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真相
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厚生労働省、社会・援護局、保護課・保護事業室、室長。
それが、7年前の彼女の正式な肩書だ。
当時、大学を卒業して間もない宇沢さんは、そんな彼女の直属の部下として配属される。
今でこそ、飄々と息をするように周囲に不穏を振りまく彼女だが、役人としての田沼 茅冴には、俺たちの知るソレはない。
宇沢さん曰く、エリート意識や金銭欲・出世欲とは無縁で、純粋な社会正義のために仕事をしていた、と言う。
社会・援護局を希望したのも、生活保護や各種セーフティーネットを拡充し、『何度失敗してもやり直せる社会』をつくり上げたいという、予てからの目標があったからのようだ。
そんな、良く言えば官僚の鑑、悪く言えばエゴイスト。
ともすれば、独断専行で周囲を巻き込みかねない彼女への評価は、局内でも分かれた。
ところがある時、彼女を高く評価していた審議官の一人が、局長に引き上げられたことで、ターニングポイントを迎える。
係長、課長補佐、企画官と異例のスピードで昇進し、遂には歴代最年少で室長にまで上り詰める。
そして気付けば、将来の事務次官候補の筆頭となり、名実ともに『省内随一の有望株』のポジションを不動のものとした。
「そう、だったんだ……。チサさんって。でも、何でそんな人が辞めたんだろ? 何かすごいビジョンもあったみたいだし、一応、ホープ? 的な感じだったんですよね?」
彼女の過去を聞いた新井は、当然の疑問を呈する。
「はい。実際、彼女の名は省内だけでなく、他省庁や有力議員の間でも評判になっていましたから。それと……、正確に言えば、彼女はまだ辞めてはいません。彼女の籍は、未だ厚労本省にあります」
「へ? そうなんですか?」
「えぇ」
「……なるほど。要するに諸々の責任を押し付けられて、詰め腹を切らされた、と。そんでもって、この会社へやって来たのも出向の名を借りた、事実上の左遷みたいなモンですかね?」
「まさにおっしゃる通りです。株式会社の『代表取締役』を名乗ってはいますが、それは飽くまで通称。ココは国策に沿って設立された、厚労省所管の歴とした独立行政法人です。言ってしまえば、彼女は何の権限も議決権も与えられていない、期間限定の雇われ店長のようなもの……」
「やっぱり、そういうことですか……。んだよ。適当なことばっか言いやがって……。何が『政府とは利害が一致』だよ」
「荻原さんは……、ここまで聞いて、彼女のことをどう思いますか」
そう、問いかける彼の視線は、どこか後ろ暗い何かを孕んでいるようにも見えた。
「……それを今聞きますか。まぁざっと聞いた限りでは、まだ何とも。ただどうにも、出来過ぎてるというか……。作為的なものを感じざるを得ない、としか」
「あなたがそう思うのも当然でしょう。事実、これは全て仕組まれていたことなのですから……」
宇沢さんはそう言って、話を続ける。
彼が入省してから、半年が経った頃。
課内で、とある自治体の福祉課への研修を兼ねての出向話が持ち上がる。
候補として挙がったのは、入省間もない宇沢さんと、彼女の直属の部下の一人である、雨宮 寿澄室長補佐だったと言う。
聞き捨てならなかった。
雨宮 寿澄。
他でもない、お袋が巻き込まれた事件の被害者となった、福祉課の職員だ。
ここまでの話を聞いて、ここ数ヶ月の違和感と、俺やお袋が辛酸を舐めた7年間が点と点で繋がり、線となる。
「局内での協議の結果、最終的に雨宮室長補佐が選ばれました。何でも、本人から彼女に『強い要望』があったらしく、彼女は止むに止まれず推薦を出してしまったようです。思えばそれが……、全ての始まりでした」
動揺が顔に出ていたのか。
