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第6話 蛇

激闘

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 蒼矢が警戒しながら注視していると、目の前の美女は、上半身は人間で下半身は蛇という本来の姿を現した。

「蛇女か」

 蒼矢がつぶやく。

 艶やかな黒髪はそのままだが、瞳の色が深緑色からまばゆい金色に変わっている。瞳孔も夜行性の蛇のそれのように縦長になっており、獰猛さが先程よりも増していた。

 また、あらわになった形の良い豊満な胸――もちろん、深緑色の水着のようなもので覆われている――と、なめらかな質感のある深緑色の蛇姿の下半身が、彼女本来の色気を引き出している。

 しかし、蒼矢はそんなことには目もくれず、武器を構え直し多数の狐火を自身の周囲に作り出した。

 いつもは戦いを楽しむ蒼矢だが、今回ばかりは違うようだ。彼の瞳には、明確な殺意だけが宿っている。

「ふふっ、いい眼してるわ。楽しめそう」

 そうつぶやくあいは、蒼矢とは対照的に妖艶な笑みを浮かべている。だが、やや切れ長の目は剣呑な光をたたえていた。

 蒼矢とあいのにらみ合いが続く。

 しばしの沈黙の後、このままではらちが明かないと思った蒼矢は、

「来ねえなら、こっちから行くぜ!」

 低く吠えると、周囲の狐火をあいめがけて一斉に放つ。と同時に、彼女の背後に回り込むように駆け出した。

 着弾するのを確認すると、青白い炎を纏わせた大鎌を振り下ろす。

 余裕を見せるように、あいはひらりとかわした。

 盛大に舌打ちする蒼矢。だが、攻撃の手は緩めない。

 あいは、次々とくり出される蒼矢の攻撃を、いつの間にか作り出した剣で防ぎつつ応戦する。

 何度目かの打ち合いの後、間合いを取ったあいは左手を天にかざした。すると、頭上に暗雲が立ち込め始めた。それは急速に発達していく。

「――っ!」

 危険を察知した蒼矢は、武器をしまい彼女からの攻撃に備える。

 刹那、それは空から無数に降ってきた。多量の雷の雨である。

 蒼矢は、反射的に両手を頭上にかざし妖気の壁を作り出す。これにより直接的なダメージを受けることはないが、雷の雨の勢いが強いため、衝撃までは防ぐことができなかった。

「くっ……!」

 その衝撃に歯を食いしばって耐える。妖気の壁で緩和されているとは言え、負担がないわけではないのだ。

 蒼矢は、ちらりと横目で周囲を確認する。雷の雨は、蒼矢の頭上だけでなく広範囲に降り注いでいる。

 あいはと言うと、左手を天にかざしたまま不敵な笑みを浮かべている。

(……くそっ! 余裕そうな面しやがって!)

 と、蒼矢は心の中で毒づいた。

 そう言えばと、二階堂の方へと視線を移す。

 雷の雨は、蒼矢だけでなく二階堂にも牙をむいていた。その衝撃で吹き飛ばされたせいか、背後の樹木に寄りかかるような形で座り込んでいる。しかし、蒼矢が事前にベストのポケットに入れておいた勾玉のおかげで、ダメージは最小限に抑えられたようだ。

(……大丈夫みてえだな。とりあえず、こっちを何とかするか)

