにボールを捉え、鋭い角度のついたアングル・ボレーで処理。鋭角な軌道のボレーは、相手コートに着弾したあと外へ逃げるように飛んでいく。打ち終わりの間際、蓮司の目にジオが猛然と向かってくるのが映った。
(速いッ!)
蓮司の出したラケット面の向きから打球方向を見極めたジオが、その長い手足を大きく振ってネットへと向かう。蓮司の足なら6,7歩は必要であろう距離を、ジオは半分近い歩数で一気に詰める。それも、バランスはまったく崩れていない。蓮司の打ったボレーがバウンドして最頂点に達するより早く、ジオはボールを間合いに収める。蓮司は高く跳躍したあとの着地硬直でまだ準備が整わない。
(どう来る!?)
コートの外側へと向かって角度のついたボールは、同じように角度をつけて返球しやすい。すなわち、ネットと平行になるような軌道に打ちやすいのがまず1つ。次に、ストレート。そしてその次に、相手の頭上を抜くロビング。
(アングルはリスクが高い。やった感じの性格的にそれは無い。ストレート? 審判台が無きゃ、それもあったろう。角度がつきすぎて障害物になってる。無い。ロブ? あり得る!)
瞬時に選択肢を浮かべ、予測する蓮司。
だが、この場面においては、もう一つ選択肢がある。
身体へ向けられた一打
ジオは蓮司の想定した三つの選択肢以外の、第四の選択肢を採用。充分追いついたとはいえ、中途半端な返球をすれば逆襲を食らう恐れがあるのはジオの方だ。テニスはルール上、相手の打ったボールが自分の身体に当たれば失点となる。少しでもポイント獲得の可能性を高めるべく、ジオは冷静に蓮司の身体へ目掛けて返球した。
「ッ!」
蓮司が返球できたのは、偶然か、それとも。
反射的にラケットを出した結果、上手い具合にボールがネットを越えて相手のコートへ収まった。それを見て一瞬安堵しそうになった蓮司だったが、ジオがその偶然の返球にすら反応したのをみて、血の気が引いた。
蓮司の返球がコートの真ん中だったこともあり、ジオは素早くコート中側へ戻る。ボールは力無くバウンドし、ジオの手が届く頃には既にネットより低い位置にあった。その状況から再び蓮司の身体を狙うのは困難であるとジオは判断し、もう一度蓮司のバック側へ高い軌道のボールを送る。今度は、蓮司も手を伸ばす余裕すらない。だが、蓮司はボールを見送ることなどせず、相手に背を向けながら全速力で追った。
「オッラァァァ!!」
駆けながら、肺の酸素を出し切るように叫ぶ蓮司。自身の脚力に加え、シャウト効果による瞬発力の一時的な向上を狙う。わずかに上がった速力を踏まえてボールとの距離を目で計りながら、蓮司は追いつけると確信する。だが、ミックスダブルスの終盤でイタリアの選手が見せた股抜きのような曲芸のような一打を打つには、距離があり過ぎる。追いつけはするが、回り込む余裕が無い。そのことは、ボールを追いかけている蓮司が一番よくわかっている。回り込めない、それなら。
ボールが落下し、高く跳ねる。その分だけ推進力が失われ、代わりに接近していた蓮司との距離が縮まり遂に追いついた。ボールと横並びになり、まるで人間とボールが徒競走でもしているかのようだ。蓮司はボールの位置を一瞬だけ確認すると、ボールを目から離した。
足を細かく動かして位置を微調整し、ボールとの間合いをイメージで補う。感覚が定まると、バランスを取るため胸を開くように、ラケットを持つ右腕と左腕を左右対称に振った。それは空を飛べない人間が、鳥の真似事をして腕を翼に見立てるのに似ていた。
視線に頼らない一打
ラケットのスイートエリアで捉えたボールは、打った感触が感じられないほど、柔らかな衝撃で蓮司の手に伝わった。走った方向、腕の角度、打球感から、ボールとコートを見ずとも行く先が分かる。蓮司は走る速度を少し緩めながら、コートを囲う外縁に飛び蹴りを入れるようにしながらやっと反転する。返球に成功したが、決まりはしない。勢いを利用し、急いで次に備えなければ。
蓮司の返したボールはかなり高く打ち上ったが、正確にコート目掛けて落下している。ジオはボールを目で追いながらも、太陽が目に入るのかやや見辛そうにしていた。風が無いお陰でボールの落下軌道は大きく逸れたりせず、充分コートに入るだろうことが予測できる。
(来い、スマッシュだろうがドロップだろうが取ってやるよ)
ボールの落下時間を利用してどうにか体勢を整えた蓮司が、迎撃準備をとる。返球は狙い通りだったが、運の良いことにボールは相手コートのそれなりに深い場所目掛けて落ちてきた。ジオの身長があれば直接スマッシュできるかもしれないが、ボールが高過ぎてタイミングが取りづらいせいか、彼は一度ボールを落とす。再びボールは高くバウンドし、ジオはそれを高い打点から横方向の順回転をかけ打った。
(決めに来ねぇ、だと?)