もしくは『腑に落ちた』表情になっていたのか。
宇沢さんは、俺が聞くよりも先に口を開き、核心的なことを話す。
「そうでしたか……。ようやく、話が繋がりました」
俺が絞り出すようにそう溢すと、彼はまた口惜しい顔をする。
「……荻原さんは間違いなく、受給基準を満たしていました。しかし、当時の福祉課の担当者は資産要件で難癖を付け、荻原さんを不承認にしてしまったのです」
「そんなこと……、今更言われても困ります」
「でしょうね……。ですが、それだけではありません。結果として、世論に付け入る隙も与えてしまいました」
「……まぁ確かに、『生活保護を断られた腹いせに……』なんて、ストーリーとしては完璧ですからね。何も知らない第三者が聞けば、納得しない方が難しいでしょう」
自嘲気味に俺が言うと、宇沢さんは更にその顔色を曇らせる。
しかし彼女の昇進から、生活保護の不承認、事件までの一連の流れが全て政府の筋書き通りだったすると、また新しい疑問も出てくる。
事件の真相を表に出したくない、というのはよく分かる。
だが、これは俺が田沼さんと出会う以前からの問題だ。
であれば、どうして俺たちが選ばれたのか。
何故、そこまでして俺たちに執着するのか。
田沼さんが隠していたことも併せると、どうしても良い方向へは考えられそうにない。
……どの道、今は話を先に進める他ない。
もちろん、身分を偽って俺たちに近付き、『きな臭い計画』に巻き込もうとした彼女に対して、言いたいことがないでもないが。
「……でも、変ですね。それなら何で、その雨宮さん? は殺されたんですか。聞いてる限り、その人も政府の差し金でしょ?」
「えぇ、その通り。恐らく、荻原さんご自身も、真犯人についてある程度当たりを付けておられるとは思います。ですが雨宮にしろ、真犯人にしろ、政府にとっては道具の一つに過ぎないのです。要は、事件そのものが初めから用意されたものだった、ということ」
「……そうは言いますけどね。俺やお袋を陥れるためだけに、ですか? 一体何のために」
俺が疑問を呈すと、宇沢さんは歯痒そうに視線を逸らす。
「……その辺りも、詳しくお話する必要がありそうですね。ですが、その前に一つ。前段として、基本的なお話をしましょう。そもそも、この『不幸の再分配』という、ある種の分断統治のシステム。誰が、どんな意図で始めたかご存知ですか?」
「……こちらは飽くまで、『世の中の不幸のバランスを取る』とかいう、建前しか聞いてませんよ。ただまぁ……、その口振りだと違うようですね。独立行政法人って話ですし」
「はい。『不幸の再分配』は、社会保障改革の一貫として、試験的に導入された政府による極秘プロジェクトの一端。言わば、世論醸成を行うための誘導策のようなものです。一部の人間にしかその存在が知らされていなかったのは、飽くまで試験的な運用だったからに過ぎません。徐々にその存在が浸透し、民意の了解が取れれば、正式な制度として本格的に運用される予定でした」
「まぁ、要は国策ってわけですよね? その試験場としてウチが設立された、と」
「はい。政府はこの制度の導入により、既存の社会保障の大幅な削減を目論んでいます。いつから計画されていたのかは、僕自身は分かっていません。恐らく時の政権が、財政健全化に固執する財務省と結託し、当時の厚労省の上層を取り込んだ上で画策したものと思われます。それがいつしか、国家の長期的なグランド・ストラテジーとなり、歴代の政権の施政方針に組み込まれ、脈々と受け継がれていったのでしょう」
「……厚労省もグルだったんですか?」
「えぇ。大方、条件の良い天下り先でも提示されたのでしょう。官僚も所詮は組織人ですから」
「聞けば聞くほど、ロクでもねぇ……」
思わず俺がそう溢すと、宇沢さんは青白く染まった顔を俯かせる。
