彼と彼女の365日

如月ゆう

文字の大きさ
上 下
78 / 284
June

6月13日( ) 彼女の恩師

しおりを挟む
 ――平成二十九年、六月十三日、火曜日。
 昨日の出来事から一晩経ち、私は言われた通りの時間に学校の保健室へと訪れていた。

 三回、手の甲で扉を叩けば、中からは「はい」と淡白な返事がなされる。

「……失礼します」

 ゆっくりとスライド式のドアを開き、見渡した。
 壁には歯磨きについて書かれた豆知識的なポスターや視力検査に使われる黒い輪の張り紙、その脇には体重計や身長計などの用具が寄せられている。

 奥には昨日と同様の姿で先生が待機しているけれど、他には誰もおらず、強いて言えばベットルームの一つがカーテンで仕切られているだけ。
 具合の悪い人でもいるのか、はたまたサボりか……。

「やぁ、こんにちは。……というよりも、初めましてという方が正しいかな? 一応、昨日に会ってはいるけど」

 そのまま進んで歩いていくと、そんな風に声が掛けられる。

「…………どうも……初めまして」

 軽い会釈をすれば、微笑まれた。
 ……何か、やりづらい。

「うん、初めまして。僕の名前は二葉ふたばすぐる。『二つの葉は優れている』と書いて二葉優だ」

「私は……倉敷くらしきかなた……です」

「くらしき……同じ苗字なんだね、君と彼は」

「……漢字は違いますけどね」

 そのような会話をしていて気付く。
 私はこんな話をしに来たのではない、ということを。

「あの……それよりも、そらは?」

 単刀直入に、本来の目的とも言うべき人物の居場所を訪ねてみれば、あっけらかんと肩を竦めて先生は口を開いた。

「まだ来てないね。まぁ、待ってれば来ると思うよ」

 そんな、適当な…………。

 そう思うけれど、口には出さない。
 言っても仕方のないような気がする。

「だからさ、その間に君の――君たちの話を聞かせてくれない? 彼からは彼の視点での話を聞いたから、今度は君の視点で」

 ならば、待つまでどうするか。このまま二人で対峙しているのか。
 そんな所にまで私の思考が拡張していると、ふと先生は提案をしてくる。要求してくる。

「…………………………………………」

 しかし、それはプライバシーに関わることで。おいそれと話すことのできる内容でもなくて。
 そして何より、この人に話しても大丈夫なのだろうか?

「…………まぁ、無理にとは言わないけどね。ただ、彼の話を聞いて、彼の蟠りを僕は知っているわけだから、話してくれると君たちの助けになるかもしれないよ?」

 その言い方に、ピクリと私の体が反応した。
 それがバレたか、下に向けていた視線を僅かに持ち上げて盗み見るように先生の方を向けば、パッチリと目と目が合う。同時に、また微笑まれた。

 …………やっぱり、理由は自分でも分からないけれど何となく好きになれないな……この人のこと。

「…………分かりました。そらが来るまででいいのなら、話します」

 それでも、話す以外に私の選択肢はない。
 だって、私たちの――そらの助けになるかもしれないと、そう言われたのだから。

「とは言っても、一度そらから話を聞いたのなら事情は知ってると思います。ですから、話というよりは……これは私の懺悔です」

 薄く息を吐いて、私は言葉を紡いだ。

「そもそもの発端が私への虐め……という話ですが、本当はそこから違う。泣いたのは確かですけど、それはただそらから向けられるとは思っていなかった言葉に驚いたからで、他に何かされたわけでもありません。
 でも、私はその事を皆に言わなかった。言えなかった。言う勇気がなくて、そのせいでそらが傷つき始めて、それが怖くて……。ただの言い訳になるけど、その真実を告げて、でもそれを皆が信じてくれなくて更にそらが傷つくのが嫌だった。耐え切れなかった」

