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第54話 攻勢と劣勢のロンド
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国際ジュニア団体戦
Ⅾブロック 日本 VS イタリア
男子ダブルス ゲームカウント 2-2
「よく決めた。でかしたぞリーチ」
「ロシュー兄ぃこそ、ナイスキープですぜ」
拳をぶつけ合いながら、互いのプレーを賞賛し合うイタリアの2人。サービスゲームをキープし、2-2とカウントが並ぶ。サーブの順番が一巡し、試合は1stセット序盤を終える。両ペア共にまだそれほど体力を消耗しておらず、ひとまずは互いの手の内やプレーの傾向を探り合っている、そんな状況だ。
「さぁ、次はあのデカブツのサーブだ。シメていくぞ」
ロシューは第1ゲームが終わったあと、ブレイクを狙うならデカリョウの方だと口にした。2人揃って手も足も出ず、あっさりとキープされたというのに、ロシューは自信満々にそう言い放ったのだ。あれほど強力なサーブを持つビッグ・サーバーを、ロシューは一体どう攻略するつもりなのか。リーチには見当もつかなかった。
「それなんだけど、ロシュー兄ぃ、何か策があるのかい?」
リーチはロシューの言葉に期待する。もしかすると、ロシューは既にあのスモウレスラーのサーブの特徴を掴んだのかもしれない。コースを打ち分けるクセなどが分かったのであれば、言うことなしだ。いくらスピードがあるサーブでも、来る場所が分かれば攻略は一気に簡単になる。
「下がるな」
「へ?」
「リターンの位置を下げるな。ベースライン手前に立て」
「え、えぇ? どういうことですかい!?」
「そのままの意味だ。リーチ、絶対に下がらずリターンしろ。いいな」
ロシューはそれだけいうと、背を向けてさっさといってしまう。リーチにはワケがわからない。いや、言葉の意味はもちろんわかる。それに、その意図も。リーチとて伊達にイタリアという国の代表としてここへ来てはいない。ダブルスにおいてリターン位置を下げないということの重要性は、当然のことながら承知している。だが、それにしたって……。
不安を抱えたままだったが、リーチは仕方なく位置についた。
★ ★ ★
「おい、あいつ」
日本側のベンチで、ロシューの立ち位置を見た奏芽がつぶやく。ロシューはリターンポジションを、ベースライン手前どころかラインを一歩踏み越えるところに陣取ったのだ。デカリョウの時速200kmをゆうに超えるサーブに対し、その位置はあまりに極端だった。
「いくらなんでも前過ぎる、よね。なんであんなところに」
聖も相手選手の行動に驚きを隠せず疑問を口にする。あんな立ち位置で、デカリョウの超強力なサーブをさばけるはずがない。テニスコートの縦の長さは約23m。対角線であることを踏まえればおよそ24m程度だ。デカリョウのサーブが時速200kmだとして、サービスボックスに着弾してベースラインを超えるまでにかかる時間は、空気抵抗やバウンドによる減速を考慮に入れたとしても単純計算で約0.3秒。つまりその約0.3秒が、ロシューに許されたリターンするまでの猶予だ。
それに加え、サーブは自分のところへ真っ直ぐ向かってくるとは限らない。相手は少しでもリターンを打つ者から離れた場所を狙うのがセオリーとされている。対角線上にあるサービスボックスに収めなければならない以上、おおまかな打球方向は定められているが、少なくとも1歩か2歩、ロシューは左右どちらかに移動してからリターンを打たされることになる。サーブのコースを見極め、移動し、構え、打ち返す。これらの工程をすべて完了させるのに与えられた時間が、わずか0.3秒しかない。
「良い手だと思うな~」
「そうだね、悪くない」
桐澤姉妹が興味深そうな表情を浮かべながら、相手の選択を評価した。2人には、イタリアペアの意図や狙いが分かっているのだろうか。聖が不思議そうな表情を浮かべて姉妹を見つめていると、ATC女子ダブルスのスペシャリストは口元に微笑を浮かべながら教えてくれた。
「シングルスでデカリョウみたいなビッグサーブを打ってくるやつが相手なら、普通にリターンポジションを下げれば良い。とにかく返せないと話にならないからね。ロブで返すにせよブロックリターンするにせよ、少しでもサーブの威力が弱まってる場所で返して時間を作って、そこから立て直す。でも」
「ダブルスはそうもいかない。リターン位置を下げて時間を作るってことは、返球してからボールが届くまでの時間が長くなるよね。それはつまり、下がった分だけ相手に時間と余裕を与えることになる。そして、シングルスと違って、ダブルスには前衛がいる」
リターン位置を下げるメリットは、相手の強力なサーブを少しでも弱まったところで返球できる点にある。少しぐらい不格好であっても、とにかく返してリターン成功率を上げれば、ブレイクの芽も出てくるだろう。だが、当然デメリットもある。
