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劣等⑩

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「出頭って……、どういうこと!? 里津華!! アンタ何したのっ!? 答えなさいっ!!」

 酷く狼狽した様子で、彼女の母親は頭ごなしに問い詰める。

「……うるさいんで、少し黙っててもらっていいですかね?」

 俺が睨むと、彼女は一瞬ギョッとした顔をする。
 その後、歯をきしらせつつも、黙り込む。

「なぁ、里津華。お前、最近SNS経由でに応募しなかったか?」

 俺が問いかけると、里津華はその目を腫らして、静かに頷いた。

 田沼さんの部屋で、里津華のデータを見た時、おかしいとは感じていた。
 『年収』に記載されていたのは、一般的な大学生がバイトで稼ぐ金額からはかけ離れていた。
 特に里津華の場合、母親の拘束もあって、バイトなど出来る状況ではないだろう。

 恐らく、だ。
 一時期、SNSを中心に呼びかけられていた、公金詐取の類だろう。
 コンサルなどと称して、情弱な学生や主婦に近付き、手数料名目で得た金の何割かを掠めとる詐欺グループによるものだ。

「友達に誘われて断り切れなくて……。皆、やってるからって言われたんだけど、実際に口座にお金が振り込まれたら、怖くなっちゃって……。自首しようかなって考えてるうちに、時間経っちゃって……」

「まぁ……、ありがちなパターンだな」

 友達の誰か自首したことで、共謀者の一人として彼女の名前があがり、明るみになった、といった流れか。
 なるほど。
 原理どうこうは置いておいて、確かに彼女に『不幸』は訪れた。
 しかし申告されていない収入すら把握されていると考えると、改めて恐ろしいシステムだ。

「サトル! どうしよう……。リッカ、取り返しつかないことしちゃった……」

 泣きじゃくりながら話す彼女を見て、確信した。
 『推定潜在境遇ポイント』など、やはり表層的なものに過ぎない。
 母親からの重圧、姉に対してのある種の僻み。
 彼女もまた、フリ姉とはまた別のベクトルで苦悩を抱えていたのだ。
 田沼さんが、鑑定士の介入が絶対不可欠だと言った意味が、やっと分かった。

「里津華。一つ、確認したいことがある。その調子だと、振り込まれた金には手を付けていない感じか?」

「う、うん」

「それなら話は早い。弁済の目処がついてるなら、今後の法的手続きも有利に進められるはずだ。念の為、出頭には私選弁護士にも同行してもらった方がいいな」

「え……、でも弁護士なんてリッカには……」

 彼女の言葉に、俺は自然とため息が溢れ出てしまう。

「あのなー。俺だってそれなりにを経験してんだよ。伝手くらいあるから、そのくらい紹介してやる」

 俺がそう言うと、里津華は『あ……』と小さく声を上げた。
 何とか察してくれたようだ。

「……詳しいことはまたの機会に話す。つーより、そのぐちゃぐちゃになった頭で理解しろって方が酷だ。けどな。どんなカタチであれ、お前のことをしてやろうと決めたのは、フリ姉だ」

「……お姉、ちゃんが?」

 そう言って、里津華はフリ姉の方にゆっくりと視線を向ける。

「あのさ……。私、里津華のこと恨んでた」

 静かに、滔々と。
 それでいて力強く、フリ姉は言った。
 彼女の気迫に、里津華は一瞬顔を強張らせる。

「……だってそうでしょ? 私が背負うはずだったもの、全部里津華が代わりに背負っちゃうんだから」

「う、うん……」

「単純に悔しかったし、情けなかった。何にも出来ない自分に苛ついたりもした。だから、つい思っちゃたんだよね……。『里津華さえいなきゃ、こんな想いしなくても良かったのに』って」

「ごめん……。リッカ、お姉ちゃんの気持ちなんて考える余裕なくて……」

「ふふ。ごめんごめん。里津華が謝ることじゃないんだよ。でも、里津華は私と違って、お母さんの期待に何でも応えちゃうからさ。だから余計に辛かったんだ。だって、里津華。いつも苦しそうな顔してたから……」