 そこで一度、私は言葉を切る。
 久々に長く話したせいか口の中はカラカラだった。

 その時、察したように先生はお茶を提供してくれる。
 いつの間にかギュッと強く握りしめられていた自分の拳を解き、コップを持てば、満たされた冷たい液体を喉にそっと流し込んだ。

「…………それに、私は皆のことも怖い。私のことをダシにして、頼んでもいないのにそらを傷つけて、正義感ぶって……まるでヒーローにでもなったように平気で人を傷つけてる。
 でも、それもこれも全部私が弱いから。最初に泣いてしまったことも、真実を打ち明けられなかったことも、皆に恐怖するのも……私の心の弱さが原因。わたしのせい」

「……………………なるほど」

 話をただ聞いていただけの先生は、それだけ静かに答える。
 お茶の啜る音が、静寂に満ちた部屋の中では一際響いていた。

「だそうですが、君の意見はどうなんですか蔵敷くん?」

 ……………………えっ?

 その時、閉まっていたはずのカーテンがシャーッと音を立てて開かれていく。
 そこに居たのはまさかの人物で、でも私が見間違えるはずもなくて――幼馴染のそらの姿があった。

「…………別に意見なんてないですよ。ただただ、俺が余計な見栄を張ったせいなんだなって、かなたに辛い思いをさせたなって、謝りたい気持ちでいっぱいなだけ――うおっ!」

 久しぶりに見る正面からの顔。
 普段なら誰とも関わろうとせず、いつも独りで過ごしていた彼と対峙できた喜びから、私はその体に抱きついていた。

「――痛ってぇ……! これは抱きつきじゃなくて、体当たりだっつーの…………まぁ、報いだと言われれば幾らでも受けてやれるような楽なものだけど」

 勢い余って、二人してベットに突っ込む。
 そのせいでそらは背中を打ったようだけど、ぼやきながらもしっかりと私を抱えて、背中に手を回してくれる。

「ごめん……ごめんね、そら。私が弱かったから……いっぱいそらを傷つけた……。あの時泣いてごめん。何も言えなくてごめん。一緒に傷ついてあげることができなくて、ごめんね……!」

 その温もりが、髪に触れる手の感触が懐かしく、自然と涙は零れ、溜まっていた謝罪の言葉がとめどなく溢れた。

「…………なんで、被害者のお前が謝るんだよ。それを言うなら、俺こそだ。変なこと気にして、傷つくようなことを言ってすまん。
 もう、そんな些細なことを気にするのは止めにするよ。もっと、本質を見た強い人間に俺はなる。だから、その後に起きたことはもう気にするな。全部、受けるべき俺への罰だから」

「私も……! 私も、強くなる。泣かない、逃げない、恐れずに立ち向かえる心の強さを手に入れる。だから……だから――!」

 その先は言葉にならなかった。
 自分でも、何を言いたかったのかさっぱりだ。勢いだけ。

 それでも思いは確かに届いたようで。

「あぁ、そうだな。そうしよう…………ずっと……」

 撫でてくれたその手と、響いたその声が、しっかりと答えになっていた。

 ――と、その時。

「…………そろそろ、いいかな?」

 間に入る隙を窺っていたのだろう。
 唐突に横から声が掛かる。

「何から言おうか、まずはおめでとう。二人の仲が戻ってくれたようで嬉しいよ。もっとも、君たちの本来の仲を僕は知らないのだけどね」

 音のならない小さな拍手で祝福されれば、今度は困ったような苦笑いを先生は浮かべた。

「で、次だけど……そろそろ、二人とも離れようか。僕はまだ教育実習生で、教師というのも烏滸がましいけれど、そういうスキンシップは少し早いんじゃないかな――と、苦言を呈するよ」

 そう言われ、私たちは今一度自分たちの置かれている状況に目を向ける。
 抱き合った状態で、ベッドに寝転ぶ男女二人…………なるほど、確かに文句を言われてもしょうがなさそう。

 渋々と離れ、乱れた制服を払って元に戻すと、私たちは立ち上がった。

「うん、そして最後。見る限り、君たちの抱えている問題はもう済んだようだし、教室に戻るといい」

「…………は?」
「…………え?」

 あまりにも急な展開に、目を丸くする。
 意味が分からないのだけど、この人の中で何が噛み合って私たちは出ていく流れになったのだろう。

 確かにずっとここに居座るわけにいかないのは分かるけど、だからって今すぐ……?

