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第9話 復讐者

決着

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「おのれ! 人間が……。食料の分際で!」

 震える声で吠えると、あいは無数の雷の矢を二人めがけて放出した。

 二人は、それをなんとか避けながら後退する。

「術を使うことに、腕は関係なかったのか」

 間合いをとった二階堂は、舌打ちしてそうつぶやいた。

 雷の矢が途絶えると、あいは許さないとうわ言のようにくり返す。

「いい感じにご乱心ってか?」

 蒼矢が揶揄すると、

「あれはもう、助からないかもな」

 と、二階堂が追い打ちをかける。

「うるさい、うるさい、うるさい! お前のせいだ、狐! 一ヶ月前にお前に受けた攻撃のせいで、あたしは変化できなくなったんだから!」

 左腕から血を流しながら、あいは蒼矢をにらみつけてのたまった。

 一ヶ月前、甘果かんかじゅで苦しむ蒼矢から受けた反撃。あいの背中を貫く、彼の妖気で作られた刃。その妖気にあてられて、彼女は変化ができなくなったのだ。

「ほう……?」

 と、蒼矢は含み笑いをする。

 昔、他の妖怪の妖気にあてられると、術の行使がうまくできなくなることがあると聞いたことがある。その時は、どういうことなのかわからなかったが、体現者を目の前にしてようやく理解することができた。とは言え、その原理がどういうものかはわからないが。

「だから、お前たちは絶対に殺す!」

 そう叫んで、あいはまた雷の矢を二人に向けて放った。

 二人は、それを切り落としたり器用に避けたりして、彼女との間合いを詰めようとする。しかし、数歩進んだところで彼女の術に阻まれ、後退を余儀なくされる。

 蒼矢は盛大に舌打ちすると、狐火を複数作り出しあいに向けて放つ。だが、彼女に届く前に雷の矢と衝突し消滅する。

 と、すぐ横に気配を感じた。

「――っ!?」

 振り向くと、そこには彼女がいた。鋭い爪が伸びた右手を振りかざしている。

 蒼矢は、とっさに体を捻り両腕を交差させてガードする。が、あいの鋭い爪は、容赦なく蒼矢の腕を切り裂いた。

 痛みに耐えながら反撃しようとするが、すでに彼女の姿は消えていた。

「どこ行った!?」

 周囲を探すと、二階堂の方へと向かうあいの姿を見つけた。

「誠一! 危ねえ!」

 蒼矢が叫ぶ。

 蒼矢の声に反応して振り返ると、そこには鬼のような形相のあいがいた。振りかざす右手の爪には、真新しい血が付着している。

 振り下ろされる凶器とそれを受ける刀。

 間一髪のところだった。だが、危機が去ったわけではない。

 刃が彼女の手に食い込み、血が流れる。それでも、彼女は二階堂を切り裂こうと力を込める。

 力の均衡は徐々に崩れ始め、二階堂が押される形になる。

(くっ……。このままだとまずい……!)