「……話を戻します。周知の通り、システム面でも倫理面でも、非常に問題の多い制度です。しかし……、これは飽くまで話の序の口に過ぎません。本命はその先にある、極めて非人道的で悍しい計画にあります」
「非人道的?」
新井の問いかけに、彼は息を吐き、ゆっくりと口を開く。
「……Futuristic of Attribution Distribution、通称・FADと呼ばれる、内閣府主導で極秘に進められている国家プロジェクトです」
「えっと……、未来志向の、属性分布、的な?」
新井が直訳すると、宇沢さんは頷き、補足するかのように話し出す。
「……プロジェクト『FAD』。それは現状の歪な人口構成を是正し、社会全体の持続可能性を飛躍的に向上させ、人々の理想を構築するための長期計画となります」
「なんかそれだけ聞くと、良さげな感じするけど……」
新井はそう言うが、俺はどうにも嫌な胸騒ぎがしてならなかった。
そんな俺を見透かすように、宇沢さんはちらりと視線を向けてくる。
「……新井さんのおっしゃる通り、表向きの理念は耳障り良く聞こえるかもしれません。つまるところ、社会にとっての最適な人口構造を模索することで、国民一人ひとりの負担を軽減し、生産性を向上させていくことが目的なのですから。事実、この計画が実現されることで、恩恵を受ける層も一定数存在するでしょう。ですが……、問題はその手段にある」
「しゅ、手段、というのは?」
新井はゴクリと息を呑んで、問いかける。
「端的に言えば、積極的安楽死の合法化。それも、既存の合法国のソレとは大きくかけ離れた、独自の基準を設けた上での運用です」
「……独自の基準、ですか?」
「はい。具体的には年少人口、生産年齢人口、老年人口といった各セグメントごとに、収支・性別・容姿・職業などの属性を細分化した上でスコアリングし、一定基準をクリアした者に対してその認可が与えられる、という建付けになっています」
「は? ちょっと待って下さい! それって……」
大方の事情を察し、俺は思わず身を乗り出してしまう。
「……お察しの通り。推定潜在境遇ポイントは、その計画の前段としてつくられたシステム。『鑑定』や『提供』も、それを見越した壮大な社会実験においての一過程です」
「あ、あのっ! てことは、ですよ!? チサさんたちが言ってる『持たざる者』が、主にその対象になる……ってことですか?」
新井が恐る恐る問いかけると、宇沢さんは静かに頷いた。
「まさにその通り。対になる境遇エリアで言うところの下位帯に属する人間に対して、その権利が付与される、ということです」
「……何すか、それ。一度落ちた人間は生きる資格がない、とでも言いた気ですね」
「……義務でなく、権利です。最後に決めるのは、飽くまで自分自身。そもそも、この『FAD』自体が極秘のプログラム。政府の表向きの言い分としては、『人生においての新しい選択肢を、国民一人ひとりに提示すること』なんですから」
「白々しいことを……。んなこと言って、どうせ追い込むつもりなんでしょうが。『理想を構築する』だとか大層なこと抜かしておいて、おかしなシステムを導入しようとしている連中だ。その種の世論工作なんて、お手のモンだろうが……」
吐き捨てるように俺が言うと、宇沢さんの表情は一層険しくなる。
「……否定はしません。官僚機構の入れ替わりがない我が国では、政権交代などあってないようなもの。人員の刷新がない組織は徐々に腐敗し、正論が通りにくくなる。やがて、一部の層にとって都合の良い歪曲された事実だけが浸透し、それが物事を判断する上での羅針盤となっていく……。そうして、この国は長期に渡って衰退してきました。貧困問題、少子高齢化、地域・教育格差……。彼らは、己が数十年の失政を国民に転嫁し、そのツケを払わせようとしているのです」
『ツケを払う』などと、彼は偉く簡単に言ってくれるが、こんなものはタダの棄民だ。