「保健室はね、患った生徒の行く着く場所だ。逆に言えば、何もないのに来る場所じゃない。そんな子の相手をしている暇も僕にはない。だから、もう君たちの居られる場所じゃないんだよ」

 その答えを先生は教えてくれる。
 私たちの背中をグイグイと押し、廊下へと追いやろうとしながら。

「いや、あの……先生。俺、まだ治療が済んでないんですけど。患ったままなんですけど!」

「君に必要なのは私の処置ではなく、湿布そのものでしょう? ひと袋差し上げるので、好きに貼っていなさい」

 まるであらかじめ用意でもしていたかのように、懐から取り出される銀色の包み。
 そのままポイと放り出されれば、無慈悲にもスライドドアは閉じられる。

『…………………………………………』

「…………これからどうする? さすがに、二人一緒に授業に戻るのは不味いよな……」

 誰もいない廊下。
 お昼過ぎの廊下は窓から入る斜陽で明るい。

 遠くでは微かに、体育で使われる笛の音が響き、違う世界にいるようだ。

「取り敢えず、教室に行こうよ。今の時間は体育で皆は外だし、その湿布も貼らなきゃいけないでしょ?」

「……だな。そうするか」

 二人寄り添い、歩く校舎。
 その感覚は懐かしく、それでいて落ち着くもので、束の間の平穏ではあるけれど私たちは無事に取り戻すことができたのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R15】【第二作目連載】最強の妹・樹里の愛が僕に凄すぎる件

木村 サイダー
青春
中学時代のいじめをきっかけに非モテ・ボッチを決め込むようになった高校2年生・御堂雅樹。素人ながら地域や雑誌などを賑わすほどの美しさとスタイルを持ち、成績も優秀で運動神経も発達し、中でもケンカは負け知らずでめっぽう強く学内で男女問わずのモテモテの高校1年生の妹、御堂樹里。前回田中真理に自ら別れを告げたものの傷心中。そんな中樹里が「旅行に行くからナンパ除けについてきてくれ」と提案。友達のリゾートマンションで条件も良かったので快諾したが、現地で待ち受けていたのはちょっとおバカな?あやかしの存在。雅樹や樹里、結衣の前世から持ち来る縁を知る旅に‥‥‥ ■場所 関西のとある地方都市 ■登場人物 ●御堂雅樹 本作の主人公。身長約百八十センチ近くと高めの細マッチョ。ボサボサ頭の目隠れ男子。趣味は釣りとエロゲー。スポーツは特にしないが妹と筋トレには励んでいる。 ●御堂樹里 本作のヒロイン。身長百七十センチ以上にJカップのバストを持ち、腹筋はエイトパックに分かれる絶世の美少女。芸能界からのスカウト多数。天性の格闘センスと身体能力でケンカ最強。強烈な人間不信&兄妹コンプレックス。一度だけ兄以外の男性に恋をしかけたことがあり、この夏、偶然再会する。 ●堀之内結衣 本作の準ヒロイン。凛とした和装美人タイプだが、情熱的で突っ走る一面を持ち合わせている。父親の浮気現場で自分を浮気相手に揶揄していたことを知り、歪んだ対抗意識を持つようになった。その対抗意識のせいで付き合いだした彼氏に最近一方的に捨てられ、自分を喪失していた時に樹里と電撃的な出会いを果たしてしまった。以後、樹里や雅樹と形を変えながら仲良くするようになる。 ※本作には未成年の飲酒・喫煙のシーンがありますが、架空の世界の中での話であり、現実世界にそれを推奨するようなものではありません。むしろ絶対にダメです。 ※また宗教観や哲学的な部分がありますが、この物語はフィクションであり、登場人物や彼らが思う団体は実架空の存在であり、実在の団体を指すものではありません。