「1つ、下がれば下がるほどリターン側の守備範囲が広くなる」
「2つ、着弾の浅いサーブに対応し辛くなる」
「3つ、返球後にネット前ががら空きになる」
「そして4つ目が、相手前衛に捕まり易くなる、か」
最後は桐澤姉妹の言いたいことを察した聖が付け加える。リターンに時間をかけるということは、それだけボールの滞空時間が長くなり、相手前衛が仕掛けやすくなるのだと聖にも理解できた。サーブという壱の太刀を躱しても、ポーチという弐の太刀が待っているのだ。
<隙を生じぬ二段構え。これぞ――>
(黙ってて)
聖の理解した様子に、姉妹は同じ顔で同じ微笑みを浮かべた。彼女たちと年齢は同じだが、テニスに関してはやはり先輩だけあって、どこか頼もしく思える。今はまだ個人でプロを目指すべくシングルスを中心に活動する聖だが、ゆくゆくはハルナとミックスを組むことを考えると、この2人から学べることはきっと多いだろう。
「なるほど、じゃあやっぱり、リターンはなるべく前の方が良いんだ」
「とはいっても、ありゃ極端すぎるだろ」
聖が納得したように言ったが、すぐに蓮司がもっともな指摘を口にする。
「さすがに限度ってもんがあるぜ」
たしかに、例え下がると不利になることが多いとはいえ、いくらなんでもあれは前過ぎるとは聖も思う。サーブのスピードがバウンドで減速するといっても、それでも150kmをゆうに越えたボールを打たなければならないのだ。ボールを打って前に飛ばせば良い野球とは違い、テニスはボールをコートに収める必要がある。高速で飛んでくるボールを捉えたうえで、コントロールする。テニスが難しいのはその点だ。
「下がるよりは前の方が良い。でも、彼はあの位置。あれで正しいのかな」
「フッフッフ、ひじリン、レンレン、これはダブルスに限った話じゃないぞよ」
腕を組んだ鈴奈が意味ありげに言う。
「まぁ大人しく見ておれ。たぶん次ぐらいには意味が分かるはずじゃ」
「次、ですか?」
「時期が熟せば自ずとしれよう」
「スズさん、その口調なんですか」
「昨日、部屋で時代劇みたから」
「あぁ」
聖がコートに視線を戻すと同時に、第1ゲームのときと同じ猛烈な轟音が会場に響いた。リターン側のロシューは、辛うじてラケットにボールを当てるものの、タイミングが合わずボールはネットを越えない。最初のゲームで見たのとほとんど変わらない光景だ。しかし、彼はそのミスをまったく気にする風でもなく、次に備える。
(ムチャだよロシュー兄ぃ! 下がらないにしても限度がある!)
リーチが指示された位置より2歩下がって構えた瞬間、鋭くロシューが吼えた。
「リーチ! 下がるんじゃあねぇッ!」
怒りの炎をその瞳に宿しながら、ロシューが睨みつける。リーチは慌てて立ち位置をベースライン手前にし、これでいいかと許しを乞うようにロシューへと視線を向ける。彼はしばしリーチを見つめ「絶対に下がるんじゃあねぇぞ」と念を押すようにもうひと睨みしてから、やっと前を向いた。
再びデカリョウの強烈なサーブが襲いかかる。ポジションを前に上げたことで、今度はリーチもボールに触ることができた。だが、ロシューと同じようにまったくタイミングが合わず、ボールはあさっての方向に飛んでいく。こうして、第5ゲームはほぼ第1ゲームのリプレイをするかのように、イタリアペアは1ポイントも獲ることなくゲームを終えてしまった。
サーブを打ち終えたデカリョウの額を、汗が伝う。
(こりゃあ、しんどくなりそうだなぁ)
コートチェンジでイスに座った日本人ペアは、難なくゲームをキープできたというのに、珍しく言葉を交わさない。やがて主審が90秒の休憩の終わりを告げると、2人は黙ったまま並んでコートに向かい歩き出した。
「デカリョウ」
「あぁ、わかってるよぉ」
緊張と集中が入り混じった表情を浮かべながら、マサキとデカリョウは短く言葉を交わす。2人は各々のポジションに立つと、同時にコートの向かい側へと視線を向けた。その先では、イタリアの2人がこちらに背を向けながら、なにごとかを囁き合っている。そして、彼らもまた同じように相手へと視線を送る。
まるで獲物が今どんな状況にあるのかを、冷酷無比に見定めようとする鷹の目のような鋭い眼光。狡猾に策を張り巡らせ、この試合を支配しようと目論む男たちの決意が、その瞳には宿っていた。
★ ★ ★
時速200kmを越えるビッグサーブを持つ日本のデカリョウ、それに対し強力な回転による多彩な球種を見事なコントロールで操るイタリアのリーチ。互いに正反対の性質を持つ両選手。そしてそんな鮮やかなサーブを持つ2人ほどではないにせよ、それぞれのペアであるマサキとロシューも極めて高いサーブのプレースメントを発揮し、日本とイタリアのペアは堅実にキープを重ねていく。試合は完全にキープ合戦の様相を呈し、徐々に高まっていく緊張感は会場全体にも広がっていった。
