田沼 茅冴(たぬま ちさ)が描く実質的最大幸福社会

AT限定

文字の大きさ
上 下
51 / 72

怠慢⑭

しおりを挟む
 まず大前提として、提供先を意図的に絞り込むとは言え、全くのデタラメの数値を出すわけにはいかない。
 それでは田沼さんの目論見と変わらないし、そもそも俺がすべきなのは解決というよりも、だ。
 この依頼を通して、構造そのものを壊さずとも、解決の糸口が掴めるということを彼女に見せつけなければならない。
 俺はもう、誰かが貶められる姿を見たくない。
 真っ向から規範と対立し、吊し上げられた先にあるもの。
 それは、これ幸いとばかりにスケープゴートとして使い倒される道だ。
 だから俺は、正攻法にこだわるのだ。
 
 兎にも角にも、まずは新井にとっての『不幸』。
 そこを明確にするべきだろう。
 仕事人間だった、実の父親から受けた仕打ちか?
 確かに、彼女の人生が狂い出すきっかけであることに間違いはない。
 しかし、どうだろう。
 新井の母親は、彼女が物心つく前に離婚していた。
 実際に新井自身、顔も覚えていないと言っていたわけだ。
 当人が認識していないものを『不幸の正体』とまで呼ぶのは、少し躊躇われる。

 では、二人目の父親はどうか。
 母親の話では、再婚後に暴力を振るうようになったとのことだが、実際それは新井自身も目の当たりにしていた。
 それが彼女の男への警戒心を象ったと考えると、合点も行く。
 ただ……、彼女のコンプレックスの全体像を俯瞰した時、その比重が大きいかと言えば、必ずしもそうとは言えない気もする。
 鑑定値にはある程度反映する余地はあるが、中心に据えるべき要因ではない。

 となると、次に挙がるのはやはり母親か。
 実際、彼女の身で起こる不都合のほぼ全てが、母親発端と言っていい。
 とは言え、母親の存在そのものを『不幸』として扱うのは、少し違う。
 母親がどう思っているかはさておき、肝心の新井自身はそう思っていない。

 そもそもの話だ。
 彼女のその生い立ちから、を想像したくもなるが、本質はもっと漠然としたものなのかもしれない。
 今一度、彼女の『幸福』へのスタンスを振り返ってみよう。

 新井は見よう見まねで周囲を模倣し、『幸福』を追求していた。
 その結果、手に入れた。
 普通に働いて稼ぐことの充足感を。
 人並みに着飾り、周囲に溶け込むことの安堵感を。
 どれをとっても、彼女が生まれて初めて感じる新鮮な感覚であり、彼女自身の意志で手に入れたものだ。
 ただそれは、世間一般的で言うところの、いわゆる『幸福』だ。
 新井は、そんなハリボテの『幸福』を疑問に感じていたようだが、当然だろう。
 そもそも、彼女は『幸福』の正体を知らないのだから。

 結局のところ、新井の価値観の根本をつくっているのは、他でもない母親なのだろう。
 それは、良い意味でも悪い意味でも、だ。
 どれだけ新井が否定しようとも、彼女が自身の『幸福』と母親を切り離して考えることが出来ない以上、それは覆らない事実だ。
 そして……。
 新井の母親の娘への想いもまた、偽りではない。
 赤の他人が、どれだけそれを共依存などと論評したところで、彼女たちの中ではとうの昔にになってしまっているのだろう。

 だから新井は、にはなれない。
 なまじ、愛情や温もりの味を知っているからこそ、にも敏感だ。
 一見、彼女の性質と矛盾しているようにも思えるが、俺にはそれが良く理解できる。
 数奇な境遇ゆえに。『持たざる者』ゆえに。
 今、辛うじて手にしているものすら奪われてしまうことに、凄まじい恐怖を感じる。
 現状に不満を抱えながらも、田沼さんの誘いを突っぱねた俺と同じだ。
 手に入れたばそばから、ジリジリと切り崩されていく、焦燥感。
 それこそが、彼女の『不幸』の正体であり、本質だ。
 そしてそれは、今後も彼女の足枷となり得るだろう。
 
 以上のことを踏まえ、新井 奏依を査定していく。 

 第一に、衝撃性。
 当然のことながら、母子家庭や生活保護受給世帯ならではの不都合も、重要な判断材料だ。
 一方で、彼女の『不幸』の本質である、にフォーカスするならば、また別の視点で見る必要もあるだろう。
 具体的には、男性恐怖症だ。 
 新井は、二人目の父親に母親が暴行される姿を見て、奪われることへの脅威を本能的に感じ、それが今の今まで尾を引いているのだろう。
 ただ彼女の場合、不幸中の幸いと言うべきか、日常生活に支障をきたすほどのものではなかった。
 より厳密に言えば、があった。
 俺はもちろん、石橋とのやり取りを見ても、問題ないように思える。
 とは言え、彼女の境遇全体を俯瞰して見れば、高得点であることに疑いはない。
 諸々を考慮に入れ、9点とする。