問題そのものに蓋をし、議論を封殺しようとしているだけに過ぎない。
彼の言う、『腐敗した組織』の最たる被害者である俺や新井が、この悍しく欺瞞に満ちた計画にある種加担していたなど、皮肉もいいところだ。
「……まぁ要するに、『貧困層を撲滅すれば、貧困も撲滅できる』みたいな話ですか? アホらしい……。選民思想丸出しじゃねぇか」
俺が言うと、宇沢さんは苦渋の表情で首を縦に振る。
「そうですね……。身も蓋もないですが、これは政府による人口削減計画と言っていいでしょう。『不幸』などと安直な言葉でパッケージングしておいて、その実彼らは区分けしていただけに過ぎません。そういった、いわゆる『持たざる者』は、社会の歪みに気付いてしまう恐れがあります。だからこそ、目くらましが必要になる……」
「……それで『不幸の再分配』、ですか? まぁ確かに……、対立構図の中でいがみ合っている内は、問題の本質になんて気付きませんからね」
俺が皮肉を込めて言うと、宇沢さんはコクリと頷いた。
「おっしゃる通り。『鑑定』も『提供』も、言わば推定潜在境遇ポイントではカバーし切れない不幸を洗い出し、次の不幸に繋げていく作業。そうして不幸が伝播していけば、そのスパイラルは時を追うごとに肥大化し、社会全体の空気も殺伐としたものになっていく……。そんなある種のディストピアこそ、彼らにとっての盤石な体制と言えるのかもしれません」
「……まぁロジックとしては分かりますけど。ただ……、それにしても少し稚拙過ぎませんかね? 第一、国連憲章にも反しているはずだ。素朴な疑問なんですが、政府や官僚の中に反対する人はいなかったんですか?」
俺がそう聞くと、宇沢さんは何故か深く息を吐いた。
そして少しの沈黙を経て、ゆっくりと口を開く。
「……もちろん。官僚機構とて一枚岩ではありませんからね。厚労省内部には、身体を張って反発する人間もいました。その、代表格こそが……、荻原 汰維志、当時の社会・援護局、総務課長……、そう。あなたのお父様です」
それが、7年前の彼女の正式な肩書だ。
当時、大学を卒業して間もない宇沢さんは、そんな彼女の直属の部下として配属される。
今でこそ、飄々と息をするように周囲に不穏を振りまく彼女だが、役人としての田沼 茅冴には、俺たちの知るソレはない。
宇沢さん曰く、エリート意識や金銭欲・出世欲とは無縁で、純粋な社会正義のために仕事をしていた、と言う。
社会・援護局を希望したのも、生活保護や各種セーフティーネットを拡充し、『何度失敗してもやり直せる社会』をつくり上げたいという、予てからの目標があったからのようだ。
そんな、良く言えば官僚の鑑、悪く言えばエゴイスト。
ともすれば、独断専行で周囲を巻き込みかねない彼女への評価は、局内でも分かれた。
ところがある時、彼女を高く評価していた審議官の一人が、局長に引き上げられたことで、ターニングポイントを迎える。
係長、課長補佐、企画官と異例のスピードで昇進し、遂には歴代最年少で室長にまで上り詰める。
そして気付けば、将来の事務次官候補の筆頭となり、名実ともに『省内随一の有望株』のポジションを不動のものとした。
「そう、だったんだ……。チサさんって。でも、何でそんな人が辞めたんだろ? 何かすごいビジョンもあったみたいだし、一応、ホープ? 的な感じだったんですよね?」
彼女の過去を聞いた新井は、当然の疑問を呈する。
「はい。実際、彼女の名は省内だけでなく、他省庁や有力議員の間でも評判になっていましたから。それと……、正確に言えば、彼女はまだ辞めてはいません。彼女の籍は、未だ厚労本省にあります」
「へ? そうなんですか?」
「えぇ」
「……なるほど。要するに諸々の責任を押し付けられて、詰め腹を切らされた、と。そんでもって、この会社へやって来たのも出向の名を借りた、事実上の左遷みたいなモンですかね?」