(片方は右利きで超クセのあるサーブ、相方は生粋の左利きで、こいつもまぁなかなか良いサーブ打ちやがるんだよな。なんといっても、10代とは思えねぇ極悪そうなツラで妙に迫力あるし)
試合はじっくり進行し、ゲームカウント4-3で日本ペアの1ゲームリード。サーブはイタリアのロシューという場面。ボールをつきながらサーブを打つリズムを整えている相手は、その鋭い眼光でマサキを捉えている。自分に向けられる視線からビリビリと相手の気迫を感じ、マサキはツバを飲み込む。
(これまでデカリョウのサーブを下がらずに打とうとしてきたヤツは何ペアもいた。正解なんだ、それで。だが、それだけで簡単に攻略できるほど、アイツのサーブはヌルくない。ぶっちゃけサーブだけなら徹磨さんにだって勝ってるとオレは思うね。ひいき目なしに、デカリョウのサーブは日本一だし、世界のトップでも充分通用するレベルだ)
ロシューがサーブを放ち、マサキがそれに反応する。左利きの特性を活かした、いやらしい回転がこれでもかというほど掛かっている。マサキは前衛であるリーチの動きを警戒しつつ、対角線方向へ丁寧にリターン。方向的にはロシューの利き手側になるが、ここまで彼はその強面な見た目に反して強打は多用してきていない。案の定、ロシューは3球目攻撃を仕掛けず、堅実に返球してきた。
(ま、打とうと思えば打てるんだろうけどな)
試合はまだ第1セットの中盤に差し掛かったところ。この段階で、自らの手の内を全てさらけ出してしまう選手はまずいないだろう。互いにベースとなるプレーをしながら、仕掛け所に備えて布石を打ちあっているような状況だ。
リターンを打ったあとマサキは立ち位置を一歩下げ、まずはサーバーとリターナーによる交差する打合いを展開。だが相手のロシューが左利きのため、マサキは相手の利き手に対して自分は非利き手で相手することになる。
(バックは苦手じゃねぇ、が、攻め手に欠けるな)
胸中ではそう思いながらも、マサキはロシューの打つフォアを的確に打ち返す。相手前衛であるリーチの動きに注意を払いながら、角度、高さ、緩急を変えながら相手にチャンスを与えないよう辛抱強く打ち合う。
後衛同士が緊張感のあるラリー戦を展開する一方、お互いの前衛はクロスラリーの展開に合わせて、どちらも奇襲攻撃のタイミングを計る。まるでボクサーがリングのうえで互いに距離を取ってリズムを刻むように、細かいステップを踏みながらフェイントを入れて相手後衛にプレッシャーをかけていく。少しでも後衛の打ったボールが甘くなれば、たちまち前衛が飛び出し形勢が大きく動くだろう。
(あのパイナップル頭、良い動きだ。ストレート、ボディ、ロブ、きっちり全部警戒してる。フェイントの入れ方もうめぇ。さすがはイタリア代表ってとこだな)
その感想は、同じようにロシューもデカリョウに対して抱いていた。
(その身長が羨ましいぜ。リーチにそれがありゃあ、オレ等は最強だろうに)
互いの前衛の決定的な違い、それが身長だ。身長2m近いデカリョウがネット前に立つと、リーチとは比較にならない存在感を放つ。ロシューからすれば、ネットの前に大きな山がそびえ立つようで、デカリョウがただそこにいるだけでロシューの選択肢の多くを牽制していた。
(うちの相方はデケぇだろ? っとに頼もしいぜ。お陰で脇をすり抜ける一打は簡単に打てねぇだろうし、軽率に高く弧を描く一打を打てばサーブ並のスマッシュが待ってる。サーブの派手さばかり目立つが、デカリョウの良さはサーブだけじゃねぇぞ)
長いラリーが続く。
マサキかロシュー、どちらかが痺れを切らしてコースを変えるか、それとも前衛のいずれかが好機を見出し奇襲攻撃を仕掛けるか。ラリーが都合10往復を越えた頃、ロシューの打ったボールがほんの僅かに短くなった。外側方向に打たれたボールは、カウンターでストレートの脇をすり抜ける一打を叩き込む絶好球となる。
(来る!)
マサキがほんの一瞬見せた打ち気を感じ取り、リーチが警戒を強める。ボールの角度や深さ、勢いの様子から高確率でストレートを狙ってくると察知したリーチは、ポーチ狙いをいったんやめて意識を守りに切り替える。
(って思うだろ? ここッ!)
マサキは半歩、足を踏み込む。確かに相手の球はストレートを狙うのに最適なボールだった。だが今のマサキの立ち位置は自陣左側。そして相手の前衛は右利き、後衛は左利きだ。互いに雁行陣という今の場面で狙うなら、最も確実なのは――
ど真ん中をブチ抜く一打
マサキが優れていたのは、半歩深く踏み込み、肩を入れてコースを隠したこと。リーチはマサキの狙いが分からない以上、セオリー通り自身のストレートと頭上を守らざるを得なくなる。ほんの一瞬相手に判断を迷わせるだけで、こちらが意図した通りに相手の動きをコントロールできる。無論それは、相手が優秀でなければ成立しない高度な駆け引きだ。
(センター!? 抜かれたッ!)
(いいや、リーチ、それで良いッ!)
