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葛藤

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「……将来を嘱望されているの割りには、国語力に難があるようですね。矛盾してませんか?」

 焦りからか、怒りからか。
 思わぬことを口走る彼を前に、俺の口から辛うじて出てきたのは、何とも皮肉に塗れた言葉だった。
 しかし、これだけ最速で手のひらを返されると、憎まれ口の一つも叩きたくもなる。

 お袋を、
 彼の言い振りからも、田沼さんも言っていた通り、可能なのだろう。
 もちろんその言葉の裏には、のっぴきならない『何か』があることくらいは、誰に指摘されずとも分かる。
 ましてや、悪意のような類は微塵も感じ取れない。

「まぁ、そう言わないで下さい。そうですね……。ではまず、改めて現状について整理しましょう」

 宇沢さんはそう言って、ごほんと大きく咳払いをする。
 淡々と仕切り直すその姿は、心の置きどころのない俺を敢えてスルーしているかのようにも見えた。

「予め伝えておきますが、彼女が事に及んでからの数日間、荻原さんたちへの監視も強化させていただきました。ですので、あなた方の動きについては把握しておりますが、悪しからず」

「まぁ、それに関しては正直今更っていうか、こちらもそのつもりで動いていたので……」

「ご理解いただき助かります。ではまず……。石橋との一件の後、荻原さんは彼女から新井さんの依頼を受けるよう指示された。この点について、間違いはありませんね?」

「そう、ですね。俺が指示されたのか、新井が依頼するように命令されたのかは分かりませんが……」

「そして、新井さんのお母様の話を聞いたところ、彼女が通われていたホストクラブが、例の事件の真犯人が在籍していたと噂される『フェルベン』であることが発覚。そればかりか、その彼女の担当ホストである嗣武こそが、真犯人の可能性があると、その後の調査の過程で明らかになった。そこで荻原さんたちは、嗣武と政府との関係性をあぶり出す意味も込め、彼に『提供』を試みた。ここまでも、相違ありませんか?」

 彼の問いかけに、俺は無言で頷く。

「ところが、推定潜在境遇ポイントにはダミーのデータに差し替えられていて、嗣武へ提供したはずの『不幸』が、荻原さんのお母様に降りかかってしまった。そこで事態の打開策として浮上したのが、推定潜在境遇ポイントのマイナス概念の利用。しかし、データの更新には別途パスワードが必要であることを田沼から聞かされる。取り急ぎ、お母様の病気を寛解させるためにも、ポイントを一元管理する僕と協力関係を結びたい、と。これが、荻原さんの希望で間違いありませんね?」

「……ですね。端的にまとめていただき、助かります」
 
「荻原さんの案は理論上は可能です。しかし、打出の小槌のように、ポンポンと『不幸』を振り撒いていたら、本来の趣旨と大幅に乖離してしまう……。ですから、それにはがある、と。彼女から聞いていませんか?」

「……はい、聞いてます。そりゃあ、誰彼構わずってなったら、それこそモラルハザードになりますからね。そのくらいは、田沼さんに言われずとも何となくは分かりますよ」

「……本当に分かっていますか? ちなみに、何がになるのかもご存知ですか?」

「は? 代償? 条件があるとしか聞いてないんですけど……」

 俺の返答に、宇沢さんは『ハァ』と呆れるように深く息を吐き、『まぁ、それも当然か』と、意味ありげにぼやく。

「あ、あのっ! その、代償って、そんなにヤバい感じなんですか!?」

 新井は恐る恐る、宇沢さんに問いかける。

「……要するに、ですね。この『マイナス提供』には、実行する鑑定士がその差となる『不幸』を肩代わりする必要があるのです」

「は? 『不幸』の肩代わりって、どういうことですか?」

「そのままの意味です。例えば、鑑定値が『30点』であれば、対象者には『-30点』分の不幸が提供されることになります。その場合、実行した鑑定士は、その差分となる鑑定値『60点』に相当する不幸を請け負うことになります」

「へっ!? てことはオギワラのお母さんに提供したら、オギワラが代わりにってことですか!?」

「……、必然的にそうなりますね。全ては『バランスを取る』という大義名分が背後にある以上、避けては通れないでしょう」

「そ、そんな……」

 宇沢さんの言葉に、新井は顔面を蒼白にさせて、小さく後退りする。

「60点って……。鑑定値は、50点満点ですよね? カンストどころか、限界突破してるじゃないっすか、ソレ……。一体、どんな目に遭わされるって言うんですかね?」

 俺が問うと、宇沢さんは黙って首を横に振る。

「分かりません。無論、これは一例に過ぎませんが、何分今までに前例がなく、僕自身も理解の範疇を超えています。したがって、仮りにそれが実行された場合、命の保証は出来かねる……、というのが率直な所感です。いずれにせよ、対象者への『マイナス提供』と鑑定士の『不幸』は、トレードオフの関係にある。これだけは揺るがない事実です」
 