 二階堂は、危険を承知で肘を引いてあいを引きつけ、思い切り彼女の腹部を蹴った。

 その反動だろう、彼女の爪が二階堂のほほをかすめ一筋の血が伝う。

 二階堂はそれに構わず、彼女がひるんだ隙に後退して間合いをとった。

 すると、彼女は咆哮をあげてやみくもに妖気を放出する。それは、雷に姿を変えて彼女から放射状に広がっていく。

 どんなに避けようとしても、すべてを避けきるのは無理な話で。蒼矢が駆けつけた時には、二階堂は傷だらけになっていた。

「誠一、大丈夫か?」

 そう声をかけた蒼矢は、二階堂の前に立ち勿忘草色の盾を展開させる。

「ああ、何とかな。動けない程じゃない。――って、蒼矢もぼろぼろじゃないか!」

 二階堂は、目の前に立つ相棒の姿を見て声をあげた。彼も、自分に負けず劣らず傷だらけだったのである。

「ん? ……ああ、俺は平気だって。それより、あいつを何とかしねえとな」

 と、盾で彼女の攻撃を防ぎながら告げる蒼矢。

「そうだけど、近づけないんじゃどうしようも……」

「それなんだけどさ、ちっとお前に頼みたいことがあるんだ」

「頼みたいこと?」

「ああ。俺があいつの動きを封じるから、その間にあいつを斬ってくれ」

 そう告げる蒼矢の声音は、いつもの軽口とは違う真剣なもので。

 わずかの逡巡、二階堂は覚悟を決めたように了承した。

 ほんの一瞬、あいの攻撃が止んだ。それを蒼矢は見逃さなかった。

 瞬時に盾を消し、拘束用の術を行使する。ドーナツ状の青白い炎が五つ、あいの周囲に出現して彼女の首と両手足にはまった。次の瞬間、それは、彼女をその場に縫い留めるかのように収縮する。

「――っ!?」

 突然のことに、彼女は抵抗もできない。

「誠一!」

 自身を呼ぶ蒼矢の声で、二階堂は刀を構える。もちろん、全霊力を込めてである。

 声に気づいたのか、あいは思い切り殺意のこもった瞳でこちらをにらみつけてきた。

 その視線に射抜かれたのか、二階堂は動くことができない。呼吸は浅くなり、体が小刻みに震えている。

「臆するな!」

 蒼矢が一喝する。

「何のために受け取ったんだよ? それ。強くなるためじゃねえのか!?」

 その言葉に、二階堂はハッとした。

(そうだ! 強くなって蒼矢の隣に立つために……!)

 深呼吸を一つすると、二階堂はあいに向かって駆け出した。

 彼女は、拘束を解こうと身じろぎするが解ける気配はまったくない。それどころか、身をよじるのでさえままならない。

 彼女との間合いを詰めた二階堂は、

「これで終わりだ!」

 と告げて、あいを容赦なく袈裟けさに切る。

 彼女は最後の抵抗さえできずに、断末魔の叫びをあげて霧散消滅した。

 しばらく緊張感が抜けなかった二階堂だが、あいの妖気が消え去ったことを感じ取ると、

「散れ」

 とつぶやいて、ささめ雪をブレスレットに戻す。

 周囲の空気は、いつの間にか穏やかなものに変わっている。

 ふと、視界がゆがんだ。

 とっさに立膝をついて、無様に倒れることは回避する。

「誠一! 大丈夫か?」

 結界を解いた蒼矢が駆け寄る。

「ああ。ちょっと、立ち眩みしただけだから……」

 そう言って、立ち上がろうとするが体が言うことを聞かない。

 蒼矢は苦笑すると、

「無理すんな。力、使いすぎたんだろ? 俺が運んでやるよ」

 と、二階堂を背負った。

「お、おい! 大丈夫だから下ろせって!」

 驚いた二階堂が抗議するも、蒼矢は無視を決め込む。

「おい、蒼矢――!」

「うっせえ、大人しくしてろっての。初戦闘やり切ったんだ、動けなくて当たり前だ」

 そう告げる蒼矢の声音は、とても優しくて。

 二階堂は、思わず涙ぐんでしまった。

「……そう言えば、僕が刀を受け取ったのは強くなるためだって、どうして知ってたんだ?」

 涙を無理やり飲み込んだ二階堂は、ふと浮かんだ疑問を口にした。

「ああ、それな。白梨から聞いたんだ」

 と、蒼矢。

 甘果の呪から復活してすぐの頃、蒼矢は白梨に二階堂がどうしているのか尋ねた。すると、白梨は、少し迷ったような仕草を見せてから、二階堂が修行していることを話したのだ。

「そっか……」

(まあ、口止めしてなかったし……別にいいか)