一方、リーチが優れていたのは、辛抱強く前衛の役目を果たしながら冷静にセオリーを守ったこと。ラリーが続いたのは実際には1分に満たない短い時間だが、高速で飛び交うラリーの中で一瞬の隙すら作らず、敵の攻撃を警戒しながら巧みなフットワークで圧力をかけ続けるのは非常に忍耐を要する作業だ。秒を刻む毎に精神はみるみるうちに消耗していく。それでも、高い集中力と正確な判断力で、リーチは己の役目を果たしていた。
マサキの打ったショットは、リーチが先ほどまでの警戒意識でいれば余裕で手の届く場所を通過していく。客観的にはきちんと前衛の役目を果たしていたリーチだったが、彼の主観では相手の意図を看破したつもりが逆を突かれ、リーチは失態を犯したと感じて吐き気を覚える。
そしてロシューが優れていたのは、ペアのリーチを心から信頼していたこと。彼は自身の打ったボールが、相手に攻撃の隙を与えると瞬時に見極めていた。この形勢で相手が取り得る行動は4つ。
1.ストレートパッシング
2.ストレートロブ
3.センターパッシング
4.ショートクロス
既に10往復以上のクロスラリーを展開している状態、しかも自分が左利きであることを考えれば、相手がショートクロスを打ってくる可能性は低い。そしてストレートはパッシングにせよロブにせよ、必ずリーチが守る。残るはセンターのみ。ロシューは自分のボールが相手コートでバウンドした瞬間に、マサキの攻撃に対する自身の行動を決めていた。
しかしデカリョウが優れていたのは、冷静に相手ペア2人の動きを把握していたこと。リーチがストレートとロブを警戒し、それとほぼ同時にロシューがセンターへ意識を向けたことに気付いたデカリョウは、マサキが打ったセンター・パッシングで相手を崩せないと素早く察知し、2歩だけポジションを下げた。相手は自分のペアを信頼し、余計なフォローを入れずにマサキの攻撃をカウンターに利用しようと狙ってくる。恐らくは自分に向けて。
(くたばれ、デカブツッ!)
ロシューはマサキのセンター・パッシングを利き手に回り込む。渾身の力を込めた、彼の最も得意とする逆クロスが放たれ、デカリョウの身体目がけて猛然と襲いかかる。
(速い、けど残念)
コート後方から全力で打ち込まれたボールをネット前で打ち返すのは、容易なことではない。だが、ジュニアとはいえプロを目指す一流の選手たちが持つ動体視力は一般のそれを遥かに凌駕する。さらに、デカリョウは相手の狙いを先に察知したうえでポジションを下げていた。その条件ではいかな強打といえ、エサを放り投げられてパクリと宙でキャッチする犬のように、造作もなく捉えられてしまう。
ロシューが放った強烈な威力を内包するボールは、デカリョウによっていとも簡単にその威力を殺された。そして相手側のコートへ、そっと下から放り投げるような軌道でドロップボレーが返される。ここまでで一番プレイ時間の長いポイントとなったが、どうにかものに出来たとひと安心できると思ったデカリョウは、次の瞬間、目の前の光景を理解するのに一瞬の時間を要した。
「オォルァッ!!」
文字通り鬼の形相で轟然とボールを追いかけるロシュー。デカリョウの打ったドロップショットが2度目のバウンドをする直前、届いたラケットがすくい上げるようにボールを捉える。コート上の4人だけでなく、会場中にいる全員の視線が、高く打ちあがったボールとともにマイアミの青空へ集まる。
(届くのかよ! だが!)
まさかあのドロップボレーをキャッチされるとは思わなかったデカリョウだが、幸運にも返球のロブが思いのほか高く上がったことで冷静さを取り戻す時間を得た。かなり高い弾道に打ちあがったものの、ボールには飛距離が無い。辛うじて日本ペア側のコートでバウンドする軌道だ。そのままダイレクトに叩き込むこともできるが、一度バウンドさせればより確実なチャンスボールとなる。
(いい気迫だったなぁ、それに免じてこっちも全力で相手するよぉ)
デカリョウが空を見上げながら、スマッシュの準備態勢に入る。その様子は、剣の達人が今まさに最速の居合い抜きを放つ構えのようであり、あるいは、銃口を向けられたまま撃鉄を起こされるようでもある。剣の間合いからは出られず、銃の狙いからは逃れられないロシューとリーチに、もはや成す術は残っていない。しかし――
「リーチ、下がるなよ」
「え」
ロシューの呟きに戦慄するリーチ。ボールは既に最頂点を終えて落下し始め、引力に手繰り寄せられるようにして地面へと向かう。ボールが近づくのと比例して、デカリョウの口から徐々に空気が漏れて声帯を揺らす。雨雲の先で響き渡る遠雷のように、その音は低く重く、やがて大きくなっていく。
「……ぉぉォォおおオオオ”オ”ッ!!」
目に見えぬ稲妻が、コートの真ん中に落ちる。正確無比なタイミングで捉えられたボールは、日本人離れした身長を持つデカリョウの渾身の力が込められ、潰れるように変形しながら叩き込まれた。
そして、見ていた誰もが目を疑う。