「まさにおっしゃる通りです。株式会社の『代表取締役』を名乗ってはいますが、それは飽くまで通称。ココは国策に沿って設立された、厚労省所管の歴とした独立行政法人です。言ってしまえば、彼女は何の権限も議決権も与えられていない、期間限定の雇われ店長のようなもの……」
「やっぱり、そういうことですか……。んだよ。適当なことばっか言いやがって……。何が『政府とは利害が一致』だよ」
「荻原さんは……、ここまで聞いて、彼女のことをどう思いますか」
そう、問いかける彼の視線は、どこか後ろ暗い何かを孕んでいるようにも見えた。
「……それを今聞きますか。まぁざっと聞いた限りでは、まだ何とも。ただどうにも、出来過ぎてるというか……。作為的なものを感じざるを得ない、としか」
「あなたがそう思うのも当然でしょう。事実、これは全て仕組まれていたことなのですから……」
宇沢さんはそう言って、話を続ける。
彼が入省してから、半年が経った頃。
課内で、とある自治体の福祉課への研修を兼ねての出向話が持ち上がる。
候補として挙がったのは、入省間もない宇沢さんと、彼女の直属の部下の一人である、雨宮 寿澄室長補佐だったと言う。
聞き捨てならなかった。
雨宮 寿澄。
他でもない、お袋が巻き込まれた事件の被害者となった、福祉課の職員だ。
ここまでの話を聞いて、ここ数ヶ月の違和感と、俺やお袋が辛酸を舐めた7年間が点と点で繋がり、線となる。
「局内での協議の結果、最終的に雨宮室長補佐が選ばれました。何でも、本人から彼女に『強い要望』があったらしく、彼女は止むに止まれず推薦を出してしまったようです。思えばそれが……、全ての始まりでした」
動揺が顔に出ていたのか。
もしくは『腑に落ちた』表情になっていたのか。
宇沢さんは、俺が聞くよりも先に口を開き、核心的なことを話す。
「そうでしたか……。ようやく、話が繋がりました」
俺が絞り出すようにそう溢すと、彼はまた口惜しい顔をする。
「……荻原さんは間違いなく、受給基準を満たしていました。しかし、当時の福祉課の担当者は資産要件で難癖を付け、荻原さんを不承認にしてしまったのです」
「そんなこと……、今更言われても困ります」
「でしょうね……。ですが、それだけではありません。結果として、世論に付け入る隙も与えてしまいました」
「……まぁ確かに、『生活保護を断られた腹いせに……』なんて、ストーリーとしては完璧ですからね。何も知らない第三者が聞けば、納得しない方が難しいでしょう」
自嘲気味に俺が言うと、宇沢さんは更にその顔色を曇らせる。
しかし彼女の昇進から、生活保護の不承認、事件までの一連の流れが全て政府の筋書き通りだったすると、また新しい疑問も出てくる。
事件の真相を表に出したくない、というのはよく分かる。
だが、これは俺が田沼さんと出会う以前からの問題だ。
であれば、どうして俺たちが選ばれたのか。
何故、そこまでして俺たちに執着するのか。
田沼さんが隠していたことも併せると、どうしても良い方向へは考えられそうにない。
……どの道、今は話を先に進める他ない。
もちろん、身分を偽って俺たちに近付き、『きな臭い計画』に巻き込もうとした彼女に対して、言いたいことがないでもないが。
「……でも、変ですね。それなら何で、その雨宮さん? は殺されたんですか。聞いてる限り、その人も政府の差し金でしょ?」
「えぇ、その通り。恐らく、荻原さんご自身も、真犯人についてある程度当たりを付けておられるとは思います。ですが雨宮にしろ、真犯人にしろ、政府にとっては道具の一つに過ぎないのです。要は、事件そのものが初めから用意されたものだった、ということ」
「……そうは言いますけどね。俺やお袋を陥れるためだけに、ですか? 一体何のために」
俺が疑問を呈すと、宇沢さんは歯痒そうに視線を逸らす。
