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第11話 鼬

花見と金髪の青年

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暖かい陽射しに照らされて、輝くように咲き誇る満開の桜。

 淡い桜色で彩られたその景色は、どこか幻想的でノスタルジックな雰囲気を感じさせる。

(きれいだな……)

 と、二階堂は素直な感想を抱いた。

 毎年見ているとはいえ、やはりきれいなことには変わりない。

 そう、ここは月城公園。二階堂と蒼矢にとって馴染みの場所である。四月も半ばになり、多数の桜が見頃を迎えていた。

 今年もさくら祭りが開催されており、多くの出店が公園の入り口付近に軒を連ねている。また、家族連れやカップルなど大勢の花見客で賑わっていた。もちろん、ゆったり桜を堪能しようと一人で来ている者も多数いる。

 そんな中、二階堂は蒼矢とともに来ていた。今日は、定休日。なので、二階堂は淡い藤色のロングTシャツに紺色のジーンズ、蒼矢は白と水色のチェック柄シャツに生成り色のチノパンというラフな格好をしている。

 桜を堪能するのはもちろんだが、出店での買い物も忘れない。二階堂が持つビニール袋には、焼きそばや大判焼き、から揚げが入っていた。

「誠一。あれ買おうぜ」

 嬉々として蒼矢が指さした先には、チョコバナナを販売している屋台があった。

 まだ買うのかと少々呆れながらも、二階堂は先に行く蒼矢の後についていく。

「おっちゃん、これ二つね」

 屋台に着くや否や、蒼矢は手前にあるホワイトチョコレートでコーティングされているバナナをさして告げた。

「あいよ」

 恰幅かっぷくのいい店主はだみ声で答えると、チョコバナナを手早く、だが丁寧に包装して差し出した。

 蒼矢がそれを受け取り二階堂が代金を支払うと、二人は公園の奥へと歩いていく。

「珍しいな、蒼矢がホワイトチョコ選ぶなんて」

 歩きながら二階堂が蒼矢に言うと、

「そんな気分だったってだけだよ」

 と、蒼矢は桜を眺めながら答えた。

 二階堂はそうかとだけ告げると、視線を蒼矢から桜に移す。

 視界を埋め尽くす程の淡い桜色。

 公園の奥に進むにつれ、少なくなっていく花見客の数も相まって、この景色を独り占めしているような贅沢な気分になる。

 ふと、気配を感じて周囲を見回せば、数人の妖怪や幽霊が木陰に隠れながらも花見をしているのが見えた。

(皆、桜が好きなんだな……)

 周囲に流れる穏やかな空気を感じて、二階堂は柔らかく微笑んだ。

 視線を前に戻すと、いつの間にか蒼矢が先を歩いていた。

「あ……おい、蒼矢! 先に行くなよ!」

「あ? 誠一、何してんだよ? 早く来いよ」

 蒼矢は、足を止めずにそっけなく告げた。

 小さく舌打ちをすると、二階堂は蒼矢を追いかける。

 まもなく蒼矢に追いついた二階堂は、眼前の光景に息を呑んだ。

 周囲に広がっていたのは、先程までとは比べ物にならないくらいの満開の桜。淡い色合いから濃い色合いまでさまざまで、ところどころグラデーションになっていたりする。

「すごい……」

 二階堂は、素直な感想を口にした。これ程までに見事な桜の森は、今までに一度も見たことがなかったのだ。

「今年は、特にきれいだな」

 周囲を見回しながら、蒼矢も感慨深そうにつぶやく。

 静寂の中、二人は屋台で買ったものの存在も忘れ、しばらく桜に目を奪われていた。

 どのくらい経った頃だろうか、二階堂は正面奥にある一本の桜の木に目がいった。それは、他のどの桜よりも色が濃く鮮やかな紅色にも見える。

(あれは……血染めの桜!)

 意識してから、二階堂は後悔した。

 この桜には、ここで自害した女の幽霊が春の間だけ現れて、若い男をあの世へ連れ去ってしまうといういわくがあるのだ。

 だが、意識を集中させてもそのような気配はない。

(いない……?)

 二階堂は訝しく思ったが、まあいいかと切り替えて桜を楽しむことにした。もちろん、血染めの桜から視線をはずすことも忘れない。

 時折、そよ風がほほをなでていく。桜の淡い香りが、それに乗って鼻孔をくすぐる。不自然なくらいの静けさと穏やかな雰囲気も相まって、二人はとてもリラックスしていた。

 だが、それがいけなかった。

「おい、相互不可侵じゃなかったか?」

 ふいに、あざけるような低い声が聞こえた。

 二人は同時に、勢いよく声が聞こえた方を振り向く。

 そこにあるのは、血染めの桜。その枝の上から、艶やかな金色の髪が特徴的な一人の人物がふわりと降り立った。どうやら、男のようである。

 白いポロシャツとミルクティー色のチノパンに身を包んでいる彼は、両手をポケットに入れたまま二人を尊大な態度で眺めている。

(いつの間に……!?)