同級生のお兄ちゃん

若草なぎ
青春
クラスメイトの男の子を急にお兄ちゃん呼びし始める『柏木マオ』と お兄ちゃんと呼ばれるようになった『桜井リョウスケ』のお話 ※ちょこちょこ修正していきます ※マオとリョウスケのお話は交互に公開予定です

ネットで出会った最強ゲーマーは人見知りなコミュ障で俺だけに懐いてくる美少女でした

黒足袋
青春
インターネット上で†吸血鬼†を自称する最強ゲーマー・ヴァンピィ。 日向太陽はそんなヴァンピィとネット越しに交流する日々を楽しみながら、いつかリアルで会ってみたいと思っていた。 ある日彼はヴァンピィの正体が引きこもり不登校のクラスメイトの少女・月詠夜宵だと知ることになる。 人気コンシューマーゲームである魔法人形(マドール)の実力者として君臨し、ネットの世界で称賛されていた夜宵だが、リアルでは友達もおらず初対面の相手とまともに喋れない人見知りのコミュ障だった。 そんな夜宵はネット上で仲の良かった太陽にだけは心を開き、外の世界へ一緒に出かけようという彼の誘いを受け、不器用ながら交流を始めていく。 太陽も世間知らずで危なっかしい夜宵を守りながら二人の距離は徐々に近づいていく。 青春インターネットラブコメ! ここに開幕! ※表紙イラストは佐倉ツバメ様(@sakura_tsubame)に描いていただきました。

惑星ラスタージアへ……

荒銀のじこ
青春
発展しすぎた科学技術が猛威を振るった世界規模の大戦によって、惑星アースは衰退の一途を辿り、争いはなくなったものの誰もが未来に希望を持てずにいた。そんな世界で、ユースケは底抜けに明るく、誰よりも能天気だった。 大切な人を失い後悔している人、家庭に縛られどこにも行けない友人、身体が極端に弱い妹、貧しさに苦しみ続けた外国の人、これから先を生きていく自信のない学生たち、そして幼馴染み……。 ユースケの人柄は、そんな不安や苦しみを抱えた人たちの心や人生をそっと明るく照らす。そしてそんな人たちの抱えるものに触れていく中で、そんなもの吹き飛ばしてやろうと、ユースケは移住先として注目される希望の惑星ラスタージアへと手を伸ばしてもがく。 「俺が皆の希望を作ってやる。皆が暗い顔している理由が、夢も希望も見られないからだってんなら、俺が作ってやるよ」 ※この作品は【NOVEL DAYS】というサイトにおいても公開しております。内容に違いはありません。

虎と桜

てくす
青春
街を歩く。そこには、写真映えを気にした店が並んでいる。 そこを『表』だとするなら、私は『裏』行く。 そこにあるのはこだわり。 そして、その場所はゆっくりとした時間が流れているから。 そんな二人の約一年の物語。

僕たち2

知人さん
青春
高校を卒業して数年が経ち、想介が 大学生になった頃の物語。だが、想介は 事故に遭い、人格を失ってしまった。 すると弟たちが目覚めて、力を合わせて 想介の人格を取り戻そうとするが...

青春とかいう夢想について

いもけんぴ星人
青春
都亜留高校漫画研究部、そこに所属する シナリオ担当如月サムと 作画担当のトト山·ブリギッテ·アーデルハイト·ブリリアント通称トト 彼女達が繰り広げる穿った青春論 女子高生特有の身も蓋もない会話 トンデモ発言飛び交う部室内で居心地最悪な後輩達にもお構い無し それでもやっぱりお互いを認め合いながら高め合いながら、身も蓋もない会話を繰り返す そんな彼女達の愉快な日常をただただ羅列しただけの小説です。 よかったら読んでやってください

*いにしえのコトノハ*3 too late to do

N&N
青春
判断は何でも早いに限る

処理中です...