 フリ姉の言葉に、里津華は押し黙った。

「私がこんなんだったから、言えなかったんだよね? 辛くても、根を上げられなかったんだよね? だから本当に謝らなきゃいけないのは私……。里津華。今までホントにごめん。でもさ。これだけは分かって。それでも、私と里津華は姉妹なんだよ」

 フリ姉は涙を滲ませながら、静かにそう溢す。

「私さ。今までダメなお姉ちゃんだったかもしれない。でも、もう里津華が苦しむ必要はないんだよ。今まで色々我慢してたんだよね? 留学だってホントは行きたくなかったんでしょ?」

「それは……」

 里津華は、おずおずと母親を見た。
 だが、母親は意に介さないとでも言うかのように、鋭い視線を彼女に向けたままだった。

「里津華を追い詰めたの私が言う資格がないことは分かってる……。でもさ。妹が、家族が困ってたら助けたいって思うのって、そんなにおかしいことかな?」

「お姉ちゃん……」

「結果的に、強引なやり方になっちゃったことは謝るよ……。ごめんね。一生恨まれても仕方ないと思ってるし、許して欲しいとも思わない。でもさ。このままだったら里津華。ずっと囚われたままだよ? だから、これは何も出来ない私が里津華に唯一してあげられること、かな? うん! 里津華、ちょっと休みなさい! これはお姉ちゃんの命令です、みたいな?」

 フリ姉は冗談めいた雰囲気で笑いながら、そう言った。

「……何それ。強引過ぎるでしょ。もっとマシなやり方なかったの? 何かそういうとこ、ホントお姉ちゃんだね」

 里津華はそう言いながらも、はにかんだ笑みを浮かべる。
 そんな彼女につられるように、フリ姉も笑った。

「……まぁざっとこんな感じだ。それでいいか? 里津華」

「うん……」

 俺の問いかけに、彼女は静かに頷く。

「……まぁそんな心配すんなって。、それなりに腕の立つ弁護士だ。別にお前が中心になってやったわけじゃねぇし、何ならお前も被害者だ。少なくとも、執行猶予までは持っていけるだろ。まぁ大学やら、留学やらは、かもしれないけどな」

「それは……、いいよ。ありがとね。二人とも」

「……礼を言うのはおかしいだろ」

「ううん。それは違うよ。二人がどう関わってるのかは知らないけどさ……。さっき言ってたじゃん。どんなカタチであれ、リッカのこと解放するって。それに……、お姉ちゃんに何かしたの、サトルでしょ? それくらい分かってるよ」

「人聞き悪いこと言うな……」

 俺がそう応えると、里津華は困ったように笑った。

 少なくとも、ここまでは順調だ。
 というより、この辺りが俺たちの限界だ。
 ココから先は、彼女たちの意志で真っ向からする必要がある。
 現状を。不本意にも被ってしまった不幸を。
 自分たちを追い詰めてきたを。

「ちょっと! 勝手に話進めるんじゃないわよ!」

 痺れを切らし、彼女たちの母親は激昂する。
 眉間に皺を寄せ、体の芯から溢れ出る苛立ちが、呆れるほどに伝わってくる。
 
「こんな大事な時期に警察沙汰とか、アンタ何考えてんのっ!? どれだけの人に迷惑が掛かるか分かってる!? これはねぇ、アンタだけの問題じゃないのよっ!」

 母親の口から、堰を切ったように言葉が溢れ出す。
 本当に……。吐き気がするほどの規定路線だ。
 だが、当然と言えば当然の反応なのかもしれない。
 手塩にかけて育てた娘が犯罪に関わり、今こうしてが終わろうとしているのだから。

「いい!? 里津華! 人生やり直しが利くなんて大間違いなの! 一回でも道を踏み外したらそれまでなの! 分かる!?」

 確かに、母親の言うことに間違いはない。 
 この国は、一度でもを外れた人間に対して非情だ。
 たとえ、それが偶然生じた『不幸』による顛末だったとしても、だ。
 一度ついてしまったレッテルは事ある毎に浮かび上がり、更生を阻害する。
 『何度でも挑戦出来る社会』など、空虚な絵空事でしかない。

 とは言え、だ。
 それは飽くまで、彼女の基準で決められた王道だ。
 彼女はきっと、理解していない。
 理解していないからこそ、フリ姉の前で平然とそういった話が出来るのだろう。