落雷にも等しい威力で放たれたデカリョウのスマッシュに、ロシューが自ら飛び込んだ。ラケットを左手で握りヘッドを立て、右腕をクロスしラケットと腕で十字を作るようにしながら落下点に突っ込んだ。ロシュー自身、ラケットのどこにボールが当たったのかは分からない。衝撃で弾かれたラケットのフレームが彼の額の皮ふを裂き、白い肌が血に塗れる。
「……嘘だろ、オイ」
跳ね返されたボールは、日本ペアのコートへ落ちて転がり、やがて止まった。
続く
Ⅾブロック 日本 VS イタリア
男子ダブルス ゲームカウント 2-2
「よく決めた。でかしたぞリーチ」
「ロシュー兄ぃこそ、ナイスキープですぜ」
拳をぶつけ合いながら、互いのプレーを賞賛し合うイタリアの2人。サービスゲームをキープし、2-2とカウントが並ぶ。サーブの順番が一巡し、試合は1stセット序盤を終える。両ペア共にまだそれほど体力を消耗しておらず、ひとまずは互いの手の内やプレーの傾向を探り合っている、そんな状況だ。
「さぁ、次はあのデカブツのサーブだ。シメていくぞ」
ロシューは第1ゲームが終わったあと、ブレイクを狙うならデカリョウの方だと口にした。2人揃って手も足も出ず、あっさりとキープされたというのに、ロシューは自信満々にそう言い放ったのだ。あれほど強力なサーブを持つビッグ・サーバーを、ロシューは一体どう攻略するつもりなのか。リーチには見当もつかなかった。
「それなんだけど、ロシュー兄ぃ、何か策があるのかい?」
リーチはロシューの言葉に期待する。もしかすると、ロシューは既にあのスモウレスラーのサーブの特徴を掴んだのかもしれない。コースを打ち分けるクセなどが分かったのであれば、言うことなしだ。いくらスピードがあるサーブでも、来る場所が分かれば攻略は一気に簡単になる。
「下がるな」
「へ?」
「リターンの位置を下げるな。ベースライン手前に立て」
「え、えぇ? どういうことですかい!?」
「そのままの意味だ。リーチ、絶対に下がらずリターンしろ。いいな」
ロシューはそれだけいうと、背を向けてさっさといってしまう。リーチにはワケがわからない。いや、言葉の意味はもちろんわかる。それに、その意図も。リーチとて伊達にイタリアという国の代表としてここへ来てはいない。ダブルスにおいてリターン位置を下げないということの重要性は、当然のことながら承知している。だが、それにしたって……。
不安を抱えたままだったが、リーチは仕方なく位置についた。
★ ★ ★
「おい、あいつ」
日本側のベンチで、ロシューの立ち位置を見た奏芽がつぶやく。ロシューはリターンポジションを、ベースライン手前どころかラインを一歩踏み越えるところに陣取ったのだ。デカリョウの時速200kmをゆうに超えるサーブに対し、その位置はあまりに極端だった。
「いくらなんでも前過ぎる、よね。なんであんなところに」
聖も相手選手の行動に驚きを隠せず疑問を口にする。あんな立ち位置で、デカリョウの超強力なサーブをさばけるはずがない。テニスコートの縦の長さは約23m。対角線であることを踏まえればおよそ24m程度だ。デカリョウのサーブが時速200kmだとして、サービスボックスに着弾してベースラインを超えるまでにかかる時間は、空気抵抗やバウンドによる減速を考慮に入れたとしても単純計算で約0.3秒。つまりその約0.3秒が、ロシューに許されたリターンするまでの猶予だ。
それに加え、サーブは自分のところへ真っ直ぐ向かってくるとは限らない。相手は少しでもリターンを打つ者から離れた場所を狙うのがセオリーとされている。対角線上にあるサービスボックスに収めなければならない以上、おおまかな打球方向は定められているが、少なくとも1歩か2歩、ロシューは左右どちらかに移動してからリターンを打たされることになる。サーブのコースを見極め、移動し、構え、打ち返す。これらの工程をすべて完了させるのに与えられた時間が、わずか0.3秒しかない。
「良い手だと思うな~」
「そうだね、悪くない」
桐澤姉妹が興味深そうな表情を浮かべながら、相手の選択を評価した。2人には、イタリアペアの意図や狙いが分かっているのだろうか。聖が不思議そうな表情を浮かべて姉妹を見つめていると、ATC女子ダブルスのスペシャリストは口元に微笑を浮かべながら教えてくれた。
「シングルスでデカリョウみたいなビッグサーブを打ってくるやつが相手なら、普通にリターンポジションを下げれば良い。とにかく返せないと話にならないからね。ロブで返すにせよブロックリターンするにせよ、少しでもサーブの威力が弱まってる場所で返して時間を作って、そこから立て直す。でも」
「ダブルスはそうもいかない。リターン位置を下げて時間を作るってことは、返球してからボールが届くまでの時間が長くなるよね。それはつまり、下がった分だけ相手に時間と余裕を与えることになる。そして、シングルスと違って、ダブルスには前衛がいる」