 次に、長期性。
 新井が翻弄され続けた20年という時間は、誰がどう見ても長い。
 ただそうは言っても、彼女の場合、現時点でことも考慮するべきだ。
 この先、母親が生活保護やホスト依存から抜け出すことができれば、彼女自身も少しずつ好転していく可能性が高い。
 8点程度が妥当か。

 そして、特異性。
 良いか悪いかはさておき、彼女の『不幸』の背景を雑に羅列すると、片親・暴力・借金と、『毒親欲張り三点セット』とも言うべき、典型的な事例だ。
 社会全体を見渡せば、彼女の境遇に共感を示す人間も、それなりに存在するだろう。
 ただ一方で、母親との仲が良好というのが少し複雑なところだ。
 そういった点も踏まえると、ややニュートラルに判断するべきか。
 6点、としておこう。

 次は、波及性。
 これも彼女の鑑定の肝になる。
 の狙いが何であれ、もし嗣武と政府との繋がりがあれば、文字通り社会全体に波及していくことは避けられない。
 自分の預かり知らないところで物事が決まっていくなど、全ての人間にとって『不幸』極まりない話だ。
 そんな仮定も考慮すると、10点で問題ないように思える。

 最後に。
 再起不能性についてだが、新井は既に再起への道筋をつけつつある。
 ただ敢えて言うならば、彼女の性質そのものにも、目を向ける必要があるだろう。
 『自分よりもマシ』などと、思い上がった論評をするつもりはないが、彼女のその負けん気というか真っ直ぐさは、ある意味で彼女を取り巻く環境が育てた、とも言える。
 身も蓋もないことを言ってしまえば、再起の芽があるのだ。
 そんな彼女と、全ての人間を同列に語ってしまうのは、やはりフェアではない。
 その点も配慮して、6点とする。

 まとめると、

 衝撃性 ………… 9点
 長期性 ………… 8点
 特異性 ………… 6点
 波及性 ………… 10点
 再起不能性 ………… 6点

 合計 ………… 39点 
 
 そして。
 今回については、ここからが重要だ。
 田沼さんからもらったデータには、嗣武の対になる境遇エリアは『H+』となっていた。
 そのため、合計値を29点に調整する必要がある。
 よって、彼女の各項目から2点ずつを差し引いた数値を、今回の正式な鑑定値とする。

 衝撃性 ………… 7点
 長期性 ………… 6点
 特異性 ………… 4点
 波及性 ………… 8点
 再起不能性 ………… 4点

 合計 ………… 29点

 これが、俺の出した最終的な結論だ。
  
「そっか。これがなんだね」

 新井は一頻り鑑定結果に目を通すと、意味ありげにそう呟く。

「一応、調整前の数値も併記しておいた。まぁ、この行為に何の意味があるのかは分からんが参考までに、な」

 俺の言葉に、彼女は顔も上げずに『ふーん』と呟き、パラパラとページを捲る。
 その表情は、どこか物言いたげだった。

「……不満か?」

「ううん。全然! ありがと。たださ……。あんまり、お母さんがどうこうって感じじゃなかったからさ。なんか、また気ィ遣わせちゃったのかなって思って」

 気を遣っていない、といえば嘘になる。
 確かに新井の場合、母親に照準を合わせた方が、話の流れとしては自然だ。
 だが……、それでは駄目だ。
 新井の本意ではない。
 『鑑定』だろうが『提供』だろうが、どこまでも未来志向であるべきだ。
 彼女たちが本当の意味で救われ、先に進めるきっかけを作らなければ、そもそも建前としても破綻している。
 新井は、母親とともに生きることを望んだ。
 であれば、母親の存在を『不幸の正体』の一言で片付けるべきではないだろう。

「……何度も言ってんだろ? これは八百長だ。数値さえ辻褄があってりゃ、ぶっちゃけ内訳はどうでもいいんだよ。何なら、端から端まで適当に書いたと言っても過言ではないな」