 お袋の寛解に、一体何点分の鑑定値が必要なのかは分からない。
 それを知る術がない以上、『マイナス提供』を実行するにしても、鑑定値は多めに見積もる他ないだろう。
 対象者への『マイナスの不幸』とのバーターという位置付けになる、というのは分かるが、こうして淡々と話す宇沢さんからそこはかとなく漂う、違和感が拭えない。
 もちろん、実質的な管理者である宇沢さんの話を疑うつもりはない。
 しかしそれ以上に、彼の言い分には一抹のを感じずにはいられなかった。

「以上を踏まえて、もう一度お聞きします。それでもあなたは、『マイナス提供』を実行しますか?」

 宇沢さんは、真っ直ぐに俺を見据え、決意を問う。

「もし……、『する』と言えば?」

「……、お諌めします」

 彼は躊躇なく、応える。
 
「……そうですか。では、仮りにあなたの言う通りだったとしましょう。それの、何が問題なんですか?」

「はぁ? オギワラ、何言ってんの? 下手したら、死んじゃうかもしれないんだよ!? 分かってるっ!?」

 俺が応えると、すぐさま新井が反発する。
 もちろん、新井の反応は織り込み済みだ。

「じゃあどうすんだよ? このままお袋を放っておけとでも言うのか?」

「そ、そうは言ってないけど……」

「確かに……、制度としての建付けが分からない以上、宇沢さんや新井の言う通りなんでしょう。まぁ言うて俺もお袋も、人生の膨大な時間を浪費したことは事実ですからね。あなたが俺たちに負い目を感じてるってのは、理屈上分かりますよ。でも」

 俺は息を整える。
 これから投げかける言葉は、宇沢さんの想いを踏みにじり、場合によっては新井を幻滅させるかもしれない。
 だが、この違和感を払拭するための荒療治と思えば、許容範囲だろう。

 宇沢さんを見れば、分かる。
 お袋の判決が出た時の、神取さんと同じだ。
 平静を装い、一端の役人しぐさで淡々と事実を羅列してはいるが、いざその面の皮一枚を剥いでしまえば、今にでも歯軋りが始まりかねないほどの仏頂面が拝めるのだろう。
 それだけ、内側から溢れ出る気迫のようなものを、今の彼からは感じ取れる。
 覚悟を決めたつもりでいても、その実まだ迷いがあるのだ。
 いや……。
 そんな生易しいものじゃない。
 もっと、どす黒くて、後ろ暗いまでの『葛藤』だ。

 もし、彼の中で未だに引っ掛かるものがあるのだとしたら、それは間違いなく俺やお袋だろう。
 俺たちに対して平身低頭謝ってはいたが、彼もまた、ある種の被害者なのだ。 
 だからこそ、宇沢さんを縛り付ける足枷の一人として、彼の奥底で燻る感情を、はっきりと言語化させてやるとしよう。

「……こう言っちゃなんですが、俺がどうなろうと、宇沢さんの知ったこっちゃないでしょ。それに……、内心思ってるんじゃないですか? 面倒なことに巻き込んでくれたって」

 俺がそう言うと、宇沢さんの眉はピクリと動く。

「オ、オギワラ。何言って……」

「だってそうでしょ? 確かに元を辿れば、お膳立てをしたのは時の政権と、そのお友達なのかもしれません。でも、親父や田沼さんがヘタな抵抗をしていなければ、ここまで事態が拗れていなかったのも事実。正直もう、親父や田沼さんの自己満に振り回されるのは御免でしょ? 『FAD』、でしたっけ? 粛々と、政府の掲げる計画に加担していれば、もっとスムーズに事が運んだはずです。『持たざる者』のことなんか放って置けばいいんですよ。何も覆らないことが分かっている以上、良心なんて持つだけ無駄ですから」

「オギワラ! そんな言い方ないっしょ!?」

 新井は、涙目で俺を睨む。

「……せっかく出世コースに乗れたんです。このまま政府の方針に黙って従ってりゃいいじゃないっすか。余計なお世話かもしれませんが、これ以上俺や田沼さんに肩入れしても出世が遅れるだけっすよ。まぁ、そんな賑々しいポジションを放り出してまで、彼女に執着する個人的な理由があるってんなら話は別ですが」
 
 罪悪感を抱えつつも、最大の被害者の一人である俺の前で、あれだけ抜け抜けと断言したわけだ。
 ならば、聞かせてもらおう。
 お袋を助けることが出来ないと言った、本当の理由を。