リターン位置を下げるメリットは、相手の強力なサーブを少しでも弱まったところで返球できる点にある。少しぐらい不格好であっても、とにかく返してリターン成功率を上げれば、ブレイクの芽も出てくるだろう。だが、当然デメリットもある。
「1つ、下がれば下がるほどリターン側の守備範囲が広くなる」
「2つ、着弾の浅いサーブに対応し辛くなる」
「3つ、返球後にネット前ががら空きになる」
「そして4つ目が、相手前衛に捕まり易くなる、か」
最後は桐澤姉妹の言いたいことを察した聖が付け加える。リターンに時間をかけるということは、それだけボールの滞空時間が長くなり、相手前衛が仕掛けやすくなるのだと聖にも理解できた。サーブという壱の太刀を躱しても、ポーチという弐の太刀が待っているのだ。
<隙を生じぬ二段構え。これぞ――>
(黙ってて)
聖の理解した様子に、姉妹は同じ顔で同じ微笑みを浮かべた。彼女たちと年齢は同じだが、テニスに関してはやはり先輩だけあって、どこか頼もしく思える。今はまだ個人でプロを目指すべくシングルスを中心に活動する聖だが、ゆくゆくはハルナとミックスを組むことを考えると、この2人から学べることはきっと多いだろう。
「なるほど、じゃあやっぱり、リターンはなるべく前の方が良いんだ」
「とはいっても、ありゃ極端すぎるだろ」
聖が納得したように言ったが、すぐに蓮司がもっともな指摘を口にする。
「さすがに限度ってもんがあるぜ」
たしかに、例え下がると不利になることが多いとはいえ、いくらなんでもあれは前過ぎるとは聖も思う。サーブのスピードがバウンドで減速するといっても、それでも150kmをゆうに越えたボールを打たなければならないのだ。ボールを打って前に飛ばせば良い野球とは違い、テニスはボールをコートに収める必要がある。高速で飛んでくるボールを捉えたうえで、コントロールする。テニスが難しいのはその点だ。
「下がるよりは前の方が良い。でも、彼はあの位置。あれで正しいのかな」
「フッフッフ、ひじリン、レンレン、これはダブルスに限った話じゃないぞよ」
腕を組んだ鈴奈が意味ありげに言う。
「まぁ大人しく見ておれ。たぶん次ぐらいには意味が分かるはずじゃ」
「次、ですか?」
「時期が熟せば自ずとしれよう」
「スズさん、その口調なんですか」
「昨日、部屋で時代劇みたから」
「あぁ」
聖がコートに視線を戻すと同時に、第1ゲームのときと同じ猛烈な轟音が会場に響いた。リターン側のロシューは、辛うじてラケットにボールを当てるものの、タイミングが合わずボールはネットを越えない。最初のゲームで見たのとほとんど変わらない光景だ。しかし、彼はそのミスをまったく気にする風でもなく、次に備える。
(ムチャだよロシュー兄ぃ! 下がらないにしても限度がある!)
リーチが指示された位置より2歩下がって構えた瞬間、鋭くロシューが吼えた。
「リーチ! 下がるんじゃあねぇッ!」
怒りの炎をその瞳に宿しながら、ロシューが睨みつける。リーチは慌てて立ち位置をベースライン手前にし、これでいいかと許しを乞うようにロシューへと視線を向ける。彼はしばしリーチを見つめ「絶対に下がるんじゃあねぇぞ」と念を押すようにもうひと睨みしてから、やっと前を向いた。
再びデカリョウの強烈なサーブが襲いかかる。ポジションを前に上げたことで、今度はリーチもボールに触ることができた。だが、ロシューと同じようにまったくタイミングが合わず、ボールはあさっての方向に飛んでいく。こうして、第5ゲームはほぼ第1ゲームのリプレイをするかのように、イタリアペアは1ポイントも獲ることなくゲームを終えてしまった。
サーブを打ち終えたデカリョウの額を、汗が伝う。
(こりゃあ、しんどくなりそうだなぁ)
コートチェンジでイスに座った日本人ペアは、難なくゲームをキープできたというのに、珍しく言葉を交わさない。やがて主審が90秒の休憩の終わりを告げると、2人は黙ったまま並んでコートに向かい歩き出した。
「デカリョウ」
「あぁ、わかってるよぉ」
緊張と集中が入り混じった表情を浮かべながら、マサキとデカリョウは短く言葉を交わす。2人は各々のポジションに立つと、同時にコートの向かい側へと視線を向けた。その先では、イタリアの2人がこちらに背を向けながら、なにごとかを囁き合っている。そして、彼らもまた同じように相手へと視線を送る。
まるで獲物が今どんな状況にあるのかを、冷酷無比に見定めようとする鷹の目のような鋭い眼光。狡猾に策を張り巡らせ、この試合を支配しようと目論む男たちの決意が、その瞳には宿っていた。
★ ★ ★
時速200kmを越えるビッグサーブを持つ日本のデカリョウ、それに対し強力な回転による多彩な球種を見事なコントロールで操るイタリアのリーチ。互いに正反対の性質を持つ両選手。そしてそんな鮮やかなサーブを持つ2人ほどではないにせよ、それぞれのペアであるマサキとロシューも極めて高いサーブのプレースメントを発揮し、日本とイタリアのペアは堅実にキープを重ねていく。試合は完全にキープ合戦の様相を呈し、徐々に高まっていく緊張感は会場全体にも広がっていった。