難しいボールではあったが、恐らくジオにとってはチャンスボールに近い形だったはずだ。それを敢えて見逃し、彼はまた通常のラリー展開になる方を選んだ。蓮司にとってみれば、有難いシチュエーションだ。強力なサイドスピンで横に走らされたが、蓮司はそれをクロスへと返球し、ラリーが続く。かなり長い時間、このポイントが続いているなと蓮司は頭のなかでぼんやり考えた。
ジオの返球が少し甘くなり、攻め時と見た蓮司が自らコースを変える。
しかし、攻めに転じる為の一打が、あっさりとネットにかかった。
「ちょ……マジか」
蓮司も思わず自分のミスが信じられない。あれほどのファインプレーを見せたあとだけに、観客席からも思わず大きなため息が聞こえる。対戦相手のジオは、まるで何事もなかったかのように次のポイントの準備に入った。この失点で蓮司は自身のサービスゲームで相手に3つのブレイクポイントを握られることとなる。そのことを自覚した瞬間、ポイントが始まる前に感じていたはずの万能感はいつの間にか霧散し、蓮司の耳には急に観客のざわめきがハッキリ聞こえるようになった。
まるで集中力の代償といわんばかりに、鼓動と息が大きくなり、体温が上がって汗が噴き出てくる。同時に、続けざまになんてことのないミスを繰り返した自分への怒りが込み上げてくる。
(調子は悪くない。むしろ良い。なのに何してんだ!)
蓮司は胸中で激しく自分を罵る。絶体絶命のピンチを凌いでおきながら、どうってことのない場面でやらかしたミスは蓮司に酷く悪いイメージを植え付けた。蓮司はそれを、汗と共にタオルで乱暴に拭う。
――仮に負けても、オマエには別の選択肢がある
不意に、金俣の言葉が甦る。
それが何なのか、今の蓮司に詳しいことは分からない。
(冗談じゃねぇ、冗談じゃねぇぞ)
途切れかけた集中力を締め直すように、蓮司は息を大きく吸って、そして吐いた。
続く
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恋も部活も。生きることさえ、いつだって全力。ハーフタイム無しの人生を突っ走れ。部活モノ系甘々青春ラブコメ、人知れずキックオフ。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
女子竹槍攻撃隊
みらいつりびと
SF
えいえいおう、えいえいおうと声をあげながら、私たちは竹槍を突く訓練をつづけています。
約2メートルほどの長さの竹槍をひたすら前へ振り出していると、握力と腕力がなくなってきます。とてもつらい。
訓練後、私たちは山腹に掘ったトンネル内で休憩します。
「竹槍で米軍相手になにができるというのでしょうか」と私が弱音を吐くと、かぐやさんに叱られました。
「みきさん、大和撫子たる者、けっしてあきらめてはなりません。なにがなんでも日本を守り抜くという強い意志を持って戦い抜くのです。私はアメリカの兵士のひとりと相討ちしてみせる所存です」
かぐやさんの目は彼女のことばどおり強い意志であふれていました……。
日米戦争の偽史SF短編です。全4話。
ワイルド・ソルジャー
アサシン工房
SF
時は199X年。世界各地で戦争が行われ、終戦を迎えようとしていた。
世界は荒廃し、辺りは無法者で溢れかえっていた。
主人公のマティアス・マッカーサーは、かつては裕福な家庭で育ったが、戦争に巻き込まれて両親と弟を失い、その後傭兵となって生きてきた。
旅の途中、人間離れした強さを持つ大柄な軍人ハンニバル・クルーガーにスカウトされ、マティアスは軍人として活動することになる。
ハンニバルと共に任務をこなしていくうちに、冷徹で利己主義だったマティアスは利害を超えた友情を覚えていく。
世紀末の荒廃したアメリカを舞台にしたバトルファンタジー。
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残念パパいのっち
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山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……
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