「……その辺りも、詳しくお話する必要がありそうですね。ですが、その前に一つ。前段として、基本的なお話をしましょう。そもそも、この『不幸の再分配』という、ある種の分断統治のシステム。誰が、どんな意図で始めたかご存知ですか?」
「……こちらは飽くまで、『世の中の不幸のバランスを取る』とかいう、建前しか聞いてませんよ。ただまぁ……、その口振りだと違うようですね。独立行政法人って話ですし」
「はい。『不幸の再分配』は、社会保障改革の一貫として、試験的に導入された政府による極秘プロジェクトの一端。言わば、世論醸成を行うための誘導策のようなものです。一部の人間にしかその存在が知らされていなかったのは、飽くまで試験的な運用だったからに過ぎません。徐々にその存在が浸透し、民意の了解が取れれば、正式な制度として本格的に運用される予定でした」
「まぁ、要は国策ってわけですよね? その試験場としてウチが設立された、と」
「はい。政府はこの制度の導入により、既存の社会保障の大幅な削減を目論んでいます。いつから計画されていたのかは、僕自身は分かっていません。恐らく時の政権が、財政健全化に固執する財務省と結託し、当時の厚労省の上層を取り込んだ上で画策したものと思われます。それがいつしか、国家の長期的なグランド・ストラテジーとなり、歴代の政権の施政方針に組み込まれ、脈々と受け継がれていったのでしょう」
「……厚労省もグルだったんですか?」
「えぇ。大方、条件の良い天下り先でも提示されたのでしょう。官僚も所詮は組織人ですから」
「聞けば聞くほど、ロクでもねぇ……」
思わず俺がそう溢すと、宇沢さんは青白く染まった顔を俯かせる。
「……話を戻します。周知の通り、システム面でも倫理面でも、非常に問題の多い制度です。しかし……、これは飽くまで話の序の口に過ぎません。本命はその先にある、極めて非人道的で悍しい計画にあります」
「非人道的?」
新井の問いかけに、彼は息を吐き、ゆっくりと口を開く。
「……Futuristic of Attribution Distribution、通称・FADと呼ばれる、内閣府主導で極秘に進められている国家プロジェクトです」
「えっと……、未来志向の、属性分布、的な?」
新井が直訳すると、宇沢さんは頷き、補足するかのように話し出す。
「……プロジェクト『FAD』。それは現状の歪な人口構成を是正し、社会全体の持続可能性を飛躍的に向上させ、人々の理想を構築するための長期計画となります」
「なんかそれだけ聞くと、良さげな感じするけど……」
新井はそう言うが、俺はどうにも嫌な胸騒ぎがしてならなかった。
そんな俺を見透かすように、宇沢さんはちらりと視線を向けてくる。
「……新井さんのおっしゃる通り、表向きの理念は耳障り良く聞こえるかもしれません。つまるところ、社会にとっての最適な人口構造を模索することで、国民一人ひとりの負担を軽減し、生産性を向上させていくことが目的なのですから。事実、この計画が実現されることで、恩恵を受ける層も一定数存在するでしょう。ですが……、問題はその手段にある」
「しゅ、手段、というのは?」
新井はゴクリと息を呑んで、問いかける。
「端的に言えば、積極的安楽死の合法化。それも、既存の合法国のソレとは大きくかけ離れた、独自の基準を設けた上での運用です」
「……独自の基準、ですか?」
「はい。具体的には年少人口、生産年齢人口、老年人口といった各セグメントごとに、収支・性別・容姿・職業などの属性を細分化した上でスコアリングし、一定基準をクリアした者に対してその認可が与えられる、という建付けになっています」
「は? ちょっと待って下さい! それって……」
大方の事情を察し、俺は思わず身を乗り出してしまう。
「……お察しの通り。推定潜在境遇ポイントは、その計画の前段としてつくられたシステム。『鑑定』や『提供』も、それを見越した壮大な社会実験においての一過程です」