「大体、アンタは危機感ってもんが足りないのよ! 受験の時だって」

「う、うるさいっ!!!」

 母親の言葉を遮り、里津華は叫ぶ。
 その瞬間、母親はたじろぐ。
 
「いっつもそうじゃん! 頭ごなしにさ! 全部、お母さんの都合でしょ!」

「……アンタね。自分がやったこと、分かってるの!? これは立派な犯罪なの! それが分かってれば、そんな口答えなんて出来ないはずよっ!」

「……分かってるよ。本当にごめんなさい。考えが甘かったし、どんな罰だって受ける。二度とこんなことはしない。でもさ」

 里津華はそう呟き、母親に強い視線を送る。

「お母さん。リッカが悪いことしてるって、どうして気付かなかったの?」

「はぁ? 何が言いたいワケ!?」

「いいから答えてよ」

 里津華は一切怯むことなく、食い気味に問いかける。
 彼女の質問に思うところがあるのか、母親はあからさまに動揺してみせる。

「……気付こうと思えば、気付けたよね? 書類だって届いてたし。それとも気付いてたけど、気付かない振りしてただけかな?」

「そ、それは……」

「お母さんさ。やっぱり、リッカのことなんて興味ないでしょ? リッカが出す興味があるだけで」

 決定的だった。
 その言葉を突きつけられた母親は、一切の返答の術を失った。

「リッカさ……。ずっと頑張ってきたんだよ? お母さんの期待に応えようと思って。お姉ちゃんが出来なかったこと、代わりに叶えようって。でもお母さん。一回も認めてくれなかったよね?」

「っ!? ……じ、自分のために努力するなんて当たり前でしょ!? 周りの子だって、皆そうして来てるの! 分かるでしょ!」

「お母さんは、ずっとそう言ってきたよね。でもさ……。やっぱり限界はあるんだよ。分かるよ。だって自分のことだもん。大学入ってから、特にそう感じてきた……」

「り、里津華……」

「中学受験が終わったら、すぐに実力テスト。それが終わったら、定期試験にクラス分けテスト。高校生になったと思ったら、すぐに予備校に入れられてさ……。課外活動も何かやった方がいいって言って、生徒会にも立候補させたよね? 大学に入ったら入ったで、ボランティアに留学に……。ねぇお母さん。聞いてもいいかな? 、いつ終わるの? いつになったら、背伸びしなくても良くなるの?」

 彼女の問いかけに、母親は目を丸くさせ、言葉を詰まらせる。

「分かってるよ……。背伸びを止めたところで、になれるかなんて分からない。でもさ。もうリッカ、苦しいんだ。お姉ちゃんもそうだったんだよね?」

 里津華はそう言って、フリ姉の方を見る。
 その瞬間、母親の顔は何かに勘付いたようにハッとした顔を見せた。
 そして、母親はゆっくりと恐る恐るといった様子で、フリ姉を覗き込む。

 いよいよだ。
 次は、フリ姉がを告げる番だ。
 
「……おばさん。気付きました? フリ姉、これまでおばさんのこと一言も悪く言ってませんよ」

 フリ姉のことだ。
 仮りにも実の母親に対して、あからさまな拒絶を突きつけるのは抵抗があるように思える。
 だから、ココは少しばかりのが必要だろう。

「な、何を言って……」

 母親は、俺から逃れるように目を泳がせる。

「そういうところ、変わらないって言うか……。何もかもアンタのせいにして、押し付けちまえば楽なのにそれをしない。何でか、分かります?」

 母親は目を見開き、絶句する。
 
「『アンタのせい』だとは思ってないからですよ。しばらく見ない内に随分変わったと思ったら、全然そんなことはなかった。フリ姉は、優しいフリ姉のままだった。いや……、それは少し違うな。フリ姉はまだアンタに囚われてんだよ。そりゃそうだよな。物心ついた頃から、アンタのでしかないんだからな。フリ姉はまだ、アンタが押し付けてきた価値観の中で生きてんだよ」