 とは思ったものの、やはり気恥ずかしいことに変わりはない。

「そ……そうだ! 新しい術、使ってたよな?」

 多少強引ではあるが、二階堂は話題を変える。

「ああ。お前が修行してるって聞いて、俺も強くならねえとってな」

 そう言って、蒼矢も修行していたことを明かした。

 先程行使していた術は、そこで会得したものである。

「でも、驚いたよ。お前が、防御系の術を使うんだからな」

 てっきり、攻撃に特化した術だけだと思っていたと正直な感想を告げる。

 だが、蒼矢は鼻を鳴らすだけで何も言わない。

(まったく……)

 二階堂は苦笑して肩をすくめる。

 蒼矢が気恥ずかしさを隠す場合、うるさいの一言で終わるか、今回のように鼻を鳴らすかのどちらかなのである。

 静寂が辺りを包む中、二人は家路を急いだ。秋とは言え深夜である。それも、盛大に動いた後だ。体が冷えてしまうのは時間の問題だろう。

 しばらくして自宅に到着した。蒼矢は二階堂をリビングのソファーにおろすと、早々に風呂場に向かった。

 二階堂は、テーブルの上に置いてあるスマートフォンを手に取る。仮眠後、ふれあい公園に向かう前にここに置いておいたのである。

 もう寝ているだろうと思いつつ、榊に電話をかける。

『……もしもし』

 三回目の呼び出し音の後、榊は電話に出た。疲れているのか、気だるげな声だ。

「もしもし、二階堂だけど」

『おう。今回は、ちゃんと終わったんだろうな?』

「ああ、終わったよ。ちゃんととどめを刺したから、もう被害者が出ることはないよ」

『そっか。ありがとう』

 榊の声がほっとしたものに変わる。

 報酬はいつもの口座に振り込んでおくと告げると、上司に報告するからと榊は電話を切った。

 スマートフォンをテーブルに置くと、緊張の糸が解けたのか強烈な睡魔が襲ってきた。

(まだシャワー浴びてないし……それに、自分の部屋……行かないと……)

 そう思ってはいるものの、体は鉛のように重い。

 まぶたも自然に閉じていき、二階堂の意識は闇に沈んでいった……。

 翌朝、蒼矢に起こされた二階堂は全身の痛みに悶絶する。これは、ソファーで寝てしまったことだけが原因ではないだろう。

「日頃の運動不足が祟ってるんじゃねえか?」

 と、蒼矢が笑いながら言った。

「――かもな。いてて……」

「とりあえず、シャワー浴びて来いよ。神社に報告しに行くんだろ?」

 蒼矢の言葉にうなずくと、二階堂はきしんでいる体を引きずりながら風呂場に向かった。

 痛みに耐えつつシャワーを済ませ身支度を整える。

 リビングに戻ると、

「ほら、行くぞ」

 と、蒼矢が車の鍵を投げてよこした。

 危なげなくそれを受け取ると、白紫稲荷神社へと向かった。

 運転中も二階堂の体は痛みに悲鳴をあげていたが、何とか無事に神社に到着した。参道を通って境内に行く。

 本堂についてから、二階堂は財布を忘れたことに気がついた。だが、今更戻るのも面倒くさい。

(……まあいいか)

 なんて思いつつ、二礼二拍手一礼をして神様に蛇女を倒したことを報告する。

『誠ちゃん、蒼矢、お疲れ様。とにかく、今は傷を癒しなさい。そして、元気になったらまたおいで』

 という白梨の優しい声が聞こえた。

 どうやら、二人が万全な状態ではないことはお見通しのようだ。

(わかりました、また来ます)

 心の中でそう伝えると、二階堂はきびすを返した。蒼矢も素直にそれに続く。

 駐車場に戻ってきた二人は、ほぼ同時に車に乗り込んだ。

「この後、何食べようか?」

 二階堂の問いに、蒼矢はわずかに考えて、

「肉食いてえ」

 とだけ言った。

「肉、ね……。牛丼でもいいか?」

「ああ。とりあえず、牛丼食ったら寝ようぜ。神様からのお告げだしよ」

「そうだな」

 うなずいて、二階堂は車のエンジンをかける。

 二人は牛丼店に向かうべく、白紫稲荷神社を後にした。
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