 二階堂は驚きを隠せなかった。今の今まで、物音一つせず気配もなかったのだから。

「……おうか」

 蒼矢がつぶやくと、緋桜と呼ばれた男はにやりと口角を上げた。だが、それが純粋な笑顔でないのは明白で。二人を見つめる深紅の瞳には、剣呑な光が宿っていた。

「なあ、蒼矢。忘れてないよな? 互いの縄張りには近づかないってこと」

「ああ、忘れてねえよ。でも、花見ぐらいいいじゃねえか」

 戦う意思はないと、肩をすくめて蒼矢が告げる。

「花見なら、他の場所でいくらでもできるじゃねえか。なあ?」

 下手な言い訳はよせとでも言うように、緋桜は挑発の眼差しを送る。

「ここの桜が一番きれいなんだよ」

 そう言って、蒼矢は緋桜に背を向けた。

「おい、逃げるんじゃねえよ!」

 緋桜はいらだちをあらわにして、瞬時に作り出した数本の刃を蒼矢に投げた。 

 しかし、それは蒼矢に届く前に弾かれた。蒼矢が右手を緋桜に向けて、円形の盾を作り出していたのだ。

「だから、戦う気はねえっての! 行こうぜ、誠一」

 と、蒼矢は二階堂を促して歩き出す。

 戸惑いながらも、二階堂はうなずいて蒼矢の後に続いた。

 しばらく歩くと、祭りの喧騒けんそうがうっすらと聞こえてくる。

「……なあ、蒼矢。さっきの人、知り合いなんだろ? よかったのか?」

 気まずい沈黙に耐えられなくなった二階堂が、おずおずと蒼矢に尋ねた。

「ああ、別にいいよ。あいつも妖怪だけど、単なる腐れ縁だし」

 と、蒼矢は興味がないとばかりに告げた。

「何の妖怪なんだ?」

いたちだよ」

「そっか……」

 そう言うと、二階堂は気になることがあるのか小首をかしげる。

「どうかしたのか?」

 蒼矢が尋ねると、二階堂は大したことではないけれどと前置きしたうえで、

「……あの人、どっかで見たことあるような気がするんだよ」

「まあ、あるだろうさ。お前とも無関係じゃねえしな」

「え? それってどういう……?」

「いや、忘れてるんなら別にいい。それより、せっかく買ったんだし食おうぜ」

 そう言って、蒼矢は二階堂が持っている袋を指さした。

「……ああ。そうだな」

 二階堂は、蒼矢に言われて先程購入した食料の存在を思い出す。

 どこで食べようかと辺りを見回して、左前方に東屋あずまやを見つけた。そこで食事を取ることにした二人は、足早に東屋に向かった。食料を意識したら、急激な空腹を覚えたのである。

 途中、足を止めた二階堂は、

「蒼矢、先に行っててくれ」

 と、蒼矢に荷物を預けて公園入口へと向かった。飲み物を買い忘れていたことに気がついたのである。

 進むにつれ次第に多くなる人波をかきわけて公園入口に到着すると、二階堂は迷うことなくペットボトルの緑茶を二本購入した。そして、人波に揉まれて公園内部へ進んでいく。

 時折聞こえてくる、すれ違う人々の楽しそうな声に微笑ましさを感じた。

 そんな明るい雰囲気の中を歩いていくと、次第に屋台の数は減り客足もまばらになっていく。いるのは、純粋に花見を楽しんでいる人達だけだった。

 それを横目に進んでいくと、先程見つけた東屋が見えてきた。六角形の屋根とそれを支える六本の柱が特徴的なそれはすべて木造で、地味な色合いが古ぼけた印象を与える。二階堂が幼少の時からあるが、建て直したことは一度もない。思った以上に頑丈なのである。

 長方形のテーブルとそれを挟んで設置されている二人がけのベンチがあり、奥のベンチに蒼矢が座っていた。

「お待たせ。先に食べててもよかったのに」

 そう言って、二階堂は緑茶のペットボトルを蒼矢に手渡した。

 受け取った蒼矢は礼を言って、

「そうしてもよかったんだけど、ここからの景色も最高でさ」

 見惚れていたのだと、視線を東屋の外へと向ける。

 二階堂も彼の視線の先を追う。そこには、見事な桜並木が佇んでいた。花の色合いがやや濃いことから八重桜だろうことがうかがえる。

「確かにきれいだな……。さ、食べようか」

 二階堂は蒼矢を促して、テーブルの上に袋の中身を出していく。

 二人分の焼きそばとから揚げ、大判焼きが六個入った箱。それと、二本のチョコバナナ。種類は少ないが、それでも昼食としては十分な量である。

 二人は、いただきますと言ってから箸を伸ばす。

 焼きそばもから揚げも冷めてしまっていたが、味が濃いためそれなりに美味しい。

 大判焼きも冷めていて、家で温め直した方が美味しいかもしれないと二階堂は思った。しかし、不味いわけではないのですぐさま二人の胃の中に収まる。

 チョコバナナは思った通りの甘さで、デザートとしては申し分ないものだった。

 二人がチョコバナナを堪能していると、何やら騒がしい声が聞こえてきた。祭りの喧騒ではないようで。公園の奥の方から徐々に近づいてくる。

「なあ、蒼矢――」

 二階堂が声をかけると、

「ああ」

 と、険しい表情で蒼矢がうなずいた。

 二人は残りのチョコバナナを口に放り込むと、ゴミを手早くまとめて声が聞こえた方へと向かった。
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