 意識を目の前のことに戻した直後、雷の雨がやんだ。

 妖気の壁を解き、訝しげに空を見上げる。

「戦いの最中にどこを見てるの?」

「――っ!?」

 その声に驚いて振り向くと、あいは蒼矢の目の前にいた。彼女は、邪悪な笑みを浮かべながら剣を振り下ろす。

 蒼矢は舌打ちをして、とっさに作り出した刀でそれを受ける。

 金属が擦れる不快な音が響く。

 しばしのつばぜり合いの後、蒼矢はあいを剣ごと弾いた。

 彼女が体勢を立て直す前に、蒼矢は指を鳴らし『胡蝶』を発動させる。

 蒼矢の背後から現れる無数の青白い蝶は、あいに引き寄せられるように飛んでいく。

 悪態をつきながら、あいは迫りくる蝶を次々と切り伏せていく。しかし、無数の群れには敵わず、あっという間に囲まれてしまった。

 彼女の姿が蝶のカーテンで覆われるのを認めると、蒼矢は武器を刀から大鎌に変えて間合いを詰める。

 しばらくすると、青白いドームの中から悲鳴が聞こえてきた。彼女が見ている幻覚から攻撃を受けているのだろう。

 『胡蝶』とは、相手に幻覚を見せる術である。相手によって見える幻覚は違うのだが、その幻覚から攻撃を受けるという共通点があるのだ。

 蒼矢は、あいの悲鳴を合図に大鎌を振り下ろす。その刃は、彼女の左腕をとらえ深い傷を与えた。

 彼女の悲鳴が響く。

 蒼矢が蝶の群れを切り裂いたことで『胡蝶』の効果が消えた。

 痛みに顔を歪ませて、あいは左腕をおさえながら後退する。蒼矢をにらみつける彼女の表情からは、先程までの戦闘を楽しむ余裕が一切消えていた。

「どうしたよ? 『楽しめそう』なんじゃなかったのか?」

 と、彼女の表情の変化に気づいた蒼矢が煽る。

 あいは歯噛みして、小さく呪文を唱える。すると、彼女の後ろに電気を帯びた矢が多数出現した。

「うるさいっ!」

 そう言うと、あいは背後の矢を蒼矢に向けて一斉に放った。

 蒼矢は、それを武器で受け流しつつ避ける。と、彼女の姿は目の前から消えていた。

 どこへ行ったのかと視線を泳がせると、後方から彼女の勝ち誇ったような笑い声と二階堂の呻き声が聞こえた。

 勢い良く振り向くと、あいは今にも絞め殺さんと二階堂の首に手をかけていた。

「誠一!」

「ふふふ。少しでも動いたら、こいつを殺すわ」

「てめえ……っ!」

 牙をむき出しにして唸る。

 その姿は、猛獣そのものだった。しかし、二階堂の命を握られている以上、下手に動くことはできない。

 緊迫した膠着こうちゃく状態が続く中、妖気で作り上げたあいの分身がゆっくりと蒼矢の背後に迫る。

 それは、蒼矢自身も気配で感づいていた。だが、どうすることもできない。

 蒼矢の真後ろまで近づいたそれは、後ろから彼を羽交い締めにすると、彼の首もとに牙を突き立てた。

「痛っ……!」

 深く突き刺さった牙から、温かくてとろりとした液体が蒼矢の体内へと送り込まれる。

「――っ!? な、んだ……これ? 気持ち、わりい……。――くっそ……!」

 蒼矢は、渾身の力を振り絞って背後にいるあいの分身を青白い炎で燃やす。拘束が解かれた直後、前方の彼女本体へと躍りかかった。

 あいは、間一髪のところで二階堂を離し攻撃をかわす。間合いを取るためにステップを踏んで後退すると、彼女はにやりとほくそ笑んだ。

「誠一……大丈夫か?」

 咳き込む二階堂に声をかける蒼矢。

 うなずいて大丈夫だと告げる二階堂の目の前で、蒼矢は思わず膝をついた。

「蒼矢っ!?」

 二階堂が慌てて声をかけるも、蒼矢は大丈夫だとでも言うように片手を上げた。

 しかし、その様子は明らかに大丈夫ではない。呼吸は荒く、額には冷や汗をかいている。おまけに、彼女の分身に噛まれた箇所には鎖状のあざが浮き上がっていた。

甘果かんかじゅのお味はいかがかしら?」

 あいは、勝ちを確信したような声音で問う。

「甘果の呪……?」

 二階堂は、聞き慣れない言葉をくり返した。

「ええ。それは、蛇女にしか伝わらない秘術。その鎖のあざが全身まで行き渡る前に何とかしないと、そいつ、死ぬわよ。苦しみ抜いて、ね。まあ、私達の鱗で作った薬じゃないと解けないけど」

 そう言って、あいは高らかに笑う。

 他に解呪かいじゅできる存在がいるとしたら、それこそ神様くらいのものだと。

 そう豪語する。

 蒼矢は舌打ちをすると、刃を数本作り出して彼女へと放った。

 あいは、それを難なく受け流すと、興ざめしたとばかりに表情を消した。

「つまらない悪あがきね。死ぬまでく――っ!?」

 苦しむがいいと言おうとした瞬間、あいは背中に衝撃を感じた。

 違和感を覚えて腹部を見る。そこには、内側から肌を突き破って顔を出している血まみれの鋭い刃が見えた。だがそれは、体内で作り出されたものではない。先程、背中に感じた衝撃の正体である。

 あいは、唐突な吐き気に襲われ、盛大に咳き込んで吐血した。

「お、のれ……っ!」

 驚愕の表情で蒼矢をにらむ。

 蒼矢は、してやったりとばかりにほくそ笑むとその場に倒れて意識を失った。

 先程、あいに放った刃とは別に蝶を一匹飛ばしていたのだ。彼女が攻撃を受け流した瞬間に指を鳴らし、蝶を刃に変えて背後から攻撃したのである。

「今回は……見逃してあげる。だけど、貴方達は……必ず、ズタズタに引き裂いて殺してやるから!」

 そう言って、あいは姿を消した。

 刹那、甲高い金属音が鳴り響いた。おそらく、あいが結界を解いたのだろう。

 彼女の気配が消えた瞬間、二階堂はひどい脱力感に襲われた。まだ、体が小刻みに震えている。

 だが、いつまでもぼんやりしているわけにはいかない。

 二階堂は、軽く頭を振って気持ちを切り替えると、気絶している蒼矢の肩を抱えて市役所の玄関側にある駐車場へと歩いていった。

 車に戻ると、蒼矢を助手席に座らせてシートベルトを締める。

『他に解呪できる存在がいるとしたら、それこそ神様くらいのものよ』

 運転席に座った瞬間、あいの言葉を思い出した。

「蒼矢。悪いけど、もう少しだけ耐えてくれ」

 二階堂は祈るようにそうつぶやくと、白紫稲荷神社へと向かう。

 蒼矢の肌に浮き上がっている鎖状のあざは、噛まれた箇所から放射状に少しずつ広がっていた。
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