(片方は右利きで超クセのあるサーブ、相方は生粋の左利きで、こいつもまぁなかなか良いサーブ打ちやがるんだよな。なんといっても、10代とは思えねぇ極悪そうなツラで妙に迫力あるし)
試合はじっくり進行し、ゲームカウント4-3で日本ペアの1ゲームリード。サーブはイタリアのロシューという場面。ボールをつきながらサーブを打つリズムを整えている相手は、その鋭い眼光でマサキを捉えている。自分に向けられる視線からビリビリと相手の気迫を感じ、マサキはツバを飲み込む。
(これまでデカリョウのサーブを下がらずに打とうとしてきたヤツは何ペアもいた。正解なんだ、それで。だが、それだけで簡単に攻略できるほど、アイツのサーブはヌルくない。ぶっちゃけサーブだけなら徹磨さんにだって勝ってるとオレは思うね。ひいき目なしに、デカリョウのサーブは日本一だし、世界のトップでも充分通用するレベルだ)
ロシューがサーブを放ち、マサキがそれに反応する。左利きの特性を活かした、いやらしい回転がこれでもかというほど掛かっている。マサキは前衛であるリーチの動きを警戒しつつ、対角線方向へ丁寧にリターン。方向的にはロシューの利き手側になるが、ここまで彼はその強面な見た目に反して強打は多用してきていない。案の定、ロシューは3球目攻撃を仕掛けず、堅実に返球してきた。
(ま、打とうと思えば打てるんだろうけどな)
試合はまだ第1セットの中盤に差し掛かったところ。この段階で、自らの手の内を全てさらけ出してしまう選手はまずいないだろう。互いにベースとなるプレーをしながら、仕掛け所に備えて布石を打ちあっているような状況だ。
リターンを打ったあとマサキは立ち位置を一歩下げ、まずはサーバーとリターナーによる交差する打合いを展開。だが相手のロシューが左利きのため、マサキは相手の利き手に対して自分は非利き手で相手することになる。
(バックは苦手じゃねぇ、が、攻め手に欠けるな)
胸中ではそう思いながらも、マサキはロシューの打つフォアを的確に打ち返す。相手前衛であるリーチの動きに注意を払いながら、角度、高さ、緩急を変えながら相手にチャンスを与えないよう辛抱強く打ち合う。
後衛同士が緊張感のあるラリー戦を展開する一方、お互いの前衛はクロスラリーの展開に合わせて、どちらも奇襲攻撃のタイミングを計る。まるでボクサーがリングのうえで互いに距離を取ってリズムを刻むように、細かいステップを踏みながらフェイントを入れて相手後衛にプレッシャーをかけていく。少しでも後衛の打ったボールが甘くなれば、たちまち前衛が飛び出し形勢が大きく動くだろう。
(あのパイナップル頭、良い動きだ。ストレート、ボディ、ロブ、きっちり全部警戒してる。フェイントの入れ方もうめぇ。さすがはイタリア代表ってとこだな)
その感想は、同じようにロシューもデカリョウに対して抱いていた。
(その身長が羨ましいぜ。リーチにそれがありゃあ、オレ等は最強だろうに)
互いの前衛の決定的な違い、それが身長だ。身長2m近いデカリョウがネット前に立つと、リーチとは比較にならない存在感を放つ。ロシューからすれば、ネットの前に大きな山がそびえ立つようで、デカリョウがただそこにいるだけでロシューの選択肢の多くを牽制していた。
(うちの相方はデケぇだろ? っとに頼もしいぜ。お陰で脇をすり抜ける一打は簡単に打てねぇだろうし、軽率に高く弧を描く一打を打てばサーブ並のスマッシュが待ってる。サーブの派手さばかり目立つが、デカリョウの良さはサーブだけじゃねぇぞ)
長いラリーが続く。
マサキかロシュー、どちらかが痺れを切らしてコースを変えるか、それとも前衛のいずれかが好機を見出し奇襲攻撃を仕掛けるか。ラリーが都合10往復を越えた頃、ロシューの打ったボールがほんの僅かに短くなった。外側方向に打たれたボールは、カウンターでストレートの脇をすり抜ける一打を叩き込む絶好球となる。
(来る!)
マサキがほんの一瞬見せた打ち気を感じ取り、リーチが警戒を強める。ボールの角度や深さ、勢いの様子から高確率でストレートを狙ってくると察知したリーチは、ポーチ狙いをいったんやめて意識を守りに切り替える。
(って思うだろ? ここッ!)
マサキは半歩、足を踏み込む。確かに相手の球はストレートを狙うのに最適なボールだった。だが今のマサキの立ち位置は自陣左側。そして相手の前衛は右利き、後衛は左利きだ。互いに雁行陣という今の場面で狙うなら、最も確実なのは――
ど真ん中をブチ抜く一打
マサキが優れていたのは、半歩深く踏み込み、肩を入れてコースを隠したこと。リーチはマサキの狙いが分からない以上、セオリー通り自身のストレートと頭上を守らざるを得なくなる。ほんの一瞬相手に判断を迷わせるだけで、こちらが意図した通りに相手の動きをコントロールできる。無論それは、相手が優秀でなければ成立しない高度な駆け引きだ。
(センター!? 抜かれたッ!)
(いいや、リーチ、それで良いッ!)
