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第8話 未来のために

修行(基礎編)

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 様子を見ようと、久しぶりに修練場に姿を現した柚月。そこで見たのは、うつぶせで倒れている二階堂の姿だった。力尽きてしまったのだろうか、動く気配はまったくない。

「……また、だめだったか」

 落胆したように、柚月がつぶやいた。

 実は、今までに何度か、人間に頼まれて神の力を人体に入れたことがある。だが、それが体に馴染む前に力尽きてしまう人間がほとんどだった。稀に、それに耐えた人間もいたが、力を開放するとうまくコントロールできず、暴走した力に飲み込まれてしまうこともあった。

 それゆえ、彼女は自分の力を分け与える際に、覚悟の有無を脅すように問うのである。

 柚月はため息を一つ吐くと、『処理』しようとして二階堂に近づいた。

 すると、二階堂はむくりと起きだし、大きなあくびを一つして周囲を確認し始めた。そして、柚月の顏を認めると、

「……おはようございます」

 と、寝ぼけ眼で告げた。

 どうやら、眠っていただけだったらしい。

「うわっ!……お、おはよう。気分はどうだ?」

 力尽きたとばかり思っていた柚月は、驚きの声をあげると平静を取り繕いながら尋ねた。

「そうですね……まだ、だるさというか疲労感みたいなものは残ってますけど、前より体が軽くなりました。けど、何も食べてなかったからお腹がすいて……」

 と、二階堂はばつが悪そうに苦笑する。

「そうか、それは結構」

 柚月は豪快に笑いながらそう言って、二階堂に大きめの球体を投げ渡した。

「おっ……とと」

 心の準備をしていなかった二階堂は、戸惑いながらも危なげなくキャッチする。

 それは、梨だった。やや濃い赤褐色の皮とずっしりとした重さを二階堂はよく知っていた。

「ありがとうございます。僕、これ大好きなんです」

 満面の笑みで告げる二階堂に、柚月はそのまま食べるように促した。

「え!? このままですか?」

 普段、二階堂は皮を剥いてから梨を食べていたので彼女の言葉に驚いた。普段通りの食べ方をしたかったが、彼女から無言の圧力を感じ、しぶしぶ皮を剥かずにそのまま食べてみることにした。

 一口かじる。シャリッという音が、耳に心地よい。そのまま咀嚼そしゃくすると、甘い果汁が口の中いっぱいに広がった。

(うん、美味しい! ……あれ?)

 二階堂は不思議に思った。

 皮つきのまま食べたはずなのに、皮の存在を感じなかったからだ。

「柚月さん、これ……」

「食べやすいだろう? 皮のまま食べられるように手を加えたのさ」

 と、柚月は自慢げに告げた。

 たしかに、これなら皮を剥かなくても食べやすい。

(……きっと、皮を剥くのが面倒くさかったんだろうな)

 二階堂は、そんなことを考えながら梨の芯だけを残して完食する。空腹感が満たされただけではなく、疲労感も完全に消えていた。

「すごい! 今の梨一個でだるさも取れた! 柚月さん、ありがとうございます」

 と、二階堂が驚きの声をあげる。

 柚月はにやりとすると、

「そりゃそうさ、その梨はあたしが作ったものだからね」

「そうなんですか? それにしては市販の梨と同じような……」

「まあ、あんたが知ってる梨を改良したって言った方がより正確かな。それ一個で、空腹感から体の傷、消耗した霊力まで回復する優れものなんだよ」

「それはすごい!」

「ただ、人間にしか効果はないけどね。さ、そんなことより、本格的な修行を始めようじゃないか」

 と言って、どこから取り出したのか、一本の模擬刀を二階堂に渡した。

 二階堂はそれを受け取ると、数回素振りをして感触を確かめる。

 それなりの重さがあるはずだが、まるで重さを感じない。細い木の棒を振っているかのようだ。

「その刀に力を乗せてみな」

「力を乗せる……?」

 二階堂がおうむ返しに聞くと、

「刀を霊力で包み込むって言った方がいいかな。それが安定してできないと、妖怪と渡り合うのは無理だ」

 一瞬の隙をつかれて殺される、と。

 その言葉に、二階堂は蛇目あいの殺意のこもったまなざしを思い出してしまった。ぞくりと悪寒が走る。

 それを払拭するように数回頭を振ると、

「どうすればいいのか、教えてください」

 と、真剣な面持ちで頭を下げた。

 柚月はうなずき、刀を両手でしっかり持って構えるように告げた。

 二階堂は、それに従って構える。

「次に、自分の気がその刀を包むイメージをして、両手に意識を集中させるんだ」

「イメージして集中……」

 と、二階堂はつぶやくと目を閉じて集中する。

 目を閉じたのは、視界から入る情報を遮断して、よりイメージしやすくするためだ。

 しばらくすると、両の手のひらが少しずつ温かくなるのを感じた。

(これが、力を使うってことか……?)

