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過去

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「は? え? 逮捕って……、どういうこと?」

 新井はそう言って、キョロキョロと田沼さんと刑事たちを見渡す。
 しかし田沼さんは、予定外の客人に為すがままの俺や新井を気に留める素振りすら見せずに、どこか達観したような笑みを浮かべていた。
 
「……少々、横暴が過ぎるのではないですか。ねぇ、!!」

 突如、彼女は声を張り上げて呼びかける。
 すると、エントランスの陰から宇沢さんがひっそりと顔を出す。

「……横暴を働いたから、こうしてわざわざ出向いてるんですがね」

 宇沢さんは、つかつかと彼女の前まで近付き、そう溢す。
 スクエア型の眼鏡の奥底から覗かせる高圧的な瞳は、真っ直ぐに彼女を見据えているが、その表情はどこか末期の病人に向けるような悲痛さを滲ませていた。

「荻原さん。先程の質問に答えておきます。新井さんの依頼はのための時間稼ぎとアリバイ作りであるか、でしたよね?」

 彼女はそう言って、俺と新井に向き直る。

「答えは、NOです。無論、結果的にそういった側面もあったことは事実かもしれません。ですが、依頼は依頼。一度引き受けた案件は、最後まで遂行するのが我が社の社是。それは、たとえ私が戦線から離脱しようとも、決して揺らぐことのない鉄の掟です」

「またそうやって誤魔化して……」

「そ、そうですよっ! ちゃんと説明してくれないと……」 

「ふふ。荻原さんも新井さんも、戸惑っておられるようですね。無理もありません。かくいう私も……、ここまで宇沢さんが拙速だとは思いませんでした」

 右往左往する俺たちを尻目に、田沼さんは再び宇沢さんに視線を向ける。

「……僕が、忘れたんですか? 石橋 実鷹の一件も含めて、外堀を埋めたつもりになっていたのかもしれませんが、どうやら少し詰めが甘かったようですね」

「ふふ。四六時中、見張っていたとでも? 乙女に対して感心しませんね」

「言いたいことはソレだけですか? 何か言い残すことがあるのなら、今の内ですよ? これから待っているのは、あなたの忌み嫌う、理不尽で不自由な時間なんですからね」

「おー! それは恐ろしい! 黙秘権なんて、あってないようなものかもしれませんね」

 彼女の戯言とも取れる言葉に、宇沢さんは苦々しく歪んだその表情を、より一層曇らせる。
 そんな彼を見て、彼女は不敵に微笑む。

「さて、荻原さん。今、まさに何が起こったか。そして、今後何が起こり得るか。これから宇沢さんを通して、知ることになるかと思います。その上で、今一度ココで宣言させていただきます」

「……何ですか、急に」

「これから荻原さんがどんな選択をしようとも、私はあなたの意志を尊重します。そして、その道で生じた一切の不都合を是正し、荻原さんの人生の帳尻を合わせて差し上げることを誓います。たとえ、この身を粉砕しようとも……」

「本当に、意味が分かりません……。ちゃんと一から説明して下さい」

 俺は催促するが、彼女は何を応えるでもなく、ニコリと微笑むだけだった。
 そして、『んんっ!』とあざとく咳を払う。

「一つ! 最大幸福社会を実現するための第一歩は、それを担う『為政者』が幸福を手にすること!」

 事務所中に響鳴するほどの声で彼女が言い放つと、それに絆されるように制服警官たちは動き出す。
 あっという間に彼女を取り囲むと、ガチャリと鈍い音を立て、両腕に手錠が掛けられる。

「おぉー。警察沙汰になることはありましたが、は初めての体験ですよ! イロイロと感慨深いものがありますね!」

 田沼さんは呑気にも感嘆の声をあげる。
 そんな彼女の身柄を、警官たちは慣れた手つきで迅速に拘束すると、エレベーターの方へ向かっていった。
 それを見届けた刑事は、俺たちに向かって控えめに敬礼し、彼らの後を追う。
 
「……荻原さんに新井さん。少し、お時間いただけますか」

 残った宇沢さんは、静かに俺たちに向き直り、神妙な顔つきで聞いてくる。
 
「……はい」
「わ、分かりました!」

 もはや俺たちに選択肢などなく、彼の言葉に頷く他なかった。

「……予め断っておきますが、コレは彼女の身を守るための応急処置です」
「あ、あの! それってどういう意味、ですか?」

 新井は、恐る恐る問いかける。

「端的に言って、彼女は今、に曝されています」
「危険、ですか……」

 俺が復唱すると、宇沢さんは黙って頷く。
 そして、コホンと小さく咳払いする。

「ですが、ご安心下さい。今回のは言ってしまえば、緊急隔離のようなもの。知り合いの警察官僚に事情を説明した上で、僕の持ち得る限りの情報をリークさせていただきました。逮捕と言うと聞こえは悪いですが、身の安全は保障されますからね」

「……要するに、田沼さんを保護するために、令状を出すに足りる情報を警察組織に横流しして、彼女の身を拘束した、と」

「おっしゃる通り。表向きとは言え、あちらも三権分立の名のもと、行政の一端を担っているわけです。裁判所が発布した令状に対して、おいそれと妨害行為を働くわけにはいきませんから」

「じ、じゃあ、チサさんは一応は安全なんですよね?」

「はい。喫緊の危機は抜け出してはいるかと。とは言え飽くまで、ではありますが……」

「……48時間後には送検しなければなりませんからね」

 俺が小さくそう溢すと、彼は決まりが悪そうに頷く。

「お察しの通り。検察は年始に行われた検事総長人事によって、完全に骨抜きにされてしまいました。捜査や起訴は、もはや時の政権の匙加減といったところでしょう。ですから恐らく……、そちらも動き出しているはずです」

 やはり検察は抱き込まれていた、か……。
 となると、石橋の父親の口は塞がれたも同然だ。
 今後、そちらに何かを期待するのは止めた方がいいだろう。

「なるほど。それで……、その危険というのは具体的に何なんすかね?」

 俺がそう言うと、宇沢さんは目線を逸らす。

「率直に言います。政府は、彼女の存在を抹消しようと画策しています」

「……一応聞いておきますが、抹消とは?」

「言葉通りの意味、です。

 不意にそう言われた時、俺の心拍は露骨に早まった。
 同時に、彼が極自然にお袋を引き合いに出したことに対して、腹の底で燻っていた感情が、静かに蠢くような感覚に襲われる。
 やはり、彼は知っている。
 気付けば、俺は彼の顔を睨みつけていた。

「あなたが、そんな顔をされるのも当然でしょう。まずはそこから話す必要がありそうですね……」

「……申し訳ありませんね。何分、『逮捕』だとか『検察』だとか言ったワードには敏感になってしまいましてね。まぁ、あなたがあの一件と関わりがあったというのは、何となく予想はしてましたけど」

「……心苦しい限りです。先日は無礼な対応をしてしまい、申し訳ありませんでした。よもや、荻原さんの息子さんだとは思いませんでしたので……。恐らく、彼女は僕に伝えなかったのでしょう」

 宇沢さんはそう言って、小さく息を吐く。
 彼のその様子を見て、俺は本能的に予感してしまう。
 いよいよ、か。
 彼女の真の目的、ひいては田沼 茅冴の正体について、俺たちは知ることになるのだろう。
 俺は息を呑み、彼の続きの言葉を待った。

「彼女は……、田沼 茅冴は、元・厚生労働省のキャリア官僚で、僕の元上司に当たります。そして……、あなたのお母様が巻き込まれた事件のとなった一人です」
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