「……もし、俺の言ったことが名誉毀損だって言うなら、聞かせて下さい。政府での立場だとか関係なく、アンタ、ホントはどうしたいんすか?」

 俺が問いかけると、宇沢さんはフゥと深く息を吐く。

「……情けないですね。一番の被害者である荻原さんにここまで言わせないと、踏ん切りがつかないなんて」

 彼はそう言ってフッと、投げやりに笑う。

「僕は……、何としても救わなくてはならないんです……」

「彼女? それって、チサさんですか?」

 小さく呟いた宇沢さんに、新井は恐る恐る問いかける。
 すると彼は、ゆっくりと頷く。

「……一つ、大前提を申し上げておきます。荻原 訓さん。あなたは鑑定士として、正式な登録をされていない。よって、この一件の担当鑑定士は、田沼 茅冴となります」

「やっぱり、そうですか……」
「へ? オギワラが鑑定士じゃない!? てか、アンタ知ってたの!?」

 新井は驚愕し、まん丸になった目をこちらに向けてくる。

「……宇沢さんは、ご丁寧に『担当が荻原さんであれば』とか、意味深なこと言ってたろ? だからまぁ、田沼さんの動きとかも見てると、そういうこったろーな、とは思ってはいた」

 想定していた、と言えば少し大袈裟だが、薄々勘付いていたのは事実だ。
 これで、当初の違和感の正体が明らかになった。
 ……そのはずなのだが、未だ妙な引っ掛かりを感じる。
 決定的とも思える事実を告げたのにも拘らず、依然として胸の奥に何かが閊えたような表情のままの宇沢さんを見ていると、そんな正体不明の焦燥感に駆られてしまう。

「そっか……。てことは、だよ!? 名目上、この会社に鑑定士はチサさん一人しかいない。だからもし……、オギワラのお母さんに『マイナス提供』がされたら、チサさんにその分の『不幸』が降りかかる、ってこと!?」

「そういうことで、間違いないかと。そして恐らく、荻原元課長もこの『マイナス提供』を計画の中核に据えようとしていたのでしょう。よって、現時点で彼女は、荻原元課長の計画をトレースしようとしている、ということになります」

 新井の疑問に、宇沢さんは淡々と応えた。

「で、でもチサさんってもう逮捕されましたよね? それなら、USBも押収したんじゃないですか!? そうじゃなくても、データはダミーになってるんだから、どの道もうどうしようもない気が……」

 そうだ。
 本来の理屈であれば、新井の言う通りだ。
 そもそも既に捕らわれの身である以上、彼女がこれから先計画を続行する見込みはない。
 しかし……。
 それは、俺が勝手に想定した大前提があってこその話だろう。

 なるほど……。ようやく、話が繋がった。
 どうやら、前提そのものが間違っていたらしい。
 足りない頭を振り絞って考えてはみたが、まんまと彼女に一杯食わされたようだ。
 これでは、宇沢さんが『お袋を助けるわけにはいかない』のも頷ける。
 
「要するに……、俺がそのということになるんですね?」

 俺の質問に、宇沢さんはゆっくりと首を縦に振る。

「へ? オギワラがスペア? どういうこと?」

「おかしいとは思ってたんだよ……。裏事情があった石橋の件はともかく、フリ姉の依頼に関しては、理屈上俺が直接『提供』出来たはずだ。だがまぁ……、恐らく意図的になんだろうが、どう考えても俺が直接手を下すには都合の悪い状況で、実際に『提供』をしたのは田沼さんだった。結局、俺はこれまで一度も、『提供』のプロセスには関わっていない。新井。気付いたか? 田沼さんにしろ宇沢さんにしろ『データがダミーになっている』なんて、一度も言っていない」

「あ」

 新井は呆けた顔で、声を漏らす。

「要するに、だ。そもそもUSBは、正式な登録を済ませた鑑定士でないと、システムそのものが作動しないようになってるってことだ。まぁ、つってもこの制度自体が、リリース前のβ版みたいなモンらしいからな。『正式な』って表現が正しいのかは知らんが。どうですか? 宇沢さん」

 俺はそう言って宇沢さんを見るが、悲痛の表情のまま何も応えない。

「で、でもさ! 結果はともかくシンの時は『提供』自体は、ちゃんと出来てたじゃん!」
「……そこが問題なんだよ」
「へ?」

 新井がそう呟くと、しばらくの間、場は沈黙する。
 その後、宇沢さんは観念するかのようにハァと、深いため息を吐く。

「……お気付きの通り。正式な登録プロセスを経た鑑定士でないと、システムは作動しません。よって、荻原さんのお母様に、『提供』はされていない……。お母様は、刑務作業中に倒れたとのことでしたが、恐らく本当にご病気の方が悪化されたのかと思われます」
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