「ホントに? そんな風には見えないけど。それなら、ここまでご丁寧にやる必要なかったんじゃない? 何コレ? 卒論か何か?」

 新井は誂うように笑いながら、ヒラヒラと鑑定結果を見せつけて言う。
 どうやら彼女には、その場しのぎの戯言など通用しないようだ。
 確かに新井の言う通り、何を『不幸』としたところで、詭弁次第でどうとでも埋め合わせできる。
 が、そうはしたくなかった。
 俺にはそれが、彼女の選択そのものを否定するような気がしてならなかった。
 というより、俺は彼女に証明して欲しいのだろう。
 生まれながらに課せられた足枷。
 意図的に押し付けられた『敗北』。
 それらをまとめて抱え込み、往生際悪く足掻き続けた先にも、彼女たちにとっての『勝利』があることを。
 
 当然ながら、そんな気色の悪いことは言えるはずがない。
 だが、新井のことだ
 こうは言いつつも俺の意図など、とうの昔に気付いているのだろう。
 それを承知でわざわざ聞いてくるとは、本当に底意地の悪い女だ。

「……あぁそうだな。少なくともスペイン語の課題くらいの熱量ではやったつもりだよ」
「ちょっと!? なんかそう聞くと、めっちゃ手ェ抜かれた気がすんだけど!?」

 新井はすぐに手のひらを返し、頬を膨らませる。
 本当に忙しい奴だ。

「もうそれはいいだろ! じゃあ、これで『提供』するけど、いいな?」

「へいへい! 分かりましたよ!」

 俺はのそのそと手持ちの鞄からノートPCを取り出す。
 表計算ソフトを立ち上げ、USBを読み込むと、そう何度も見たいとは思えない、膨大なデータの海が眼前に広がる。

「うげぇ! この数字の山、いつ見てもウンザリするね!」

 新井は、向かいの席から身を乗り出してPCを覗き込むと、すぐにそのに辟易し、目を背ける。
 俺はそんな彼女に構うことなく、嗣武のデータの備考欄に、粛々と提供する『不幸』を入力した。

「これであちらがどう動くか、だな」

「だね……。てか、シンには何を『提供』したの?」

「あぁ。それはだな」

 新井の質問に応えようとした、その時だった。
 テーブルの隅に雑に置かれた俺のスマホが、鈍い音を立てて震え出す。

「あれ? オギワラ、だよね?」

「……あぁ」

「ね、ねぇ。その番号ってさ……」

 画面に表示された宛先を見て、新井は顔を青白くさせる。
 新井がこうなるのも無理もない。
 かくいう俺の顔面も、彼女以上に血の気が引いていることだろう。
 俺は逸る気持ちを抑えながら、ゆっくりと『応答』をタッチする。

「はい、荻原です……」

 電話の主の話は、右から左へ素通りしていくような感覚で、ロクに頭に入って来ない。
 ただ一つ確かなのは、宛先を見た瞬間に過ったが、カタチとなって現れてしまった、ということだけだ。

「……オ、オギワラ?」

「お袋が……、倒れたらしい」 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

今日はパンティー日和♡

ピュア
ライト文芸
いろんなシュチュエーションのパンチラやパンモロが楽しめる短編集✨ おまけではパンティー評論家となった世界線の崇道鳴志(*聖女戦士ピュアレディーに登場するキャラ)による、今日のパンティーのコーナーもあるよ💕

男女比の狂った世界で愛を振りまく

キョウキョウ
恋愛
男女比が1:10という、男性の数が少ない世界に転生した主人公の七沢直人(ななさわなおと)。 その世界の男性は無気力な人が多くて、異性その恋愛にも消極的。逆に、女性たちは恋愛に飢え続けていた。どうにかして男性と仲良くなりたい。イチャイチャしたい。 直人は他の男性たちと違って、欲求を強く感じていた。女性とイチャイチャしたいし、楽しく過ごしたい。 生まれた瞬間から愛され続けてきた七沢直人は、その愛を周りの女性に返そうと思った。 デートしたり、手料理を振る舞ったり、一緒に趣味を楽しんだりする。その他にも、色々と。 本作品は、男女比の異なる世界の女性たちと積極的に触れ合っていく様子を描く物語です。 ※カクヨムにも掲載中の作品です。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

暴走族のお姫様、総長のお兄ちゃんに溺愛されてます♡

五菜みやみ
ライト文芸
〈あらすじ〉 ワケあり家族の日常譚……! これは暴走族「天翔」の総長を務める嶺川家の長男(17歳)と 妹の長女(4歳)が、仲間たちと過ごす日常を描いた物語──。 不良少年のお兄ちゃんが、浸すら幼女に振り回されながら、癒やし癒やされ、兄妹愛を育む日常系ストーリー。 ※他サイトでも投稿しています。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...