 言っていて、自覚する。
 仕事としての領分は、明らかに超えている。
 これ以上の干渉は無用だ。
 だが……、それでも何故か俺の口は止まってくれない。

「……アンタ、ホントは気付いてたんじゃねぇのかよ? フリ姉が境界知能かもしれないこと」

 俺の問いかけに、彼女の目の焦点は一層不安定になる。
 
「……なぁ、知ってたんだろ? それもかなり早い段階で。それでもしばらくは様子を見た。『まさかウチの子に限って』とでも思ったのか? 何のプライドだか知らんが。そんでもって、いよいよ引っ込みがつかなくなると、シレっと妹の里津華に乗り換えた。受験に失敗して、傷付いていたフリ姉のアフターフォローもロクにせずに……。違うか?」

「別に……、そういうワケじゃ……」

「じゃあ何なんだよ? フリ姉、久々に会ったと思ったら、俺になんて言ったと思います? 『私って別にいなくても良かったのかな』ですよ? アンタも人の親だったらな……、実の娘にそんなこと言わせてんじゃねぇよっ!!」


「サトルくんっ! もういいよっ!」


 俺を遮るようにフリ姉は叫んだ。

「サトルくん。ちょっと感情的になり過ぎだよ。でも……、ありがとね。あとは自分で何とかするよ」

 フリ姉はぎこちなく笑いながら、そう言う。
 すると、フゥと深く息を吐いた後、静かに母親に向き合った。

「お母さん」

「……な、なに」

「出来の悪い娘でごめんなさい」

「そんなこと……」

「私さ。色々考えたんだよね。自分に何が足りてなかったのか、とか……。まぁ何が足りてないのかって、そりゃ全部なんだけどさ!」

「芙莉華……」

「お母さん、さっき里津華に言ってたよね? 『自分のために努力するなんて当たり前だ』って。私もそう思う。でもさ……。それ以前に、そもそも私には『自分のため』って何なのか分からないんだ。だから、具体的に何をしたらいいのかも分からない。何となくお母さんの言う通りに生きて、それで何となく自分に自信を失っていって……。それが今」

 正面から、堂々と。
 誤魔化しでも、投げやりでもなく。
 フリ姉はどこか吹っ切れたように、思いの丈を吐露する。
 そんな彼女の話に、母親はただただ静かに頷き、聞き入っていた。

「だからさ。たぶんだけど、能力とかが問題じゃないんだよ。生き方っていうかさ……。そういうのがちゃんと決まってないと、いつか壁にぶち当たると思うんだ。実際、里津華も凄く悩んでたんだしね。だから多分……、私がお母さんの期待に応えることが出来てたとしても、きっといつかと思う。今でもお母さんに認められたいって思っちゃうのが、その証拠かな。悔しいけど、サトルくんの言う通り」

「ふ、芙莉華……。ごめ、わ、私」

「だからさ、お母さん。私、今からでもちゃんとしたいんだ。自分の足で歩いていきたい。今日はそのスタートの日だと思ってる。だから自分の意志で、里津華のことをと思ったんだ」

 ようやく何かを悟りかけた母親を遮り、フリ姉は曇りのない笑顔でそう言った。
 きっと、これがフリ姉なりの決別なのだろう。

 結局のところ、これがフリ姉の本質なのだ。
 劣等感に苛まれながらも、幸福を諦め切れずにいた。
 それを、ある種の依存と捉えるべきなのかは分からない。
 だが、他の誰のせいにするでもなく、虎視眈々とその機会を待っていたのだとすれば、それは彼女自身の強さに他ならない。

 フリ姉は、それからも赤裸々に積年の思いをぶつけていたが、ココ何日かの疲れもあってか、あまり頭に入って来なかった。
 ただ、そんな覚束ない頭でも、次第に母親の表情が憑き物が取れていくように、穏やかになっていったことくらいは理解出来た。

 たとえ、里津華自身の身から出た錆であったとしても、事実上引導を渡したことに変わりはない。
 ……とは言え、だ。
 今まさに、次へ踏み出す覚悟を決めた二人にとって、それはどれだけの意味があるのだろうか。
 『何かが壊れたと同時に、何かが生まれた』などと言うと、この仕事を正当化するようで癪ではあるが、今この瞬間ばかりは何処ぞの社長お得意の、欠陥だらけの建前に縋るとしよう。

 俺たちはバランスを取っただけ、だ。
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