「あ、あのっ! てことは、ですよ!? チサさんたちが言ってる『持たざる者』が、主にその対象になる……ってことですか?」
新井が恐る恐る問いかけると、宇沢さんは静かに頷いた。
「まさにその通り。対になる境遇エリアで言うところの下位帯に属する人間に対して、その権利が付与される、ということです」
「……何すか、それ。一度落ちた人間は生きる資格がない、とでも言いた気ですね」
「……義務でなく、権利です。最後に決めるのは、飽くまで自分自身。そもそも、この『FAD』自体が極秘のプログラム。政府の表向きの言い分としては、『人生においての新しい選択肢を、国民一人ひとりに提示すること』なんですから」
「白々しいことを……。んなこと言って、どうせ追い込むつもりなんでしょうが。『理想を構築する』だとか大層なこと抜かしておいて、おかしなシステムを導入しようとしている連中だ。その種の世論工作なんて、お手のモンだろうが……」
吐き捨てるように俺が言うと、宇沢さんの表情は一層険しくなる。
「……否定はしません。官僚機構の入れ替わりがない我が国では、政権交代などあってないようなもの。人員の刷新がない組織は徐々に腐敗し、正論が通りにくくなる。やがて、一部の層にとって都合の良い歪曲された事実だけが浸透し、それが物事を判断する上での羅針盤となっていく……。そうして、この国は長期に渡って衰退してきました。貧困問題、少子高齢化、地域・教育格差……。彼らは、己が数十年の失政を国民に転嫁し、そのツケを払わせようとしているのです」
『ツケを払う』などと、彼は偉く簡単に言ってくれるが、こんなものはタダの棄民だ。
問題そのものに蓋をし、議論を封殺しようとしているだけに過ぎない。
彼の言う、『腐敗した組織』の最たる被害者である俺や新井が、この悍しく欺瞞に満ちた計画にある種加担していたなど、皮肉もいいところだ。
「……まぁ要するに、『貧困層を撲滅すれば、貧困も撲滅できる』みたいな話ですか? アホらしい……。選民思想丸出しじゃねぇか」
俺が言うと、宇沢さんは苦渋の表情で首を縦に振る。
「そうですね……。身も蓋もないですが、これは政府による人口削減計画と言っていいでしょう。『不幸』などと安直な言葉でパッケージングしておいて、その実彼らは区分けしていただけに過ぎません。そういった、いわゆる『持たざる者』は、社会の歪みに気付いてしまう恐れがあります。だからこそ、目くらましが必要になる……」
「……それで『不幸の再分配』、ですか? まぁ確かに……、対立構図の中でいがみ合っている内は、問題の本質になんて気付きませんからね」
俺が皮肉を込めて言うと、宇沢さんはコクリと頷いた。
「おっしゃる通り。『鑑定』も『提供』も、言わば推定潜在境遇ポイントではカバーし切れない不幸を洗い出し、次の不幸に繋げていく作業。そうして不幸が伝播していけば、そのスパイラルは時を追うごとに肥大化し、社会全体の空気も殺伐としたものになっていく……。そんなある種のディストピアこそ、彼らにとっての盤石な体制と言えるのかもしれません」
「……まぁロジックとしては分かりますけど。ただ……、それにしても少し稚拙過ぎませんかね? 第一、国連憲章にも反しているはずだ。素朴な疑問なんですが、政府や官僚の中に反対する人はいなかったんですか?」
俺がそう聞くと、宇沢さんは何故か深く息を吐いた。
そして少しの沈黙を経て、ゆっくりと口を開く。
「……もちろん。官僚機構とて一枚岩ではありませんからね。厚労省内部には、身体を張って反発する人間もいました。その、代表格こそが……、荻原 汰維志、当時の社会・援護局、総務課長……、そう。あなたのお父様です」
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