 まだ実感が湧かなくて疑問に思っていると、

「初めてにしては優秀だな」

 と、柚月が感心したようにつぶやいた。

 二階堂は、そっとまぶたを開ける。が、視線の先にある模擬刀には何の変化も見られなかった。

 直後、

「あぁ、消えた」

 彼女の残念そうな声が聞こえた。

「え?」

「さっきまで、きれいに光ってたんだけどな」

 刀を指して告げる柚月。

 どうやら、二階堂が目を開けた瞬間に集中が途切れてしまったらしい。

「素質はあるんだ、今度は刀だけを見てやってみな」

 と言う彼女に、二階堂はうなずいて再度集中する。

 しばらくすると、また手のひらが温かくなってきた。視線の先にある刀は、わずかだが白く輝いている。

(きれいだ……)

 素直な感想を抱くと、それは一瞬で輝きを失った。

「あれ?」

「こら、余計なこと考えただろ?」

「余計なことっていうか、きれいだなって……」

「たしかにきれいだよな。でも今は、力をコントロールすることだけに集中しろ」

 と、柚月が告げる。

 二階堂はうなずいて、また意識を刀に集中させる。

 心地よい静けさだけが、二人を優しく包む。

 どのくらいの時間が経過したのだろう。一時間か、それとも五分にも満たないのだろうか。よくわからないが、かなり長い時間のように感じる。二階堂の額には、じわりと汗がにじんでいた。

 刀は、しだいに光を帯びて白く輝きだす。

 そのまま集中し続けると、光は徐々に大きくなり、それに比例して輝きも増していった。

「よし、光の大きさをそのまま維持させな」

 と、柚月が指示する。

 その瞬間、光は弾けるように霧散消滅した。

 同時に、二階堂は膝から崩れ落ちへたり込んでしまった。大粒の汗が額から流れ落ち、肩で息をしている。

「もうへたばったのかい? だらしないねえ」

 呆れたように柚月が告げるが、二階堂には反論する気力は残っていなかった。

 柚月はため息をつくと、

「今日のところは終わりにしよう」

 そう言って、隠し持っていたのだろう梨を一つ、二階堂に渡す。

 二階堂はそれを受け取るが、まだ呼吸が整わず食べるまではいかなかった。

 柚月は肩をすくめると、その場にテラスつきのログハウスを作り出した。

「今日のところはここで休め。また明日な」

 そう言って、柚月は姿を消した。

 二階堂はしばらくの間、彼女が消えた空間を見つめていた。

 ようやく呼吸が整ったところで、梨を一口かじる。相変わらず皮の感触がないが、果肉の歯触りがよくシャリッという音が耳に心地よい。甘い果汁が口内に広がると、疲労感がそれに溶けるかのように消えていく。

 梨を食べ終えた二階堂は、すぐ近くのログハウスへと向かった。

 中に入ると、部屋の中央にシンプルなテーブルと椅子、その横にベッドがあった。奥にも部屋があるのが見えたが、何の部屋か確認する体力は、今の二階堂にはなかった。

 ベッドに倒れこむように横になる。思っていたよりもふかふかで、睡魔が一気に押し寄せてきた。それに抗うことなく深い眠りに落ちていった――。

 ――翌日。柚月にたたき起こされた二階堂は、眠い目をこすりながら奥の部屋へと向かう。そこは、脱衣室と浴室になっていた。ありがたいことに、脱衣室にはタオルや着替えがあり、浴室にはシャワーが備えつけられている。

 二階堂はあくびを一つすると、熱めのシャワーを浴びて眠気を覚ます。

 先程までの部屋に戻ってくると、

「ほら、さっさと修行するぞ」

 と、柚月が笑顔で待っていた。

 ログハウスを出ると、二階堂は模造刀を構えて意識を集中させる。柚月はと言えば、テラスでゆったりと茶を飲みながら二階堂の様子を眺めていた。

 二階堂が修行を開始してから数分後、刀は白い光に包まれていく。昨日よりも、光が出現する速度が確実に上がっている。

 しかし、集中力が途切れると、とたんに消滅してしまうのは変わらなかった。

 休憩を挟みつつ、コントロールの精度を上げていく。

 気づけば、食事も忘れて修行に明け暮れていた。そのおかげか、昨日よりも光の持続時間が伸びている。

「……二階堂。今日はそろそろ終わりにしよう」

 今まで眺めているだけだった柚月が、テラスから声をかけた。

「え、でも……」

 顔をあげた二階堂がまだやれると告げるも、柚月は首を縦には振らなかった。

「ここで無理しちゃ、元も子もないからな」

 そう諭されてしまえば、二階堂に反論の余地などないわけで。

 おとなしく指示に従いログハウスに戻る。用意されていた梨を食べてシャワーを浴びると、二階堂はすぐに床についた。

 翌日もそのまた翌日も、まったく同じメニューをこなす。日を重ねるごとに、少しずつ力のコントロールにも慣れてきた。だが、実戦で使えるようにまでなっているかと言えば、まだまだと言わざるを得ない。

 自然に力が使えるようになるまでに、十日程要するのだった。
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