一方、リーチが優れていたのは、辛抱強く前衛の役目を果たしながら冷静にセオリーを守ったこと。ラリーが続いたのは実際には1分に満たない短い時間だが、高速で飛び交うラリーの中で一瞬の隙すら作らず、敵の攻撃を警戒しながら巧みなフットワークで圧力をかけ続けるのは非常に忍耐を要する作業だ。秒を刻む毎に精神はみるみるうちに消耗していく。それでも、高い集中力と正確な判断力で、リーチは己の役目を果たしていた。
マサキの打ったショットは、リーチが先ほどまでの警戒意識でいれば余裕で手の届く場所を通過していく。客観的にはきちんと前衛の役目を果たしていたリーチだったが、彼の主観では相手の意図を看破したつもりが逆を突かれ、リーチは失態を犯したと感じて吐き気を覚える。
そしてロシューが優れていたのは、ペアのリーチを心から信頼していたこと。彼は自身の打ったボールが、相手に攻撃の隙を与えると瞬時に見極めていた。この形勢で相手が取り得る行動は4つ。
1.ストレートパッシング
2.ストレートロブ
3.センターパッシング
4.ショートクロス
既に10往復以上のクロスラリーを展開している状態、しかも自分が左利きであることを考えれば、相手がショートクロスを打ってくる可能性は低い。そしてストレートはパッシングにせよロブにせよ、必ずリーチが守る。残るはセンターのみ。ロシューは自分のボールが相手コートでバウンドした瞬間に、マサキの攻撃に対する自身の行動を決めていた。
しかしデカリョウが優れていたのは、冷静に相手ペア2人の動きを把握していたこと。リーチがストレートとロブを警戒し、それとほぼ同時にロシューがセンターへ意識を向けたことに気付いたデカリョウは、マサキが打ったセンター・パッシングで相手を崩せないと素早く察知し、2歩だけポジションを下げた。相手は自分のペアを信頼し、余計なフォローを入れずにマサキの攻撃をカウンターに利用しようと狙ってくる。恐らくは自分に向けて。
(くたばれ、デカブツッ!)
ロシューはマサキのセンター・パッシングを利き手に回り込む。渾身の力を込めた、彼の最も得意とする逆クロスが放たれ、デカリョウの身体目がけて猛然と襲いかかる。
(速い、けど残念)
コート後方から全力で打ち込まれたボールをネット前で打ち返すのは、容易なことではない。だが、ジュニアとはいえプロを目指す一流の選手たちが持つ動体視力は一般のそれを遥かに凌駕する。さらに、デカリョウは相手の狙いを先に察知したうえでポジションを下げていた。その条件ではいかな強打といえ、エサを放り投げられてパクリと宙でキャッチする犬のように、造作もなく捉えられてしまう。
ロシューが放った強烈な威力を内包するボールは、デカリョウによっていとも簡単にその威力を殺された。そして相手側のコートへ、そっと下から放り投げるような軌道でドロップボレーが返される。ここまでで一番プレイ時間の長いポイントとなったが、どうにかものに出来たとひと安心できると思ったデカリョウは、次の瞬間、目の前の光景を理解するのに一瞬の時間を要した。
「オォルァッ!!」
文字通り鬼の形相で轟然とボールを追いかけるロシュー。デカリョウの打ったドロップショットが2度目のバウンドをする直前、届いたラケットがすくい上げるようにボールを捉える。コート上の4人だけでなく、会場中にいる全員の視線が、高く打ちあがったボールとともにマイアミの青空へ集まる。
(届くのかよ! だが!)
まさかあのドロップボレーをキャッチされるとは思わなかったデカリョウだが、幸運にも返球のロブが思いのほか高く上がったことで冷静さを取り戻す時間を得た。かなり高い弾道に打ちあがったものの、ボールには飛距離が無い。辛うじて日本ペア側のコートでバウンドする軌道だ。そのままダイレクトに叩き込むこともできるが、一度バウンドさせればより確実なチャンスボールとなる。
(いい気迫だったなぁ、それに免じてこっちも全力で相手するよぉ)
デカリョウが空を見上げながら、スマッシュの準備態勢に入る。その様子は、剣の達人が今まさに最速の居合い抜きを放つ構えのようであり、あるいは、銃口を向けられたまま撃鉄を起こされるようでもある。剣の間合いからは出られず、銃の狙いからは逃れられないロシューとリーチに、もはや成す術は残っていない。しかし――
「リーチ、下がるなよ」
「え」
ロシューの呟きに戦慄するリーチ。ボールは既に最頂点を終えて落下し始め、引力に手繰り寄せられるようにして地面へと向かう。ボールが近づくのと比例して、デカリョウの口から徐々に空気が漏れて声帯を揺らす。雨雲の先で響き渡る遠雷のように、その音は低く重く、やがて大きくなっていく。
「……ぉぉォォおおオオオ”オ”ッ!!」
目に見えぬ稲妻が、コートの真ん中に落ちる。正確無比なタイミングで捉えられたボールは、日本人離れした身長を持つデカリョウの渾身の力が込められ、潰れるように変形しながら叩き込まれた。
そして、見ていた誰もが目を疑う。
落雷にも等しい威力で放たれたデカリョウのスマッシュに、ロシューが自ら飛び込んだ。ラケットを左手で握りヘッドを立て、右腕をクロスしラケットと腕で十字を作るようにしながら落下点に突っ込んだ。ロシュー自身、ラケットのどこにボールが当たったのかは分からない。衝撃で弾かれたラケットのフレームが彼の額の皮ふを裂き、白い肌が血に塗れる。
「……嘘だろ、オイ」
跳ね返されたボールは、日本ペアのコートへ落ちて転がり、やがて止まった。
続く
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